**主とヤツは隠し事をする(2)

          *



 一週間という時間はあっという間に過ぎ去った。気づけば迎えていた国礎修繕こくそしゅうぜんの儀の当日。私は、一人にしてほしいという主のお言葉に従い、お側を離れた。


 夜明け前の薄暗い時刻。先に現地で準備を行う使用人たちの出発を静かに見送り、そのまま通りを見つめ続ける。


 主と弟君は大変仲の良いご兄弟だった。お二人を取り巻く環境の違いを思えば、主が弟君に嫉妬してもおかしくなかったというのに、嫉妬はおろか八つ当たりをすることさえなく、主はただただ愛情をそそがれていた。

 九つという歳の差がそうさせたのかもしれない。赤子の頃より面倒を見てきただけに、弟君に対する想いも強いのだろう。


 そんな主の大切な弟君が、どうして修繕師に選ばれなくてはならなかったのだろうか。主の悲しみを思い、香稜ノ戸が開いたこと、そしてそれが今であったことを呪った。


 そもそも、どうして修繕師は、帝に近い血筋の二十歳以下の少年から選ぶと定められたのだろうか。その親が代われるのであれば、喜んで代わるという親も少なくなかっただろう。

 もっと早くにこのことに気づくべきだった。そうしたら選定の理由を調べ、弟君が選ばれることを回避できたかもしれなかったというのに。


 私は先発隊の出発を見送って部屋に戻る。儀式を行う香稜ノ戸までは、主も向かわれるが、主の御仕度はすでに済ませてあるので、あとは出発の時刻にお声がけすればいいだけだ。

 とはいえ、修繕師である弟君の出発のほうが先になるため、おそらく声をかけずとも出発前にお部屋に戻られるだろう。修繕師である弟君は、香稜神宮を参拝し、その裏手にある山ノ井の横を通って香稜山に入ることになっている。それはこれから私たちが登っていく山道とは別の道だった。


「ようやく笑顔を取り戻されたというのに」


 思わずそんな言葉が口をついた。主が選ばれないことに安心していたとはいえ、弟君が選ばれたことに心が痛まないわけではないのだ。

 弟君は乳兄弟の死から長い間、ふさぎ込まれていた。今のように明るくなられたのはここ四、五年ほどのこと。これから新しい人生を歩んでいくというところだったというのに。そう思うと、一層胸が痛んだ。


「夜が明けた、な」


 ちょうど弟君が出発した頃だろうか。

 建前上、修繕師は三十三日で帰ってくることになっているため、見送りは最小限いしかいない。屋敷の者総出で見送るのは、もう二度と帰ってこない、もしくは帰ってきてはならないという場合のみとされている。だから私は行かなかった。


 それに、弟君のお見送りが済めば、すぐに主たち屋敷の者たちの出発時刻になる。私はもう一度空を見上げ、深呼吸してから主の部屋へと向かった。


「慧泉様、失礼いたします」


 一度声をかけてから戸を開く。だが、そこに主の姿はなかった。


「慧泉様?」


 ぐるりと部屋を見回し、そこに主がいないことを確認した私は、少し迷ったものの、このままお部屋で待つことにした。お見送りをして、その姿の消えて行った道の先を名残惜しそうに見つめ続ける主の姿が思い浮かんだためだ。

 だが、しばらく待つものの、主はお戻りにならなかった。


 さすがにこれ以上は待っていられないと思い、私は主を探しに向かう。いるとしたら弟君のお部屋だろう。私は少しだけ足を急がせてそちらへと向かった。


 だが、そこにも主はいなかった。


「一体、どちらに……」


 本格的に焦りを覚えた私は、屋敷の中を端から探して回る。

 毎日瞑想をしている中庭の見える縁側。時々体を動かすのに使う鍛錬場。実はこっそり手入れをしている裏庭。人目を盗んで子どもにおやつをあげている裏門。


 心当たりをすべて見て回ったが、それでも主を見つけることは叶わなかった。

 背中を冷たい汗が伝う。嫌な予感が私の心を支配した。もしこのまま主を見つけることができなかったら――。


 気づけば屋敷から人気がなくなっていた。慌てて表門へと向かえば、荷物を持った一人の使用人が留守居役の老いた使用人たちと挨拶を交わしている。

 私は駆け寄り、その若い使用人の肩を掴んだ。


「け、慧泉様は!」


 すると、その若い使用人は気まずそうに視線をそらした。そして視線を合わせないままで答える。


「その……先に参られました」

「そんなっ」


 私は駆け出そうとした。だが、その私の腕を、若い使用人がしっかりと掴んで止める。


「お待ちを」

「そうはいきません。追いかけなくては」

「いえ、慧泉様から、言付かっていることがございます」

「――なんですか」


 若い使用人はやはり落ち着きない様子でいる。私は早く主を追いかけたくて苛々としていた。


「最後のお料理を運ぶように、と。その……季節外れの野菜を今朝、偶然、手に入れることができまして、急いで調理させていたのです。運び手が足りないと申し上げたら、スイ殿に頼んでよいとおっしゃられて」


 慣習で、儀式には修繕師の好物を持ち込むことになっている。その中のいくつかは季節違いで用意できていなかった。

 それが、偶然手に入ったのだという。となれば当然、用意するだろう。ぎりぎりの時刻になってしまっても、他の荷物がなく、同行者が少ないのであれば、移動時間を短縮して、儀式開始までに間に合わせることができる。


「私はこちらの荷物を持たねばならないのです。ですのでお願いできませんでしょうか」


 私は舌打ちしたい気持ちに駆られた。主の元に駆けつけたい気持ちは強い。だが、主のお心を裏切ることもできなかった。ましてや今日が最後となる弟君のためであるのだから、断ることなどできるはずがなかった。


「その料理は?」

「まもなく出来上がります」


 問題は、ものが料理であるから走って向かう訳にはいかないということだ。

 儀式には間に合うだろう。けれど、山道の途中で主に追いつくことは期待できそうになかった。


「わかりました。支度をして参ります」


 さすがにすでに主が出発しているとは思っていなかったため、荷物は持ってきていない。それなりに山を登るので、羽織りものと水筒程度の装備は最低限必要だった。

 苛立ちを抑え込みながら、部屋へと戻る。そして、主のために用意していた荷物が、しっかりとなくなっているのを目にして大きくため息をついた。


「お心を乱されているのはわかるけれど」


 こうもあっさりと側仕えを置いていくだろうか。

 自分がその程度の存在でしかなかったと思い知らされた気がした。

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