**側仕えは知らせに戦慄す(2)

          *


 主の乳兄弟で、生まれた時から主の側仕えだったリョウ。リョウと主は非常に仲が良く、そして私の面倒をよく見ていてくれた。うまくできれば褒め、間違ったことをすれば叱る。飴と鞭を使い分ける二人の息はぴったりで、そんな二人のような信頼関係を、私もいずれ築きたいと憧れを抱いていた。


 実はこの頃、私が瀬木の家に来た翌年からの数年間は、瀬木家でも、洸国でも、変事の多い時期だった。

 帝に叛意はんいを抱く者が現れて政治が混乱したり、他国から無頼者ぶらいものが入り込んで、村や民家が荒らされたり。歴史に残るほどの大事件はなかったと言われているが、人々がまたかと思うくらいには多くの事件が起こっていた。


 この時、人々の脳裏にあったのは、洸国こうこくが危機に瀕しているのではないかということ。


 洸国は揺岩ゆるぎいわと呼ばれる大岩によって支えられている。

 地中深くに埋まっているそれが国の地盤を支えていた。入り口は香稜山の山頂近くの渓谷にある香稜ノ戸かりょうのと。それは揺岩が傷ついた時にのみ開く扉だった。


 この国の礎たる揺岩が傷つくということは、国が傾くということ。

 揺岩が傷つけば、地震や水脈の移動、天災が増える。さらに傷が大きくなり、もしも割れるようなことになったとしたら、それこそ洸国の大地も割れ、人々の住める地は失われると言われていた。


 洸国では、国が荒れると揺岩が傷つき、揺岩が傷つくと天災が起こる。ひいては国が滅亡すると伝えられていた。


 これらの管理と監視は、朝廷の神祇官じんぎかんたちの管轄になる。

 香稜ノ戸が開いたか否かは実は香稜神宮でも確認できる。香稜神宮の裏手、香稜山の麓には山ノ井やまのいと呼ばれる清水が湧き出ている場所がある。小さな泉だ。香稜ノ戸が開く時、まずそこに兆候が表れる。

 それが水花と呼ばれるものだ。小さな銀箔のようなものが無数に浮かび、揺岩が傷つき、香稜ノ戸が開かれることを示す。


 ゆえに、毎朝の山ノ井の確認は神祇官のもっとも重要な仕事とされていた。それに加え、国が荒れていないかの確認――帝の回りの家々、国政に携わる忠臣の家に異変がないか、町や村に異変がないかの確認も行う。

 そして、荒れるとまではいかなくとも、変事が続くと神祇官は帝に奏上する。対処できる策があるならば対処し、無理でも極力要因を排除するよう努力する。

 変事が起ころうとも速やかに対処できれば、香稜ノ戸は開かない。それは事実として古くから伝えられていた。


 ゆえに、小さいながらも絶えず事件が生じるに、人々は日々、戦々恐々としていた。

 瀬木の屋敷もピリピリとした緊張感に包まれ、屋敷の中からは次第に笑みが消えていった。

 そんな世情では人々の顔が曇るのも仕方ないことだったが、屋敷の者たちはそんな暗さから目を背けるように、すがる存在があった。

 弟君の伊雪様と、乳兄弟であり側仕えであったシュンだ。まだ三歳と幼かった二人は、屋敷中の人々にとって唯一の希望であり癒しだった。

 愛らしく無邪気な二人の姿を見れば、まだ大丈夫だと皆思うことができた。


 けれど、そんな屋敷の人々の希望も、さほどたたずに失われることになった。

 伊雪様とシュンが四歳になった年、シュンが風邪をこじらせて他界してしまったのだ。

 伊雪様の乳兄弟であり側仕えであったシュンの死。それは残された伊雪様の笑顔をも奪い、屋敷は一気に暗くなってしまった。



 帝に叛意を抱く者たちによる政治の混乱。

 次期帝に慧泉様を押す派閥と湧煌帝を押す派閥との権力闘争の激化。

 他国からやってきた無頼者たちによって引き起こされる数々の事件。

 国政を担う瀬木家で起こった不幸。

 他の中心たちの家でも、事故や病を理由に多くの家が代替わりした。


 そして、とどめを刺すように舞い込んできた帝の罹患の知らせ。

 翌年、私が十一になった年に帝は崩御され、践祚せんそとなった。



 この時、揺岩が傷ついたと神祇官たちが判断したのも当然だっただろう。

 この頃、すでに修繕師の選定が始まっていると、まことしやかに囁かれていた。

 それは天災を呼び起こさないための最後の手段だった。修繕の儀と呼ばれるそれは、開いた香稜ノ戸より修繕師を送り込み、揺岩を直し、天災を防ぐという方法だ。

 本来、香稜ノ戸が開いてから修繕師の選出は始まる。だが、この時は、帝が崩御なされた時点で始められたという。それほど、いつ香稜ノ戸が開いてもおかしくない状況だったのだ。


 だが、香稜ノ戸は開かなかった。翌年、湧煌帝が即位するとともに、ぴたりと変事は落ち着き、天災が起こることもなかった。

 緊張の数年間を乗り越えて、人々は大きく安堵した。



 世間一般では平和を取り戻し、胸をなでおろしたところだったが、瀬木家的には、これでめでたしめでたしとはいかなかった。

 この一連の出来事の中で、誰よりも傷ついていたのは、おそらく主だっただろう。十五歳になった主の瞳は、やんわりと他人を拒絶するようになっていた。


 主がそうなってしまったのは、本当に辛いときに誰の手も借りられなかったことが関係している。

 変事だ、洸国の危機だと騒がれるより前から始まっていた次期帝争いは、ちょうどシュンが他界したころにもっとも激化していた。

 シュンが他界し、弟君から笑顔が消え、屋敷が真っ暗になっていた時期だ。父君も他の大人たちも皆、傷ついた弟君を慰めようと必死になり、主の父君である武焔様も、使用人たちも皆、幼い弟君につきっきりだった。


 その間も、主をまつり上げようとする親族や貴族たちは次々と主に接触し、追い詰めていった。主の側にいるのは、同い年のリョウと私だけ。それも、まだ私が屋敷にも人にも慣れていなかったために、リョウは私の面倒を見ている時間が長かった。それもいけなかったのだろう。


 シュンの他界から一か月。とうとう主が壊れた。

 突然笑い出したり、物を壊したり、走り出したかと思えば、宙を見上げて彷徨さまよい、視線は現実を捉えず、食事も誰かが世話をしなければ口にしなくなった。

 そこでようやく父君が主の異変に気づいたが、間の悪いことに、それは帝が御身に不調をきたし、お倒れになった頃のことだった。当然、父君が主のために手を差し出すどころではなくなってしまった。


 それが演技であると知ったのは、主におもねっていた人々の大半が屋敷を訪れなくなってからのことだ。

 主は愚者を演じ、傀儡かいらいとしても役に立たない使い道のない存在であると周囲に見せつけ、祀り上げられることを回避したのだ。


 思い出すだけでも体が震える。あの時は本気で主が壊れてしまったと思った。

 発育の遅かった私はまだほんの子どもで、主の苦労の十分の一も理解していなかったが、あの時はさすがに異変に気づかざるを得なかった。

 あのまま元に戻らなかったらどうしようと本気で恐れていた。


 父君が帝のお側を離れられなかったことは理解している。帝近くに仕える武焔様としては、息子の悩みより、家のことより、何より帝のことを優先するのは当然だ。それでもどうして助けてくれなかったのか恨まずにはいられない。

 主は愚者の演技などしたくてしたわけではないのだ。

 周囲に上手く持ち上げられて、派閥の誰かが公の場でそれを口にするようなことでもあれば一巻の終わりだ。主は主の意思とは関係なく、反逆の罪を着せられて、処刑されてしまっていただろう。そうなれば当然、瀬木家も罰せられ、家族や使用人たちも命を落とすなり路頭に迷うなりすることになっただろう。

 それだけでなく、下手をすれば香稜ノ戸が開いていた。主はそのことに気づいていたのだ。


 けれど、当時の私はそこまでわかっていなかった。主が何故あんな行動に走ったのか。何を犠牲にして何を守ったのか。私はただそばにいて日々をこなすことしかできなかった。

 主はどんなに辛い時でも、年下の私に弱音など全く吐かなかった。

 例え私が年下でなくとも、この時の主の側にはリョウがいた。私に弱音など吐かなかっただろうけれど。


 国をも救った主ではあるが、その代償は小さくはなかった。

 今の主の悪評もその一つだ。当時の振る舞いの結果がここまで尾を引いている。


 主が大切なものを失ったというのに、私は何もできなくて、私は結局のところ無力でしかなかった。

 それをなんとかしたくて努力してきたはずなのに、今なお迷い、頼れる者を探してしまう。

 私は愚かでどうしようもない側仕えだ。

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