第二章 突きつけられた現実
五、側仕えは知らせに戦慄す(1)
今日もまた、ご当主の
ここのところ訪問客が後を絶たないようで、屋敷の使用人たちも絶えずバタバタとしていた。何かあったのだろうかと気になってはいるが、私の耳には特にこれといった話は入ってきていない。
何かあったのだとして、それが主に関わることであるなら、ご当主はすぐにお話し下さるだろう。そういう方だ。それがないということは、おそらくご当主のお勤め関係だろう。
私は主宛の書状――先日いらっしゃった先生からのものだ――を
そうして急ぎ足で廊下の角を曲がり、そしてはっと足を止めた。
廊下の先からがやがやとしたざわめきが聞こえる。その緊張感のなさから、ここ数日の来客とは別口だったようだと判断する。おそらくご当主のご機嫌伺いにきていた親族たちだろう。
そのざわめきはだんだんと近づいてきている。ちょうどお帰りになるところに遭遇してしまったのだろう。その運のなさに、思わず顔をしかめた。
私は彼らの姿が見えるようになる前に、廊下の壁に身を寄せて、歪んだ顔を隠すように頭を下げた。こうして彼らが通り過ぎるまでのしばらくの時間、私は人ではなく屋敷の一部になりきるのだ。
「見たか? あのへらへらした顔。あんな軟弱な男が本家の長男とは」
「あぁ、縁側で間抜けな顔を
「頭が足りていないのではという話は聞いていたが……あの様子からすると噂は誠か」
無駄に気位の高い瀬木家の親族たちは、使用人など人間とは思っていない。すぐそばにいるのが、彼らのいう本家長男の側仕えであることにも気づかず、まだ瀬木の屋敷内だというのに憚ることなく主をこき下ろしていた。
彼らの中ではすでに、ご当主が弟君を指名したことになっているのだろう。こんなところをご当主に目撃されたらどのように思われるか、おそらく考えもしていないに違いない。
「ははっ、筆頭家臣の息子に見捨てられたのも納得ですな」
「誠ですな。はっはっはっ」
何がおかしいのか、笑いながらそう言って、周囲の者たちもそれに追随する。
これだから嫌なのだ。こちらは必死に堪えているというのに、その努力を嘲笑うかのように煽り立てる。
何度も殴りかかりたい衝動に駆られた。胸倉を掴んで思いっきり殴り、発言を撤回させたかった。だが、それをやっては逆に非難される糸口を作ることになってしまう。私は唇を噛みしめて耐え忍ぶしかなかった。
握った拳の爪は手のひらに食い込み、噛んだ唇からは血の味がした。
――ご当主の従兄弟とそのご家族ですか。
視線の先を過ぎゆく足の数と声とを総合して、そう判断する。
今は手出しできない。だからこそ、主が当主になったら必ず復讐してやろうとしっかりと記憶し、今はただ呪いの眼差しを送るに留めた。
彼らが通り過ぎるまでの時間は長かった。苛立ちを抑えながらであるためか、実際の何倍もの時間に感じられ、彼らがいなくなる頃には疲れ果てていた。
私は柱に背を預け、大きく息を吐く。
以前、どうしても屋敷内で悪口を言える彼らの神経が信じられず、リョウを疑ったことがあった。リョウが弟君を次期当主につけるために、彼らを唆しているのではないかと。
リョウの藍賀家は、瀬木家の筆頭家臣とも呼ばれる親族の間でも一目置かれる大変重要な家柄だった。ゆえに本家直系男児であるリョウが側につくことによる影響は大きい。
そんな発言力あるリョウが
だが、それは違っていた。黙ったままでいられず追及すると、リョウはそれを鼻で笑って否定した。
「はぁ? 何勝手に人のせいにしてんだよ。慧泉が認められないのは俺が離れたからじゃねぇ。お前が不甲斐ないからだ。そうだろ? お前が周りに認められるような側仕えだったら、誰もこんなこと言い出しはしねぇよ」
リョウのその言葉は私の心に深く突き刺さった。
その通りだと打ちひしがれる自分と、無茶をいうなと
私が周りに認められている側仕えであったなら、リョウが弟君に移ったくらいでは、主の信用が揺らぐことはなかっただろう。その一方で、生まれた時から主の側仕えをしていたリョウと同等の信用を私が得られたかと考えると、どんなに素晴らしい立ち振る舞いをしていたとしてもそうはならなかっただろうとも思えた。
私は一体、どうすればよかったのだろうか。主の力になりたいと思いなった側仕えだが、私のような不名誉な者は、やはりならない方がよかったのかもしれない。私が主の足を引っ張っているのだ。
だが、今さらやめることなどできなかった。そんなことをしたらそれこそ、できの悪い側仕えにまで捨てられたと主が
いくら悩んでも答えはでなかった。誰かに答えを教えてほしいと思う。だが、私には頼れる者など一人もいなかった。
これまでずっと頼りにしてきたリョウは、主と私を裏切ってしまったから。
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