*瀬木家の父と子
前の話から微妙に続いてますが、個別に読んでもらって問題ありません。
慧泉の父上に関する秘話……かもしれないお話。
----------
「それで、父上はなんて?」
慧泉はつい先ほどまで父に呼ばれて部屋を空けていたスイに何気なく尋ねた。
「ああ、それはですね。また剣の稽古を再開しないかというお誘いでした」
「へぇ? まったく、我が父のことながら何を考えているんだか」
慧泉にとって父、武焔は、当主や役人としては尊敬するが父としてはまったく理解できない謎の人物だった。
嫌ってこそいないが――いや、嫌ってるのだろうか。少なからず恨む気持ちのある相手ではあった。
「それで、受けたのかい?」
「いえ、慧泉様の許可なくお答えするわけにはまいりませんので、お話を持ちかえらせていただきました」
慧泉はわずかに目を見開く。
スイは剣術が好きだ。達人などと呼ばれることもある父に誘われたなら、一、二もなく受けると思っていた。もちろん、そこには自分を守るために武芸を磨きたいという思いがあることも踏まえて、だが。
「二日後の午後から一日おき程度で、ご当主様の都合のつくときにお相手をしてくださるそうです。その間、慧泉様のお側を離れることになってしまうのですが……いかがいたしましょう」
「……それは困るな」
「かしこまりました。では、やはりお断りを――」
「スイ。スイは受けたいんだろう? それならいい考えがあるよ」
これはいい機会かもしれない。慧泉はスイににっこりと笑いかけた。
約束の稽古の日。二日ぶりに視界に捉えたリョウとスイと共に、慧泉は鍛錬場へと足を向けていた。
ようやくわだかまりがなくなったところだというのに、貴重なスイとの時間を奪うなど、親であっても許し難い。
ならば、ということで慧泉もスイの稽古に同行することにしたのだ。
「そういや、慧泉。前に俺のことをやきもちやきみたいに言ってたが……」
「うん?」
「お前の親父さんがスイにやたらと構ってたのはやきもちからだぜ?」
「……うん??」
「リョウ兄……?」
慧泉は思わずリョウにいぶかしげな視線を向ける。同じようにスイもまた不思議そうにリョウを見ていた。
「リョウ。意味がわからないのだけれど」
「あ? そんな難しいことじゃねーよ。スイにお前を取られたーっていうやきもち。けどスイをいじめたら恨まれるから、スイを接点にして慧泉に構ってもらおうって企んでたらしい」
慧泉は頭を抱えた。あまりにも瀬木家の当主らしくない安直な企みだ。いくらなんでもそれはないだろうと思う。
確かにスイに剣術を教えたのは慧泉の父だった。他にも学問を教えたり、散歩に同行させたり、なにかと時間を共にしていたことは慧泉も知っている。
だがそれは長子の対面を整えるための教育をしていたのだと考える方が納得がいく。いや、むしろ伊雪につけるための教育か。
父が慧泉を気にかけていたなど――ありえない。万が一にもない。少なくとも当時、そう言う状況に慧泉はいなかった。
「まさか。あの人は私に興味なんてないよ。スイを指導してたのだって、伊雪のためだろうし。リョウを伊雪につけるよりスイの方が断然歳が近いからね」
「ちげーし」
「そんな! 私には伊雪様の側仕えになどという考えは、爪の先ほどもございません」
「スイ、おまえはちょっと黙っててくれ……」
「ですが、そのようなお考えを持たれること自体、側仕えとしては――」
慧泉はそっと視線で二人を黙らせる。気づけば、三人の足は止まっていた。
「思い出してごらんよ。私は――伊雪が生まれてからずっと放置されてたんだよ。周りにいたのは甘言を弄(ろう)す者たちばかりで、信頼できる使用人の一人さえつけられなかった。それでどうして父上が私を気にかけていたと信じられる?」
まだ慧泉がリョウを物のように感じていたころ。慧泉は心の底から孤独を感じていた。父との会話はもとより、顔を見るのだって週に一度あればいい方。そんな状況でどうして信じられるだろうか。
「あー、そこか。そっから知らねぇのか……」
リョウがまいったという様子で頭を抱える。まるですべてを知っているかのようなリョウの態度が、このときばかりは慧泉の勘に触った。
「――リョウ。リョウらしくないね。はっきりお言い」
「あー、うん。その、慧泉を放置してたってやつな……わざとなんだ」
「それが? 私は嫌われていたのだから、おかしなことではないだろう?」
「じゃなくて。その……慧泉のそばから家人を離すことで、近寄ってくる親族を炙り出そうっていう計略だったんだよ」
慧泉は耳を疑った。リョウは一体なにを言っているのだろうと思う。
「慧泉を次期帝に祀りあげることは、帝に対する反逆だからな。そんなこと勝手にされたら困るってことで、親父さんがどうせなら一網打尽にしようって、慧泉のまわりをわざと無防備に……」
「はっ、はははっ。そう――つまり、私は囮にされたんだね」
笑いが止まらなかった。これまで滅多に表に出てこなかった黒い感情が、胸の内で暴れまわる。
「いや、ちが……わないけど、じゃなくて。だから、ご当主様は慧泉を嫌っていてそばを離れたわけじゃな――」
「子どもを囮にできる時点で最低だよ。嫌われている方がまだよかった」
思いのほか冷たい声が出る。いけない、と慧泉は思った。別に慧泉はリョウに当たりたいわけではないのだ。
「そ、それは。ええと、その……だから、その時に空いてしまった距離を埋めたくて、スイにね……」
「ふぅん」
「け、慧泉……」
慧泉の滅多に見せることのない鬼の形相に、リョウは本気で気圧されていた。顔からは血の気が引き、わずかに震えているようにも見える。
空気の不穏さは徐々に増していく――とその時、その空気を振り払うような凛とした声が響いた。
「――慧泉様、そろそろよろしいのでは?」
そのスイの言葉で、慧泉は元の穏やかな表情へと戻す。一瞬にして不穏な空気は霧散した。
「……へ?」
「リョウ兄を責めても仕方ないことですからね。感情が昂ぶったとしても、慧泉様がそのままリョウ兄に八つ当たりするわけないでしょう? 今のはほんのお遊びです」
「なんでスイにはわかっちゃうかな。これまで、こんな自分見せたことなかったと思うんだけど」
「そうですね、何故でしょうか。私にもわかりません」
「はあー? なんだよそれー」
不満を口に出したのはリョウ。慧泉の内心もさほど変わらないものではあったけれど、それ以上に自分を理解してくれる存在があることを嬉しく思う。
思いの外、怒りが持続しなかった理由はわかっている。八つ当たりしてもしかたないというのが一つ、必死に取り繕おうとするリョウが面白くて溜飲が下がったというのが一つ。
とはいえ、一番の理由はそこにはなく、正直なところ、そこまでショックな話でもなかった、ということがあげられる。
怒りがないわけではないけれど、昔のことだ。それに慧泉自身、父が自分のことを嫌っていたとも思っていない。ただもう少し、気にかけていると態度に示してくれてもよかったのに、とは思うけれど。
結局、自分は父の子なのだろう。慧泉はそのことを妙に納得していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます