終章 新しい日々の始まり

九、側仕えは希う



 絶え間なく続く打ち合い。

 刀と刀のぶつかり合う音が、神聖な楽の音のように響き渡る。


 一瞬にも、永遠にも感じられるその打ち合いの中、私は相手のわずかな隙を捉え、一歩強く踏み込んだ。

 至上のように聞こえていた楽の音が乱れる。強く、弱く、早く、遅くとリズムは不規則になり、その合間合間に乱れた呼吸音と鈍い金属音が混じり出す。


 そして――。

 ひと際大きな音が響いたかと思うと、刀が宙を飛んだ。

 ぱっと飛び散る汗の雫とともに、蒼穹が広がった。

 

 視線を戻せば、対峙していたリョウの顔に満足げな笑みが浮かぶ。

 カラン、と音を立てて地面に落ちたのは、リョウの刀。勝敗は決した。


「そこまで!」


 審判の制止の声がかかる。


 スイは袖で軽く汗をぬぐい、一歩下がる。リョウもまた刀を拾うと最初の位置にまで戻り、そして礼をした。


 近寄って軽く手を握る――と、何故かリョウが顔を寄せてくる。


「知ってるか? 慧泉はとんでもない役者だぞ」


 ふっと口元に笑みが浮かぶ。

 そんなこと、リョウに言われずとも昔から知っている。それだけは、リョウよりも、誰よりも知っている。



 今より数年前、主の周りでは帝位を争う攻防があった。

 今上帝である湧煌帝と主との間であったそれは、当人たちに争う意思がないにもかかわらず生じ、水面下での攻防は長く続いた。

 国が二分してしまうかもしれないと早くに察したのは主だった。主はそれを防ぐため、阿呆のような姿を晒し、自らの才を隠した。


 以来、主は頭が足りていないだとか、狂っているだとか、好き勝手言われ、本来であれば忠誠をささげられていただろう親族や家臣から無能のそしりを受けることになってしまった。

 けれど、それも今日で最後だ。今日の私は、そのためにここに立っている。





「褒美を取らせよう。望みは?」


 勝者への祝辞の最後に、湧煌帝が尋ねる。私の答えは決まっていた。


「できますれば、五年前の月夜の再演を」


 私には忘れられない思い出がある。

 次期帝位争いに巻き込まれ、引き裂かれた主と湧煌帝。その二人が、人知れず試合を奉納するという幻の一夜があった。


 静寂の境内に、夜を切り裂くような剣閃。刃は月の光を反射させ、人にあらざる技量でもって打ち続けられた演武。

 それを今、ここで披露してもらえたなら――もう二度と、主を無能呼ばわりする者はいなくなるだろう。


「五年前の、か。なるほど。考えておこう」


 わずかに混ざった楽しげな声色。けれど、返されたのは期待していた答えではなかった。

 今日こそは、と思っていただけに大きな落胆となる。もう一押ししたいところだが、相手は今上帝。さすがにそんなことはできなかった。


「とはいえ、勝者を手ぶらで返すわけにはいかぬな。他の望みがあるのなら、そちらを叶えてやろう」


 驚いて、思わず伏せていた顔を上げそうになる。それを何とか押し留め、頭を働かせる。


 ――あぁ、そうか。私に花を持たせようとしてくれているのか。


 私の勘違いかもしれない。けれど、主の従弟である湧煌帝ならば、そんなことを考えていたとしても不思議ではないと思った。


 もし、自分の手で主の名誉を取り戻せたら――きっと、私は踊り狂うほどの喜びに見舞われるだろう。


「では、もうひと試合、奉納させていただきたく存じます」

「ほう? 相手はいかがする?」

「瀬木家嫡男、慧泉様にお相手を」


 周囲が俄かにざわめいた。この奉納試合で頂点に立つほどの腕の者が、自らの主人を、しかも、腕が立つという噂のかけらもない者を指名するなど非常識であると、私を非難する声がそこかしこから上がった。

 今上帝は、周囲のざわめきがあらかた収まるのを待ってから口を開く。


「よい。では、瀬木家が嫡男、慧泉に命ずる。この者とともにひと試合奉じよ」

「畏まりましてございます」



 人々が呆気にとられる中、私と主とが再び試合場の中央に立つ。

 これで主の汚名を返上できると思うと、長年心に積もっていた澱が消え去ったかのように軽くなった。

 私はすがすがしい気持ちで刀を構える。


「では、はじめ!」


 先に動いたのは主。主のそれは柳のようにしなやかでなめらかで、一切の無駄がない。一振り一振りが見惚れるような美しい太刀筋だ。先程対峙したリョウの太刀筋を力強い剛というならば、主のそれは真逆の柔だ。


「くっ」


 主の刀を真正面から受けて、思わず声を洩らす。受けた刀からは手がしびれそうなほどの重圧を受けていた。

 そうなのだ。主の刀は動きとしては間違いなく柔なのだが、実際に受けると、その力強さはリョウのそれに匹敵する。


 主と刀を交えるのは、実に十年ぶり。自分の成長を自負していただけに、以前と変わらず――いや、それ以上に腕を上げていた主に対して焦りを覚えた。

 あっさりと負けては八百長だと言われるだけだ。意地でも、主の実力が目に見えるくらいの試合にしなくてはならない。


 また主が仕掛けてきた。私もまた必死にそれに食らいつく。

 一見すると互角に見える試合が長く続く。実際には私のほうがずっと劣勢で、

初めのころ意識していた、美しさだとか、主の実力を最大限に引き出そうだとか、そんなことを考える余裕はまったくなくなっていた。


 受けて、流して、躱して、攻める。避けられ、攻められ、それを流しながら切り返し――。


 無心に攻める私の手に力がこもる。

 と、同時に、受けた主の手から力が抜けた。


 ――何をっ。


 反発の弱まった刀。受け流すようなその動きも遅い。それは明らかな主の隙で、私は反射的に主の首元に刀を突きつけていた。


 ――譲りやがった。


 思わず、汚い言葉が口をつく。

 肩で息をしながら主の顔を見れば、主は涼しい顔で笑っている。


「そこまで」


 審判の声がかかった。

 刀を引き、乱れた息を整え、一礼する。


 本当は主が勝って、その実力を知らしめる場面だったのだけれど――まあいいか。

 自らの才能をひけらかさないところも主の美点だ。それに、今の出来ならば、ここにいる半数以上は、主の実力に気づいたことだろう。

 主にしてやられた感はあるが、ひとまず目的は達した。


「見事な戦いだった。皆、両者の健闘を讃えよ」


 わっと大きな拍手が沸き起こり、私と主とを包み込んだ。

 そんな中、主は私に近寄ると、私だけに聞こえるよう口を開く。


「今上帝の褒美は私がもらってしまったから、スイの望みは私が聞くよ」


 私とて褒美はもらっている。自らの手で主の汚名をそそげるなんて、何よりの褒美だ。けれど――。


「でしたら、一つ。どうか慧泉様。私とともに――生きてください。互いの命が尽きるその時まで」


 もう死出の供となる許しはいらない。先に行かせないとか、共に冥府の道を下るだとか、そんなことは自己満足に過ぎないのだと私は知った。

 主の望みは、私が私の寿命をまっとうすること。ならば私も主に願うだけだ。主も寿命をまっとうしてください、と。


「わかった。その願い、必ず叶えるよ」


 側仕えが希うのは、共に死にゆくことではなく、共に生きること。

 真っ直ぐに主を見つめれば、主がこれまでで一番嬉しそうに笑った。

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