第一章 側仕えの不満

二、側仕えは主に傾倒する(1)

 春の日差しが燦々さんさんと庭に降りそそいでいる。木々の緑は生き生きと、色とりどりの花々はより一層鮮やかに、まるで花そのものが淡い光を放っているかのような輝きを見せていた。


 そんな美しい庭に面した縁側に、腰を下ろしている青年がいた。透き通るような白い肌とそれを際立たせるつややかな黒髪。束ねられたその髪は背の中ほどまでの長さで、渋い松葉色まつばいろの着物を着流した姿と相まってつやめいて見える。

 絶世の美女と見紛みまごうほどの美青年だった。そのはっとする中性的な美しさはみかどのそれと良く似ている。それもそのはずで、この青年は帝の従弟いとこにあたる人物だった。

 帝の従弟であり、瀬木せぎ家の嫡男、そして我があるじである慧泉けいせん様だ。


 一歩下がった位置に控える私からは、目を閉じ身じろぎ一つしない主の横顔が見えていた。

 同性でありながらも見惚みとれてしまうのはいつものこと。そんな主の側にいるのが私のような普通の顔立ちの者だということが少し申し訳ない。主の百分の一でもいいから整った顔立ちをしているか、もしくは男らしい顔立ちだったなら、気兼ねするようなこともなかったのだが。

 十九にしては幼く見えてしまう自分の顔が、私はあまり好きではなかった。


 柔らかな風が頬をくすぐった。それに口元を緩ませていると、慌ただしい羽ばたきの音が響き、びくりとする。そちらに目を向ければ桃の木の枝が揺れていて、風に枝を揺すられて驚いた小鳥たちが、一斉に飛び立ったところだった。

 羽音は思いのほか大きく、少し心配になって主をうかがう。


 主はその音に妨げられることなく瞑想めいそうを続けていた。そのことに私はほっとした。だが、直後に時刻を確認してため息をつく。小鳥が邪魔をしなくとも、結局、私が邪魔するのだ。

 この後には来客の予定がある。邪魔したくないなどとは言っていられなかった。私は迷いを振り払い、つと主との距離を詰めると、躊躇ためらいがちに声をかけた。


「慧泉様」


 本日いらっしゃるお客様は、ひと月通い続けてようやくお約束をいただけた、高名な学者様だ。

 約束を取り付けるだけでひと月。それだけでもその方の気難しさがわかるだろう。そんなお方であるから、少しでもお待たせするようなことがあれば、先生は帰られてしまうかもしれない。それではこのひと月の苦労が水の泡だ。


「恐れ入ります、慧泉様。お約束の時刻が近づいております。どうかご支度を」


 生物学、人類学と続いて、今回は民俗学の先生だ。幅広い興味を持ち、常に向上心を忘れない主は、私の誇りでもあった。


 しばらく主の反応を待つが、答えはなかった。顔を上げて様子を窺えば、主はまだ瞑想を続けている。

 すごい集中力だ。いつものことではあるが、この集中力には感心せざるを得ない。だが、感心してばかりいられないのも確かで、私は少しだけあせりながら、再び声をかける。


「慧泉様、慧泉様っ」


 先ほどより少し大きな声で呼びかけて、ようやく主が目を開けた。目をしばたかせながら顔を私のほうへと向ける。


「慧泉様、お時間です」

「んー? あぁ。おはよう、スイ」


 柔らかく無邪気な笑みにつられそうになって、慌てて目を伏せる。

 使用人にも親しみを持って接するのは主の度量が大きい証。だが、だからといって私がそれに応えていいわけではない。適度な距離を置くことは側仕えとしての礼儀だ。仲良くするのは、同じ身分の友人に任せればいい。側仕えが必要以上に親しく振る舞えば、主の品格をおとしめることにもなりかねないのだから。

 主の微笑みに浮かれかけた心を引き締め直し、再度、用件を告げる。支度の時間を考えれば、こうしている時間も惜しかった。


「おはようございます、慧泉様。お声掛けが遅くなりまして申し訳ございません。まもなくお約束の時刻にございます。急ぎご支度願えますでしょうか」

「うーん、どうしよっかなぁ」


 思わぬ答えにぎょっとする。態度には出さずに、再度、急ぐよううながすべきかと考えたところで合点がいく。

 焦る私とは対称的に、主は落ち着き払った様子でおられた。主は我がままも無理難題もおっしゃられる方ではない。つまり、これは主からの指導だということだ。焦ってせかせかする姿はみっともない、そうお教えくださろうとしているに違いなかった。


「申し訳ございません、慧泉様。私が未熟であるばかりにお手をわずらわせまして」

「……うん?」


 頭を下げた私に対し、主はおとぼけになることでお許しをくださった。だが、何か気になることでもあったのか不意に眉を寄せる。


「っていうか、スイ。それ駄目ー。言葉遣いも態度も崩してっていつも言ってるでしょー」

「ですが……」

「だって、私たちは家族なんだよ? そんなかしこまられたら寂しいってば。それともスイは私なんかと家族だなんて嫌?」

「そ、そのようなことはっ」


 私は慌てて否定した。


 ――今日からお前は私の家族だよ。


 私が初めてこの屋敷に来た日、主は私にそう言った。

 初めて向けられた温かな眼差し。そして私を許容するお言葉。それらは言葉では表しきれないほどの歓喜となって私の全身を駆け巡った。

 忘れはしない。言葉に限らず、あの時、主が与えてくれたすべては、私の一生の宝だ。


「ですが、私は側仕えですから」

「……うん、そうだね」


 主の声が少しだけ寂しそうで、途端に不安になった。まさか主を傷つけてしまったのだろうか。そう思って主を窺えば、主は気にした素振りもなくへにゃりと笑った。その曇りない笑顔に私は深く安堵する。


「じゃあ、命令にしよっか。敬語禁止ってね」

「慧泉様っ」


 気が緩んだところを、私にとっての鋭い刃のような言葉で突かれ、私は心の中で悲鳴を上げた。敬語禁止だなんてとんでもない。


 この瀬木家は、たびたび皇家の血をいただいている由緒正しきお家柄だ。慧泉様自身も、七年前に即位された湧煌帝ゆうこうていの従弟にあたり、身分はもとより、美しさ、立ち振る舞い、知性、武芸に至るまで、どこをとっても完璧な生粋のお貴族様である。

 何より主は私を救ってくださったかけがえのないお方だ。それだけでも敬意を払わずにはいられないというのに、敬語を禁ずるなど、それこそ崖から飛び降りる方が簡単だと思ってしまうくらい、私にとっては難しい要求だった。


「ふふっ、困ってるね」


 私は慌てて感情を隠す。主の前では顔に出さないように気を付けていたのに、あまりの衝撃的な命令に油断した。

 だが、良かった。この様子からすると、主はただ私の困り顔を見たかっただけだろう。本気で命令しようとしたわけではなかったに違いない。


「あー、もったいない。もっと見てたかったのにぃ」

「あ、え……申し訳ありません。えっと、その、慧泉様。ひとまずお時間がせまっておりますので参りましょう」

「んー? そう? じゃあ、行こっかー」


 必死に冷静さを取りつくろって移動を促すと、主はあっさりとその話題から離れてくださった。ずいぶんと時間を食ってしまったが、主のことだから心配はいらないだろう。


「では私はくりやの確認をしてまいります」

「うん、頼むよ」


 本来であれば側仕えは主とともにお部屋に入り、身支度を手伝うものだ。だが、我が主は何でもお一人でできてしまう有能なお方であるため必要ない。

 以前、手伝いを申し出た時、主は二人がかりで着替えをするよりも、他の仕事を済ませておいてもらったほうが嬉しいとおっしゃった。そのほうが時間を有効に使えるからと。そのお言葉を耳にして、私は主のお考えの深さに感銘を受けた。そして、やはり主は優秀なお方だと再認識し、尊敬の念を深めたのだ。

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