側仕えはこいねがう

露木佐保

本編

序章 季節はめぐり、再び

一、側仕えは剣を捧ぐ



 深き緑の美しき国、こう

 雨が多く緑豊かなこの国は、国土の広さこそさほどないが、資源豊富な恵まれた国だった。

 その豊かさを支えていると言われているのが、国土の最北に位置する霊山、香稜山かりょうざん

 水を豊富にたくわえてくれる山であることはもちろん、洸国にとって重要な揺岩ゆるぎいわを守る偉大な山であるというのがその所以ゆえんだ。

 ゆえに香稜山は古くから人々にあつく信仰されていた。


 洸国の都、香稜京かりょうきょうもこの山のふもとにあった。

 国政の中枢を担う香稜宮かりょうきゅう――大内裏だいだいりは、香稜山から最も近い場所にあり、そこにはみかどの生活空間や、政務を行う建物の他、香稜山をまつ香稜神宮かりょうじんぐうが内包されていた。

 香稜神宮は特別な神社だ。国としても重要度の高いこの神社は、平素、境内けいだいへの立ち入りが厳しく制限されている。民は大内裏の外からおがむのが常で、神の血筋たる帝の一族だけが参詣を許されていた。


 だが、そんな香稜神宮も、年に一度だけ民に開かれる日がある。年が明けての三日目。新年を祝う祭の日がそれだ。

 剣術の試合を奉納ほうのうするためというのが、そもそものきっかけではあったが、今では観客も自由に立ち入れるようになっていた。


 今日がまさにその開かれた日だ。

 境内には異様な熱気がこもり、人々は興奮に包まれている。

 そして今、私がいる場所がその中心。剣術奉納試合の舞台だった。


 時刻は正午を少し前にした頃。短めの影が私の足から伸びている。そんな私には数多くの視線が向けられていた。

 上気した子どもの視線や、屈強な男の鋭い視線、若者の羨望せんぼうの眼差しもあれば、明らかなあざけりを含んだものもある。

 私はそれらを堂々と受け止めながらも、視線にあおられるように興奮がくのを感じていた。


 まもなく始まろうとしているのは決勝戦。私はその出場者だ。

 軽く体をほぐしながら、向かい側を見据えれば、そこには同じように体をほぐしている青年がいた。

 自分より少しだけ年上の青年。青年からは常勝じょうしょうの者である余裕が見て取れた。


 実はここ数年、決勝の顔ぶれはずっと変わっていない。私と青年。だが勝者は常に青年だった。

 決して私の腕が悪いわけではない――はずだ。敗因は大抵、冷静さを失って弱点をさらけ出してしまうことにあった。この青年を前にすると、これまでの私はどうしても冷静でいられなかったから。

 けれど今年は違う。今年の私に――もう弱点はない。


 因縁の五度目の対決。

 実力は互角。どちらに勝利がもたらされるかはやってみるまでわからない。


 試合の進行を任されている神祇官じんぎかんが私の名を読み上げた。私はるような足取りで前に出る。

 拝殿はいでんの向こうに見える香稜山、そして御簾みす越しに観覧されている帝一家へと礼をして、青年と向かい合う。

 刀を交換して不正がないことを確認し、それを返すと、相手の男がにやりと笑った。


「今年こそ――ちゃんと見ろ、よ?」


 毎年繰り返しかけられてきた嘲りの言葉。これまではすぐに血を上らせてしまっていた。

 だが、もうこんな安い挑発には乗らない。私は青年の目をしっかりと見返して、笑って見せた。


 私はこの試合にすべてをかけよう。そしてこの試合をあるじささげよう。

 謝罪、感謝、信頼、敬愛、そして――誓いを。


 決められた立ち位置に戻りながら貴賓きひん席へと目を向ければ、主が穏やかな表情で私を見ていた。

 試合を前にした興奮が少しだけ落ち着く。

 今、私は冷静だ。これまでになく冷静で、落ち着いた心地でここにいる。


 ――大丈夫だ。負けない。


 しんと静まり返った境内。

 刀を構えて目に映るのは、目の前の青年ただ一人――。


「――はじめ」


 神祇官の声が静寂の中に大きく響く。

 私はすぐさま地を蹴った。あっという間にせまる青年の姿。ひらめく刀。過ぎる風切り音。

 私は己を信じて刀を振るう。


 ――慧泉けいせん様。私はもう二度と間違えません。

 私が主にこいねがうのは――。



 そのとき、ひと際強い風が吹き抜ける。

 細めた私の眼差しが、楽しげな青年のそれをとらえた。

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