第21話 相思
南田は煩悩をかき消すように部屋の隅々まで掃除をしていた。
連れ帰っていたら今頃…。
そのような思いが浮かんでは頭を振って追い出す…を何度繰り返しただろうか。
とにもかくにも、まずは今一度の契約締結だ。それに…僕は彼女に謝罪しなければならないこともある。
南田は冷静を取り戻すと部屋の掃除を終えた。
朝、ニュースではハニートラップの被害にあった人のインタビュー映像が流れた。その人はいつか見かけたカップルの人だった。
「俺も実はハニートラップに引っかかったんです。もちろん当時は知らなくて…。」
その人の隣にはあの時の女性が一緒にいた。女性が代わって話し出す。
「最初は騙すつもりだったんですけど…。私とキスするために入院までしてくれて。彼ったらキス病の抗体を持ってないのに私から感染するなら本望だって…。」
「いいんだ。その時に看病してくれたじゃないか。」
仲睦まじい二人が映し出されるとアナウンサーのコメントが入った。
「美女と野獣カップルの誕生は紛れもなくキス税のおかげです。そしてハニートラップも…もちろん騙すことはいけないことですが、お二人のような事例もあるということで、我々も救われた思いです。」
そうか…そういう事例もあるとは。
南田は自分と重ねた。キス税は自分には関係ないものと遮断していた所へ奥村の出現。キス税を悪用したと言われても仕方がないのだが、そのおかげで今がある。
キス税…案外捨てたものでもないかもしれないな…。
キス税は不正な情報操作や違法行為で一時的に停止されることになった。解散総選挙をして新しい与党が決まり次第、新しく施行されるのか廃止されるのかが決まりそうだ。
ただ国民の声はこうだった。
「キス税のため義務としての名目でせっかく毎日のキスが日常化したのに廃止しないで欲しい。税金の免除と関係なくキスはいいことだ。」
「若者の恋愛離れにメスを入れた政策だった。今後も続けて欲しい。」
「キス税払っている=かっこ悪いのプレッシャーで彼女ができた!キス税最高!」
もちろん根強い反対派はいるものの、賛成する人が多いのは本当のことだったようだ。
一時的に停止しても認証機能は残して欲しいという国民の意見を尊重して、税金免除にはならないものの認証機能はそのままにすることが決定した。
南田の気持ちとしても是が非でも認証機械は残して欲しかった。それがなければ奥村との今後に繋げられない気がしていた。
社内ではいくら世間から認証の機械が撤去されないとしても、新しい受注は見込めない。そのため大勢雇うことになった派遣の契約が今月を持って打ち切られる人が大半だった。
派遣がどうなるかは南田には興味がないことだった。ただこれを持って、社員同士のペア制度も廃止されるのはいただけない。他の上司(男)の下で働く奥村を視界に入れるなど許容できる気がしなかった。
奥村は午前中、最後の教育に出かけていった。飯野から確認があり基礎は十分だとの返事をしたからだ。明日からは一日中、一緒に仕事できると思うと心が弾んだ。
午後からの仕事は、認証機械の仕事をしていない南田たちにとっては特に変わったこともなく仕事を終えた。
そして一緒に会社のビルを出る。癒着についてひと段落したため報道陣はすっかり姿を見なくなっていた。
何を話せばいいのか言葉少なにマンションまで歩いた。
マンションに着くとリビングへ通して用意していたパソコンの前に座らせた。
「これは消さなければならないな。」
南田がパソコンを操作して奥村に見せる。画面に映像が流れた。
白い壁、ベッドに寝ている人。その人の声が流れる。
『…や。ヤダ…南田さん…やだって。』
「これ…。」
奥村が倒れて医務室で寝ていた時の動画だった。
「こんなもので無理矢理の契約など…すまなかった。」
やはりこのことへの謝罪はしておかなければ…。
しかし貴重な動画はもちろん音源も消去するつもりは毛頭なかった。演技だけと言えば言葉は悪いが、二人の関係は動画に縛られていないと思って欲しかった。その認識をさせることが重要だ。
だが、消さない。動画も音源も、僕だけのものだ。
南田は続ける。
「綾乃と同様のことを僕は犯してしまった。卑劣だった。」
「綾乃って…。」
奥村は驚いた声を出した。
「宗一のマンションで話したハッカーまがいなことをした奴のことだが、名は知らなかったか。」
直接会っているのだから知っているのかと思ったが、そういうわけではないのか。それにしても何故、口先を尖らせるような顔をしているのか…。
「何ゆえ不機嫌なのかが理解できない。」
謝罪さえ終えれば今日は和やかな雰囲気になると思っていたのだが…。ついため息混じりに名前を呼ぶ。
「奥村華。」
華…その名を呼ぶだけで胸が締め付けられた。
「なんですか?」
自分の呼びかけに呼応してあげる顔。彼女を無理矢理に縛り付けるものはなくなった今、名実共に奥村華は僕のものだ。
顔をゆっくりと近づけ自分のものとの確認をしようとする。
ブッ。
近づけた顔に奥村の両手が当たって阻まれた。南田はズレてしまった眼鏡を押し上げて心外だと言わんばかりに声を上げた。
「何故だ…。」
「そうやって誤魔化そうなんて!」
しばらくの沈黙の後。今度はズレていない眼鏡を押し上げた。
誤魔化すのではなく明確にするつもりだったのだが。
「そのようなことはしようとしていない。」
「じゃ何を…。」
手をつかみ、その指先を自分のくちびるに触れさせた。
「あのような物がなくても僕を所望して欲しい。」
君は僕のものだが…無論、僕は君のものだ。
奥村の顔が赤くなっていくのを確認する。言葉に詰まっている奥村に南田は言葉を重ねた。
「改めて契約を締結したい。」
まずは契約だ。僕たちの関係はやはりそれに尽きる。それにしても…。
「体がにわかに硬直をしている。手の震えもある。緊張が現れているようだ。…しかし外での認証と違い、マンションなら一瞬で終わる。嫌な思いなど…。」
やはり認証することが苦手なのだろうか。それならば強要するのは大人げないのか…。
真剣に奥村のことを考えているのに、奥村はクスクスと笑っている。それはやはり解せない笑い方で、怪訝そうな顔を奥村に向けた。無表情など取り繕っていられない。
すると笑っていた奥村の手が伸びてきて、南田の服をそっと引っ張った。
ピッ…ピー。認証しました。
「な、何故だ…。」
離された南田の顔は真っ赤になり、驚いた顔の奥村を視界にとらえた。南田は片手で顔を覆いながら動揺を悟られまいと、意味不明な言葉を口から転がり落とす。
「…今の行動は契約事項に反する。契約の第三条、契約者は契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。よって…。」
またクスクス笑う奥村によって南田の言葉は遮られた。顔はまだ若干熱い気がするが、顔から手を退けると不満な視線を送った。
「何がおかしい…。」
「いえ。まだ契約を結び直しては無いんじゃないですか?」
またそんなことを…。ではどうして自ら認証などしたのか簡潔に述べることを希望する。
恨めしげな視線を向けてみても楽しそうな奥村に、まぁいいか。と思うことにした。
奥村は何か思い出したように口を開いた。
「そういえば南田さんのお名前って湊人さんなんですね。」
今…なんて…。
「…もう一度言ってくれ。」
「え?湊人さん…ですよね?」
みなと…さん…そうつぶやいて南田は続けて小さくボソッとつぶやいた。
「名を呼ばれただけで心臓が踊るようだ。」
名を呼んだり呼ばれたりするだけで、こんなに心が弾むものだとは…。
「みなみだみなとってすごい名前だって自慢したいってことですか?」
奥村の言葉に南田は目を見開くことになった。
「本当に君は予測不可能な言動をする。」
そう口にした南田は柔らかい笑顔を奥村に向けていた。
やはり彼女は愛おしい。
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南田湊人side Fin
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