第10話 悲観
当初の予定通り夕食を共にすることになった。そのことについてはスムーズに事が運ぶ。
手伝いもしてくれて、一緒に暮らせたらこんな感じだろうか…との想像が頭の片隅に浮かぶが、彼女の全くもって意に介さない素ぶりに虚しくなるだけだった。
「美味しそうですね。」
料理を前に顔をほころばせた奥村と目があった。
「君は食物を前にすると大変にいい顔になる。」
いつもその顔でいてくれたらいい…。
そう思う南田に奥村はクスッと笑った。
何故その笑いになるのか理解できずに南田は首を傾げた。
どうも僕に対しては解せない笑い方が多い気がする…。
食事が終わると帰ってしまう気がして、すかさず声をかけた。
「やはり何か視聴したい」
返事を聞かずにDVDをセットした。断ることなくソファに座る奥村に安堵して自分もソファに座った。
流したのは綺麗な風景のDVDだ。自分自身もリラックスできるその映像が好きだったし、何より奥村にリラックスして欲しかった。南田はやっと息がつける気持ちだった。
しかし、テレビから正面のソファに座る奥村はテレビの右側に座っている南田に声をかけた。それは南田にとって衝撃的な言葉だった。
「こっちで見ないんですか?」
「…理由を簡潔に述べてくれ。」
緊張していたのではないのか。それとも緊張は「僕に」ではなく「認証に」ということか。それにしたって同じソファに座るなど…。
急にこの部屋には二人しかいない。二人っきりだ。ということを否応なしに意識する。
「いえ…。そっちだと見にいくかなって。」
「君の言動は、にわかに軽率だ。」
この子は男というものを分かっていない。…だからこその訪問か。それとも他に理由が?
ごちゃごちゃとうるさい思考を整理できないまま立ち上がり、奥村の隣のクッションをどかしてそこに座る。そしてそのクッションを奥村と自分との間に置いた。
君は気にならないのだろうが、僕にはこれが精一杯だ。
リラックスするはずのDVDはなんの効果もなく拷問のような時間が過ぎた。
しばらくしてクッションにもたれかかてきた奥村にドキッとすると、スースーと規則正しい息遣いが聞こえた。そっとソファから離れ確認する。やはり気持ち良さそうな寝顔がそこにあった。
無防備過ぎる…。
奥村のことがますます分からなくなり、離れたソファに座り直すとうなだれた。目の端に可愛らしい寝顔が映る。自分の髪をくしゃくしゃとかき回した。心を落ち着けたかった。
そして意を決して立ち上がるとまた奥村と同じソファに舞い戻った。
すぐ近くにある寝顔をのぞきこむ。規則正しい寝息と共に肩が小さく上下していた。そっと柔らかそうな頬を触るとその柔らかな感触にドクンと心臓が波打った。
こんなに柔らかい頬に眼鏡など当ててはいけなかったな。
眼鏡を外すと、そっと頬に優しく触れてから、くちびるを重ねた。
ピッ…ピー。認証しました。
壁から無機質な音が出て、胸を痛くさせた。認証…。僕たちの関係は全てそれに尽きる。
奇しくも時計の針は12時を回ったところだった。
「どうして起こしてくれなかったんですか。」
遅くなってしまった帰り道。奥村のアパートまで二人は歩いていた。
「君はあまりにも疲労困憊がはなはだしい。しばしの休息が必要不可欠だ。」
疲れていたようなのは事実だ。それで起こせなかったのも一理ある。
しかし本当の理由は別にあった。南田は遠くをみつめながら考えるような口ぶりで話し出す。
「何故、人は嬉々として認証するのか。」
奥村さんと契約を締結し、認証さえできればいいと…。浅はかだった。
「僕には理解しがたい。」
認証すればするほどに苦しくなるばかりだ。
「君は…一向に緊張がほぐれる様子もない。」
特に奥村さんに関しては認証さえなければリラックスしていた。そう仕向けたのは自分だ。だが、あそこまでとは…。
それでも僕たちから認証を取ってしまっては関係が消滅してしまう。
南田は答えが出ないまま、次の約束も取り付けれずに奥村のアパートの前で別れた。
僕はどうしたいんだろうか。このまま奥村さんを囚われの身にさせるような真似をしていていいのだろうか…。
朝になると自分の会社のことがニュースになっていた。内容はキス税の認証率アップのために異性の社員とペアになって仕事をする。ということだった。足りない人材は派遣を雇うらしい。
「企業にはキス税を払っている人数の割合が多いと罰金が課せられることが先日可決されました。その対策のようです。」
そう口にするアナウンサーは笑顔だった。しかし南田はとても笑える心持ちではなかった。
どの会社でもそこに勤めている人のキス税を払っている割合は簡単に知ることができた。
その割合が高いと会社としての支出が今後増えることはもちろん、残業過多で出会いを奪っているのではないか…と悪名が高くなってしまう。
キス税、婚姻率の上昇、少子化への歯止め。様々なことが叫ばれているため、全てに関わるとされているキス税は今や重要な企業イメージとなっていた。
企業イメージが悪くなれば優秀な人材を確保できない。社員の異性ペア制度。会社としても生き残りをかけた苦肉の策なのだろう。
コメンテーターが意見する言葉はかろうじて南田の心を動かした。
「では、そのペアは相性がいい人を独自に計算してはじき出された最高のペアということですね?これは素晴らしい。」
最高のペア…。それが奥村さんとなら感涙にむせぶのだが。
南田は希望など持てないままマンションを出て会社に向かうのだった。
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