第9話 検査

 グラスを手に取った奥村が思い出したように口を開いた。

「そう言えば、これ。」

 奥村は鞄と一緒に持っていた袋を渡した。

「男の方はどういう物がいいのか分からなくて思い悩み過ぎて結局ケーキです。甘いもの苦手だったらすみません。」

 袋の中にはケーキの箱が入っていた。

「気を遣わせたな。甘い物は好物だ。コーヒーを淹れよう。」

「え、でも…。」

「遠慮するなインスタントだ。僕が飲みたい。」

「ではお願いします」の言葉を聞き終わる前に南田はキッチンへ向かっていた。

 

 程よく甘いケーキは南田の心を和ませた。そして手土産をかなり迷った様子が先ほどの会話からうかがえた。それだけで沈んでいた心を浮上されるのには十分だった。

 ケーキを食べながらの話題は今朝のニュースについて。

「キス病…。対策されていましたね。反対派の人が反対する理由が無くなっていっちゃいます。」

 残念そうな声を上げる奥村に南田は意見した。

「君はこの制度の廃止を所望するのか。まぁ…プライバシーの侵害だという見解には異論はないが。」

 やはり僕との関係は終焉を迎えてもいいようだ。

 南田はまた心を曇らせることになった。


「この制度によって我が社の業績も飛躍的に伸びている。」

 会社など本心ではどうでも良かった。奥村がグラスのオレンジジュースを手に取ってストローに口をつける、今のこのひと時の方が大切だった。

「それに…。その余波で君が柑橘類の飲用を所望する事態になっている。それについては愉悦を覚える次第だ。しかし…。コーヒーは苦手だったか?」

「そんなことないんですけど、難しい言葉ばかりで…。その上コーヒーを飲んだら頭が痛くなりそうかなって。」


 奥村はまた思い出したように今度はスマホを取り出した。

「昨日、思いついて調べたんですけど、通訳アプリがあるんです。」

「通訳アプリ?」

 南田は嫌な予感がした。

「南田さんの難解な言葉を解説してくれるのがないかなぁって探したんです。そしたら普通の通訳アプリでも案外いい線いってて…。」

 アプリを起動させようとする奥村のスマホに南田は手をかけた。

「理解しない方がいいこともある。」

 それをされたら全ての本心を黙っていなければならなくなる。そして僕の考えが浅はかだと暗に露呈させるようなものだ。

「どうしてダメなんですか?理解しない方がいいなんて。なんのために会話してるのか分かりません。」

 ムキになる奥村のスマホは取り合う形になり「やめてください」「なぜ君はこうも強情なのか」と言い争いになった。

 気づけば南田の顔は奥村のすぐ近くにきてしまっていた。奥村が身を固くしたのが分かった。


 それほどまでに僕とは嫌なのだろうか…。奥村のスマホを握っていた手を離して立ち上がる。

「好きにしたらいい。」

 南田は奥村の顔が見ていられなくなって無意識のうちに自室へと足を向けていた。

 

 南田には分からなかった。今まではこちらが望んでいないのに女性が寄ってきた。それは全くもって迷惑でしかなかった。ただそれをどう安全に対処するかにかかっていただけだ。

 でも奥村さんは違う。愛おしくて…側にいて欲しいのに、彼女は僕の手をすり抜けて逃げて行ってしまう。

 解決策は見つからないまま、平常心だけはなんとか取り戻した南田は、とにかく彼女をリラックスさせようとDVDを何枚か手にしてリビングへ向かった。

「映画でも視聴するか?」

 無表情を貫いて平坦な声を出した。


「それよりもしたいことがあるんです。」

 そう言い出した奥村の提案で、キス病の抗体をチェックする機械を南田はリビングへ持って来た。

「やっぱりこの機械に関わっている南田さんは持っていらっしゃると思ったんです。」

「調べてどうするんだ。」

 今までの流れで嫌な予感しかしない。結果次第では終焉を迎えるのだろうか…。そんな気持ちだった。


 キス病を調べる機械の使い方は簡単だ。そこは提案する時に一番重要だと伝えた所だ。簡単でなければ誰も検査などしない。

 奥村も検査を始めた。小さい針で自分の血を出して、その血を機械に入れる。そうして数分待つと結果が出る。

 数分後、ピッと鳴った機械の画面には「陰性」の文字。奥村にもキス病の抗体がないということになる。

 奥村は良かったと安堵した。しかし南田にしてみたら、あまり良くなかった。

 陰性だとは…。この子はそうでもなくても心配だというのに…。

「良くないだろう?僕はまだしも君が自分を守れるとは思えない。」

 万が一、今後この子がキス病にかかったのなら…そういうことだ。

「君は容易いから気をつけた方がいい。」

 問題山積につい苛立った声が出てしまう。

「現に僕にこうして契約を迫られても断れずにいる。」

 僕のような悪い男…いや僕より悪い奴なんて、そこらじゅうにいるというのに。


「だったら契約を破棄したらいいと思います。南田さんだって別に税金を払うことに抵抗はないんですよね?」

 何故そうなるんだ…。一番恐れていた言葉に南田の声にも力が入る。

「なにを今さら…。無能な心証を与えるのは許容できないと告げたはずだ。それとともに人命救助という重大でかつ明白な責務がある。」

「もう命は大丈夫です。ありがとうございました!」

 奥村も引くつもりはないらしい。

 もういい。この際、開き直りだ。この子を…この子を失うくらいなら悪い奴で構わない。

 ため息をつくと、呆れ声を出した。

「君は理解していないようだ。君には抗体がない。相手が僕のような抗体がない者でなければ重篤化する危険があるのだ。つまり…。」

 ショックを受けたようにガックリ肩を落とした奥村に僅かな胸の痛みを感じた。しかしそれでも南田は追い打ちをかける。

「僕たちは契約者として理にかなっていたことを示している。君も素直に僕を所望するといい。」

 検査結果は確かにその通りのことを表していた。

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