第7話 衝動

 パスタやピザを食べながら、その他にも取り決めを交わした。

 まず南田は会社では極力話しかけないことを告げた。

「僕に関与すると君に悪影響が及ぶ。」

 言葉通りだった。自分でも分かっていた。僕には敵が多過ぎる。その事に彼女を巻き込んではいけない。


 お互いに考えることがあったようで、沈黙が流れた。その沈黙を破って奥村が質問してきた。

「今後はどうするんですか?」

「今後とは?」

 今後も認証すると先ほどから決めているはずだが。

「いつもこんな個室で会ってご飯を食べてたら、お給料なくなっちゃいます。」

「あぁ。それなら構わない。」

 そうか。そのような心配をさせていたとは。男がすたるというものだ。

「僕が払うから憂慮は不必要だ。」

「何を…。今日は私が払います。さきほど言ったことを聞いてなかったんですか?」

 やはり律儀な子だ。女とは言わなくても払わせるのが当たり前と思っている節があったが…彼女は違うようだ。

「強情だな。強情なのは得策ではない。吉井さんのように世渡りが上手くなった方がいい。」

 奥村さんはもう少し甘え上手になった方がいい。せめて僕にだけでも。いや僕にだけ。

「加奈を知ってるんですか?」

「知ってるも何も同じ部署だ。」

 吉井可奈。仕事内容が近いことをしている彼女のことは知っていた。性格もサバサバしていて他の女性よりは話しやすかった。

 それに…奥村さんと仲がいいのだから知っていて当然だが…。


 まだ黙っている奥村に南田は思い切った行動に出た。ポケットから出した物を奥村の前に置く。鍵だ。

 顔を上げた奥村は驚きの表情を浮かべていた。クルクルとよく変わる表情が可愛らしい。しかしまだ見たい顔は見られていなかった。

「僕のマンションの鍵だ。毎度の外食を杞憂するなら、マンションに来臨してくれて構わない。」

「それは…さすがに…。」

 そうか。さすがに思い切り過ぎたか。だが誤解がないように補足しておかなければ。

「君の捕食は予定していない。杞憂は不要だ。」

 そう言って鍵を自分のポケットにしまいながら続けて口を開いた。

 自分でも思わぬ行動に出ると思わぬ結果を招く。奥村さんといると自分を見失うことが多々ある…。注意しなければ。

「スペアは家だ。失念していた。これを渡したら僕の帰宅が困難になる。」

「…プッ。」

「何がおかしい。」

「だって…。」

 またその笑い方…。その顔ではないんだ。

 そう思っていた南田の視界の中で奥村の表情が変わる。

「分かりました。今度おうちにお邪魔させてくださいね。」

 ニコッと笑った奥村に考えるよりも早く彼女の頭に手を回し引き寄せた。そして衝動的にくちびるを重ねる。

 しかし、まずい…と気づき急いで手を取って機械に触れさせた。

 ピッ…ピー。「認証しました」


 口に手を当ている奥村は顔が赤くなっていた。

「な…。どうして。」

 1日に何度も認証しても意味がないことは百も承知だ。思わずなどと…。

「緊張をほぐすためだ。」

 まずい…。本格的にまずい…。

「ほぐれない!」

 奥村が不満を口にする。

「耐性をつけたら緊張しないだろ?」

 とにかく早急にこの場から退散しなければ。

 たいせい…。ブツブツ言っている奥村に「慣れろってことだ」と言い残してその場を去った。

 個室のドアを後ろ手で閉める。気が緩むと急激に顔が赤くなるのを感じた。

 あの顔だ。あの笑顔を僕に向けた。

 南田は熱い顔を押さえながら店の外に向かった。


 店の外に出ると刺すような寒さで顔の熱は奪われていく。そのうち店から出てくるであろう奥村に動揺を見られるわけにはいかなかった。

 しばらく経つと奥村が店から出て南田の方へやってくる。その姿さえ愛おしいのに素っ気なく口を開いた。

「おい。凍死させるつもりか。」

 カチンとしているのが奥村の顔に出ている。

「1日に1回だけというのも取り決めにしてください。」

「緊張しないようにというのを考慮した当然の結果だ。」

 そういうことにしておいてくれ…。

 思い出せば動揺してしまいそうな先ほどの出来事を見ないようにして「行こう」と南田は歩き出した。


「あの…どこへ向かってるんですか?」

 奥村の質問に振り返り南田は当然のことを言うような口ぶりで話した。

「僕のマンションだが?」

 もうこのまま離したくない気持ちだった。急に鍵を渡そうとしたことは多少思い切り過ぎていたが、いい提案だった。そんなことまで思っていた。

「! 行きません!行くなんて言ってません。」

 奥村に抗議され立ち止まると腕組みをして見下ろした。

 嫌だ。何がなんでも連れて帰宅したい。

「明日は土曜だ。どのように対顔するつもりだ?」

 曜日まで僕に味方をしているではないか。必ず連れて帰宅する。

 南田は無表情を崩さずに続けた。

「いつかお邪魔させてください。と言っていた。それなら今からが、うってつけだ。そのまますぐに明日の認証ができる。」

 少しでも同じ時間を過ごしたい。

「無理です。無理無理!お泊まりなんてそんなこと…。」

「君は杞憂が過ぎる。捕食する予定はないと言ったはずだ。」

 予定はない…はずだ。


 どんなに言葉を重ねても「今日は帰ります」の一点張りで仕方なくアパートまで送り、帰られてしまった。南田もマンションに帰った。

 ソファに座りホッと息をつくと奥村の顔を思い出す。ずっと…あの飲み会の後からずっと向けて欲しいと願ってやまなかった柔らかな笑顔。

「いっそ…捕食してしまいたかった…。」

 両手で顔を覆うと、ハァーとため息をついた。

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