第5話 陰性
今朝テレビをつけるとキス病について取り上げられていた。
調べ始めると何処までも追求する南田は、奥村と契約を結ぼうとしてからキス病についても調べていたため、テレビで紹介されている内容はとっくに熟知していた。
ずいぶん前に病院で軽く言われた「ついでにキス病の抗体を調べておきますね」の一言を思い出す。関係ないことと思っていたが、今回とても役に立ちそうだ。
キス病。キスを介してうつることが多いことからこの呼び名がついたらしい。実に日本人の90%の人が抗体を持っており、大人になってからかかると重篤化する危険があった。
そしてキス税施行とともに感染者が急増している。そのため、検査をすることと不特定多数の人と接触しないことを呼びかけていた。
南田の検査結果は「陰性」だ。抗体を持っていないことになる。しかしそれは今の南田にとって喜ばしいことだった。
自分からキス病を彼女にうつすことはない。そしてもし奥村が抗体を持っていた場合、重篤化した自分を看病してくれるかもしれない。そんな淡い期待を持てる「陰性」は輝いて見えた。
南田は職場で奥村に会っても今まで通り素知らぬふりを決め込んだ。
自分とは関わらない方が彼女のためだという思いからだったが、そもそも契約を持ちかけなければ関わらずに済んだものを、そこは見ないことにした。
それでもやはり奥村が気になる南田はしばしば食堂で気づかれないように奥村と吉井の近くに座っていた。
今日は吉井の背後に座った。するとまさかの自分の話題だった。余計に耳をそばだてる。吉井の声が聞こえた。
「南田さん。あれでエリートなのよ。いつも早く帰っちゃうのにね。南田さん◯◯大学出身でしょ?うちの会社そこの大学出身の派閥が強いからね〜。」
「エリートかぁ。大学も有名大学だしね。そりゃエリートかもね。」
ほう。奥村さんもエリートだと思っているのか…。大学名だけで判断されるのは異を唱えたいが、まぁ褒められていると思っておこう。
「派閥なんて関係なく南田さんはすごいと思うよ。」
吉井さんはとても理解ある人のようだ。
南田本人が聞いているとは知らずに話す褒め言葉に本心からだろうと思うと余計に嬉しかった。
「早く帰るのって彼女がいるからとかかな?いいな〜南田さんの彼女なんて。誰も見たことない笑顔を見てるのかもね。素敵だろうなぁ。南田さんの笑顔。」
「もう。加奈ちん彼氏いるでしょ!」
「それはそれ。これはこれ。だいたい他の男どもが使えなさ過ぎるのよ〜。それなのに高給取り!」
使えない奴が多いのは否めないが…。吉井さんははっきり物を言う人らしい。敵に回すと恐ろしいな…。
そんなことを思っている南田の耳に重要機密事項とも言える言葉が聞こえた。
「華ちゃんは今、彼氏いないんでしょ?もったいないよ〜。南田さんなんてオススメだよ!」
なるほどやはりいないのか。
南田は確証を得て顔がほころんでしまいそうだった。しかも僕を勧めてくれるとは…。
ブッ。
南田の喜びと同時期。変な音とともに後ろが騒がしくなった。
「きったな〜い!」
「ゴメン。でも加奈ちんが変なことを…。」
すでに食べ終わっていた南田は立ち上がった。騒動を確認するとともに、奥村さんが動揺するかもしれないな。という悪戯心から、わざと奥村の視界に入る。そして目を合わせると会釈した。
彼女の動揺を確認すると喜ばしい気持ちになって、その場を後にした。
今日こそは契約の締結をしなければ。との思いから南田は定時に仕事を終えていた。
そもそも仕事からも何からも振り回されるのは、まっぴらだ。と常々思っている南田はよほどのことがない限り残業をしていなかった。
何かに振り回されて生活が乱れるなど…。そう思っているのに、ここ何日か奥村との契約に振り回されていた。元々は自分が蒔いた種ではあるが…。
そういう今日もいつになるか分からない奥村の帰りをカフェで待つことにした。
窓際でコーヒーを飲んでいると、思いの外、早くに会社から出てくる奥村の姿を視界に捉えた。
急いで会計を済ませると、平静を装って隣を歩いて声をかける。
「今日は迅速な対応をしたようだ。」
また驚いている様子の奥村がなんとも言えなかった。しかし南田にかけられる声は冷たい。
「南田さんには関係ないことです。」
「話し合いが必要不可欠だ。まだ契約を締結していない。」
冷たい態度にもめげずに、決めていた台詞を口から吐き出した。
「連れて行きたいところがある。」
奥村の返事も聞かずに早足で前を歩く。返事を聞いてしまったら負けのような気がして有無を言わさずに連れていった。
着いたのはイタリアンの店だ。もちろん個室でキス税を認証する機械もある。
「昨日は醜態をさらした。女性を連れて行く店ではなかったようだ。昨日の店は大学の後輩なんかを連れて行くと喜ぶんだ。いや…言い訳に過ぎない。」
奥村は顔に出さないように努めているようだったが、少し表情が緩んだのを感じる。言い訳だとしても言って良かったと胸をなで下ろした。
「契約のことで議論を交わしたい。」
本音は議論というよりも、契約したという確約を取りたい。それでも奥村さんの意見を聞かないわけにはいかないだろう。
「私もそのことで言っておきたいことができました。キス病について…。」
「あぁ。そのことなら承知の上だ。」
「知って…。」
「君は今朝のニュースで知ったのか。最後まで視聴してないのだろう?キス病は不特定多数の人物との接触が特に問題視されている。」
この件は僕に取っても重要だ。南田は言葉を重ねた。
「その点では僕も君と重要な取り決めをしたいと思っていた。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます