第4話 迂闊

 南田は静かに話し合いができる場所として、焼肉店の個室を選んだ。個室なら誰にも邪魔されず尚且つ逃げられずに済む。

「遠慮はするな。…と言っても食物を摂取できる状態なのか?」

 体調が芳しくないことは店を選んだ昨日の段階では考慮に入れようがなかった。

「そういえば昨日の夜から食べてなかった…です。」

「極めて怠惰な生活だな。」

 やはり長時間労働が彼女を蝕んでいる。

「この辺りなら摂取できるだろう。」

 スープを勧めると奥村は苦笑した。また自分が求めている笑顔とは違う笑顔に、無表情なまま首を傾げた。

 どうして前のように笑わないんだ。


 南田は奥村と向かい合って食べることに緊張していた。それを悟られないように無表情を貫く。もちろん肉の味など分かるはずもない。

 奥村は実に美味しそうに食べていた。この子の笑顔を引き出すには餌付けしかないのか…。何度目かの自分の無力さを感じていた。


「ところで契約についてだが…。」

 とにかく本題を話さなければいけない。しかしゴホゴホ…ゴホッと奥村は咳き込んだ。やはり体調が芳しくないのか…と心配になり、そっとお茶を差し出す。

「契約はしません。何度言ったら分かってもらえますか?」

 南田はため息混じりに言葉を投げた。

「キス税は毎日しないと意味がない。」

「それくらい知っています。」


 免疫力を上げるための政策。毎日でないと意味がない。それを盾に契約締結に持ち込むつもりだった。それなのに上手く事は運ばない。

「理解しているのなら、どうして断るのかが理解不能だ。1回だけでは免除される額は微々たるものだぞ。」

 税金を納めるのを躊躇している者への常套句…そうネットで謳われていたが、やはりネットの情報を鵜呑みにしてはいけないらしい。


 その時、急に外が騒がしくなって会話が中断された。

「キス税、はんたーい!」

「そうだ!反対だー!!」

「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので…。」

「うるさい!キス税を払うのなんてまっぴらなんだよ!」

 ぎゃーぎゃー騒がしい大声は店員に連れていかれたのか、しばらくして静かになった。


「うらやましい…。」

「騒音がか?」

 フフッと力なく笑う奥村は首を振った。

「私も反対デモに参加したいくらいなんです。なのに自分の意見も言えないでいる…。あの人たちはすごいです。」

「なるほど。非常に面白く、興味深い意見だ。」

 そこまでこの制度に嫌気が差しているのか。そこは僕と同意見だ。反対デモに参加したいとは思わないが…。

「僕もプライバシーの侵害だと日々思っていた。」

「え?じゃ今までは…?」

「無論、税金を払っていた。プライバシーが保護されるなら安価だ。」

「でも…じゃ私とは?」

「君とは…。」

 南田は言い淀む。君とならしてもいいと言うべきではないだろう。

「契約関係だ。プライバシーとは無縁だろ。」

 契約ということにした方がいい。僕も彼女も。契約…僅かに胸の痛みを覚えるが奥村さんとの時間を作れるのなら構わない。

 しかし奥村の考えは違ったようだ。冷たく言い放たれてしまう。

「私は契約しません。他の方をあたって下さい。今日はご馳走様でした。」


 頭を下げて立ち去ろうとする奥村に南田はスマホを差し出した。見せなくはなかった。こんな手口に使うつもりはなかった。しかし今は由々しき事態だ。

 スマホから音声を流す。

『…や。ヤダ…南田さん…やだって。』

「な…どうして…。」

 奥村は愕然として椅子に崩れ落ちた。その動画は医務室で寝ていた奥村が夢でうなされているところを撮ったものだった。

 奥村はサッと南田のスマホを奪い取ると削除の方法を模索しているようだ。その奥村に出任せを口走る。


「複写しないわけないだろ?」

 本当に複写しておこう。貴重なアレを消されてはたまらない。

「契約するだろ?」

 ここまでして彼女と契約したいとは自分はどれだけ必死なのだろうか。


 奥村は奥村で考えることがあるようだ。意見してきた。

「ちょっと待ってください。その動画をどこかで流すとかそうなったら、私に名前を呼ばれている南田さんにも害がありますよね?」

「そんなの見せ方次第だ。」

 誰かに見せるものか。これは僕だけのものだ。

 しかしその一言は奥村に効果があったようで俯いて黙ってしまった。


 そんな奥村に南田は顔を近づける。

「ち、近いです!」

「認証させるんだろ?」

 気が変わらないうちに、そういうものだとの認識にさせなければ。

「い、今からですか?」

「なんだ。外の方が好ましいとは理解しがたいが、致し方ない。」

「違います!こっちが理解できません。焼き肉ですよ?食べてすぐ…とか…。」

 そうか…。確かに認証すると相手の息がかかる。それがまた…。

 この子とならどんな状況でも構わないと思うのだが、奥村さんへの配慮は欠けていたか…。

「なるほど。それは配慮に欠けたようだ。しかし同等の物を食している。気になるものか?」

「もう好きにしてください!」

 好きに…。やはり奥村さんの言動は迂闊過ぎる。機会をみて注意しなければ。

 南田は手を伸ばして奥村の口に何かを押し込んだ。


 ミントタブレット。エチケットではあるな。

 そう思いながら顔を近づける。照れた顔がなんとも言えず可愛らしい。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「まだ…何かあるのか?」

 このままでも構わないが…しかしやはり重ねたい衝動にかられる。何故だろう。中毒性の何かあるのか…。

「眼鏡を…。」

 そう控えめに言った奥村が非常に愛おしかった。それを見せないように努める。

「そうか。いつも阻害しているとは思っていた。」

 素直に眼鏡を外した。自分もこの方が緊張はしないが…やはり顔が見えないのは残念だ。

 そのまま南田は顔を近づける。もうくちびるに触れそうなほどの距離で少し意地悪を言いたくなる。触れそうな距離での会話がたまらない。…僕は変態か。

「目は閉じないのか?」

 かぁーっと赤くなる奥村を確認して満足するが、一転押しのけられた。

「すみません。帰ります。ご馳走様でした。」

 な…。

 調子に乗り過ぎたことを今さら後悔しても遅かった。そして個室でも逃げられてしまった。重ね重ね迂闊だった自分に言葉を失った。

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