第3話 目眩

 南田はテレビから流れるキス税のニュースを感慨深く眺めた。今までは自分には関係ないものとして遮断していた情報が鮮明になって目に映った。

 老夫婦がキス税によって仲を深めたインタビューは南田の心を温かくする。

 しかし今のままでは奥村に嫌悪感を抱かれても致し方ない。それなのに対応策は何も思いつかない自分に、ほとほと呆れ返っていた。


 職場についてしばらくすると奥村が出社したことを視界の端にとらえた。なんだか様子がおかしい。

 それなのに何故、上司は何も気付かないのか…。

 憤慨する気持ちを抑えつつ南田は奥村を気にかけながら仕事をした。


 どうにも様子のおかしい奥村に意を決して話しかけようと南田は席の近くを通る。偶然を装っていたつもりだったが、装えていたのかは分からない。

 だが、それも無駄に終わってしまった。ふらついた奥村につい名前を呼び、抱きかかえてしまったのだ。周りがざわついているのが分かる。

 それらを気に留めないように奥村を医務室に運んだ。


 連れてきた医務室のベッドに寝かせる。

「あら。貧血か何かで倒れたの?」

 看護師に声をかけられ、首を振る。

「分からない。たぶん疲労からだろう。連日の残業を余儀なくされている。」

「そう…。顔が青白いわね。疲労だけなら寝てれば治るかしら。今日、私は定時に帰ってしまうの。定時にあなたこの子を見に来れる?」

「はい。ではそれまではお願いします。」

「はいはい。こちらこそ定時後はよろしくね。」

 にこやかな看護師に安堵して奥村を任せて職場に戻った。


 南田は自分の力の無さを否応なしに感じて奥村に申し訳ない気持ちだった。

 もし自分があの子の上司だったら、ここまでなるほどに残業させるものか。

 しかしそれは一社員のしかも2年目の下っ端では希望が通るはずもなかった。


 無謀だと思いつつも部長に直訴する。

「先ほど倒れた奥村さんのことでお話が。」

「あぁ。どうした。ここでいいだろう?」

 ここで…。彼女は僕のような者と関わっていることが社内に知られない方がいい。こんなところで残業が多いことを可哀想だと訴えてしまったら変な目で見られるのは彼女だ。

 考えあぐねて南田は作り話を口にした。

「認証機械のような重大案件を彼女のような新人に任せるのは、どう考えても…。それでそのことで彼女と議論してしまいました。」

「新人では荷が重すぎると?」

「はい。知的探究心から彼女に専門的なことを質問したところ泣き出してしまいました。この設計は彼女には負担になっていると思われます。」

「そうか…。今後考慮に入れよう。」

 これでは駄目だ…。部長の態度に何も変わらないことを悟ると、一礼して席に戻ることにした。途中、奥村の友人がこちらを見ていたことに気づき「秘密裏に」と声をかけた。

 南田は改めて自分の無力さに肩を落とした。


 定時になると、はやる気持ちを顔に出さないように努めて医務室に急ぐ。先ほどの看護師に、頼んだわよ。と声をかけられた。

 女性が寝ているのに男の僕に頼むなど安全面は大丈夫なのだろうか…。

 不信感を抱きながらもベッド近くの丸椅子に腰かけた。穏やかな顔で眠っている奥村に安堵して、ホッと息を吐く。それなのに次の瞬間につらそうに僅かに顔が歪んだ。何か声を発している。

「ん…。ヤダ…。南田さん…。」

 な…。僕?

 みるみるうちに顔が熱くなるのを感じる。耐えきれず口元を手で覆う。

 反則だろう。その寝言…。

 冷静を取り戻そうと、何度も息を吐く。その間にも似たような寝言を繰り返している。

 南田は自分の気持ちに抗えず、スマホを手にした。カメラを起動させ動画モードで録画する。

 これは盗撮だろうか…。しかし…この寝言は僕へのものだ。

 自分の行動を正当化すると、奥村の頭を撫でる。柔らかい髪にドキッとしながらも寝ている奥村に話しかけた。

「大丈夫だ。心配しないで。大丈夫だから。」

 何がどう大丈夫なのか分からないが、とにかく奥村を安心させたかった。南田の声かけに、歪んでいた顔はまた穏やかな寝顔に変わって満足する気持ちだった。


 南田も寝不足がたたって、丸椅子に腰かけ腕組みをしたまま、うとうとしていた。

 どのぐらい経っただろうか、ごそごそと動く音に南田は目を開けた。奥村が起きたようだ。

「やっと覚醒したか。」

 目を丸くした顔がなんとも言えない。これは無自覚でやっているのだろうか…。機会があれば注意したい案件だ。

 驚いていた奥村が質問をしてきた。

「今、何時ですか?」

 言われて自分も時計を確認する。

「六時だが?」

「…え?」

「六時だ。」

 そうか六時か…そう思っていると思いもよらない音を聞いた。

 グーッ。

 盛大な音。それは奥村のお腹からのようだ。顔から耳までもが赤くなる奥村に思わずフッと笑い声を漏らした。南田の笑い声に気づいたのか奥村は驚いた声を上げる。

「え?」

 顔を確認されたが表情を崩すようなヘマはしない。心の動きを悟られないように平坦な声を出す。

「食物を摂取しに行こう。」

 普通に誘ったつもりだった。それなのに奥村は笑っている。どちらかと言えば失笑に近い笑いだ。希望していた笑顔ではないものを向けられて僅かにムッとする。

「何がそんなにおかしいんだ。」

「なんでもありません。ご馳走して下さいね。」

 良かった。普通に応じるようだ。そんなもの一緒に食事ができるのなら当然だ。

「構わない。昨日もそのつもりだった。」

 今度こそ普通だと思っていたのに、また奥村は笑っている。

 その姿に南田は怪訝そうな声を出した。表情は崩さないように努めて。

「何をそんなに…。君のお腹の方がよっぽどに滑稽だ。」

 自分で発言してそのことを思い出すとフッとまた息が漏れた。

 やはりこの子は…。そんなことを思っていた。

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