第2話 決裂

 いた…。何故だ。しかも先ほどから意味のない行動を繰り返している。

 声をかけるのを躊躇したが、それでも声をかけなければならないだろう。ここには僕らしかいない。昨日のことを話すには絶好の機会だ。

「おい。いつまで残業するつもりだ。」

 突然の声に驚いた様子の奥村を視界に捉える。

「南田…さん…。」

 そうか…。僕の名前を知っているのか。

 若干、喜ばしい思いになり、そのまま思っていたことを口にする。

「さきほどから同じ動作しかしていない。仕事ははかどっていないようだが?」

 奥村は手元にある資料を束ねては広げ…をここ10分くらいは続けていた。


「君は…。」

 南田は奥村のことをなんと呼べばいいのか、奥村さんなどと呼んだら顔が赤くなりそうだった。

 それでも「君」という呼び方では失礼があったようだ。不満げな声が南田に届く。

「奥村華って名前があります。」

 う…。しかし呼べるものか。

 南田は思いつきでどうにか誤魔化してしまいたかった。自分でもよくこうも屁理屈を並べられたものだと感心する言葉が口から出る。

「そんなもの不必要この上ない。僕たちは契約関係だ。甲と乙でいいほどなのに、譲歩して君と呼んでいる。」

「こうと…おつ?」

 戸惑っている奥村が可愛く思えて、少し意地悪を言いたくなる。

「そんなことも知らないのか。契約書に書いてあるだろう。甲、乙と。」

 しばらく考えた後、理解したように奥村が口を開いた。

「人を呼ぶ時に使うものじゃないです。」

「だから譲歩してやって君だ。」

 はぁ。どうにか誤魔化せたか…。南田はつい、ため息が出てしまう。

 すると奥村がハッとした顔で言葉を発した。

「契約って!してません!」

「キス税を払いたくないんだろう?」

「そりゃ払いたくはないですけど。南田さんと…する必要はありません。」

 はぁ…それはそうか。キス待ちなどしていなかったのだ。やはり失態だった。しかしどうしたものか…。

 南田は奥村の手にしている資料が目に入り、興味からそれを手に取った。


「…驚愕の事実だ。この設計を君がしていたとは。」

 キス税を認証する機械。そうかその仕事をしているとは。

「なんとも皮肉だな。」

 悩んでいる機械を設計しているとは可哀想な子だ。

 南田は奥村の隣のデスクに腰をかけた。

 とりあえずこの子の仕事を終わらせなければ、昨日の話などできない。決して問題を先延ばしにしたいわけではない。

 そう自分に言い訳をすると、資料に目を通した。

「なるほど今の機械をこう設変するのか。使いやすくはなるか…。」

 この子は一般職のはずだが、ずいぶんと込み入った仕事を任されているようだ。

「理解した。ここはこうしたらこうじゃないのか?」


 仕事の話ならスラスラと言葉が出てくるのに、どうしたものか…。

「もう今日は遅い。明朝から取り掛かれば間に合うはずだ。」

 奥村の抱えていた仕事の問題は解決しそうだ。しかし南田はもっと早急に解決しなければならない問題を抱えている。

 奥村に視線を移すと、ぼんやりこちらを見ていた。じっと見られ、また動揺してしまいそうだ。

「おい。穴が開く。」

「え?」

 ぼんやりした顔がハッとした顔に変わる。その顔に重ねて訴える。

「顔に穴が開くと言っている。」

 そんなに見られると恥ずかしいなど口が裂けても言えない。

「ごめんなさい。ボーッとしちゃって。仕事のアドバイスありがとうございました。分かりやすくて助かりました。」

 あぁ。と小さな返事をして、素直なお礼にほころんでしまいそうな顔を誤魔化すように席を立った。奥村もそれに続くようだ。


 しかし…。女の子一人を残業させるなど、どれほど無能な上司なのだ。

「…残業など無能な奴がするものだ。」

 つい心の声が漏れる。

 無能な上司の下にいるこの子はずいぶんと頑張っているようだ。

 しかし南田の思いは上手く伝わっておらず、奥村は冷たい声を発した。

「えぇ。私は無能ですから。失礼します。」

「おい。どこへ行く。そっちに出口はないはずだ。」

 何故、急に離れて行ってしまうのか。まだ僕らの問題は解決していないはずだ。


 どこまでも行ってしまう奥村に南田は焦って声をかける。

「おい!足の前後運動を中断しろと要求している。」

 何を言えば止まると言うのだ!

「奥村華!」

 この際、実力行使だ!

 南田は手をつかんだ。そして認証の機械が視界に入る。

 もうどうにでもなれ!と、ゆっくり顔を近づけた。振り払わない奥村にそのままくちびるを重ねた。自分の気持ちに抗えなかった。

 これで嫌われてしまうのなら、もう一度だけ…。そんな浅はかな思いが頭を巡った。


 南田は奥村のつかんだ手をそのまま持ち上げて認証させた。もちろん南田のも。

 ピッ…ピー。「認識しました」機械の音声が響いた。

「どうしてこんなこと!」

 憤慨した様子の奥村は南田の腕を振り払うと今度こそ出口へ向かって行ってしまった。


 社内で二度も…。僕は何をしているのだ。

 自分がこれほどまでに衝動的に行動する人間だとは思いもよらなかった。

 先ほどは、これで嫌われるなら…と思っていたくせに彼女に嫌われてしまうのは許容できない思いだった。

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