第1話 計画

「キス税を払うのが嫌なんだろ?だったら僕と契約して僕としたらいい。」

 キス税の認証機械の前でため息をついていた子が振り返る。奥村華。目を見開いて言葉を失っている姿がなんとも言えない。

 南田は言葉を重ねた。

「僕と契約しないか?」

 それでも言葉を発しない奥村はまじまじと南田をみつめてきた。動揺を悟られないように、南田は計画していた言葉を口から滑り出させる。

「高い税金を払うのを躊躇しているんだろ?悪い話じゃないと思うんだが?」

 どのような返事が来るだろうか。キスしてくれる人を探してるんです。と言うのだろうか。そしたら正してやればいい。


 キスをすれば税金が免除されるキス税を悪用して、誰かれ構わず相手を探すような子ではないはずだと心のどこかで願っていた。

 しかし待てど暮らせど返事は返って来ない。本当にキス待ちと呼ばれることをしていたのだろうか。

 キス待ち。キス税のことを調べていたら出てきた言葉だった。認証機械の前でキスの相手を募集するというのが流行っているらしかった。

 そんな子ではないはずだ。そう思いながらも、つい南田は怪訝そうな声が出てしまう。

「聞こえているのか?キス税を払うのが嫌なんだろ?だったら僕と契約して僕としたらいい。」

 そうだ。どこの誰だか分からない奴より、僕の方がこの子に適任のはずだ。


 ここからは計画していたことから大きく外れることになった。

「おい。奥村華。…沈黙は了承とみなす。」

 後から考えても、どうしてそうしてしまったのか。ただみつめられ過ぎて、つい…というのが本音なのかもしれない。

 南田はかがんで奥村と視線を合わせ、そして軽く触れ合わせた。くちびるを。

 ピッ…ピー。南田が押した機械が反応して「認証しました」と音を出した。それとともに南田は奥村に力いっぱい押しのけられた。

「なっ…。」

 動揺で表情が崩れそうになるのを必死で堪えた。そして動揺を悟られないように敢えて余計なことを口走る。

「おい。認証しないでいいのか?」

 その声は走り去る奥村の背中に虚しく投げられただけだった。


「失態を犯してしまった…。」

 やはり奥村さんはキス待ちなどしていなかったのだ。

 嬉しい思いと失敗した…という思いが交錯する。しかし…そっと自分のくちびるに手を当てて、奥村に触れた柔らかい感触を思い出すと顔を熱くさせた。

「謝罪した方がいいのか…。だが…なんと言えば…。」

 南田は頭を抱えうなだれた。


 マンションに帰ると腹いせにスマホをソファに投げ捨てた。

「何がチャンスだ!僕としたことが不覚だった。」

 別にあの情報を信じていたわけじゃない。ただみつめられ、その瞳に吸い寄せられるように近づいてしまっただけ…。

 近づくどころか…。はぁ。何をやってるんだ僕は…。


 いつもは奥村さんを見つけて、密かに観察するだけで良かったんだ。近づき過ぎてはきっとボロが出てしまう。

 だが、もう手遅れだ。早急に対策が求められていた。


 南田は考えあぐね、そのまま朝を迎えてしまった。寝不足だが仕方ない。出社するより他なかった。

 思考が停止しそうになりつつ歩いていると気づけば前に奥村がいた。

 重ね重ねの失態だ。まだ解決策を見出せずにいる南田は体を固くした。

 しかしすれ違っても向こうも何も言って来なかった。安堵する反面、昨日のことは向こうにしてみれば、なんでもないことだったのかもしれない…。そんな疑念が生じる。

 どちらにしても話し合いが必要不可欠だ。


 南田は帰りに奥村と話し合いの場を設けるために急いで仕事を片付けた。そして定時になると退社して会社前のカフェで時間を潰す。

 これなら何時に奥村さんが退社しようとも声をかけられるはずだ。

 だが、いくら待っても思惑通りにはならず、奥村はカフェの前を通らなかった。

 それなのに別の人が南田に気づいてカフェに入って来た。寺田だった。彼は同じ大学の先輩だったが、関わりがなかったために名前を知る程度だった。

「なぁ。いい話があるんだけど乗らないか?」

 こういうのは大抵がヤバイ話だ。

「いえ。僕は大丈夫です。」

 だいたい今は奥村さんと話し合いをしないといけないため、それどころではない。

「すっげー大きい話なんだぜ。キス税のことで…。」

 キス税の言葉で少し揺れた南田を確認した寺田が声を落として全容を話し出した。


 簡単な話が思った通り甘い話に乗らないかということだった。もちろん甘いだけでなくヤバイ話だ。南田にとってそれは興味のないことだった。奥村が関われば別だったかもしれないが…。

 丁重にお断りをしたつもりだったが「後で悔やんでも知らないからな」と捨て台詞を吐いて寺田は去っていった。また敵を作ってしまったか…と小さくため息をついた。


 寺田が去ったあと、寝不足がたたってうたた寝をしてしまった南田が時計を確認すると10時だった。今日は月に何度かあるノー残業デー。よっぽどのことがない限り、この時間まで残っている者は稀だ。

 ふぅ。僕としたことが…。自分が仕掛けたことにずいぶんと振り回されている。

 南田は冷静を取り戻すように眼鏡を押し上げた。

 念のため帰ったか確認をしてから自分も帰宅しよう。そう思ってもう一度会社に足を運んだ。

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