第29話 質問する?

 華はアパートに帰っても南田の言葉が頭を離れなかった。

「好きらしい」という言葉。動揺したような声…それに真っ赤な顔。

 やっぱりそれは私を…好きってこと?いやいやいやいや。

 だいたい、私が南田さんのことを好きって前提の話ぶりだったような…。いやいやいや…いや…態度に出てたかもっていうのが思い当たる節があり過ぎて…はぁ。

 華はパンクしそうになる頭を抱えた。「解消しよう」からの「今一度の契約」…そこから急に飛躍し過ぎて頭がついていけなかった。


 でも…もしそうなら、どうしてちゃんと言ってくれないんだろう。そしたらこんなに悩まないのに…。やっぱりからかってるだけなのかなぁ。

 どんなに考えても「南田さんは変だから分かるはずがない」という結論に達して華は答えが出ないまま眠りについた。


 朝、ニュースではハニートラップの被害にあった人がインタビューを受けていた。その人はいつか見かけたカップルの人だった。

「俺も実はハニートラップに引っかかったんです。もちろん当時は知らなくて…。」

 その人の隣にはあの時の女の子が一緒にいた。女の子が代わって話し出す。

「最初は騙すつもりだったんですけど…。私とキスするために入院までしてくれて。彼ったらキス病の抗体を持ってないのに私から感染するなら本望だって…。」

「いいんだ。その時に看病してくれたじゃないか。」

 仲睦まじい二人が映し出されるとアナウンサーのコメントが入った。

「美女と野獣カップルの誕生は紛れもなくキス税のおかげです。そしてハニートラップも…もちろん騙すことはいけないことですが、お二人のような事例もあるということで、我々も救われた思いです。」

 華もほっこりした気待ちになると自分自身のことと重ねる。

 自分もキス税に振り回されながらも、関わることはなかった南田と知り合えた。

 それが良かったのかどうかは別にして、キス税も案外悪くないのかもしれない。微かにそう思えるまでになっていた。


 キス税は不正な情報操作や違法行為で一時的に停止されることになった。解散総選挙をして新しい与党が決まり次第、新しく施行されるのか廃止されるのかが決まりそうだ。

 ただ国民の声はこうだった。

「キス税のため義務としての名目でせっかく毎日のキスが日常化したのに廃止しないで欲しい。税金の免除と関係なくキスはいいことだ。」

「若者の恋愛離れにメスを入れた政策だった。今後も続けて欲しい。」

「キス税払っている=かっこ悪いのプレッシャーで彼女ができた!キス税最高!」

 もちろん根強い反対派はいるものの、賛成する人が多いのは本当のことだったようだ。

 一時的に停止しても認証機能は残して欲しいという国民の意見を尊重して、税金免除にはならないものの認証機能はそのままにすることが決定した。


 南田との契約関係はこれを受け、続けなくてもいいことになる。南田とはもう一度契約をという話になっていたはずだ。

 どうなるんだろう…と不安を抱えながら出社することになった。


 社内ではいくら世間から認証の機械が撤去されないとしても、新しい受注は見込めない。そのため大勢雇うことになった派遣の契約が今月を持って打ち切られる人が大半だった。

 もちろん最初からそのような契約だろう。それでも勝手に思えて仕方なかった。

 そして華にとっては「そういう契約」というフレーズが胸にズキッと刺さった。

 きっと近いうちに社員同士のペア制度も廃止されるだろう。そうなったら華は南田とはなんの関わりもなくなってしまう。

 どこまでも振り回されっぱなしの華は嫌気がして席の南田を盗み見る。相変わらずの無表情に声がかけれずにヘルプデスクに向かった。


 飯野さんはいつも以上にニコニコして迎えてくれた。

「今日は総仕上げだ。ここまで頑張ったな。」

「もうお終いってことですか?」

 華はここでも不安を感じた。自分はまだまだで、南田に追いつける感じなど全くしなかった。

「南田にも確認済みだ。基礎はバッチリだとお墨付きだよ。」

 南田さんがそんなことを?華は信じられない気持ちだった。

 浮かない顔の華に飯野は微笑んだ。

「大丈夫。きっと全部うまくいく。」

 その全部が何を示してるのか華は聞けなかった。


 午後からの仕事は、認証機械の仕事をしていない華たちにとっては特に変わったこともなく仕事を終えた。

 そして華たちは一緒に会社のビルを出た。癒着についてひと段落したため報道陣はすっかり姿を見なくなっていた。

 ビルを出ても「じゃ」の声をかけない南田の後を華は続いて歩く。

 契約についての話し合い…。どうなっちゃうんだろう。

 華は期待よりも大きな不安に押しつぶされそうだった。


 マンションに着くと玄関で待たされることなくリビングに通された。そしてすぐに用意されていたパソコンの前に座らされた。

「これは消さなければならないな。」

 南田がパソコンを操作して華に見せる。画面に映像が流れた。

 白い壁、ベッドに寝ている人。その人の声が流れる。

『…や。ヤダ…南田さん…やだって。』

「これ…。」

 華が倒れて医務室で寝ていた時の動画だった。

「こんなもので無理矢理の契約など…すまなかった。」

 華は動画のことはすっかり忘れていて、突然の謝罪に面食らっていた。


 南田は続ける。

「綾乃と同様のことを僕は犯してしまった。卑劣だった。」

「綾乃って…。」

 驚きからつい声が漏れた。

「宗一のマンションで話したハッカーまがいなことをした奴のことだが、名は知らなかったか。」

 名前を知らないとか、そういうことじゃなくて!どうしてその人は綾乃で私は君なんだって話!

 華は憤慨し過ぎて訴えるのでさえ馬鹿馬鹿しく思えた。南田は不思議そうな視線を向ける。

「何ゆえ不機嫌なのかが理解できない。」

 不機嫌なのは感じ取れるの…。

 そしてため息混じりに名前を呼ばれた。

「奥村華。」

 なんで私の名前を呼ぶ時はフルネーム…。


「なんですか?」

 顔を上げると顔がすぐ近くにあって、ゆっくりと近づいて来る。

 ブッ。

 迫り来る顔に華の両手が当たって阻まれた。南田はズレてしまった眼鏡を押し上げて心外だと言わんばかりだ。

「何故だ…。」

「そうやって誤魔化そうなんて!」

 しばらくの沈黙の後。今度はズレていない眼鏡が押し上げられた。

「そのようなことはしようとしていない。」

「じゃ何を…。」

 ふいに手をつかまれて、その指先は南田のくちびるに触れさせられた。驚きと緊張で指先の感覚なんて無い。それでもその仕草にドキッとする。

「あのような物がなくても僕を所望して欲しい。」

 な…何を…。華は顔が赤くなっていくのを自覚した。

 やっぱり南田さんは私のことを?

 華はドキドキして言葉に詰まってしまった。そんな華に南田は言葉を重ねる。

「改めて契約を締結したい。」

 あくまで契約…。別にいいんだけどさ。昨日の好きとか、そういうのはなんだったんだろう。

 南田は華の疑問を知る由もなく華を置き去りに話し出す。

「体がにわかに硬直をしている。手の震えもある。緊張が現れているようだ。…しかし外での認証と違い、マンションなら一瞬で終わる。嫌な思いなど…。」

 一瞬でって、もしかして緊張する私のため?嫌な思いって…。やっぱり南田さんって論点がズレてるっていうか…さ。

 華はなんだかおかしくなって笑い出した。そして怪訝そうな顔をこちらに向ける南田の服をそっと引っ張った。


 ピッ…ピー。認証しました。

「な、何故だ…。」

 離した南田の顔は真っ赤で、華は驚くことになった。南田は片手で顔を覆いながら意味不明なことをまくし立てる。

「…今の行動は契約事項に反する。契約の第三条、契約者は契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。よって…。」

 クスクス笑う華によって南田の言葉は遮られた。手を外された顔はまだ僅かに赤いままで目には不満の色を浮かべている。

「何がおかしい…。」

「いえ。まだ契約を結び直しては無いんじゃないですか?」

 黙ってしまった南田に余計に笑えてしまう。

 まいっか。もう一度契約しても。うん。契約でもいっか。忘れてたけど南田さんってこういう人だった。

 その真っ赤な顔は、私のこと…好きって思っていいんだよね?


 華は何個もある疑問の一つを口にした。

「そういえば南田さんのお名前って湊人さんなんですね。」

「…もう一度言ってくれ。」

「え?湊人さん…ですよね?」

 みなと…さん…とつぶやいて南田は続けて小さくボソッとつぶやいた。

「名を呼ばれただけで心臓が踊るようだ。」

 えっと…それはつまり…。

「みなみだみなとってすごい名前だって自慢したいってことですか?」

 華の言葉に南田の目が見開かれた。

「本当に君は予測不可能な言動をする。」

 そう口にした南田は柔らかい笑顔を華に向けていた。


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奥村華side Fin

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