第28話 聞き返す?
ずいぶん遅くなってしまったが、なんとか目処が立ちそうなところで帰ることになった。
部内はキス税の認証機械に関わる人が大半だった。そのためこの後どうなるのか分からない今の状況で残業する人などいなかった。
帰り支度をしながら口惜しそうに南田が言葉を発した。
「君にここまでの残業をさせるなど信条に反する。」
そりゃそうか。残業しない主義だもんね。
「南田さんもここまで遅いのは珍しいですよね。」
「いや。僕は構わない。」
ん?どういう…。
疑問に思いつつも何も言わない南田に華も何も聞かなかった。
会社のビルを出る手前で南田が口を開いた。
「今日はもう遅い。また日を改めて契約について話がしたい。」
華は会社の癒着やら何やらで、それどころじゃなかったため忘れていた重大な質問があった。
その時の南田の言葉を思い出すと思わず顔が熱くなる。認証機械の前で声をかけて来た女の子たちに言った「僕は好きでもない人とはしない」という言葉…。
また、君とは契約関係だったからってお決まりのセリフを言われちゃうのかな。
ビルを出ると聞き慣れてしまった「じゃ」との言葉が発せられ、二人は別々に帰った。
華は会社の近くにあるキス税の認証機械が目に入り、近寄ってそれとなく触れた。つい、はぁとため息がこぼれる。
これに振り回されてばっかり…。また南田さんがどこかへ行っちゃうってことにならないといいけど…。
そんな華に覆い被さるように後ろから誰かの両手が壁に置かれた。
「そのままで聞いてくれ。」
え…壁ドンってやつ?でも普通って逆向きじゃなくて?顔が見えない…っていうか首元に息がかかりそうで緊張するんですけど!
後ろの人は声から南田だというのが分かった。南田が続けて口を開く。
「寺田さんのことは悪かった。僕に癒着の件を協力しないか打診してきたが、無下にしたために増悪を抱かれて。だから僕に関わらない方が…。いや…そうじゃなくて…。」
そっか…南田さんは断った方だったんだ。
華は一人、安心する。南田はまだ何か話し出そうとしていた。
「その…守るから…契約を今一度…。いや違うんだ。側に…いてくれないか?」
守るって契約を守るってこと?なんだろう。南田さんは何を…。
華の耳に道行く人の声が届いた。
「ねぇ。あの男の人、告白でもしてるのかしらね。耳まで真っ赤よ!」
え…。
華は驚いて振り向くと、南田の顔がすぐ近くにあった。その顔は確かに真っ赤で、振り向いた華に驚いた表情まで浮かべた。そしてそれを隠すように顔を片手で覆った。
「そのままで、と言ったはずだ。」
動揺の声とも取れる上ずった声が聞こえる。
どうしちゃったの?南田さん…。
状況が飲み込めない華は戸惑っていた。
するとおもむろに顔が近づいてきて、手を取られた。赤い顔のままの南田は目を閉じた。そして華の頬に眼鏡を当てながら、優しくそっとくちびるを触れさせた。温かい吐息が華に伝わって華の胸をキュッと締め付ける。
取られた手は認証せずにつかまれたまま、もう一度引き寄せられて、そっと離されたくちびるがまた重ねられた。それは息が止まるほどに長くて優しい…。
ピッ…ピー。認証しました。
機械の音に目を開けて南田を確認すると、いつもの無表情に戻っていた。
「な…どうして…。」
たくさん質問したいことがあり過ぎるのに、悔しいくらいにまた自分だけ動揺している。
華の一番の疑問に南田が答えた。
「人が動揺する顔を見ると冷静になれる。」
「!」
そのための認証!?からかってる!やっぱりからかってるんだ!
華はむくれて恨めしげな視線を南田に向けた。南田はその視線から逃げるように、そっぽを向いて思わぬことを口にした。
「僕は君のことが好きらしい。」
「は?」
思わず変な声が出た華に南田は吹き出した。今の南田は街灯の明かりを背に浴びて華からは顔がよく見えなかった。
でも…笑ってる?
「君は、はなはだ予測不能だ。」
な…。だからそれはこっちのセリフ!
「まぁそういうところが…。」
「そういうところが、なんですか?」
しばらくの沈黙の後に南田が口を開いた。
「君を捕獲したのだから今日はマンションに来るだろう?」
「ほ…かく…。」
華がまた動揺していると南田が口を開く。
「捕獲ではなく捕食が望みなら僕はそれで構わないが。」
「な…。」
ほ、捕食って!捕食って!そもそも私の質問に答えてない!どういう…。好きらしいって、他人事だし。それって…。
「まぁマンションに来ても、また玄関で待たせることになるがな…。」
前の鶴の恩返しを想像したことを思い出して、フフッと笑う。そんな華に南田は反省の色を見せた。
「やはり君への長時間拘束が否めない。今日は帰宅させる方が賢明か。」
なんだろう…。南田さんって…。
「私、まだ南田さんのこと好きとは言ってませんけど。」
「な…。それは…。そうか…違うのか?」
南田の無表情は崩れないけれど、声から動揺しているのがうかがえた。
本当だ。人が動揺しているのを見ると自分が冷静になれるみたい。華は心の中でフフフッと笑った。
「さぁ?内緒です。」
「…それは卑怯だと言わないのか。」
どっちがよ。
「だって他人事みたいに言われても…。目を見てちゃんと言ってくれなきゃ分かりません。」
「な…。」
また顔に手を当てた南田が顔を背けた。
「では互いに帰宅しよう。」
もうなんでそうなっちゃうのよ!
華は何も言い返せずにむくれてアパートに足を向けた。
からかってたわけじゃなかったのかもって思えたのに、なんだかよく分からない!
華は南田の本心がどこにあるのか掴めないまま歩き出した。その華を追い越して南田が先を歩く。理解できない言葉を華にかけて。
「夜も遅い。アパートまで同道しよう。」
どうどう…。馬か何かをなだめてるつもり?不可解な視線を向けても背中では返事が聞かれなかった。
結局、華は一番聞きたかった「僕は好きでもない人とはしない」がどういう意味だったのかを質問できずに南田と別れた。そしてそれ以上に難解な言葉が胸に引っかかる。
「僕は君のことが好きらしい」
そのまま素直に受け取っていいのか。文章は難解ではないのに、そこに含まれる真意が難解に思えてならなかった。
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