第21話 泣いちゃう?

 な、何を…。

 華が言い返せないでいると南田が続けた。

「ペアも元に戻してもらえばいい。」

 そんな…。

「やっぱり南田さんがペアを変えたんですね?」

 南田は何も言わない。代わりに華が続けた。

「自分勝手にコロコロ変えないでください。私の元ペアの内川さんは、南田さんとペアだった加藤さんとお付き合いを始めたそうです。それなのに仲を裂くようなそんな真似…。」

「それはすまないことをした。」

 今さら何を…。

「君が内川さんと付き合っていたかもしれないのにな…。」

 どうしてそんなことを…。散々振り回したくせに…南田さんがそれを言うなんて。振り回すだけ振り回しといて、こっちが好きだって気づいた途端に…。

 悔しくて悲しくてごちゃ混ぜの気持ちで涙がこぼれそうになる。

 でも嫌だ。こんな…こんな人の前で泣くもんか。

「無能って…無能って言ったくせに。社員だからですか?派遣の子より仕事の成果が出やすいからですか?私が総合職へのキャリアアップ試験に受かれば南田さんの評価も上がるからですか?」

「……そうだ。…そういうことだ。」

 なんで…。どうして否定してくれないんだろう。本当にそんな理由で?私だって、こんな風に責め立てたかった訳じゃないのに…。

 ショックを受ける華を残して南田は出て行ってしまった。


 気づけば目からは涙があふれていて、箱ごとのティッシュが渡された。宗一が部屋に戻って来ていた。

「南田のことは許してやってくれ。元々ちょっと不器用な奴だったが、それに輪をかけることがあって…。」

 言おうか迷っているような宗一がまた口を開いた。

「どうせ明日になれば周りから聞くはめになる。それなら少しでも正しいことを知っておいた方がいいだろう。」

 宗一は一呼吸おいて話し始めた。

「湊人は嫌がらせを受けてるんだ。昔、無理矢理キスされてその写真とともに誹謗中傷の文面を湊人の連絡先を悪用され送られる。思い出したように、ふいにね。」


 みなみだみなと。どんな名前よ。

 初めて知った下の名前を話題にする和やかな雰囲気などないままに華は自分のアパートへ帰っていた。宗一が教えてくれた話が頭を巡る。

「元々は表情を表に出さない湊人をからかったらしい。キスしてそれを写真に撮って。でもそれでも何も気に留めない湊人に段々と嫌がらせがエスカレートしてね。黙ってても男前だし目立つからあいつ。」

 嫌がらせはダメだけど、分かる気がしてしまう。変わった行動をする南田さん。そして性格さえ良ければ…と女の子たちが嘆く風貌。その南田さんが自分だけを見たら…って。

 華は胸をズキッとさせた。

 何を考えてるのかしら。契約さえも解消されたっていうのに。

 華はうなだれてベッドに顔をうずめた。


 会社に行くと南田のことで部署はざわざわしていた。「南田も終わったな」なんて言葉が聞こえてくる。

 可奈が駆け寄ってきて華を心配するように声をかけた。

「大丈夫?華ちゃん。南田さんは部長に呼ばれたって。」

「うん…。どんな内容のメールなのか私は見てなくて。」

 可奈が急いで手を振った。

「それは良かったよ。あんなの本当か分からないようなことばっかり。見ない方がいいよ!」

 そんなにひどいことが書かれていたんだ…。見てしまった方が自分の気持ちにも踏ん切りってものがつくんじゃないのかな。

 そう思いながらも、ざわざわする部署を後にして華はヘルプデスクに向かった。


「おぉ。おはよう。今日は来ないかと思ったよ。」

 前にも誰かにそんなこと言われたな…。華はぼんやり思っていると飯野はため息をついた。

「南田はなぁ。嬢ちゃんは誤解しないでやってくれ。少なくとも…奥村さんを思って、わしに教育係を頼んだんだから。」

 飯野も何か知っているような口ぶりだ。

「もしかして大学生の頃も同じようなことが?」

 華の質問にまた飯野はため息をついた。

「そうだ…。大学の頃が発端だな。…南田のことはあぁいう奴だし、他の奴が色々と言うかもしれん。でも…自分が思う南田を信じてやってくれ。」

 自分が思う南田さん…。華は何度かその言葉を反芻して飲み込んだ。


 午後からは南田も席にいて仕事をしていた。それなのに心労からだろうか、南田らしからぬミスが続いた。華は見ていられなくなって口を開く。

「あなたは無能なのですか?」

「は?」

 南田の声に苛立ちが色濃く出ている。それでも華はやめない。

「無能ですよね。ご自分に身に覚えのない誹謗中傷に心惑わされるなんてガッカリです。」

 ハンッっと鼻で笑ったような音が聞こえ、眼鏡がズレてもいないのに押し上げられた。

「君に無能な印象を与えたとは心外だ。はなはだおかしい。」

 何よその日本語!

「そうですか。じゃ今日は残業なんてしなくて帰れますよね?」

「言わずもがなだ。」

 すっかりいつもの南田に戻った姿を見て、やっぱりあの眼鏡は変換スイッチがついているんだなと心の中で納得した。


 定時になると二人揃って職場を後にした。会社のビルの前で「じゃ」と南田は華に背を向けた。

 分かっていたことなのに胸がズキッとする。契約は解消されたのだ。

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