第15話 優しくする?

 次の日、少し早めに出社しても、それでも南田は席にいた。

 うぅ…。会いたくなくて早く来たのに…。顔を合わせないうちにヘルプデスクへ逃げようと思って…。

 忙しい部署で連日のように遅くなる人が多く、自然と朝はみんな遅めの出勤だ。必然的に定時前はちらほらとしか出社している人はいない。

 華は仕方なく挨拶をした。

「おはようございます。」

「…おはよう。何故この時間に出社したのか理解に苦しむ。」

 それ、こっちのセリフ!

 いぶかしげにこちらを見て南田は続ける。

「だいたい昨日は何故…。」

 そうだった。ちょうどいいや。

 華はポケットから小さな封筒を取り出した。

「これ私の「落し物」ではありませんので。」

 封筒を一瞥すると南田は顔を背けてパソコンに向かう。

「必要ないなら廃棄すればいい。」

 はいきって…廃棄物の廃棄?人の家の鍵を捨てるとかできるわけない。

「困ります!」

 華の言葉に耳を貸そうともしない南田は華に促す。

「じじいは朝が早い。飯野のじいさんは出社してるだろう。そうと決まれば即座に行動へ移せ。」

 華は南田のデスクにそっと封筒を置くと昨日の資料と筆記用具を準備してヘルプデスクへ行くことにした。

 すると自分のデスクに置かれた封筒を見た南田がそれをつかむ。そして…捨てた。ゴミ箱へ。

「な…。」

 なんとなく胸がズキッとするとゴミ箱から封筒を拾ってまたポケットにしまった。


 ヘルプデスクに行こうとする華に「ちょっと待て」との声をかけ、南田はパソコンの横に立てかけてある何冊かの本の中から1冊を選んで渡した。

「これ…?」

 その本は『わかりやすい機械設計の基礎』

「昔、僕が使っていた物だ。現在の僕には不必要だ。」


 ヘルプデスクへ向かう途中。つい不平不満が口を出る。

「そりゃ天才くんですもんねー。参考書とかいらないですよねー。」

 昔、使っていたと渡された不必要なそれは新品同様に綺麗なものだった。綺麗なまま使わなくても大丈夫なほどに有能だと言われているようでカチンとした。


 ヘルプデスクへ行って、またそこの人たちに冷ややかな目を向けられてから奥の扉を開けた。それでもその冷ややかな視線は朝が早いため数人しかいなくて助かった。

「おぉ。おはようさん。今朝はずいぶん早いな。」

 にこやかな笑顔を向ける飯野に「今日もお願いします」と挨拶を口にして隣の席に座る。飯野は華が持って来た本を興味深そうに眺めた。

「こりゃ懐かしい。わしが大学で教えていた頃に使ってたのと同じだ。南田に勧められたのか?」

「大学?飯野さんは大学で教えられていたんですか?」

 ハハハッと笑うと目がなくなって、優しい顔つきの飯野はますます優しい顔になった。

「そうだよ。南田とはその時からだ。客員教授として教えに行くこともあってな。その技術書はその時に南田も使っていた。」

 そっか…。飯野さんは大学生の南田さんを知っているんだ。

「どんな学生でした?」

 何気ない質問だった。それなのに飯野は目を丸くした。

「あやつはあぁいう風だから誤解しないでやって欲しいが。色々とあったみたいだ。それでも熱心に勉学に励んでいたぞ。その技術書がボロボロになるほどに読んでは書き込んで。」

 ボロボロに…なるほどに?

 華の手の中にある技術書はピカピカだ。

「これ…南田さんが使っていたやつで、もう必要ないからって。」

 飯野は、やれやれという顔をして技術書の背表紙を指差した。

「わしは老眼でダメだ。ここら辺に書いてないか?」

 背表紙の辺りをよく見ると裏面に増版と小さく書かれていて何度も増版されたことが分かる。そこにこの本の増版された日にちが書いてあった。

「え?これって…3ヶ月前…。」

 3ヶ月前に増版された本を大学の時に使えるわけがない。急いでページを開いてみると新品でページは固く、折り目さえついていない。そして開いたページからは新品の本、独特のにおいがした。

「気づかないフリをしておいてやるのも嬢ちゃんの優しさだ。」

 にっこり笑う飯野は昨日の続きから丁寧に教えてくれた。


 気づかないフリも優しさかぁ。

 華は複雑な思いで食堂へ向かっていた。そしてペアになる前のことを思い出す。

 わざわざ私のために焼肉屋じゃなくイタリアンの可愛いお店を選んでくれたり、最初に鍵を渡そうとした時も…。そのことを思い出してクスリと笑った。スペアじゃなくて自分のを渡そうとしたっけ。

 そもそも前に仕事のアドバイスをもらった時は分かりやすくて普通だったんだけどなぁ。どうして今はこんなに厳しいんだろう。

 答えが出ないまま華は可奈と合流した。


 今日の可奈もまた変なことを話し出す。

「南田さん残業を極力やらない主義なの知ってるでしょ?」

 それはもちろん知ってる。「残業する奴は無能」の言葉が頭を巡る。

 だいたいなんで毎日のように南田の話をしながら昼食を取らないといけないのか華は抗議したい気分だった。

「もう南田さんの話はいいよ〜。他の話にしよう。」

「華ちゃんが南田さんはいい人って分かってくれたらやめる。」

 なんでそこまで…。可奈はサバサバした性格だ。そんなにこだわるのも珍しい気がした。

「華ちゃんは誤解してるでしょ?」

 私の周りにいる人はみんな南田さんの味方なんだから…。はぁとため息をつくと可奈が気の済むまで話させようと口をつぐんだ。


「ペアの制度が始まった時に華ちゃんフラフラだったじゃない?」

「うん。あの時は大変だった。」

 つい何日か前なのに…。でもその時と違って確かに今は寝不足とは無縁だけど、精神的苦痛とどっちがいいかって話じゃない?と心の中で抗議する。

「その時に、私が華ちゃんに対しての派遣の人の対応にプリプリ怒ってた時に、南田さんが来たの。」

 可奈ちんのところに?へぇなんだろう。

 可奈は一呼吸置いて続けた。少しモノマネを入れて話し出す。

「吉井さんの友人は疲労困憊がはなはだしいんじゃないのか?」

 ヤダ!似てる!…そうじゃなくって。なぜわざわざ可奈ちんにそんなことを…。

「私は、そうですよね!って派遣の人への不満とかペアの内川さんも何もやってくれないとか、色々とぶちまけたわけ。」

「ちょっと!内川さんは別に…。」

「もう!華ちゃんはお人好しなの!」

 よく分からない理由で怒られてまた可奈の話を黙って聞く。

「そしたら、ここまで同意見の人だとは驚愕の事実だ。ってボソッと言って去って行ったんだけどさ。」

 なんなんだろう。結局は何が言いたいんだろう。南田さんも可奈ちんも。

「南田さんが去り際に、昨日も11時だった。って言ったのが聞こえたの。で、調べました。」

 なんのことか分からなくて、きょとんとしていると可奈は鬼の首でも取ったように発表した。

「その日の南田さんが言った昨日。華ちゃんの退勤時間が11時!」

「はぁ。」

「はぁ。じゃないよ!華ちゃん!南田さんは華ちゃんを心配して退勤時間までチェックしてたんだよ!」

「う〜ん。心配?」

「そりゃそうでしょ。それにその次の日からペアが変わったんだよ!きっと南田さんが部長に直談判したんだよ。」

 アハハハハッ。可奈の突拍子もない意見に華は笑えてしまった。

「もう!可奈ちん想像力が豊か過ぎだよ。」

「信じてないの?どうして?」

「だってあり得ないんだもん。」

 華の全く信じていない態度に可奈は顔をむくれさせた。絶対にそうなのにーと文句を言っている。

「でもさ。南田さんの最近の出勤と退勤の時間を見てみてよ。華ちゃんを残業させないために南田さんが頑張ってくれてるんだよ。」

 ウソ…。そういえば朝は早くから来ていた。帰りも遅いってこと?

 でも昨日は鍵を渡されて…素直にマンションに行ったら、帰りが遅ければ私に残業してることバレちゃうよね?っていうかそもそも私に残業してることを隠さなくてもいいわけで…。

 さっきまで笑い飛ばしていたのに、急にごちゃごちゃの頭を整理できないまま華は席に戻ることになった。

 知らないフリをしておいてやるのも優しさ。と言われた飯野の言葉を何故だか思い出していた。

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