第16話 見ちゃう?
華の会社は名札代わりに社員証を首から下げている人がほとんどだった。中にはピンで服に留めている人もいるが、出勤と退勤の時に専用の機械にカードをかざすため首から下げている人が多い。その機械にかざせば出勤と退勤を自動で管理してくれていた。
それらは社内の人間なら誰でも誰のものでも確認できた。
華も可奈に言われて気になって調べたかったが、常に南田が隣の席にいて確認することは不可能だった。
ま、いっか。今日、マンションへ行けば分かるかもしれない。
行くつもりなど全くなかったマンションへ向かう決意をして、仕事に集中することにした。
なんとか定時までに自分が頼まれた仕事を終えることができた華は「帰れ」と言われなくても帰れる状態だった。でも…。
「南田さんの仕事で何かやれることはありませんか?」
だって、ほぼ付きっ切りで教えてくれている。厳しいけど、厳し過ぎるけど、やっぱり面倒見がいいというか…。
心に「優しい」の言葉が浮かんで、いや、それはちょっとないんじゃない?と否定した。
南田は案の定の答えだった。
「君は帰れ。」
こんなの想定内。でも…。
「私たちはペアなんですよね?だから南田さんは私を指導してくださるわけで。そしたら私が頼まれた仕事を早く終えた時は南田さんの仕事をお手伝いするのが…。」
最後まで言う前にパソコンの方へ向いてしまった南田に、やっぱり無理なのかぁと肩を落とした。
パサっ。紙が数枚こっちを見もしないで渡された。
「そのデータを開いてみてくれ。」
目を丸した華は渡された紙をつかむ。
「…はい!早急に。」
「この辺で明日にしよう」と終えたのはまだ7時くらいだった。それでも華が知る限りで南田にしては遅かった。
自然に一緒に会社を出ると、じゃと会社の前で別れた。
なんでこっちが行こうとしている時は何も言ってこないのよ!
憤慨する気持ちで別れた華は、ふと鍵を持っていたことを思い出す。
そうよ。たまには私が尾行でもしてみよう。
探偵気分にウキウキして、くるりと来た道を戻ると南田を探した。
南田はすぐに見つかった。特に寄り道をすることもなく帰るようだ。
時折、公然とキス税の認証をする人を見かけると、はぁとため息をついているように見えた。遠目でどんな心持ちなのかは分からない。だいたい近くにいたとしても無表情の南田の気持ちは分からないのかもしれない。
「剛志!!お前は騙されてる!」
怒鳴り声に驚いてそちらを見ると男女のカップルらしい人と、もう一人の男の人がいた。怒鳴り声はカップルの男に向かっていた。何か怒っているようだ。剛志と呼ばれた男は女性を庇うように立ち、反論する。
「そんなことない!俺だけに彼女ができたからって、ひがみだろ!」
「馬鹿を見るのはお前だぞ!そんな女、ハニートラップに決まってる!俺たち反対デモしてたからだ!」
そう聞こえて見てみると確かに不男に美女という不釣り合いに見えた。前に会社で噂していたハニートラップなのだろうか。
南田も足を止め見ていたが、興味が失せたのかまた歩き出してしまった。華も離れたところからそれを確認すると、騒動の結末が気になりつつも歩き始めた。
マンションの近くまでつけてきた華は、さすがに勝手にマンションに入っていいのか迷っていた。するとコンビニへ寄った南田に意を決して、頃合いを見計らい華もコンビニへ入った。偶然を装って。
「な…。どうして君が…。」
こんなところにいるんだと言いたげな顔が動揺しているように…見えない無表情だ。
南田のカゴには夕食にするのかサラダとパスタが入っていた。
OLかよ!と、つっこみたい言葉を飲み込んで自分もパスタとサラダにデザートも選ぶ。怪訝そうな顔のまま、でも先に帰ろうともしない南田がおかしくて笑えそうになってしまう。
レジに行くと当たり前のように「一緒に」とお金を払ってくれるようだ。それなのに「袋は別で」と言われた。
本当にたまたま通りがかったと思ったのかな。でも私のアパートがどこかも知っているはずだし…。
お会計は甘えることにして、コンビニを出た。南田はまた同じ言葉を口にする。
「じゃ。」
華はマンションにお邪魔させてくださいとも言い出せずに、やるせない気持ちで自分のアパートの方へ足を向けた。
「おい。」
後ろから呼び止められると、ため息混じりに「来いよ」と言われた。
何よ。私がどうしても来たくて押しかけたみたいじゃない…。
文句を言いたい気持ちを抑えて南田の後に続いた。
玄関に入ると南田は、はぁーっと盛大なため息をついた。そんなに今日は呼びたくなかったのかと落ち込んでいると振り返った南田が近づいて来る。なんとなく後退りしてもすぐ後ろのドアに阻まれた。
忘れてたわけじゃないけど…認証…。
顔をのぞきこまれて目が合うとドキッとする。わざとなのかと思えるほどに、ゆっくり近づく顔に余計に緊張した。
すぐ近くまで迫った顔がフッと息を漏らして「目は閉じないのか?」と言うのに目を離せなかった。
「まぁいい」とつぶやいたくちびるはすぐ近くで、言葉を発する度にかかる息にドキドキする。目を閉じるとそっと柔らかくくちびるが触れてすぐに離された。
ピッ…ピー。認証しました。
華は音とともに崩れるようにその場に座り込んでしまった。つかもうと差し出した南田の手が空を舞う。
「大丈夫か?しかし…しばらくここにいてくれ。」
そういうと華を置いてリビングの方へ行ってしまった。
玄関に認証の機械があるのは、いってらっしゃいのキスをするためなのかな。そんなことが頭に浮かんで余計に恥ずかしくなった。
しばし待っても南田は戻ってこなかった。どうしたんだろう。何か私に見られてはいけないものが?いやいや。それならそもそもマンションに呼ばなければいいわけで…。
考えていても答えの出ない華はリビングのドアに手をかけた。
南田さんならドアの向こうで、はた織り機で着物を織っていても驚かないかもね。鶴の姿で「決して見ないでくださいと申しましたのに…」って。
思い浮かべた想像にフフフッと笑うとドアを開けた。
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