第8話 訪問する?
朝。テレビをつけると南田が言っていた装置の特集をしていた。
「キス病については不特定多数の人とキスをしないことはもちろんですが、検査することも大切です。」
アナウンサーが分かりやすい写真やグラフを前に話している。
「そこでキス税を認証するシステムの開発をした企業が、新たにキス病の検査をする機械も開発をしました。」
画面が切り替わるとキス病の抗体があるかどうかをチェックできる機械を実際に街の人が使う映像が流れた。
「簡単ね」「あ、抗体がある。良かったぁ」など街の人の反応は様々だった。
「このように手軽に検査できるこの機械は街の認証システムの近くに設置される予定です。」
アナウンサーの言葉で締めくくられた特集は次の話題に移っていた。
別の番組に変えると、そこでは「予防接種でキス病の抗体をつけよう!」という特集だった。子どもの頃に抗体を作った方が軽くすむため「早めの予防接種を!」と案内する言葉も流れていた。
ここまで徹底的に対策をしたら、キス病をネタに反対していた反対派の人はやり返せなくなっちゃうだろうなぁ。
少し残念な気持ちで華はテレビを消した。
南田に渡されたマンションの住所が記された紙。それを頼りに華は南田のマンションへ向かっていた。スマホも携帯も持たないという南田に驚きながらも、納得できる理由が南田らしかった。
「そんなものに縛られたくない。」
ゴーイングマイウェイを地で行く人。華は少しうらやましかった。
自分の意見はあるような…でも流されてしまう自分。南田とのことも流されてここまで来てしまっている。このままでいいのかな。そんなことをたまに思っても、結局は何も変えられないままだった。
丁寧で几帳面そうな字で書かれた住所にたどり着くと、早くも帰りたい気持ちだった。そこは高級マンションだったからだ。
でももうすぐ待ち合わせの時間。連絡手段もなく、無断で帰ってしまえば、後々、何を言われるか分からない。
帰る勇気も出ずにインターホンを押した。
部屋に上がると外観に引けをとらない品のある豪華さ。広いリビングは何帖あるのか考えるのも嫌になる。全てに手が届くワンルームに住む華にとっては居心地が悪いことこの上なかった。
「適当に座ってくれ。」
そう言った南田は自分の家だからなのか、リラックスして見えた。話す言葉も今のところ普通だ。
それにひきかえ、華は小さくソファに座った。
「何か飲用するか?」
グラス片手の南田に飲み物を勧められたことが分かる。やっぱり話す言葉は普通じゃないけど。
「おかまいなく。」
どうにも居心地が悪く、華は鞄を膝に乗せたまま小さく座る。その様子にため息をついた南田は「待ってろ」と部屋を出て行ってしまった。
しばらくして部屋に戻った気配を感じると、戸惑う間もなく後ろから手を回されてうつむいていた顔を上に向けさせられた。
「え?」と目を見開いたままの華の顔に覆い被さるように南田の顔が近づく。ゆっくりと重ねられたそれは、僅かに触れただけで離された。
壁の機械から「認証しました」との音が聞こえた。
すぐにキッチンの方へ立ち去った南田が「後で指紋認証しておいてくれ」と声をかけた。
一瞬の出来事に頭の整理が追いつかない華は、顔が赤くなるのを感じていた。今回は頬に眼鏡が当たらなかった…と、どうでもいいことが頭を巡る。
昨日アパートに帰ったあと、南田の眼鏡が頬に当たる感覚と「君の体が僕を忘れられないように、僕から逃れられないように…嫌でも求めるようにか?」の言葉が思い出されて、転げ回っていた。
そして突然ばかりだった時と違う自ら受け入れたキス。その感触と漏れた南田の吐息まで思い出し、ますます転げ回った。
その上で「捕食」の意味。
一緒にいない時でさえ振り回されっぱなしの華は、今日こそは振り回されないぞと決意してきたのに、これである。
「せっかく招き入れたのに今にも凝固してしまいそうな客人をもてなすのも心苦しい。」
飲み物が入ったグラスを華の前に置くと自分もソファにかけた。そしてテーブルにポケットから…スマホを出して置いた。
華は目を丸くして南田を見る。
「え?…持ってない…って。」
「あぁ。君を口先で丸め込むのは容易いな。連絡先を教えていたら理由をつけてここには来ないだろう?」
置かれたスマホを見て、動画を見せられたことまで思い出す。寝言の…動画…。
あんな動画を撮られて見せられたことまで忘れていたなんて…。
悔しくて鞄を握りしめると立ち上がった。
いつも自分だけ緊張して、いつも自分だけジタバタして、いつも自分だけ…。
「もう契約したこともちゃんと…実行されましたし、帰ります。」
華は南田を見返すこともなく玄関に向かった。
「待ちたまえ。認証…していけよ。」
壁の機械を忌々しく見て、怒りに任せて帰りたかった気持ちを失わないように無言で機械の方へ向かった。
機械は家族向けの自宅用で、家族の指紋認証を事前にしておけば、認証範囲の届くところでキスをするだけで認証された。わざわざ機械に毎回指紋認証する必要がなくファミリーに好評な機械だ。
「これ…。私じゃパスワード分かりません。」
来客などへのセキュリティのためにパスワードを入れる必要がある。その安全面でも評価が高かった。
「あぁ。入力しよう。」
南田は機械のところまで来ると入力した。それを見ないように背を向けて入力を待つ。
「そんな大事な機械に家族でもなんでもない私が登録しちゃって大丈夫なんですか?」
「律儀だな。君は。」
手を取られ…認証と登録をされた。登録の名前は奥村華と入力されていた。
「ここは父の所有するマンションだ。」
「なおさら…。」
戸惑う華を一瞥するとまたソファへ戻ってしまった。
「父は建築士でね。ここは父が設計したマンションなんだ。いちユーザーとして使い心地を確認して欲しいと言われて住んでいるだけだ。」
や、やっぱりお坊ちゃまってことじゃない。ますます動揺する華に南田は続ける。
「家族を対象にしたマンションだ。僕では…僕だけでは使い心地など分かるはずもない。君は…ここに住む気は…。」
「ないです!」
これ以上かき乱さないで!
「そうか…。」
声が僅かに寂しそうだったのは気のせいなのか、華にもよく分からなかった。
帰るタイミングを完全に逃してしまった華に「突っ立ってないで着座すればいい」とソファを指した。
「せっかく認証も終わった。この後…今日1日は緊張することもない。」
気遣ってくれているのか分からないまま、華はソファに戻った。
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