第6話 緊張する?
南田のペースに巻き込まれないように、先手を打って華から話し出した。
「前から聞きたかったんです。そもそもどうしてこんな提案を?」
グッと黙ってしまった南田に、そんなに聞いてはダメな質問だったのかと不思議に思った。
行動はおかしいけれど彼なりの正当な理由とかを延々と述べそうなイメージだった。それを受け入れられるかどうかは別にして。
「それは…。人命救助だ。」
人命救助って…。
「私、死にそうでした?」
「それはそれは生命の危機を感じた。」
あの時の私って、そんなに悲愴感を漂わせていたのかな。それにしたって南田さんには関係ないはず。
「南田さんの得になるようなことは少しもないんじゃないですか?」
「…無能な心証を与えるのは心外だ。些か許容できない。」
話の半分も頭に入ってこない…。南田さんと話すのには通訳アプリが必要だわ。南田さん専用の。
「誰に無能なんて思われます?政府は税金さえ払えば文句ないと思いますけど。」
「君は知らないのか。我が社が大沢議員の派閥と深いつながりがあることを。だからこその開発、製造だ。」
キス税を認証する機械を南田は親指でさす。
その噂は聞いたことがあった。でなきゃこんなに大きな仕事を受注するのは難しい。いくら大きい会社だとしても。
「それとこれとは別じゃないですか?」
「…。まぁそのうち君の理解も進むだろう。それよりも重要なのは契約の締結だ。」
結局、はぐらかされた気しかしないけれど、どうやって南田の理論武装を崩せばいいのか華には分からなかった。
「まず君には不特定多数の者との接触は避けて欲しい。」
君にはって…。接触ってキスのことを言っているんだよね…。
「南田さんはいいんですか?」
「無論、僕もだ。」
そこはさすがにそうよね…。いいのかな。契約中は私以外とはキスしないってことなのに。でも…。
「好きな人ができたらどうするんですか?」
「それは…。」
思いもよらない質問だったようだ。しばらく沈黙が続いた後に南田は口を開いた。
「無論のこと。懸想人が現れたら契約は解消しよう。」
もう暗号のようにしか聞こえないけど好きな人ができたら契約は解消ということだろう。それはそうよね。そう思うのに胸が少しチクッとした。
「不特定多数の人と接触しなくても、既にキス病の抗体を持っていたら、なんの意味もないですよね?」
華は当然の疑問をぶつけた。キス病のことはなんとも思わないのかな。
「そこは当然の礼儀として検査済みだ。」
「え…。私は検査なんてしてませんけど…。南田さんの結果はどうだったんですか?」
「陰性なのは言うまでもない。」
「陰性ってどっちが陰で陽なのか分からないです!」
この人、本当に頭いいのかしら。頭いい人って分かりやすく説明できるものじゃないのかな。だいたい。南田さんだって仕事のアドバイスをくれた時は普通だったのに。
「抗体を持っているわけがない。」
「日本人の90%ですよ?本当に10%の方なんて。…そんなことより私が抗体を持っていたら感染するんですよ?大人になってからだと重篤化するって…。」
「そうだとしたら幸甚の至りだ。」
南田がボソッと言った言葉は小さくて聞き取れない。という問題ではなく全くもって理解できない単語だった。
「大事なことです。きちんと話し合えるように難しい言葉を使うのはやめてください。」
「もう遅緩だと言っている。既に何度かしているんだ。感染しているのなら既にしているはず。考えるだけ無駄というものだ。」
「ちかん?」
…ちかん…痴漢?
眉をひそめた華が何と勘違いしたのか分かったような苛立った声がした。
「遅緩だ!遅く緩やかと書く遅緩!」
やれやれとため息をつく南田に、華は頭が痛くなりそうだった。
やっぱり南田さんと普通に会話なんて無理!
「そういえばそのことについては、ずいぶん前に会社に報告してある。」
そのことがどのことか分からない…。
「キス病の抗体を持っているか手軽に検査できる機械の開発が必要ではないかと。既に試作品を発表できる段階だ。」
こういう機転の利き方が有能たる所以なのかな。
「明日のニュースではそのことが取り上げられるだろう。」
散々、議論をしていたせいで、すっかり注文を忘れていた。華はメニューを開く。
「お腹空いちゃいました。何か食べませんか?昨日ご馳走してもらっちゃいましたし、ここは私が払いますから。」
華の話を聞いていないのか、南田は無言だった。その無言の顔はすぐ近くにある。
「な…どうしました?」
急いでメニューで顔を隠すと、南田にメニューを取り上げられた。
「食べてからでは気になるようだったので、その前に認証したい。」
どうしてそういうことを無表情で言えるのかな…。理解したくない内容の時は理解できる言葉だったりするし!
「まだ契約は締結していないと思います。」
わざと南田の言い方を真似て発言する。
「締結していないとは…いかなることだ。」
華は息をついて動揺しないように努めて口を開く。
「まず、所構わず…はやめてもらえますか?」
もう毎日南田さんとキスをするのは諦めた。今は付き合ってる人がいるわけでも、好きな人がいるわけでもない。変な人だけど南田さんのこと憎めないし。でも、自分の意見もちゃんと言っておかないと…。
「それは理解している。」
そうだよね。きっとその配慮が会社帰りの個室なんだろうから。
南田は眼鏡を外しながら、また近づいてくる。
「これも外した方がいいことは理解した。」
華はドキッとして声が上ずる。
「でもそれじゃ今からしますよ!って宣言されてるみたいで嫌です。」
はぁとため息をついた南田は、理解できない。昨日は眼鏡が…と言っていたじゃないか。と言いたげだ。
「では、どうするのか。」
「そんなの私が分かるわけないじゃないですか。眼鏡かけた人とキスしたことなんて…。」
眼鏡をかけ直して顔を上げた南田が、また近づきながら話し出す。もう先延ばしにする理由が見つからない。
南田さんとキスするのは諦めたなんて本当にそれで良かったのかな…。そんな思いがグルグル回る。
「なるほど。…では阻害するのは否めないが、かけたままにしよう。その方が嫌でも僕を思い出すだろう。」
近くなる顔から発せられる声が僅かに甘い気がして余計にドキドキする。
「どうしてそうなるんですか。」
「どうして…。」
答えを模索するように、考えるように南田は口を開いた。
「君の体が僕を忘れられないように、僕から逃れられないように…嫌でも求めるようにか?」
「なっ…。」
疑問系で言われた言葉に顔が熱くなる。な、なんかすごくエッチなこと言われてる気がするんですけど!
近づいていた顔はもう触れてしまいそうなほどに近くにあった。華はドキドキを隠すように目を閉じた。
フッと漏れた息が華のくちびるにかかると、そのまま重ねられた。頬に眼鏡が当たる。そっと触れるくちびるは柔らかく、その隙間から漏れる息が華に伝わって胸をキュッと締め付けた。
南田は華の手を取り、認証させた。
「体がにわかに硬直をしている。呼吸も僅かだが荒いようだ。声も上ずっていた。手の震えもある。緊張が現れているようだ。」
顔を離した南田は無表情で華の身体症状を報告する。
「言われなくても分かってます。だから毎回緊張しなくてすむようにしてください。」
華の言葉に何度か頷く。
「そうか。それは配慮に欠けていた。次回からは気をつけよう。」
次回から…。まぁもう私もする前提の話し方しちゃってるしね。
それにしても、全く動じない南田に華はまた胸をチクリとさせていた。
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