第5話 感染する?

 今朝テレビをつけるといつもと様子が違った。

『キス税のせいでキス病が多発か!?』

 画面の右上に大きな見出しが出ている。主張しているのは反対派の人のようだった。

 昨日の賛成派の人に負けず劣らずフリップを持って意見を述べている。

「このグラフをご覧ください。キス税が施行されてからキス病が多発して感染患者が増加しています。」


 キス…病?華の疑問に司会をしていたアナウンサーが話し出す。

「それでは佐藤議員がただいま問題提議したキス病とは何かが分かる映像をご覧いだだきましょう。」

 画面が変わり内科の名医らしい人が白衣姿で解説する。

「キス病とは正式名称は伝染性単核球症といいます。唾液を解して感染して、主にキスからの感染が多いためキス病と呼ばれています。」


 この情報いいかも…。これを理由に南田さんの申し出を断れば…。

「…日本人の約90%が抗体を持っていますが、成人後に感染すると重篤化しやすくなります。」

 90%…。そんなのほぼみんな抗体を持ってるってことじゃない。その事実に肩をガックリと落とす。でも…南田さんは10%の方かもしれない。そう言えば考え直すかも。

 いちるの望みを持って華は出勤した。


 華はここ何日かで分かったことがあった。南田は職場では顔色ひとつ変えないで (元々が無表情ではあるが) 華に一切話しかけてこなかった。通路ですれ違おうとも、食堂でたまたま見かけようとも。

 それはこちらとしてもありがたかったが、やっぱりからかいたいだけなのか、よく分からない心境になった。


 仕事は忙しく、設計の部署は繁忙期になれば誰もが長時間残業は当たり前になる。そんな部署で早めに帰る南田はやっぱり噂の的だった。

 そんな南田のことを食堂で華と一緒に食事をする吉井加奈が話のネタにしていた。加奈は華と同期で同じ部署だった。


「南田さん。あれでエリートなのよ。いつも早く帰っちゃうのにね。南田さん◯◯大学出身でしょ?うちの会社そこの大学出身の派閥が強いからね〜。」

「エリートかぁ。大学も有名大学だしね。そりゃエリートかもね。」

 華は「残業する奴は無能」の言葉が胸に浮かんでズキッとする。

「派閥なんて関係なく南田さんはすごいと思うよ。」

 すごいと思われることが多い反面、異例な行動を取ることも多い南田は反感を買うことも多かった。そんな中でも加奈は南田のことを認めていた。


「早く帰るのって彼女がいるからとかかな?いいな〜南田さんの彼女なんて。誰も見たことない笑顔を見てるのかもね。素敵だろうなぁ。南田さんの笑顔。」

「もう。加奈ちん彼氏いるでしょ!」

 加奈は小柄で華奢な体型に加えて、華から見たらお人形かと思えるほどに可愛い顔をしていた。それなのに性格はサバサバしていて、そのギャップが華は好きだった。

「それはそれ。これはこれ。だいたい他の男どもが使えなさ過ぎるのよ〜。それなのに高給取り!」


 華たち短大卒は一般職。南田などの大学卒は総合職。それによって給料にも差があるらしかった。実際に大学卒の人に聞いたわけではないから定かではないけれど、聞いても虚しくなるだけだ。

「華ちゃんは今、彼氏いないんでしょ?もったいないよ〜。南田さんなんてオススメだよ!」

 ブッ。加奈の言葉に華は飲んでいたお茶を吹き出した。

「きったな〜い!」

 華はハンカチで拭きながら抗議する。

「ゴメン。でも加奈ちんが変なことを…。」

 加奈の後ろの席で食事が終わったらしい人が立ち上がった。その人が視界に入って華は絶句する。南田だった。華だけに分かるように軽い会釈をして去っていく。

 いつ…から…。でもあの会釈…。絶対に良いこと聞けたって意味!いつも完全無視だったくせに。


 華の動揺を知る由もない加奈は話を続けている。

「華ちゃんはキャリアアップ試験を受けるんでしょ?すごいなぁ。」

 入社してから一般職と総合職のあまりの違いに試験を受けることにした。難しい試験らしくて新人で受ける者はいないと聞く。

「一般職の子は帰っていいよって言われるとちょっとね。」

「そんなの、ラッキーって帰ればいいんだよ。華ちゃんは真面目だなぁ。」

「そうなんだけどさ…。どうせ腰掛けなんでしょ?って言われるのもさぁ。」

 腰掛け…。一般職の女の子は結婚相手を見つけるために就職して、結婚が決まればすぐ辞めてしまうことへの嫌味だ。仕事は結婚までのちょっと腰掛ける程度ってこと。

「本当に腰掛けにしちゃえばいいの!あ、いけない!私、午後から会議室の準備するんだった!先に行くね!」

 バタバタと去っていく加奈を見送る華は、はぁとため息をついていた。


 午後からの仕事はなんとなく集中できなくて、急ぎの仕事もなかった華は帰ることにした。

 昨日は南田さんをすんでのところで回避したけど…。南田さん、特に何も言ってこないなぁ。何度かからかったから、もう飽きたってことかな。


 会社を出ると急に寒くなった気温に身震いをしてマフラーに口の辺りまでうずめる。暖冬って言ってたのになぁ。

 近くでカランカランと音がしてカフェから誰かが出てきたことが分かった。

「今日は迅速な対応をしたようだ。」

 華の隣を南田が当たり前のように歩く。う…カフェから出てきたのって南田さん?苦々しい気持ちを顔に出さないように努める。

「南田さんには関係ないことです。」

「話し合いが必要不可欠だ。まだ契約を締結していない。」


 どうしてついてくるんだろう。だいたいカフェで待ってたってこと?それってストーカー被害を提出できないのかな。わざわざ待ち伏せしなくたっていいのに。

「連れて行きたいところがある。」

 華の返事も聞かずに早足で前を歩く。急に普通に話したり、そうかと思うと難しい言葉で話したり…。調子狂っちゃう。

 ついていく義理はないのだが、意見を言うことさえ面倒で黙ってついていった。


 連れてこられたのはイタリアンのお店だった。通されたのはまた個室。もちろんキス税を認証する機械がそこにはあった。

「昨日は醜態をさらした。女性を連れて行く店ではなかったようだ。昨日の店は大学の後輩なんかを連れて行くと喜ぶんだ。いや…言い訳に過ぎない。」

 ヤダ…。この人…可愛いかも。華は笑ってしまいそうになるのをどうにか抑える。

 今日のお店は女の子受けしそうな可愛らしいおしゃれなお店だった。


「契約のことで議論を交わしたい。」

 議論ね…。あくまで契約。いいんだけどさ。

「私もそのことで言っておきたいことができました。キス病について…。」

「あぁ。そのことなら承知の上だ。」

「知って…。」

「君は今朝のニュースで知ったのか。最後まで視聴してないのだろう?キス病は不特定多数の人物との接触が特に問題視されている。」

 不特定…多数。

「その点では僕も君と重要な取り決めをしたいと思っていた。」

 やっぱり契約は免れられないのかな。でもどうして契約しなくちゃいけなくて、そして私はどうして頑なに拒んでいるんだろう。

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