第14話

 通りでいちばん日当たりのいい交差点からすこし下った、こぢんまりした一軒家。少し前まで頑固な老父が理髪師をしていたそこは、最近看板をかけ変えたらしい。

 工場帰りの娘たちが、真新しいショー・ウインドウ前に群れ集まっている。どうやら店員の青年と話し込んでいるようだ。

「へえ、それで、郵便夫をやめて服屋を始めたっていうの?」

「そうなんだよ。人生、何があるかわからんなあ。親切な若旦那と知り合って、いろいろ教わりながら一緒に店をやることにしたんだ。よかったらきみらもまた寄ってくれよ。なんだかよくわからんが、きれいなのがいろいろ置いてあるよ」

「リュスったら、自分の店が売ってるものを、よくわからなくて大丈夫なの!」

 にこにこと彼女らに応える店員――リュシアンは、入り口近くの椅子に座り、接客案内に専念しているようだった。くるくると元気よく表情を変え、人懐こく世間話に相槌をうつ彼は、自然に人を惹きつける。そして、彼自身も気づかなかったことだが――趣味のいい生成りのシャツに革小物、流行りのジャケットをぱりっと着こなしたリュシアンは、実に魅力的な好青年だった。

「はいはい! おじょうさん、うちになにか用かい。おれにできることなら、なんでも!」

 屈み込んだ目線の先には、母親らしき婦人に連れられた少女が、店の様子を伺っている。婦人の影に隠れながら、少女はおずおずと口を開いた。

「あのね、ここ、ムッシュの首かざりはあるかしら」

「ムッシュの……首かざり?」

「ブローチで留める仕組みのタイのことですわ。私たち、主人への贈り物を探しているの」

 リュシアンの頭上から婦人が補足する。つば広の帽子、空色のスカーフに花をかたどった腕輪。香水のにおいもある。どこか上流の家の奥さんだろうか、とリュシアンは思った。

「パパは明日がお誕生日なのよ」

 少女も脇から口をはさんだ。そういうことなら、とリュシアンは二人を店内へ招き入れる。この手の具体的な相談事には、彼よりもっと適任がいるのだ。

「アディ! きみの知恵を貸してくれ。旦那さんへプレゼントがしたいんだと!」

 ついと顔を上げたアデルに、店内が息を飲む。

 実のところ店の繁盛の原因は、リュシアンの頑張りだけにあるわけではなかった。彼の明るい雰囲気に惹かれ、ガラスケースを覗き込んだ女たちの中には――浮気心ついでに、奥の作業台で佇む、この黒髪の美青年に興味を持ったものも大勢いたのである。

「品選びの相談かね。贈り物には何を?」

 頬にかかった髪をかきあげ、長いまつげを瞬かせるアデル。立ち上がった拍子で胸元のタイが揺れ、紫水晶のブローチが陽光にきらめく。

「すてき! ママン、これ、これがきれいよ! この紫のと同じがいいわ!」

 少女はたちまちブローチに目を奪われ、歓声をあげた。嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる少女を、たじろぎながらもアデルがたしなめる。

「待ちたまえ、プティ・マドモアゼル。贈り物ならば、そう簡単に選んではいけない。僕と君の父上では、似合うものも違うだろう」

 まだブローチから目を離せないまま、少女は丸い目をぱちくりさせた。あまりぴんとこなかったようだ。ただどうやら自分の要求は通りそうにないらしい、と悟った彼女が頬を膨らます……その直前の一瞬。

「よし、じゃあ、おれたちみんなで一緒に、きみの父ちゃんに似合うものを考えようぜ!」

 リュシアンは彼女の前にさっとしゃがみ込み、とびきりの笑顔を見せた。


「えっと……あのね、パパはとっても背が高いのよ。青い目に栗色の髪をしてるの、すごくハンサムなのよ!」

 父ちゃんはどんな人だい、という問いかけに、虚を突かれながらも懸命に答える少女。

「ふむ、たとえば、瞳は君のような……。それならやはり、僕のつけているカメオより、真鍮のモチーフブローチかラペルピンの方がよさそうだ。マダム、もし差し支えがなければ、御主人の職業や普段の服装を教えていただきたいのだけれど……」

 アデルと視線を交わし、リュシアンが二人を案内する。飾り棚下段の引き出しの中には、用途別に金属製の装身具類がまとめられているのだ。

 婦人から話を聞きながら、アデルは次々と商品を手に取り見せてゆく。しばらくすると少女は、翼を広げた鳩をかたどったピンブローチを気に入ったようだった。

「これにするかい?」

 元気よく頷く少女と、満足そうに眺める婦人。アデルとリュシアンも再び顔を見合わせ、力強く微笑んだ。交渉、成立だ。


 *


「やった、ああ、なんてことだろう! リュシ、見ただろう、僕たちの店へあんなにたくさん……! はははっ、すごいぞ、こんなにうまくいくなんて!」

 店じまいの支度をしていたリュシアンのもとへ、奥からアデルが駆け寄ってくる。ぶつからんばかりの勢いでやってきた彼は、興奮に声を上ずらせていた。

「千回ベーゼしても足りないくらいだよ。こんな気持ち、どうやって君と分かち合えばいいのだろう?」

 頬を真っ赤にし、爛々と目を輝かせるアデル。お客の前では冷静を貫いていたが、今にも先ほどの少女のように、ぴょんぴょんと飛び跳ねてしまいそうな様子だ。リュシアンはしばらく呆気にとられてしまう。

「おれ……おれ、それじゃあ、今日はきみの役に立てたのかい?」

「もちろん、当然じゃあないか。ああリュシ、なによりのいとしい友よ! 君が居てくれてよかった。君とこうして、ともに店をつくることができて……僕は、とても幸福だ」

 昂りのままに勢いよく抱きしめられ、おまけに頬へ キスまで贈られた。呆けたように突っ立っていたリュシアンの心の中へ、喜びに浮かされたアデルの言葉がゆっくりと染み渡っていく。

 彼がずっと、アデルに言って欲しかった言葉だった。慎重で、思慮深くて、リュシアンよりずっと広い景色が見えているはずの彼に、「おまえがいてくれてよかった」と。この大好きな友人が初めて、共に歩む相手に自分を選んだことが、間違いではなかったのだと……。

 胸のどこかに抱えていた焦りが溶けてゆく。なぜだか涙が出そうになって、リュシアンはあわてて笑顔を作った。

「そうか、おれたち、やったんだ! きみとおれの計画は、うまくいったんだな!」

「ああ、リュシ! 僕らはきっとこの街でやっていける。ずっと共に、豊かに生きてゆけるんだ!」

 ようやく二人は同じ強さで抱き合い、同じ歓声を上げた。彼らはその晩兄弟のように、恋人のように――そして、あるいは親友のように、喜びを語らいあった。

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