廃星より弾を込めて 5
ゾラックと別れてから俺は家に帰った。少し仮眠を取る。目が覚めると既に日は沈んでいて、夜になっていた。月明かりを頼りに俺は時計を確認する。
もちろん、この地下世界では太陽も月も見ることが出来ない。俺が言っているのは、地下世界第一四エリアの地下三六階、その天井のパネルに映し出された疑似天体だ。千年以上前にはプラネタリウムというものがあったらしい。これはその超特大版みたいなものなんだそうだ。俺にも詳しくは分からない。
家の奥からワインとグラスを二つ取り出して注ぐ。おそらくこの一杯で中流階級の月収ほどの値段になるはずだ。地上は既に放射線に汚染されて何の植物も育たない。つまりは畑や牧場も全て地下にあるということで、現在地下で暮らしている六億もの人間を食わせていくためには、いちいち葡萄なんて作っている余裕なんて地下にはほとんどないのだ。これが普通に飲めるのは世界中でも一握りの人間、具体的には、年間収入額ランキングで上位一パーセントにいる人間くらいだ。その他はというと、一生飲まないか、何年かに一度記念日に飲むぐらいか、アルコール分の含まれていない模造品で我慢するのか、もしくはリックやアンリが俺にワインをねだるように、金持ちの人間に頭を下げるぐらいしかない。いや、それとも先日アンリの言っていたように、疑似感覚再現機でワインの味を楽しむというのも一つの手なのかもしれない。
何も千年前より希少になったのはワインに限らない。
食糧は現在第二八エリアから第三二エリアまでの五つのエリア、通称食糧エリアで何とかまかなわれている。けれどもそこで作られているのは麦、米、トウモロコシの三大穀物と野菜、豆、それと芋類が雑に育てられているぐらいで、そこに嗜好性の高い食品は一切作られていない。その他肉類や魚などの海産物は各エリアで専用のスペースが少しずつ設けられており、そこからかなりの高値ではあるものの、中流階級の市場に出回る程度には生産されている。
調味料は砂糖と塩のみ。たまに物好きが特製の調味料を作って販売しているが、どれもそれほどメジャーにはなりきれていない。香草やスパイスなんて俺ですら見たことがない。
この地下世界では料理の、食の価値が大きく下がった。何しろ食材の種類が少ないのだ。どう工夫したって出来る料理の数は限られている。過去、俺の知り合いで肥満だった奴はいない。食事はただの栄養補給になり果てたのだ。
「……ただいまです」
陰鬱な声に振り向くとアンリが立っていた。アンリはテーブルの上に二つグラスが置いてあることを確認すると、その内の一つを取って無造作に呷る。
「……わっ、おいしい! ……っていつものより高い奴じゃないですかっ!」
勝手に飲んでおいてうるさいヤツだ。
「お前の分じゃない。第一五エリアの統治機構長官は分かるか? そいつが亡くなったらしくてな、このワインは追悼用だ。……まあ、今お前が飲んじまったが」
アンリが気まずそうに目を逸らす。謝るか謝るまいかで逡巡しているのか、口元がもにゃもにゃしていた。
「別にいいさ。最後には俺が飲むつもりでいた」
もう一杯注いでやる。アンリが小さな声で礼を言った。
「では私も追悼の意を込めて飲むことにします。……先日、自殺志願の少年を助けたことを覚えていますか?」
「ああ」
「帰り道、死体になって転がっていたのを見つけました」
グラスを傾ける手が止まる。内容の意味を理解するまでに少し時間がかかった。
「ロボットが片付けていたところだったので、詳しい死因は分かりません。ですが、あの顔は間違いなく、私たちが助けた少年のものでした」
その言葉を最後にアンリが黙る。俺も話すことがなかったので、そのまま静寂に身を任せた。ただ時が過ぎる。
「……今日のお酒は酔えませんね」
「まったくだ」
夜も更けたので瓶とグラスを片付けてベッドに潜り込む。仮眠を取った所為か眠くはなかったが、他にすることもなかったので大人しく睡魔を待つことにした。
ふと、動いてもいないのにベッドが軋んだ。布団がめくられ、近くから俺とは違う呼吸音が聞こえてくる。アンリが俺のベッドに入ってきたのだ。
「……一緒に寝てもいいですか?」
俺の無言を肯定と受け取ったのか、アンリが俺の手を握る。その手は震えていた。
リックとアンリは二人が五歳の時に両親を失った。エリア七での爆発事故だ。当時、たまたま所用でエリア七に来ていた彼らは、爆発に巻き込まれてあっさりと死亡した。いや、死体はまだ見つかっていないから生死不明か。まあいい。それにより身寄りを失ったリックとアンリだったが、両親と知り合いだった俺が二人を引き取ったことにより、無事生活することが出来ている。二人の旧姓はマッキントッシュ。幸いなのかウィンドウズもマッキントッシュも、共に千年以上前のコンピュータの名前から来ているのだという。考え方によれば名字にそこまでの変化はないということだ。
リックにしてみればアンリが、アンリにしてみればリックがそれぞれ唯一の肉親だった。お互いに互いが大事だっただろう。リックはアンリへの依存が、アンリはリックへの依存が一般人よりも大きかったように思える。
だが、そんなある日にリックがとんでもないものを見つけてしまった。千年以上前の大統領から俺たちに向けて届けられた、地球外生命体についての警告。ニビル、そしてアヌンナキに関する情報が開示されていくと同時に、リックの名前も徐々に世間へと広まっていった。
そしてリックがカプセルを見つけてから二ヶ月後、リックは道ばたで突然射殺された。犯人は確かキリスト教徒だったと記憶している。創造主はエホバ唯一であるのにアヌンナキの存在を語って神を侮辱したとかどうとか、そんなくだらない理由でだ。
たった一人の肉親を失ったアンリの混乱振りは思い出したくもない。時間が痛みを和らげることに成功し、今はアンリもこうして一般的な生活を送れる程度には回復してきている。だが、今日のように身近な人が亡くなってリックのことを思い出したりすると、こうして誰かが側にいないと眠れない程度にはまだ心に傷を残しているのだ。
「……エディさんは急にいなくなったりしませんよね」
「ああ」
俺はアンリの手を強く握り返した。アンリが嬉しそうに体を寄せてくる。
アンリの華奢な体を感じながら、俺はある考えを思いついた。
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