廃星より弾を込めて 1
「ありがとうございましたー」
耳に障るかん高い声を背に受けて、俺は店を後にする。途端に、人の生活音というものが耳を襲ってきて、店の中で感じた蠱惑の世界から、俺は一気に現実に引き戻された。
その所為か、さっき店を出たばかりだというのに、少しの未練を感じてつい店を振り返ってしまう。先ほどの店員はもういなかった。
「あ。エディさん、また娼館に行ってたんですか? もー」
不意に名前を呼ばれた。俺をこの呼び方で呼ぶヤツはもう一人しかいない。俺は店、もとい娼館から、先ほどの声の主、アンリエッタに視線を移す。彼女はこちらに向かって歩いてきたところだった。
「どこへ行こうったって、別に俺の勝手だろう。第一、お前だって似たような所に行っていたようだが」
「うぐ……だ、だから娼館と疑似感覚再現機は別物だって何回も言ってるじゃないですか! 全然、それこそ私と鏡の中の私くらい違うんです」
「……ほとんど同じだって言ってるようなもんじゃないか」
娼館とは名前の通り、金を払う客に対して、人間を模して作られた人形が性的なサービスを提供する所だ。千年以上前は驚くべき事に生身の人間、それも奴隷に近い身分のヤツらが実際にサービスを行っていたらしいが、そんな馬鹿みたいに不衛生なことは今現在行われていない。第一、人形の方がコストも安くつき、利用のあるごとに局部の洗浄や消毒を行え衛生的、なおかつどんな乱暴をしようとも死人は出ないし、何より人間よりも、人形の方が明らかに造形が整っている。今の時代、娼館にわざわざ生身の人間を求めるようなヤツは存在しないのだ。
長い間、ロボット工学にはいつも、『不気味の谷』の問題が付きまとっていた。ロボットや人形の姿が人間に近づいていくと、あるところを境に、それは人間を逸脱した、奇怪で不気味な存在になってしまうというやつだ。そしてその境が『不気味の谷』。
まあこれは知っているヤツは知っている知識だ。だが、その『不気味の谷』を越えて人形を更に人間に近づけていくと、またあるところを境として、今度は逆に人形は、区別がつかないほど人間に近づいていく……といった事実は、ロボット工学が『不気味の谷』を越えるまではあまり知られていなかった。
先ほど娼館を出た俺に礼を言ったあの女も、実はロボットだ。言われなければ気付かないくらい、人間にそっくりだった。
「やっぱり、いつまでも三次元で性の快楽に耽るというのは体力の無駄です。疑似感覚再現機こそ、新しい快楽の道なんですよ」
アンリエッタ―アンリは、胸を張ってその疑似なんとやらを誇る。
「肉体的に疲れることもなければ、設定でどんなことだって可能です。体調が原因で気持ち良くなれないなんてこともないし、生身じゃ絶対に味わえないような気持ち良さだって再現可能。更には相手の顔や体格まで自由自在、シチュエーションや相手の言動まで再現できるんですから」
二人で帰路につきながら、長々とアンリは語る。
「それもその使い道はセックスだけに限りません。禁止薬物の快楽だけを再現したり、千年前の絶滅食材を味わうことだって出来るかもしれないんです。どうですか、これぞ人類の叡智! エディさんも試してみて下さい」
「お断りだな。俺みたいな年寄りには、そういう新しいものにはついていけん。お前だけで楽しんでくれ」
「もぉー、酷いです。エディさんまだ三九歳なのに」
「四捨五入すれば立派に四〇歳だ。この時代じゃあ、もう充分年寄りだろう」
「何言ってるんですか、十の位を四捨五入したら、まだ〇歳ですよ?」
「馬鹿馬鹿しい」
話を切り上げる。どんなに誤魔化したところで、隣を歩くこの二〇歳にはどうしても、こういった活力の面では敵わないのだ。
道を曲がり、大通りに出る。すると、何やら人だかりが出来ていた。目を凝らすと、その中心に白で統一された服を纏う、老齢の人物が立っていた。何やら声を張って、演説らしきものをしている。
「―らが創造主、アヌンナキが我らを救済するその時まで、残された帰還はあと一年もありません! それまでに我々は、祈りを捧げ続けねばなりません! アヌンナキは自らを信仰しないものには迷わず天罰を下すのです。ノアの箱舟伝説を覚えておられるだろうか! 信なき者はノアを嘲笑った者の如く、濁流に呑み込まれることでしょう! だが我々は彼らとは違う! 我々には信じ、祈るだけの余裕がまだ残されている! 今こそ祈るのです! 救われたから信じる、救われないから信じない……そんなことで、一体誰が我らを救済してくれるでしょうか! そう、我々は、信じることで救――」
「行きましょう、エディさん」
老人の言葉を遮るように、アンリは早足でその場を立ち去ろうとする。俺は黙ってその後を追った。
「……『N教』か」
一年前、リック・ウィンドウズが発見したカプセルとその中身は、正式に当時のアメリカ合衆国大統領が遺したものだと判明した。まあ今現在、国家という概念はもう存在していないのだが。
その後研究者たちはカプセルに同梱されていたニビルのデータに基づき、僅か一週間でニビルを観測することに成功した。そして、ニビルの地表に見られる明らかな人工物についても、だ。
人類の創造主が地球外生命体であるとほぼ確定され、それまでに存在したほとんどの宗教は崩壊した。特に西洋では絶対的な信仰を誇る、唯一神とその預言者、息子を崇める類いの宗教の崩壊は酷いものだった。何しろ信仰の、そもそもの根底が覆されたのだ。拠り所を立ち所に失った西洋人その他信徒は、一部が暴徒となり、一部が発狂し、一部が死んでいった。自殺は大罪であると禁止されていたにも関わらず、だ。もちろん信徒全員がそうなってしまったというわけではない。あくまでも狂ってしまったのは一部の信徒だ。だが、その一部の暴走はその他宗教にも波及していき、とうとうその暴走は世界全体で深刻な問題と化していった。
そこで混乱を極める世界の宗教図に、新たな勢力が加わった。
ニビル教。通称N教。パーヴィ・ヤルヴォイが創始者となってつい半年前に生まれた新興宗教で、我々人類の祖先であるアヌンナキこそが聖なる神であり、それを信じ、祈ることで救済されるという、何とも都合の良い解釈を持った宗教だ。
やはり人間とは何かに縋らないと生きていけない生物なのか、表向き救いに満ちたこの新興宗教は瞬く間に信徒を増やし、現在世界人口の約三〇パーセントもの割合をこのN教が占めている。
「あんなのは、まやかしです。どうして祈るだけで、ニビルの彼らは私たちを救ってくれるっていうんですか!」
前を歩くアンリが声を荒げる。今彼女がどんな表情をしているのかが、手に取るように分かった。
「じゃあ……リックは」
そこまで言って、アンリは口を閉ざした。今更何を言っても詮無きことだと、分かっているのだろう。
それ以降黙ったままのアンリと共に、駅へと向かう。
手の平に埋め込まれたチップを少人数用の卵形の車両にかざし、料金を支払うと、ドアが開く。俺たちはそのまま車両に乗り込んだ。口頭で行き先を指定する。
「……ごめんなさい、取り乱しました」
「おう」
ハンカチで顔を拭って、幾分冷静になったアンリが謝る。昔と比べて、大分物わかりが良くなった。あと数年もすれば、立派に感情をコントロールできるようになるだろう。
俺たち人類に、未来というものがあるならば。
『警告、警告。間もなく放射線汚染区域に入ります。指示に従って鉛服を着用して下さい。繰り返します。間もなく放射線汚染区域に入ります。指示に従って鉛服を着用して下さい』
車両が移動を開始して数分、車内にアナウンスが流れた。それと同時に、放射線反射用防護装置、通称『鉛服』が俺とアンリ、その二人分出される。
第三次世界大戦の影響で、人類は地下に居住空間を移さねばならなくなった。しかし年々、地下にも放射線汚染区域は広がってきており、現在平均して地下二〇〇メートル以浅の地域は、こうして『鉛服』を着用しなければ、放射線に汚染されてしまうといった事態にある。こういうわけで、線路の都合により一部放射線汚染区域に入ってしまう電車や、その他公共施設では、何着か『鉛服』が用意されている。
「……毎回思うんですけど、何でこれこんなに重いんですか? 軽量化とか出来ると思うんです、怠慢ですよ」
『鉛服』を着用しながらアンリが問うた。
「それはこの素材が鉛でできているからだ。鉛を軽量化はできんだろう」
俺が答えると、アンリは素っ頓狂な声を上げて驚く。
「ええっ! これ鉛なんですか?」
「……じゃあ何でこいつは『鉛服』なんて呼ばれてるんだよ」
「この服の重さを揶揄してじゃないんですか?」
「確かにそれもあるが違う。鉛は放射線を九〇パーセント以上カット、つまりは反射出来るんだ。だからこの服の素材には鉛が使われているし、『鉛服』という俗称までついている」
「はへー」
ちょっとした講義の間に『鉛服』の着用が終わる。数分の後、車両が汚染区域に入った。
どういうわけか、俺たちは自然と押し黙った。
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