ヒーロー

桜人

第1話

「あなたのことが好きです、付き合って下さい」

「そうか。だが私は君のことが嫌いだ、断る」

「何故ですか? 確か自分とあなたは初対面のはず、そんな相手にあなたは悪感情を抱いていると?」

「それは君にも当てはまるはずだ。初対面の相手に告白をする奇怪な輩など、私は見たことも聞いたこともない」

「あ~……まぁ要するに一目惚れってやつですよ、一目惚れ。英語で言うならラブアットファーストサイト」

「Are you kidding?」

「ノーアイアムノット。別にからかってるわけじゃないですよ、嘘は言っていません」

「それで何の用だ。私は急いでいる」

「え~っとそうですね……実はあなたに激励の言葉を貰いたくて。大好きなあなたに」

「…………」

「ひどいなー、今すっごく嫌そうな顔してましたよ。いいじゃないですか減るものなんて一つもないんですし。ガンバレー、とかで良いんですよ?」

「……激励という言葉から察するに、君はどこか旅行にでも行くのか?」

「おぉ、さすがですね。やはり私の目に狂いはなかったということでしょうか」

「その荷物見たら誰でも想像つくだろう。……量を鑑みるに海外か?」

「えぇそうです。ちょっと世界を救いに行こうと思いまして」

「帰る」

「あー待って下さい待って下さい! ちょっと気取ったことは謝りますから~!」



 空は高く、いと蒼く。

 燦然と照る太陽の光を反射して、爛々と輝くその少女は現れた。

 穢れのないその真っ直ぐな瞳には、一体世界はどのように映っているのか。きっともう私には永遠に知覚することのできない、何処までも続く果て無き希望の色というものが彼女には見えているのだろう。と、男は無感動に想像した。

 だがそれと同時に、男は諦念を感じずにはいられなかった。

 諦念の中にある二つの感情は、羨望と同情。

 この世界を彩る美しさを余すところなく受け止められる少女に対しての羨望と、その少女がいずれは対面するであろう絶望の無慈悲さを想っての同情。

 きっとそれは人生の中で誰もが体験し、経験し、乗り越えるべきものなのだ。

 かつての私も、この少女ように輝いていたのだろうか。



「自分は世界を愛してるんです」

「そうか、おめでとう」

「きちんと話を聞いて下さい! つまり、自分は世界を愛しているのだから、したがって世界の一部であるあなたのことも同様に愛しているのです! ですから先ほどの告白も嘘ではない!」

「……君、学校の成績とか悪いだろ?」

「いえ、定期テストでは毎回上位五パーセントには入っていますよ? 通知表だって三以下は取ったことありません」

「成程、私の最も嫌いなタイプだったらしい。『ですから先ほどの告白も嘘ではない』、良かったな。私が君を嫌いだという明確な理由がここに誕生したぞ」

「むー……中々に捻くれていますね。シュールストレミングの生産工場に一ヶ月ぶち込まれた人のようなひねくれ具合と腐り具合です。……私のようなタイプは嫌ですか?」

「嫌というか、無意識に忌避してしまうというだけだ。苦手とも言う……」



 いつからだろう。

 頑張っている奴らほど摩耗して倒れていき、その削れて平らになった奴らの屍を、頑張らない奴らが悠々と踏み越えて歩いているという事実に気付いたのは。

 いつからだろう。

 世の中は平等なんだと、笑顔で語る大人たちを鼻で笑うようになったのは。

 男は分からなくなってしまった。

 この世には二種類の人間がいる。

 頑張る奴と、頑張らない奴。

 私は一体どちらの分類に属せば良かったのだろう。



「そうっ! それです!」

「?」

「あなたのその人間性! 正に自分の思った通りです。……要するに、自分とあなたは似たもの同士なのです」

「勘弁してくれ。君と私が似ている? 悪いが侮辱罪で償い金を勝ち取れるほどに失礼だぞ、君は」

「まぁまぁ、簡単な話ですよ。ビフォーアフターです。自分がビフォー、あなたがアフター……今はっきりとしました。いやー、当初自分でも何であなたに声をかけたのか、実は良く分からなかったんですよね。こんな陰鬱なオジさんに」

「悪かったな」

「いえいえ。自分にとってこの出会いは結構重要なものなので、高望みはしません。むしろあなたで良かった」

「私は全然良くない」

「もー、そう仰らずに。……成程、自分は将来こうなってしまうのですか」



 少女は楽しそうに語った。

 自分とあなたは同類であると。

 頑張った分だけ割りを食い、頑張らなかった者が頑張った者の代わりに光を浴びるこの世を、共に憂う者であると。そしてそれをどうにかしようと、共に足掻く者であると。

 二人の違いは一つ。

 少女の心に灯る炎は希望であり、男の心を渦巻く風は絶望であるということ。ただそれだけ。

 少女は知っていた。

 己が希望はいつか裏切られ、絶望に反転することを。

 その成れの果てが今目の前にいる、このみずぼらしい男だということを。

 それでも……。



「……それでも、です。ここで諦めたら、救える世界も救えないじゃないですか」

「……」

「きっとあなたも昔は同じことを思っていたはずです。……ほら、やっぱり同類だ」

「……良いのか? 私には先例なんていなかった。だが君には私という失敗例がいる。容易に引き返せるはずだ」

「またまた、分かってるくせにぃ~。そんな未練もうありませんって。後悔はしません。……では、自分はもうそろそろ行きますね。ちょっと世界を救いに」

「……あぁ」

「いつかまた!」



 少女は大きな荷物をものともせずに、力強く駆けていった。



 後悔があった。

 自らの行いは間違ってなどいなかった。それだけは分かる。

 それでも、失ったものがあった。

 それは他人の何かであり、自身の心だった。

 痛みは想像以上で、苦しみは楽観を絶った。

 男はこれを悔やみ、そして一生涯呪い続けるだろう。


 ただ、そこに一点の光があるとすればそれは。



 男の中に自らの成れの果てを見出してなお後悔はしないと誓った、少女の後ろ姿だった。

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ヒーロー 桜人 @sakurairakusa

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