第2話
★
納戸の大掃除は順調に進み、あとは段ボール箱三つを残すのみ。
中身を確認して捨てるかどうかを決めれば終わりだった。
要らない物を思い切って処分し清掃だけでなく整理・整頓にも気を配ったことで、納戸は不要物を放り込んでおく「物置き」ではなく、大切な物を保管しておく「ストアルーム」へと変わった。
さらに、窓を塞ぐように置かれていた物を移動したことで納戸の中に光が入るようになり、
三つの段ボール箱のうち二つは白猫のキャラクターでお馴染の運送会社のもの。箱の上面に油性マジックで「法律書」、「ビジネス書」と書かれている。取っておいて損はないものであり、そのまま納戸に戻すことにした。
残りの一つは茶褐色に変色した、年季を感じるもの。中身について記載はされていないが、持ち上げようとするとかなり重い。
箱の上面に貼られたガムテープを
本を何冊か取り出してパラパラとページを
その瞬間、遠い記憶が蘇って来た。
表紙が無くなっていたりボロボロだったりするのは何度も読み返したから。寝食を忘れて読み
思い出の品との対面に笑みがこぼれる。
ふと、文庫本の下からA4サイズの大学ノートが顔を
一冊を手にとって
「……こんなところに……もう二十年以上も経つのに」
驚きと喜びがいっしょになったような声が漏れた。
それは、以前私が小説を書き綴っていたノート。
中学のときに書き始め、高校の三年間はもちろん大学に入学してからもしばらく書き続けた。全部で二十冊近くあったのではないか?
高校のときはいつもカバンの中に入れて持ち歩き、アイデアが浮かぶと授業中であろうと食事中であろうとお構いなしに書き留めた。満員電車の中でも無理やりスペースを作って必死に書き綴った。
小説の本編だけではなく、プロットやイメージイラストも書かれている。
「懐かしい……何が書かれているかは私にしかわからないよね」
余白が無いぐらいにビッチリと書かれた文字は、お世辞にも上手いとは言えない。言葉の省略や殴り書きが目につく。読めたとしても意味がわからない。浮かんだアイデアを忘れないうちに慌てて書き留めたのが
プロットはところどころ二重線で消されて何度も修正されている。
即興で描いたイメージイラストは落書きのように見えるが、何を意味しているのかは理解できる。
ある小説がどんな
気持ちが
こんな感覚を覚えたのはいつ以来だろう。大掃除がまだ途中であることなどすっかり忘れて、私は心地良いノスタルジーに浸っていた。「今の自分」を「当時の自分」に重ね合わせながら。
「そうそう、『Good Luck』を書いたのは、同じクラスの男の子が車に
「あっ、『妄想エレベーター』。あの頃は大人の街と言えば六本木だった。ロッポンギっていう響きもかっこよくて、六本木で働いてる人ってトレンディドラマに出てくる俳優みたいなイメージがあった……でも、単なる恋愛物じゃ面白くないから最後に落としたの。小説サイトでも受けが良かったなぁ」
「『エリート小学生の憂鬱』か。怖がりのくせに時々無性にホラーが書きたくなったっけ……
★★
「――いい加減にしてくれない?」
三冊目のノートを読み終えた瞬間、背後から声が聞こえた。
慌てて振り返ると、私の目に信じられない光景が飛び込んできた。
そこにいたのは、セーラー服を来た、一人の少女。両腕を組んで壁にもたれかかりながら私に鋭い視線を向けている。
その光景を「信じられない」と思ったのは、私しかいないはずの家に少女がいたからではない。彼女がどう見ても「高校生のときの私」だったから。
ショートヘアに細身の身体。髪型のせいか身長はいつも五センチぐらい高く見られた。黒目がちの瞳と長い
自分では「ブスじゃない」と思っていたが、歯に衣着せぬ物言いとクールな雰囲気から男子には敬遠されるタイプだった。
「なに鳩が豆鉄砲食らったような顔してるの? あんたが想像しているとおり、わたしは高校のときのあんたよ」
目に入りそうな前髪を無造作にかきあげながら、彼女はヤレヤレと言った顔をする。
「ど、どうして? どうして高校生の私がここにいるの……? あり得ない。あり得ないよ。SF小説じゃないんだから……そうだ。これは夢。私は夢を見ているの。そうに違いないわ」
冷静さを取り戻そうと、私は目の前の光景が現実ではないことを何度も自分に言い聞かせる。
すると、目の前の彼女は私を「キッ」と
「最低。あんたがそんな風だから、わたしがここに来なければならなかったのよ」
「どういう意味? 私の何が最低だって言うの!?」
鋭い眼差しに圧倒されながら、私は何とか言い返す。
すると、彼女は壁から身を起こして、腕を組んだまま私の方へ近づいてくる。
手を伸ばせば届くぐらいのところで立ち止まると、憐れむような視線で私のことを見た。
「あんたさ、小説や映画が好きだったよね? 特にSFやファンタジーには目がなくて、暇さえあれば映画を見たり小説を書いたりしてたよね? 『フィクションの世界はいつか現実になる』なんて真面目な顔して言ってたよね? 『女のくせにヘンなヤツ』なんて言われても聞く耳なんか持たずに没頭してたよね……? それが何? わたしの存在があり得ない? 呆れてものが言えないわ」
そう言うが早いか、彼女は私から大学ノートを奪い取ると両手でしっかりと抱きしめた――まるで我が子を優しく抱きかかる母親のように。
「すごく不愉快なの。あんたみたいなのに大切なものを興味本位で覗かれるのって……惨めな自分を慰めるために『わたし』を利用するのはやめてよね」
つづく
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