第10話


 あれから一週間が経過した。


 その間、うちや八雲家に新たな刺客が送り込まれる事も無く、俺達はいたって普通の生活を送る事が出来ている。


 それもこれも、全てはジュリアのおかげだ。


 あの日の夜、再び緊急の家族会議が開かれ、今後どうしていくかについてみんなで話し合った。

 みんな今回の件にアメリカ政府までもが関与している事に驚きを隠せなかったが、たとえそれを知った所で一般市民である俺達に打てる手だてなどあるはずもない。

 唯一出来る事といえば、今以上に慎重に行動し、あとはジュリアがうまく動いてくれる事を祈るくらいのものだ。よって、今は下手に動かず、少し様子を見てみようという事で全員の意見はまとまった。


 当初、スレイヴモードがちゃんと機能しているのかかなり不安だったのだが、そんな俺の心配とはよそに、ジュリアは実によく働いてくれていた。

 その最たる例が『自衛隊』だ。なんとジュリアは、街を巡回していた自衛隊をたった二日で撤退さてしまったのだ。

 これには正直驚いた。なんせ、そんな命令など俺は一切下してはいないのだから。

 おそらく『全力で対処しろ』という言葉を彼女なりに解釈した結果、そうなったのだろう。

 その事からもジュリアが優秀な人物である事が伺える。それに、どんな手を使ったかまでは分からないが、一国の軍事をいとも簡単に動かせるところを見ると、もしかしたら彼女はCIAの中でもかなりの権力を持った人物なのかもしれない。じゃないと、一工作員がこんな短期間で他国の軍事を動かせる訳が無い。

 まぁともあれ、不幸中の幸いとはまさにこの事で、俺はいつの間にかとてつもないカードを手に入れていたのであった。


 「それにしても平和だなー」


 後ろの席の織春が、教室内を見渡しながらしみじみと言った。俺もつられて視線を動かす。

 俺達の席は一番後ろの窓際なので、ここからだとクラスの雰囲気がよく分かる。

 朝のホームルーム前という事もあり、教室内は活気に溢れ、所々からクラスメイトのたわいもない話や笑い声が聞こえて来てくる。

 こんな当たり前の光景でさえ、今の俺にとっては奇跡のように感じられる。それは隣の織春も同じだろう。だから織春も感慨深い表情で、クラスメイト達を眺めているのだ。

 度重なるトラブルに巻き込まれ続けた結果、いつの間にか俺達は、こんな些細な事でさえ幸せを感じるようになっていた。


 「あぁ、そうだな。平和過ぎて恐いくらいだ。ほんの一週間前までは、こんな風に普通に生活できるなんて思ってなかったからな」


 「これもみんなお前のおかげだよ。夜真十、ほんとありがとな」


 そう言って織春は、軽く頭を下げた。


 「なんだよ急に、気持ち悪いな。別に俺は何にもしてねーよ。それに頑張ったのは俺じゃなくジュリアの方だしな。礼ならあいつに言ってやれ」


 「そうだとしても、お前がそのジュリアって子を手なずけてくれなきゃ、こんな風に学校に通えてなかっただろ?だからちゃんと礼を言わせてくれ」


 「分かったからもう頭を上げろよ。そのまんまじゃ俺が変な目で見られるだろうが」


 「はははっ、すまんすまん」


 織春はすっと顔を上げ、爽やかな笑顔をこちらに向けた。

 普段は自己中なくせに、ほんと、昔からこういった律儀なところは変わらないな。まぁ、それがこいつの良いところなんだけどな。

 そんな事をぼんやりと考えていると、「あっ!そうだ」と言って、織春が俺の耳に手をあて変な質問を投げかけてきた。


 「で、昨日の晩はどうだったんだ?」


 「ん?昨日の晩って、何が?」


 「いやだから、昨日もそのジュリアって子は家に来なかったのか?」


 「あぁ......その事か」


 やっと話の内容が掴めた俺は、「いや、来てねーよ」と返答したのち、ここ数日の間に起こったドタバタを思い返す。


 この一週間、ジュリアが俺達のために死力を尽くしてくれていた事は確かだ。

 そのおかげで俺達は、いつもと変わらない平凡な日々を送っている。

 その事についてはもちろん感謝しているし、彼女の功績を讃えたい。

 だがその間、本当に彼女が大人しくしていたかというと、答えは『NO』だ。


 ジュリア襲来を受けた次の日の夜、カクタスの予想に反し彼女は再び我が家を訪れた。

 別にうちが気にいったから遊びに来ましたなんて可愛い理由などではない。彼女の目的はただ一つ。


 ーーこの快感を止めて欲しい。


 その切実な思いが、俺のもとまで彼女をいざなったのだ。

 よくよくジュリアの格好を見てみると、夜の闇に紛れやすいよう黒い革の全身スーツに身を包み、その手には可愛い顔には似合わない重厚なライフルが握られていた。

 察するに、どうやらジュリアは俺の言った事が信じられなかったようで、密かに『九 夜真十暗殺計画』なるものを企てていたようなのだ。

 その結果、防衛システムが作動し、快感に耐え切れなくなった彼女は、なくなく我が家を訪れたという訳だ。


 事情を理解した俺は、ミラ達を二階に追いやり、すぐさまリビングのソファーにジュリアを寝かせ防衛システムを解除した。

 そして、もう二度とこんな事が起こらないよう、再度スレイヴモードのルールを説明したあと、彼女を家から追い出した。

 その時は、これでジュリアも俺の言った事を理解し、大人しくしてくれるだとうと踏んでいたのだが、どうやらその考えは甘かったようだ......。


 よほど恨みが強いのか、次の日もジュリアはうちにやって来た。いや、その日だけではない。

 次の日も、そのまた次の日も、ジュリアは手を替え品を替え、毎日俺の暗殺を試みては失敗し、その都度胸を揉まれては悔し涙を流しながら帰って行った。

 そんな彼女の姿を見兼ねたカクタスが「なぜ、暗殺を止めるよう命令しないのですか?」と聞いてきたが、ジュリアの気持ちを考えるとそれは出来なかった。

 まぁ自業自得と切り捨てる事も出来なくはないが、彼女からしてみればいきなり見ず知らずの、それもたかが一高校生の言う事を聞かなくちゃいけなくなったのだ。

 そもそもCIAという超エリート集団に所属するあいつが、それを良しとするはずが無い。それに、俺を殺してでも自分の自由を取り戻そうとするのは、彼女からしてみれば当然の権利と言える。

 その権利を俺が踏みにじる事など出来るはずが無いのだ。だから俺は、あまんじてジュリアの怒りや憎しみを受け入れようと心に決めていたのだ。


 そんなやりとりが五日ほど続き、その日の解除作業が終った直後の事である。

 Yシャツのボタンをとめながら、ふいにジュリアが俺に聞いてきた。


 「ねぇ、あんたはなんで怒んないの?こうも毎日命を狙われれば普通はキレるでしょ?それとも何?ただ単に私の胸を揉みたいだけなの?」


 「アホか。そんなんじゃねーよ」


 「だったらなんでよ?他に理由が思いつかないんだけど」


 「......まぁ、あれだ。もし俺がお前の立場なら暗殺まではいかないものの、何かしらの抵抗はするだろうしな。だからお前が俺のことを殺そうとしても仕方がないと思ってる」


 「ふん、見上げた根性ね。だけどそんな強がりがいつまで続くかしら?言っておくけど、私は絶対に止めないわよ。必ずあんたをこの手で殺してやる」


 そう言ってジュリアは固く拳を握った。

 その目はいきいきとしており、憎しみというよりかはどこか、新たな目標を定めた人間特有の輝きを放っているようにも見えた。


 「あぁ。この数日でお前が本気なのは充分伝わってるさ。だから俺も絶対に逃げない。お前の気が済むまでやればいいさ」


 「言ったわねー!いいわ!あんたの気がおかしくなるのが先か、私の心が折れるのが先か、勝負よ!」


 「あぁ望む所だ。もしこの勝負が一生続いたとしても別に構わんぞ。そん時はこの命尽きるまで、お前の胸を揉みしだいてやる!」


 「バッ、バッカじゃないのあんた!何いきなり変な宣言してんのよ!」


 なぜかジュリアは赤面し、おもむろに顔をそむけた。


 「ん?何でだよ。そりゃそうだろ?お前をそんな不憫な体にしちまったのは俺だ。それなら責任を取るのが筋ってもんだろうが」


 その言葉を聞いた途端、一気にジュリアの顔が茹でダコのように赤く染まった。

 何をそんなに興奮しているのかまったく見当がつかないが、彼女は真っ赤になった自分の顔を両手で挟み込み、必死ににやけるのを抑えているようにも見える。

 まぁ、それはさておき、今言った事は本心だ。彼女の憎しみが消えるまで、俺は責任を持ってジュリアと向き合わなければならない。それがこいつに対して、俺が出来る唯一の罪滅ぼしなのだから......。

 そんな思いに意識を委ねていると、ジュリアはすっとソファーから立ち上がり、上目遣いで聞いてきた。


 「ほっ、ほんと?......ちゃんと、責任取ってくれる?」


 「あぁ、約束する。だからお前も全力で俺にぶつかって来い!いいな?」


 するとジュリアは、何やら気恥ずかしそうにコクリと小さくうなずいた。

 そしてその日はいつもと違い、上機嫌で帰って行ったのだ。


 だが、それからというもの、ジュリアが家にやってくる事はなかった。

 急にぷつりと音沙汰がなくなったのだ。

 何か変な事件に巻き込まれたんじゃないかと心配になり、夜な夜な彼女を捜しに出かけたが、何一つとして手がかりは掴めなかった。

 未だになぜ彼女が俺の前から姿を消したのかは謎だが、揉んでは帰し、揉んでは帰しと、まるでさざ波のような日々から解放され、俺はやっとこさいつもと変わらない平和な日常を取り戻す事ができたのであった。


 「まぁ、まだ危機的状況は去ったとは言えないが、よかったじゃないか。これで当分の間、安心して生活できるな」


 織春が俺の肩をポンと叩き、励ましの言葉をかけてくれたのと同時に、一番前の扉が開き一人の女性教師が中に入って来た。


 「は~い。みんな〜席について~。ホームルームを始めるわよ~」


 どこかアホっぽい話し方で教壇の前に立つこの人は、英語教師兼、うちのクラスの担任でもある霧島きりしま 蘭子らんこ先生だ。

 蘭子先生は美人でスタイルも良く、その上まだ二十代半ばという事もあり、男子生徒の憧れの的だ。

 トレードマークである白いスーツを見事に着こなし、短いスカートから伸びる美脚には、血気盛んな男子生徒の心をくすぐる薄手の黒いストッキングが装備されている。

 教師というには程遠い派手な格好だが、蘭子先生の授業はとても分かりやすく、勉強が苦手な俺でさえ高得点を取れてしまうほど教え方がうまい。

 それに、なかなかクラスに馴染めない俺をいつも気にかけてくれ、色々と世話を焼いてくれるとても良い先生だ。

 そんな優しく色気たっぷりの蘭子先生が、ポンと軽く手を叩き、にこやかに告げた。


 「今日はね~みんなに新しいお友達を紹介しま~す」


 その言葉を受け、一気に教室内が盛り上がる。

 男女問わず、みんな思い思いに想像を膨らませながら早く転校生を紹介してほしいと蘭子先生に催促し始めた。

 ふと一番前の席に座っている花澤さんに目をやると、彼女もキラキラと目を輝かせ、新しいクラスメイトに胸を高鳴らせている様子だった。

 クラスに新しく仲間が増える事は喜ばしいことなのだが、俺としてはやや複雑だ。

 極度の人見知りゆえ、今でも大半のクラスメイトと話せていないのだ。

 そんな俺が、果たして転校生とうまくやっていけるのだろうか......。


 「はいは~い。それじゃ、転校生ちゃんカモ~ン」


 蘭子先生の呼びかけに答えるかのように、静かにドアが開く。

 次の瞬間、男子生徒から歓喜の声が上がった。転校生の姿を見るや否やガッツポーズを決める者や、手を合わせ神に感謝の祈りを捧げる者までいる始末だ。

 いや、男子だけでは無い。女子からも『美人』だとか『モデル』みたいといった黄色い声援が巻き起こっている。


 だが、俺だけは硬直したままだった。


 一瞬目の前で何が起こっているのかまったく理解出来ず、頭が真っ白になった。

 なぜなら、蘭子先生の隣に立っている人物とは......。


 「初めまして。この度アメリカから転校してきましたジュリア:ローゼンです。よろしくお願いします」


 ジュリアは軽くお辞儀をしたあと、唖然としている俺のことを見つめニヤリと笑った。


 「おい夜真十!ジュリア:ローゼンってまさか......」


 教室内が拍手喝采で盛り上がっている中、後ろの織春が、俺の肩を揺らしながら震えた声でつぶやいた。


 「あっ、ああ......そのまさかだ。てか......なんであいつが」


 未だに頭が混乱しているせいで、うまく思考が働かない。

 そもそも、なんでジュリアがここに居る?一体何が目的なんだ?

 そんな疑問のオンパレードが、次から次へと頭の中を駆け巡っていく。


 「は~い。みんなジュリアちゃんと仲良くしてあげてね~。それじゃジュリアちゃんの席はあそこね~」


 そう言って蘭子先生は、俺の隣の空席を指差した。その指示に従い、ジュリアがさっそうとクラスメイトの合間を縫い、俺の目の前で足を止めた。

 そして、驚愕のあまり開いた口が塞がらない俺に向かって、薄く笑みを浮かべてこう言ったのだ。


 「今日からよろしくね。九 夜真十くん」

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