第9話
リビングには荒い息づかいが二つ。
一つは俺のもの。そしてもう一つは、俺の下で果てているジュリアの湿った吐息が、乾いた空気を振動させていた。
ーーお疲れさまでした。これで彼女は、完全に夜真十様の支配下に入りました。
酸素不足のせいで朦朧とする意識の中、カクタスの陽気な声が頭の中に響く。
ふと顔を横に向けると、正座をしたミラの胸の上で、カクタスがにんまりと満足そうな笑みを浮かべていた。どうやらミッションは無事に成功したようだ。その証拠に、体はいたって正常で、疲れ以外に何も感じない。
再度ジュリアに視線を戻すと、彼女ははだけた胸を隠そうともせず、ただただ力ない瞳をこちらに向けていた。その目はトロンと垂れ下がり、快感という苦痛から解放された安堵感からか、口元はかすかに緩んでいる。
そんな彼女の上からそっと降りた俺は、さっきから気になっていた部分へと目をやった。
なぜか、右手の甲に見た事もない幾何学模様の紋章が浮き出ていたのだ。
それは未だ起き上がれずにいるジュリアの胸の中心にも刻まれており、互いに共鳴しあうかのように淡い光を放ちながら点滅を繰り返していた。
(これは?)
ーーそれはスレイヴモードが無事に定着した証です。これで彼女は、夜真十様の命令に逆らう事が出来なくなりました。
(本当か?そんな事言いながら、いざ命令したらどつかれるパターンじゃねーだろうな?)
ーーも~疑り深いですね。それじゃあ、試しに何か命令してみて下さい。
そう言われた俺は、なかば半信半疑でジュリアに命令を下す事にした。
「う~ん。そうだな......。じゃあ、ジュリア命令だ。右手を上げろ」
すると、まるで糸でつり上げられたかのようにジュリアの右腕がスッと持ち上がった。
「えっ?!なっ、何?どうなってんの?!」
彼女はもう片方の手でピンと伸びた右腕を必死に下ろそうとしていたが、どんなに力を込めようともその腕はびくともしない。だが、これだけでは本当に俺の支配下に入ったかどうかは微妙だ。もう少し検証してみなくては......。
「じゃあ次だ。ジュリア、そのまま四つん這いになってこっちを向け」
その命令にまったく逆らう事無く、ジュリアは四つん這いになり赤面した顔をこちらに向けた。
「ちょっ、ちょっとヤメて!何させんのよ!いやー!こっち見ないでー!」
グラビアアイドル顔負けの女豹めひょうのポーズで、ジュリアは恥ずかしそうに俺のことを見つめる。大きく開いたYシャツからは、張りのある彼女の豊乳が顔を覗かせており、なんとも淫美なIラインを作り出していた。
どうやら自分の意志とは無関係に、勝手に体が動いてしまうようだ。じゃないとプライドの高いこいつが、こんな恥ずかしいポーズをとる訳が無い。
それにしてもスゲーな。こんなの何でもやりたい放題じゃねーか。マジで支配権を手に入れれてよかった......。
スレイヴモードの威力と恐ろしさを思い知った俺は、ジュリアへの命令を解除し、楽な姿勢をとるよう促した。
「あっ、あんた!一体何者なの?もしかして......宇宙人」
ジュリアははだけた胸を両手で隠し、キッと俺を睨む。
まぁ、事情を知らない彼女からしてみれば、そんな風に映っていても不思議じゃない。
なんせこいつは、ミラ達を追ってここまで来たのだ。目の前でこんな力を見せつけられては、そう考えるのが自然だろう。
しかし、宇宙人説はまずいな。そこからミラ達の事がバレるとも限らない。どうにかそっちの方向に話が向かわないよう、うまくごまかさなくてわ......。
「いや、俺は人間だ。だが、ただの人間じゃない。そうだな......世間一般で言うところの超能力者ってやつかな」
「超能力者?」
「あぁ、そうだ。俺は相手を自分の思うがままに動かせる能力を持っている。今お前が体験したのがまさにそれだ」
それを聞いたジュリアの顔が一気に青ざめていく。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!なんで私にそんな事するのよ!」
「俺だってやりたくてやった訳じゃねー。そもそもお前が悪いんだぞ。あんな風に脅されたら、誰だって自分の身を守るだろ?生存本能ってやつだ」
「うっ......」
ジュリアは痛い所を突かれたようで、すぐさま俺から目をそらしてこう言った。
「あっ、あれはただのアメリカンジョークよ。別に本気で殺そうなんて思っちゃいないわ」
「嘘つけ!何がアメリカンジョークだ!完全に目がイってたじゃねーか!」
「うっ、うるさいわね!てかあんただって、そんな力があるなら最初から使えばいいじゃない!なんで私の胸を揉む必要があったのよ!」
「ぐっ......」
まさに正論だ。もはや正論すぎて何も言えない。
いくらみんなを守るためとはいえ、何も知らないこいつからすればあんなのただの犯罪行為だからな。
ゆえに、こんな風に変質者を見るような嫌悪感たっぷりの冷たい目で見られたとしても致し方ない......。
「それより、早くこの能力を解除しなさい!これは命令よ!」
ジュリアは俺を指差し、鋭い眼光をこちらに向けた。
その姿は堂に入っており、普段から命令する事に慣れているのか、上に立つもの独特の風格を漂わせている。
しかし、ここで気後れする訳にはいかない。なんせ主導権を握っているのは、こいつではなく俺なのだから。自分にそう言い聞かせながら俺も負けじと腕を組み、彼女を見据えて言ってやった。
「すまんが、それは出来ない。もし能力を解除すれば、お前がまた何をしでかすか分からんからな。それにお前はCIAだ。そんな奴に情報を掴まれたまま野放しにするなんて、こっちのリスクが増えるだけだしな」
その言葉を受け、ジュリアは少しのあいだ沈黙していたが、やがて大きなため息と共にこう切り出したてきた。
「分かったわ。私もやりすぎた事は認める。それに、あんたの力の事は絶対誰にも話さない。だから早くこの能力を解除しなさい」
「本当か?」
「ええ。約束する」
「そうか......なら命令だ。お前の本音を言え」
「あんただけは絶対に許さない!能力を解除させたらすぐに対策チームを編成して、あんたを捕獲してやる。そんでもって本国の研究施設に移送したあと、たっぷりと情報を聞き出してから、一生監禁したうえ社会的に抹殺してやるんだから!......って!私なに言って」
ジュリアは大きく目を見開き、自分の口を両手で塞ぐ。
「ほらな、そうなるだろ?だから能力は解除しない。つーかどんでもねーこと考えてんじゃねーよ!ほんと恐えーななお前」
「ちっ、違う!あれは本心じゃない!言葉のあやというものよ」
「何が言葉のあやだ。おもっきし本音だったじゃねーか。いいか!俺の能力に嘘は通用しない。その事をよーく覚えとくんだな」
「ぐぬぬぬぬ......」
ジュリアは悔しそうに力いっぱい歯を食いしばりながら、憎しみのこもった瞳をこちらに向けた。
そんな俺達のやりとりを今まで静かに見守っていたカクタスが、会話が途切れナイスタイミングと判断したのか、ふいに話しかけてきた。
ーー夜真十様。そろそろ彼女に我々に関わらないよう命令した方がよろしいのでは?
(おっと、そうだったな。すまん、すっかり忘れてたぜ)
俺は顎に手をあて、頭の中を整理していく。
どういう命令が一番効率的かつ最適なのか、それを探るためだ。
どうせ命令するなら一言でバシっと決めたい。その方がスマートで、頭が良さそうに見えるからな。
熟考の末、ようやく考えがまとまった所で、ゆっくりと顔を上げジュリアを見据えた。
ジュリアは俺の真剣な眼差しに恐怖を感じたのか、小刻みに体を震わせながら恐る恐る口を開く。
「なっ、何よ急に黙って。今度は私に一体何をさせるつもりよ?」
「ジュリア;ローゼン、お前に命令する。今すぐ今回の件から手を引け!」
「..................」
数秒間の沈黙の後、ふいにジュリアが首を傾げ、俺に言った。
「......えっ?......なっ、何?なんの話?」
彼女は何の事だかさっぱり分からない様子で、目をパチクリとさせている。
おかしい......。どういう事だ?さっきはちゃんと命令できたはずなのに、なぜこの命令だけは受理されない?首をひねり問題点を考察していると、再びカクタスの声が頭の中に響いた。
ーー夜真十様。そんな抽象的な命令ではスレイヴモードは発動しませんよ。もっと分かりやすくちゃんと命令してあげてください。
(え?そうかなのか?なんだよ......なら最初からそう言えよ。おかげで恥をかいちまったじゃねーか)
気恥ずかしさゆえコホンと咳払いを一つしたのち、俺は再びジュリアを見据えて命令を下す。
「お前がいま調べているプリン山の件から手を引けと言ってるんだ。それだけじゃない。その件について、俺と織春への詮索も止めろ。お前は帰ったらすぐに、今回の件と俺達は無関係だったって事を上に報告し、今後俺達に一切捜査の手が入らないよう全力で対処するんだ。いいな!」
「了解しました。って!違う!」
「それに、ここで起こった事を誰かに話すことも認めない。もちろん、それ以外の方法で情報を流すような事もだ。それと、もしうちの家族や八雲家の人間に危害を加えようとしたら......」
と、そこまで言いかけた所で、ふとある疑問が頭に浮かび上がった。
もし俺達に危害を加えようとしたら、こいつは一体どうなるんだ?
まさか死ぬって事はないと思うが......。一応念のため、その事もカクタスに聞いておくか。
(なぁカクタス。もしこいつが俺達に危害を加えようとしたらどうなるんだ?)
ーー先ほども申し上げましたように、夜真十様に危害を加えようとすれば防衛システムが作動し、再び快感が彼女を襲います。他の皆様に関しては、手を出さないよう後で命令しておけば大丈夫でしょう。
(なっ、なるほど......で、その防衛システムの解除の仕方は?)
ーー先ほどと同様、『胸を揉む』です。
(はー!またあれをやんのか?!)
ーーはい、ですがご安心を。すでに彼女は夜真十様の支配下にありますので、支配権が彼女に移行する事はありません。ですからその時は、思う存分やっちゃってください。
そう言った後カクタスは、ニヤニヤといやらしい顔をこちらに向けてきた。
冗談じゃない。もし公の場であんな事になれば、それこそ大変な事になる。
俺は確実に変態扱いされ、すぐさま警察に捕まるだろう。それだけじゃない。
その噂はすぐに広がり、必ず花澤さんの耳にも届くはずだ。そう考えただけで、急に変な汗が全身から噴き出してきた。
それにこいつだって、そんな恥ずかしい姿を人前で晒したくはないだろう。
だからこそジュリアが二度とバカな考えを起こさないよう、多少脅しをかけてでも説得しておく必要があるな。
そう思い立った俺は、テレビや漫画で得た悪役のイメージを思い出しながら彼女を睨みつけた。
「いいか!もし俺達に危害を加えようとしたら、さっき受けたあの苦しみをもう一度味わう事になると思え!」
「さっき受けた苦しみって、......まっ、まさか!」
「そーだ!お前が泣いて許しをこうたあれだ!あれが一度発動しちまったら、止める方法は一つしか無い。まぁ、勘のいいお前だ。あれの解除の仕方は俺が説明しなくても分かってるよな?」
俺はジュリアの前に右手を突き出し、モミモミと空気を握った。
「ひっ!」
ジュリアは顔を赤らめ両手で自分の体を抱き寄せた。
よほどトラウマになったのだろう。彼女は身を縮こませながら、ブルブルと体を震わせた。
自分でもなんて下衆い事をしてるんだと思ったが、こればかりは仕方が無い。
これでみんなを守れるなら、俺は進んで悪役を買って出る。
何かを得ようとすれば、何かを差し出さなくはてならない。それがこの世の真理ってものなのだから。
「あっ、あんた......ほんと最低ね。こんな事してただで済むとでも思ってるの?!」
「ふん!なんとでも言え。それより、今すぐさっきの命令を実行してこい!」
その言葉を聞くや否や、ジュリアはスッと立ち上がり玄関へと向かう。
だが、それは彼女の意志ではないらしく、廊下を歩いている最中にも「ちょっと待って!どこ行くのよ!話はまだ終ってない!」と、声を荒げ自分の体を叱りつけていた。
そんな喜劇のような後ろ姿を眺めながら、俺はジュリアに声をかける。
「おーい!家を出る前にちゃんとボタン閉めとけよー。そんな格好で外でたら危ねーぞ」
「分かってるわよ!てかあんた覚えてなさいよ!いつか絶対仕返ししてやるんだからー!」
そう吐き捨て、ジュリアは泣きながら我が家を飛び出して行った。
急に静まり返った玄関を見つめ、俺は深く息を吐き出した。今まで張りつめていた緊張がふいに解けたせいもあって、どっと疲れが押し寄せて来たのだ。
『まぁ、これで当分は安全でしょう。これに懲りて彼女も夜真十様にちょっかいをかけてこないと思いますよ』
隣で事の顛末を見届けていたミラの胸の上で、カクタスが明るく励ましの言葉をかけてきた。
「あぁ。だといいんだがな......」
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