必要なら辞表は今、ここで書く

 襲撃騒ぎもあって本日は休校だ。


 校舎のどこにも人の気配が無い静かな早朝――俺は学園長室に呼び出された。早い時間にもかかわらず、先客の姿がある。リリィだ。


 休みにわざわざ俺とローザを呼び出すということは、門下の今後についての相談だろうか?


 部屋に入ると学園長のルーファスは相変わらず、革張りの椅子に深く腰掛けている。広い執務机の天板には、黒い小さな板状の高性能小型通信用魔導器が置かれていた。


 ルーファスは俺の顔を見るなり「おはようございます。カイ先生」と、淡々と告げた。


「ああ、おはよう学園長。というか……呼び出しにしてはずいぶん早いな。それにリリィまで」


 リリィも「おはようございますカイ先生」と、どこか不安げな瞳のまま小さく会釈する。


 俺はリリィに「おはよう」と返すと再びルーファスを見据えた。


「それで用件は? まさか門下生を増やせなんて言わないだろうな?」


 一番ありそうな話を振って牽制するが、的が外れた。


「いいえ、そんなことは要求しませんよ。ローザさんの代わりはいないのでしょう?」


 黙って頷く俺にルーファスは続ける。


「実は急報がありましてね。概要はすでに通信で伺っているのですが、いまいち要領を得ない部分もありまして。とりあえず間もなく彼女がこちらに到着する予定ですから……」


「彼女って、ローザがもう帰ってくるのか?」


「残念ながら……ただ、事態は我々にとってあまり良くない方向に動いているようです。先日、我が学園にやってきた王立研の魔導士ですが……あのバスティアンという方はどうにも好きになれなくて。ともかく、急ぎ対処が必要でしょうね」


 散漫な言葉を並べてルーファスが目を細める。そういえば、ルーファスとバスティアンはどことなく似たような雰囲気の持ち主だ。ただ、どうしてここでバスティアンの名前が出て来たのかが見えてこない。問題がある人物として名前が挙がるなら、アオイの方だろう。


「お前の好き嫌いが火急の用件とどう繋がるんだ?」


「バスティアン氏は、どうやら私と良く似たタイプの人間のようです。野心家とでも言うのでしょうか」


 単刀直入に言えばいいものを、もったいぶるんだな。

 俺は小さく首を傾げた。リリィもどことなく不思議そうな顔をしている。


「お前が野心家ってのはわかるけど、それならバスティアンよりもアオイの方が野心家っぽいだろう。お前もアオイも野心を隠さないからな」


 俺が訊くのと同時に、学園長室のドアが外からノックされた。


「詳しくはカイ先生も彼女から聞いた方がいいでしょう。どうぞ、入ってください」


 学園長の一声に、応じて現れたのは――アストレアだ。小脇に書類の束を抱えていた。


 普段は陽気な彼女の表情が、今は雨露に濡れた花のようだった。リリィが慌て気味に声を上げる。


「あ、アストレアさんが、どうして学園に?」


「あのね、走ってきたの。いっぱいいっぱい、一生懸命走ってきたの!」


 どうしてという質問を、どのような移動手段で? と、取り違えてアストレアは返した。


 いや、走ってきたって……列車の始発も待てないほどなのか。彼女のスタミナと脚力なら、戦士養成機関から夜通し走ってきたと言われても、なんら不思議ではないんだが……。


 リリィは「あ、あの……そうではなくて……」と、眉尻を下げた。アストレアは頷く。


「一晩中走るのなんて超久しぶりで疲れたけど、言わなきゃいけないことがあるから来たんだよ! チョー緊急事態かもだから!」


「とりあえず落ち着いてくれ」


 アストレアは部屋の中央まで歩みでると、一度深呼吸してから俺たち全員に告げた。


「単刀直入に言うね。バスティアンは悪い人みたい」


 表情とは裏腹な、あまりにざっくりとした口振りに深刻さが伝わってこない。が、困った時にうまく言葉が出て来ないのは、アストレアの癖だった。


 確かにバスティアンは慇懃な態度の中にも、節々に怖さを感じる部分はあったが、悪人という印象は無い。先生という立場ながら、むしろアオイに振り回される被害者のようですらあった。


 俺はアストレアに訊く。


「どう、悪い人なんだ?」


「えっと……この前、首都で一緒にパンケーキ食べた日の夜に、カイと繋がったよね?」


 言い方に関してはこの際、深く言及はしないでおこう。


「あ、ああ。確か、その日といえば……」


 俺とアストレアが昏睡状態に陥っている間に、襲撃を受けたのだ。アストレアは一呼吸置いて告げる。


「わたしとカイを襲わせたた連中は放置できないじゃん? 実行犯はならず者の魔導士崩れで、すぐに軍警が捕まえてくれたんだ。けど、それでめでたしめでたしじゃなかったんだよ。そいつらへの依頼は色んな経路を通って偽装されてた。軍警のツテを頼ってがんばって洗い出したら、サリバン家にたどり着いたんだよねぇ」


 なんだって!? だとすると俺たちを襲撃したのはアオイか? いや、それならアストレアはバスティアンではなく、アオイの名を挙げるはずだ。


 彼女は不機嫌そうにほっぺたを膨らませながら続ける。


「しかもねー、さらに調べてみたらサリバン家は当主が行方不明になっててさ。おかしーでしょ?」


 ルーファスが溜息交じりに所感を述べた。


「襲撃の件は報告書で聞いていましたが、まさか議会議員が行方不明とは、穏やかではありませんね」


 アストレアは「だよねー!」と声を上げる。俺は「それとバスティアンがどう関与してるんだ?」と、続きを促した。


 アストレアはたどたどしくだが、襲撃を受けた日から今日まで調べた事実を述べた。


 サリバン家の実権は数年前からバスティアンが握っており、議会にはサリバンの名代として次期当主のアオイではなく、バスティアンが出ていたというのだ。


 軍部にも出入りしていてパイプを作り、その根を張り巡らせていたのだという。

 俺はルーファスに確認する。


「議員の代理なんてできることなのか?」


「委任状があれば可能と耳にしたことはありますが……そこまでの信任を三百人議会の議員から得られるとは、よほどの信頼なのでしょう」


 アストレアが反論した。


「でもでも、本当に代理で議会に出られたとしても、実際は他の議員に相手にされないよね? それに軍関係だってさ。そーだよねカイ?」


「とはいえバスティアンは王立研の主任研究員だろ? 偉い奴と話すのに、ステータスとしては充分じゃないか?」


「そ、そーだけどぉ……第三研究棟の知り合いから聞い話なんだけどさ、普通は主任から落ちたら這い上がれないって。本当なら偉い人とお目通りなんて無理だって」


「だが、現にバスティアンは主任研究員じゃないか?」


「だから前代未聞なんだって、あたしの知り合いも不審がってたんだ。それにね、表向きはバスティアンは実験の成果が出ないから降格処分の憂き目にあったってことになってるけど、実は違法スレスレっていうかほぼ違法な研究もしてたみたいなんだって。そういう人間が、なぜか権力者や有力者に庇われて……いくら優秀でも普通なら信用を無くすよね? 偉い人だって自分に火の粉がかかるかもしれないなら、距離を置くのが普通でしょ?」


 バスティアンはまるで権力者たちの弱味を握って、付け込んでいるかのような立ち回りをしている。アストレアは眉を八の字にしながら続けた。


「いくら名門の後ろ盾があっても、やっぱりおかしいんだよ。軍関係のツテも軒並み高官ばっかりだし」


 そう言って抱えっぱなしだった書類を机の天板にバサリと置く。資料には軍警のエンブレムが押されていた。


 アストレアらしくもなく、裏取り調査は綿密に行っているようだ。


 サリバン家の後ろ盾で、不死鳥のように甦った男――バスティアン・ホープ。


 悪い奴と言われても、まだ俺の中には本当にそうなのだろうか? という気持ちが残っている。が、アストレアの瞳は真剣だ。まるで強敵と対峙している時のような、緊迫感さえ漂わせている。


 これまでの人生で積み重ねてきたアストレアへの信頼が、もつれた糸のように思考を絡め取ろうとする俺の中の迷いを断ち切った。


「わかった。バスティアンを敵と想定しよう。それで、俺たちの襲撃を教唆した他に、なにか犯罪を裏付ける証拠はあるのか?」


 バスティアンを問い詰めるには、材料は多いに越したことはない。


 フルフルと赤い髪を左右に揺らしてアストレアは溜息を吐いた。


「それがぜーんぜんなの。誰かを脅迫してたとか、そういうんじゃないんだよなぁ……なんかね、色々と話を訊いてみると、バスティアンと直接やりとりをした人って、いつの間にか信用しちゃうんだって。まるで魔法みたいに。もしかしてそういう魔法があるのかなぁ。そうでなきゃ、もうとっくに追い詰めてるのに」


 つまり軍警の協力はこれ以上仰げないということか。


 アストレアがコネクションを持つ、軍警の特捜部にすら尻尾を掴ませない周到さか……こいつはやっかいだ。


 思えば暗示のように、俺はバスティアンよりもアオイに意識をもっていかれ気味だった。


 バスティアンが身に降りかかる敵意や嫉妬などの負の感情を、巧みにアオイへと誘導していたのかもしれない。


 困り顔のアストレアに、リリィが告げる。


「どのような魔法かは存じ上げませんけれど、もし相手の精神になんらかの影響を与える魔法があるとしても、使えばすぐに判ってしまいますわ」


 俺もリリィの意見に頷いた。マジックロッドを手にして魔法公式を構築すれば、一目瞭然だ。それが議会議員のようなエリートの中のエリート魔導士や、軍部高官であればなおさらだろう。


 俺はルーファスに視線を向ける。


「俺は今すぐ首都に行かなきゃいけない……そうだな?」


 ルーファスが机の天板に肘をついて手を組んだ。


「我が校の生徒の安全を確保することは急務ですが……カイ先生とアストレアさんが襲撃を受けた件についても、バスティアン氏の直接の関与を証明するものは無いので

しょう?」


 俺は天板に両手を開いて叩きつける。


「行かせてくれ。ローザを二度も失うわけにはいかない。必要なら辞表は今、ここで書く」


「……職を辞す覚悟というなら止めません。ですが、辞表は事前に受け取ったりしませんよ? 貴方が無茶をすると言うことを把握していた証拠になりかねませんから」


 あくまで俺の一存であることが学園長の出した条件ということだな。俺がしくじっても学園長は知らぬ存ぜぬで通すのだろう。


「それで構わない」


 俺はルーファスに背を向けた。アストレアが頷く。


「ローザちゃんの話は学園長さんに訊いたよ。一緒に死線をくぐり抜けて、それからパンケーキを食べた仲だもんね。助けに行こうカイ」


 気持ちはありがたい。が、異形種を相手にするのとは違う。


「お前が動いたら大事になるだろ?」


「だから今まで、ちょっとくらいなら目をつむってきたよ。自分の事なら我慢する。だけど……カイがせっかく見つけた生きがいを奪おうなんて、そんなの絶対だめだから」


 生きがい……か。俺はリリィをそっと見つめた。どこか浮き足だったような雰囲気が、落ち着きを取り戻している。


 その顔には決意があった。


「当然、わたくしもご一緒させていただきますわ」


「お前の将来の事を考えたら、経歴に傷が付くかもしれないぞ」


「そんなものとローザとどちらが大事かくらい、解っているつもりでしてよ。連れ戻して嫌味の一つも言ってあげないと、わたくし収まりませんの!」


 わかりきっていたことだがリリィを止めるのは無理なようだ。


 俺たちは急ぎ列車に乗り、車内でローザ奪還の算段を立てる。可能な限り実力行使はしない方向だが、企ての違法性は言わずもがな。


 犯罪に手を染めるかもしれないというのに、アストレアは「だいじょーぶだいじょーぶ」とお気楽で、リリィに至っては「なんだか悪い事をするのってドキドキしますわね」と、妙にワクワクしだす始末だった。アストレアも軍警の知り合いのメンツを潰すようなことになるんじゃないか?


「カイってば、また心配で眉間にしわが寄ってるよ? そのうちハゲるかもねぇ」


「カイ先生はフサフサですわよ!」


 ローザがいなくとも、女子二人集まってかしましい。


 悲壮感溢れるよりはよっぽどいいか。


 待ってろよローザ。次はお前がなにを言おうと、もう二度と俺のそばから離さないから。

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