講義十二 影の英雄の帰還

普段通りゆっくり歩けばいい

 午前十時――


 キャピタリアからさらに列車を乗り継いで、王立研第一研究棟最寄りの駅に降りる。


 徒歩での移動はどうしてもアストレアが目立ってしまうため、駅で有料車両を借りると俺がハンドルを握った。


 ほどなくして第一研究棟前までやってきたのだが、正門は閉鎖され首都防衛部隊の兵士が、番兵のように配備されていた。一度素通りして建物の外周を車両でぐるりと回る。


 どの出入り口にも、普段はいないはずの兵士たちの姿があった。事態を察して助手席のアストレアが溜息を吐く。


「首都警備隊まで動員するなんてチョー感じ悪いね」


 後部座席で車窓から白亜の塔のような建物を見上げつつ、リリィも頷いた。


「敷地内に研究員のみなさんがいらっしゃいませんわ」


 アオイとバスティアンの権限だけで研究棟を一棟丸ごと閉鎖できるとは思えない。

 俺は車両を兵士たちの視界に入らないよう、細い路地に停めて降りる。


「さて、どうしたものかな」


 警備が一番手薄なのは裏門だ。兵士には少しの間眠っていてもらって、中に入るとしよう。

 と、提案する前にアストレアが俺に告げた。


「ここはわたしが囮になるね」


「囮ってどうするんだ?」


「ほら、この前も叙勲されたから、こう見えてもわたしってば軍関係者にはすっごい人気なんだよ?」


 軍警さえも動かすほどなのだから、その人気振りは推して知るべし。

 アストレアは「ちょっと話つけてくるねー!」と、建物の陰から研究棟の裏門に独り、歩いていった。


 リリィが心配そうに眉尻を下げる。


「本当に大丈夫ですの?」


「俺に聞かないでくれ。ただ、アストレアが戦士系にはめっぽう人気があることだけは間違い無い」


 裏門を守る兵士にアストレアは胸を張って、小声で告げた。


 すると――


 ピピーッ! と、兵士の一人が警笛を鳴らした。まるで雨後の竹の子のように、そこかしこから兵士たちが涌いて出る。


 アストレアは「ちょ、ちょっとみんなどーしてそんなに目が血走ってるのかなぁ?」と、声を上げるといきなり裏門から正門方面に走り出した。


 兵士たちがそれに追従する。一時だが、裏門から兵士の気配が消えた。リリィが声を殺して叫ぶ。


「い、今がチャンスですわ!」


「まったく。アストレアのやつ、いったいなにを言ったんだ?」


 彼女が捨て身(?)で作ったチャンスは無駄に出来ない。逃げるアストレアの背中に感謝しながら、俺はリリィの肩を抱き寄せる。


「い、いきなり大胆ですわねカイ先生! 今はローザを救うための……」


「静かにしてくれ」


 黒のマジックロッドで俺は自分の周囲に隠蔽の魔法を施した。気配を遮断し魔法的な探知も欺く犯罪にはうってつけの魔法だ。


 リリィも魔法公式を確認して口を閉じる。


「普段通りゆっくり歩けばいい」


 コクコクとリリィは頷きながら、なぜかその顔は真っ赤になっていた。


               ※   ※   ※


 裏門に到着するなり、俺は隠蔽を維持したまま門に張り巡らされた結界を調べる。


 幸い、正門ほど高度なものではなかった。一時的に隠蔽を解くと、五秒で結界を無効化する。リリィが目を丸くした。


「手口がこなれてますわね。もし、カイ先生が今回の件で犯罪者になってしまったら、わたくしとローザと三人で怪盗になるのもいいかもしれませんわ」


「不吉なことを言わないでくれ」


 それくらい危ない橋を渡っているのは間違い無いけどな。


 裏門の厚い金属製の扉を開けて、俺とリリィは建物内に侵入した。


 中は照明も落とされて、非常灯のみと薄暗い。24時間ひっきりなしに研究が続く建物が、嘘のように静かだ。


 しかも館内全域が非常警戒モードになっていた。侵入者を拒むように、普段は作動していない探知結界などが、すべて起動状態にある。


 まっすぐ伸びた廊下の先が十字路になっていた。リリィがマジックロッドを手に俺に訊く。


「ローザはどこにいるのでしょう?」


「たぶんアオイの研究室だな」


「この建物は入り組んでいて、まるで迷路みたいですわ。薄暗いしどこも同じような壁と通路で……正直、わたくしここではポンコツですわね」


 十字路の分かれ道まで進むと、ぴょこんと飛び出したアホ毛をダウジングロッドのように揺らしながら、リリィはまっすぐ進もうとした。


「そっちは正門とロビーだぞ」


 呼び止めるとリリィは「この通りですわね」と苦笑した。俺は告げる。


「安心しろ。改築でもしていない限り、この建物の構造は全部ここに入ってる。目を閉じていたってアオイの研究室にたどり着けるから」


 自分のこめかみのあたりを人差し指でトントンとノックしながら、俺は左の道を選んだ。


 こちらはアオイの研究室……とは、正反対の方向だ。


「急ぎましてよカイ先生。一刻も早くローザを助けてあげないと……」


 相棒の身を案じてか弱気な顔を見せるリリィには悪いのだが、俺は首を左右に振った。


「その前に、どうしても寄っておきたい場所があるんだ」


「こ、此の期に及んでどこに行こうといいますの?」


 ローザの安全より大切なモノなんてない。と、言わんばかりのリリィだが、俺は小さく頷いて返す。


「念には念を入れないとな。同じ轍を踏まないように。急ぐぞリリィ」


 俺はリリィの肩を抱き寄せると、再び隠蔽をかける。建物内の結界はすべて把握済みだ。要所要所で隠蔽を強化してすり抜けてゆく。


 だんだんと、警備の結界が強固かつ、一歩間違えば触れた者をその場で消し去るような強力なものへと切り替わっていった。


 リリィも「わたくし、こういった類いの魔法には疎いですけれど、殺す気満々な雰囲気だけはわかりますわ」と、息を呑む。


 最後の警戒網をくぐり抜けて、俺は再びその巨大な扉と再会を果たした。


 機密保管庫――その封印を解けば、もはや言い逃れはできないだろう。ここで出くわした時のバスティアンの言葉を思い出す。


 国家の承認によって封印された『黒獣』と『白夜』を使おうものなら、反逆罪に問われて極刑も免れない。たとえ、この国を滅びから救ったとしても。


 俺はその禁を破る。たった一人の……大切な生徒(モノ)のために。


 扉を見上げて「これはなんですの?」と圧倒されているリリィに、俺は今一度言い含めた。


「いいかリリィ。もし……何かあった時には自分の身の安全を第一に考えるんだ。白魔導士は生き残ることに価値があるからな」


「そ、それはわかっていますけれど……どうして今、そのようなことを?」


「この扉を開けるともう、後には引けないんだ。いいかリリィ。全てが終わってもし、お前の立場が危うくなりそうになった時には、遠慮無くすべて『カイ・アッシュフォードに指示された』と言うんだ」


「い、嫌ですわそんなの」


「ローザを助けたいだろ?」


 もう中途半端な力で物事に当たって後悔するのはうんざりだ。なら、この扉の向こうに収められた二本のロッドで万全を期すしかない。


 しゅんと黙り込むリリィに「大丈夫だ。カイ・アッシュフォードはいなくなるかもしれないが、俺だって捕まったり処刑されたりするつもりはないから」と、囁くように告げた。


 思えば学園に入学する前からの名前だが、それさえ捨てても構わない。


 リリィが思い詰めた顔のまま、ぐっとこらえるように頷いたのを合図に、俺は機密保管庫の扉に向き合った。 


 左右の手にそれぞれ試作高速型ロッドを握る。


「いくぞ……術式展開」


 解呪、解錠、解放、解凍、解氷、融解、正解――知りうる限りのあらゆる術式を用いて、俺は要塞のような防御結界を切り崩すように紐解いていく。


 一つ一つの封印が絡んだ糸のように複雑に入り組んでいた。


 それらを一本のラインに戻して抜き取り、次の封印の解放に移る。並のマジックロッドでは半日かかるところを、試作高速型ロッドは数秒で終えた。


 隣でリリィが「このような封印、見たことがありませんわ!」と悲鳴のような声を上げた。


 666の封印のうち、半数以上がダミーだ。看破し選りすぐった必要最低限の封印のみを解呪し懐柔し……最後の一枚に手を掛ける。


 途端に白のマジックロッドに亀裂が入った。

 どうやら目の前の扉は、このロッドを持ってしても攻略しがたい化け物だったようだ。


「わ、わたくしがこちらを押さえますわ! 一部でしたらカイ先生の代わりくらい、できましてよ!」


 不意に左手にかかる負荷が収まった。俺の解呪をじっと見つめていたリリィが、模倣し肩代わりをしてくれたのだ。


「お、お前……そんなことをすれば……」


「これもローザを救うためですもの」


 彼女が魔法を使った痕跡が残れば、言い逃れできないかもしれない。だがリリィは俺に力を貸してくれた。


 その余力を最大限に生かして、俺は解呪を続ける。


 続けてすぐに、右腕が重たくなった。黒の試作高速型ロッドが、負荷に耐えきれず黒煙のような魔法力の揺らぎを上げ始める。


 ローザにプレゼントすると約束していたが、こちらは守れそうもないな。だが……リリィの手助けがあれば、わずかながら黒のロッドに生きる道はある。


「リリィ。済まないがそっちをまるごと頼む」


「え、ええっ!?」


 左手の白のロッドに魔法力を込めきると、俺は手放した。制御を失い解呪の術式完成と引き換えに、白の試作高速型ロッドが粉々に砕け散る。


 俺は魔法力の配分を黒のロッドに集中させた。破断寸前で黒のロッドはその形状を止めたまま、術式を完成させる。


 熱く赤熱する黒のロッド。今にも崩れ落ちそうだが……どうやら失わずに済んだようだ。


 そして、全ての魔法的な封印を剥ぎ取られた機密保管庫の扉は、祝福するようにその腕を開き俺を招き入れる。


 いくつもの封印された技術技法の粋の中心に、台座があった。立てかけられた二本のマジックロッドを前に、俺は小さく息を吐いた。

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