ローザを大事にしてやってくれ

 午後の決勝戦の客席は異様な雰囲気を醸し出していた。


 黒魔導士の生徒がペトラのペアを応援する中、白魔導士の生徒は一人も客席に姿を現さなかった。もう試合日程が終わったかのような振る舞いだ。


 がらんとした応援席の最前列に立って、俺はステージに上がる二人に声を掛けた。


「油断するなよ二人とも! 特にローザ! 私怨に惑わされるんじゃないぞ」


 ローザが首だけ振り向いて返す。


「解ってるわよ!」


 リリィがくるんとターンして、スカートのすそをそっと指先でもちあげながら、貴婦人のように一礼した。


「わたくしにも何かアドバイスをいただけませんかカイ先生?」


 そう言われると……しょうがない。言うつもりは無かったんだが、まあ軽く触りの部分だけヒントを出そう。


「そうだな……異形種ではなく相手は人間ってことが一つ。もう一つは……ローザを大事にしてやってくれ」


 途端にリリィの隣でローザの顔が真っ赤になった。改めてこちらに向き直り吠える。


「な、ななな何よその言い方は! 大事にって……リリィにそうされる理由がわからないわ! 意味がわからないわ! 訳がわからないわ!」


 混乱するローザにリリィは「わたくしが大事にしてさしあげますから、よしよし」と告げると、頭をそっと撫でた。


「や、やめてよ……もぅ」


 ローザの緊張は解けたが、代わりに羞恥心で胸が一杯になったようだ。


 審判員が手を上げる。それを挟んだ対岸には、ペトラとペアの少女の姿があった。

 ペアの少女は前髪で顔の半分が隠れており、ペトラの後ろに隠れるようにしている。


 ペトラの視線はローザだけを見つめ続けていた。口元をにんまり緩ませながら、その瞳は怒りに燃えている。

 審判員のコールにローザとリリィも観客席側からペトラたちに視線を戻した。

 試合開始の合図とともに審判員が腕を振り下ろす。


「行くわよリリィ!」

「そちらのタイミングでよろしくてよ。いつでも合わせて差し上げますわ」


 両手持ちのワンドを構えるリリィの隣を、ローザが駆け抜けた。


 そのままペトラめがけて炎矢の三連射だ。ペトラは避けずにそれを受ける。ローザの速攻は決まったが、発動速度優先で、正直なところ威力はほどほどだ。


 ローザの表情が苦々しくなった。


「チッ……浅いわね」


 俺は首を傾げた。今のローザの実力なら、威力不足であっても直撃でペトラの魔法公式を崩すには充分なはずだが……。


 リリィが理由を看破した。


「ペアの方がダメージを肩代わりしていますわね」


 黒の第四界層――応報でペトラのダメージを目隠れ少女が受けることで、ペトラは妨害されず魔法公式を完璧に構築することができたのだ。


 ペトラが放つのは、おそらくローザもリリィも初見の魔法だろう。これが対人戦ならではというか、怖い部分である。ペトラはローザへの復讐のために、教士が教えない類いの魔法を独自に学んでいたようだ。


「死ね……死ね死ね死ね死ね死ね……死んじゃええええええええ!」


 ペトラのマジックロッドに魔法力が集約される。ローザは身構え、防御の姿勢だ。そのまま振り向かずに吠える。


「ちょっと! 輝盾ぼうぎよはまだなわけ!?」


 リリィはローザのリクエストに応えない。リリィの視線は鋭くペトラを射貫いていた。


「避けてローザ!」


 珍しく焦った口振りでリリィが告げる。が、遅い。

 ペトラの放った漆黒の矢がローザめがけて飛ぶ。なんらかの攻撃魔法と判断して、ローザは魔法力を込めたマジックロッドでそれを打ち落とそうとした。


「無駄だよぉローザちゃあああん」


 矢は弾くこともできずローザの胸に突き刺さる。そして……ローザの身体の中に吸い込まれるように埋没した。


 瞬間――


「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 悲痛な少女の叫びが木霊する。ステージの上でローザは膝を着きうずくまった。


 黒の第四界層魔法――恐怖。


 その魔法公式は対人戦に特化した魔法体系に属している。


 異形種には一切通じない精神攻撃であり、通常の防御魔法――輝盾などでは防ぐことが難しい代物だ。その効果は相手の心的外傷を甦らせる。


 村を襲撃され、蹂躙され、大切な家族や仲間を異形種の群に殺され、踏みにじられ、連中によって故郷を巣に変えられた。


 どうやってローザが独り、その惨劇から生き残ったのかまでは俺には解らないが……今、彼女はもう一度、その恐怖を体験している。


 ペトラの表情が楽しげに歪んだ。恍惚感を得ているのか、目を細め舌なめずりする様は、まるで獲物を追い詰めいたぶる蛇のようだ。


「ふふふ……あははは! ローザちゃんって故郷を異形種に滅ぼされたんだよねぇ? どんな気持ちだったぁ? お父さんはどうやって死んだのかなぁ? お母さんは虫どもにどんな風に殺されたのかなぁ? マンティス型の鎌で首を跳ねられたのかな? ビートル型の角に貫かれたのかな? ソルジャーアント型の酸でドロドロの肉片に溶かされちゃった? 大人も子供も男も女も幼児も老人も、みーんなみんな虫のオモチャにされたんだよねぇ? どんな気分? ねぇどんな気分!?」


 ペトラは自分の耳元に手を当てて、挑発的な質問を並べた。ローザが答えられないのを理解した上で……。


 つい、俺は左手に白魔法用ロッドの柄を握り込んでいた。


 今すぐローザを助けてやりたい。


 教士でなければ乱入していたところだ。が、そんなことをすれば試合は反則負けになる。

 俺は年齢ほど大人じゃない。好きに生きてきただけで、中身はガキだって自覚がある。


 それでも自制心が勝った。


 理由はただ一つ。


 リリィが俺に向けて「この場は任せてほしい」と、視線で懇願していたからだ。


 うずくまり苦しむローザの身体を清浄な光が包み込む。それはリリィのマジックワンドから解き放たれた白の第六界層魔法――浄化だった。


 肉体のダメージを回復させる治癒では治しきれない、精神や肉体の異常や変調を消し去る魔法だ。


 恐怖を始めとした精神的な痛手を負わせる魔法は、人間が用いることが大半である。


 ゆえに白魔導士の中では、対異形種では使われることがないという理由から、浄化の魔法は習得を敬遠されがちだ。


 難易度が高く、術者はどういった状態異常なのかを的確に判断する必要があった。

 リリィの構築した浄化の魔法式は、対恐怖用に組み上げられていたのである。


「知識としてこういう魔法があると知ってはいましたが、使うのは初めてですわ。けど、こういうことでしたのね。カイ先生の仰っていた言葉の意味が理解できましたわ」


 苦悶に歪んでいたローザの顔が、まるで寝顔のように安らいだものへと変わっていった。彼女の力の根源である怒りや悲しみまでも鎮めるような浄化の光。


 初めて、というわりにあっさり使いこなしてみせるリリィの才能にも舌を巻くが、なにより俺の意地悪な虫食いのようなヒントだけで、こちらの意図を見抜いたのが驚きだ。


 ペトラとそのペアが唖然とする中、リリィはそっとローザに手を差し伸べた。


「さあ、反撃ですわね」

「……ふ、ふええ?」


 その手を取って立ち上がったまでは良かったのだが、ローザの視点はどこか定まらず、まるで寝起きのようだ。


 そんなローザにリリィは笑顔で……張り手を見舞った。

 パチン! と破裂音がして、会場内はどよめき頬を打たれたローザも驚いたように目をまん丸くさせる。


「気合いを入れて差し上げましたわ」


 普段なら反撃しそうなローザだが、ヒリヒリと赤くなった頬を手で軽く撫でると笑った。口を大きく開けて、豪快に笑い続けた。


「ふふ、あはは……あーっはっはっは! やってくれるじゃないリリィ。大人しいだ

けのお嬢様じゃなかったのね」


「そういう風に見られるのは心外ですわ。そろそろ反撃……行きますわよ?」


 相棒の頬を叩いた手を、リリィは再び差し出して握手を求める。


 ローザもその手をぎゅっと強く握り返した。


 ほんの数日だが、俺が思っている以上に二人の距離は近づいたようだ。


 顔を上げるとローザは大きく頷いた。


「ええ……やってやろうじゃない!」


「礼には及びませんわ。ペアとして白魔導士が治療を施すのは当然ですもの」


「ビンタなんて荒っぽいことしておいてよく言うわ。さてと……それなら、今度はあたしがペアとして……黒魔導士らしくあなたの矛になってあげる」


 盾と矛が手を取り合って、再び相手に向き直った。

 ペトラの表情が歪む。


「な、なな……なんでそうなるわけ? アタシの予定じゃ恐怖で潰れたローザちゃんを、踏みにじってあげるはずだったのに」


 ローザは得物の先端をペトラに向けた。


「余計な講釈をタレてる間に、止めを刺すべきだったわね……それに感謝するわペトラ。忘れかけていた怒りと悲しみを、もう一度思い出すことができたから」


 ローザが雷帝の魔法公式を組み始めた。まるでそうすると知っていたかのように、リリィはローザに加速の魔法をかける。


 ペトラのペアの目隠れが「無理です絶対無理ですいやああああああ!」と、悲鳴をあげて自分からステージの場外に逃げていった。


 実に賢明な判断だ。


「ちょ、ちょっと待ちなさいってばぁ! 肉の盾が逃げてんじゃないわよぉ!」


 所詮はその程度の関係性なのだ。ペトラにとってペアはあくまで自身のダメージを肩代わりさせるための、道具でしかない。


 それではいくら才能があっても、個人として強くても……脆い。


 リリィの口元から鮮血が筋となってしたたり落ちた。ローザへの加速をさらに重ねがけする。それをみてローザの集中が一瞬、途切れた。


「ちょっと……大丈夫なの?」


「心配無用でしてよ。さあ……わたくしの分まで存分に……」


 すべての魔法力をローザに託すようにして、リリィは膝を着いた。

 ローザの雷帝は通常の周囲を巻き込み暴れ回るそれではなく、リリィの助けもあって精度と威力を極限まで高められた、槍の形を作った。第一階層――雷槍の超強化版だ。威力は比較にならないだろう。


 ペトラが尻餅をついて震えた。


「ま、待ってローザちゃん! アタシの負け! 降参するから……それを撃つのはやめてええええええ!」


「撃ち抜け……槍術式雷帝インドラ!」


 一筋の光がステージを一瞬で横断し、ペトラの身体を貫いた。当然、その魔法公式は試験演習用の仮想魔法になってはいるのだが、それでもなお余りある威力によって、ペトラの装着していた腕輪型魔導器がオーバーロードし、爆ぜるように砕け散る。


「いやあああああああああああああああああああああッ!?」


 悲鳴があがった。直撃を受けたペトラは倒れると、陸に打ち上げられた魚のように無様にその身体をビクつかせて、しばらくすると失神して動かなくなった。


 ローザがマジックロッドを納めて、床に膝を着いて呼吸を整えるリリィに手を差し伸べる。


「あんたのおかげね。今までで一番良い魔法が撃てたと思う」


「ええ、当然ですわ。わたくしが助力したんですもの」


 不敵な笑みを浮かべてリリィがローザの手を取り立ち上がった。

 審判員が勝者ペアの名前をコールする。どよめきと沈黙の客席……だが、その一部からは賞賛の拍手が贈られた。


 戦士養成機関の訓練生たちだ。そして、俺も二人に祝福の手を叩く。


 教士になって日も浅いが、最初の試験演習で門下生ペアが優勝っていうのは、これ以上ない成果だろう。


 まあ、がんばったのはあの二人で、俺はちょっとコツを教えたくらいだが……ややもすれば落ちこぼれと言われかねないような、異端の才能と俺は相性が良いらしい。


 さてと……これで学園長に前借りした分も綺麗さっぱり返済して、たっぷりお釣りがくるだろうな。


 と、ほくそ笑んだ矢先、事態は急転直下した。


 学園都市全域に、異形種の進軍警報が鳴り響いたのだ。


 次元解析法リグ・ヴェーダシステムの運用開始から十年近く、一度として鳴ることのなかった警報に、学園はパニックに陥った。

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