あたしのこと軽蔑したでしょ?

 昼休みのチャイムとともに、俺は最後の一冊を読み終える。


 昼食の前に本を返却しようと再び図書館に足を運ぶと、その入り口付近でローザが女子生徒と口論をしているところに出くわした。


 相手は薄い赤毛のハーフアップツインテールで、気だるげな口振りでローザに告げる。


「んじゃ、よろしくねぇ図書委員さん。この資料ぜーんぶ元の棚に戻しといて」


 台車には本が山積みだ。


「なんであたしがそんなことしなきゃいけないのよ? 借りたのはあんたじゃない」


「だってぇ、アナタってば図書委員でしょぉ? 委員会の仕事くらいやってよねぇ。司書さんだって忙しいんだしさぁ……ちょっとは学園のために働きなよ? お金も出さずに通ってる奨学生なんだし」


 なにやらトラブルのようだが、生徒同士のやりとりに大人が出しゃばるのもよくない。二人を避けるように図書館に入ろうとすると……ローザに声をかけられた。


「ちょ、ちょっと待って! なんでスルーするのよ!?」


「そりゃあ図書委員の仕事がんばれよ……としか言えないだろ」


 赤毛の少女が俺の顔を見て首を傾げた。


「誰この人? 先生?」


 ああ、そういえば入学式にも出ていないし、在校生に紹介される機会も無かった上に非常勤なこともあって、俺を知っている生徒は冗談を抜きにしてもローザとリリィだけだ。


「今年から入った非常勤教士のカイ・アッシュフォードだ」


 身分証明のネームカードを見せると、赤毛の少女は「ふーん。なんかぁ……あんま先生っぽくないね」と正直な感想を述べた。それに続けて自己紹介を挟む。


「アタシはペトラだよぉ。もしかしてだけど、ローザちゃんを門下生にしたのってカイ先生なのぉ?」


 ペトラは口元を手で隠すようにして笑った。


「ぷっ……ぷぷぷっ! こんな子を門下生にするなんてご愁傷様だねぇ」


「誰がご愁傷様だって?」


 俺が訊くとローザはそばにあった台車を館内に運び始めた。


「ほら、あたしがやっておくから……あんたは戻っていいわよ」


「ええぇ? もしかしてローザちゃんってば、話してないんだぁ」


 なにやら以前に一悶着あったのか、俺の知らないローザを赤毛の少女――ペトラは知っているらしい。それはローザにとって、俺の耳には入れたくないことのようだ。


「ローザちゃんは一年の時にクラスメートを一人殺しかけたんだよぉ。カイ先生も気をつけないとねぇ。殺されかけた女の子は、それからおかしくなっちゃったんだから」


 言い残してペトラは立ち去った。気まずそうなローザに俺は告げる。


「変な奴だな。さてと、さっさと本を所定の場所に片付けちまおう。手伝うぜ」


 ローザを目をまん丸くさせた。


「え? あたしのこと……怒らないの?」


「どうしてそこで俺が怒るとかそういう話になるんだよ。チャッチャとやるぞ」


 俺はローザに代わって図書館内に本の積まれた台車を運び込むと、司書に一言断りを入れてから、それぞれの本を所定の棚に戻していく。

 本自体、内容が最新のものに入れ替わっていても、おおよそのジャンルは昔のままだ。

 どの本もだいたい戻す棚の場所は調べずとも手に取るようにわかった。


 ローザにも何冊か本を抱えてもらって棚から棚を渡り歩き、十分ほどで全ての本が片付いた。


 どれも黒魔法に関連する書籍だが、異形種に有効なものではなく対人戦に効果的な魔法の参考書ばかりだ。相手に苦痛を与える拷問や洗脳といった、実に黒魔導士らしい内容が多く見受けられた。


 ついでに、明日読むのにちょうど良さそうな新刊を三冊ほど借りて、一段落ついた。


 図書館を出ると、自室に戻ろうとすろ俺の前にローザが回り込んできた。


「ちょっと待って!」


 いつも通り俺を睨みつけてくる。敵意というよりも、その瞳は……怯えていた。


「どうしたんだよ大きな声を出して」


「ペトラが言ったことは……本当よ。あたしのこと軽蔑したでしょ?」


「軽蔑って別に……」


 何人殺そうが気にしないと言いかけて、俺は言葉を呑み込んだ。


 命を狙われることもあったし、降りかかる火の粉をはらうのに手を抜くことはない。


 そもそも俺の場合、見殺しにした人間の数が多すぎて、ちょっと人の死に対する感覚がおかしくなっているんだ。


 この年頃の女の子と同列に考えるべきじゃなかったな。


「何か言ってよ! それともあたしのこと……怖くなった?」


 なんだよコイツめんどくさ……ああ、わかった。話を聞いて欲しいんだ。俺もガキの頃にそんな一面があった気がする。相談に乗って欲しいと素直に言えなくて……ローザを見ていると昔の自分がダブってしまって、なんとも痛々しい気持ちになった。


「そうだな……ちょうど昼時だし、一緒に飯でも食うか」


 そう言うと珍しくローザは素直に頷いた。

 学園内の学食くらいなら、俺の安い給料でもおごってやれるしな。




 場所を学食に移した。隅っこの席で俺は今日のランチAを食べながら、ローザの話を聞く……はずが、彼女は一心不乱にランチAとランチBに加えてトマト系のスパゲティまで食べていた。


 完食するまで待ってから、吐息混じりに聞く。


「育ち盛りなわりに小柄だよな?」


「燃費が最悪なのよ! 栄養が全部魔法力になるから……っていうか、人の胸のあた

りを見て小柄とか言わないでくれる?」


「口が悪いのはお互い様だろ?」


 俺は食後のお茶を取りに席を立つ。味も香りもさっぱりしない安物だが、無料で飲めるのがなによりありがたい。


「というか別に意識して見てないからな。ところで……さっき図書館の前にいた赤毛の……ペトラってのとは友達なのか?」


 ローザは自分の胸の辺りを腕を組んで隠すようにしながら、ぶっきらぼうに呟いた。


「ペトラは……ただのクラスメートよ」


「ただのクラスメートがあんなことを言うか? それに奨学金のことも話してたな。そういう話をするとは失礼なやつだ」


「本当に嫌になるわ……ペトラにもだけど、自分にも。お金無いけど学びたいから……成績優秀者は学費の返還も免除されるっていうし……けど……リリィにも勝てないで成績上位をキープできるかどうか……不安で……」


 力無く彼女は肩を落とす。奨学生と言えば聞こえは良いが、要は借金をしているようなものだ。かくいう俺はというと、学園にいた頃はローザと同じく奨学生で、現在もその借金をびた一文払っていないままである。


 一時、返す暇も無く忙殺されてたんで仕方ない。請求は王立研にでもしてくれという気分だ。


「別に奨学生だからって引け目を感じることは無いぞ。俺だってそうだったんだし」


「えっ!? 嘘でしょ?」


「訳あって親には頼れなくてな。けど魔導士になる素質はあったから入学試験を受けて、飛び級で卒業……っと、まあ俺が生徒だった頃はちょうど世界が終わるかどうかの瀬戸際だったんで、色々とうやむやなままなんだ」


「もしかして……あんたが卒業したのって異形種との大戦の時なの? 学園の生徒も戦いにかり出されたって聞いてるけど」


「ああ。といっても俺の場合は個人的な理由で志願したんだ。一足先に異形種と戦ったよ。で、無事に生き残り、その功績もあって王立研へ……ってな。俺みたいなのが王立研にいたのも、実はそういうからくりなんだ」


「じゃ、じゃあ戦場で、もしかしてシディアンと会ったことあるんじゃないの? 同じ部隊で戦ったりしたとか!?」


 ローザがテーブルの上に身を乗り出して俺の顔をのぞき込んだ。先ほどまでの不安げな瞳が嘘のように、興味と好奇心で輝いている。


 目は口ほどに物を言うが、ローザの場合は特にその傾向が強い。素直すぎて対人戦の駆け引きに重要なポーカーフェイスは無理そうだ。


 眉一つ動かさず俺は続ける。


「あの戦いは大混戦だったからなぁ」


「そう……残念ね。せめてどんな顔だったかわかれば良かったのに」


 彼女はよっぽど黒魔導士シディアンに思い入れがあるようだ。


「なあ、どうしてそこまでしてシディアンを倒したいんだ? 会ったことも無い相手だろ?」


 ローザは爪が食い込むくらい、強く自分の拳を握り込んだ。


「シディアンが……黒魔導士がもっと強ければ壁も今より東側にあったし……助かった人間だってもっともっと多かったじゃない? シディアンが表舞台から姿を消したのは……逃げたからよ! 自分が見殺しにした人間たちに向き合えない、心が弱い人間だったからに違い無いわ。そんな男が黒魔導士最強の英雄なんて……あたしは認めない!」


 怒りと憎しみと悲しみの入り交じった瞳が、俺の心を射貫くように見据えた。


「そうだな。もっと救えた命は多かったかもしれない。もしかして……ローザも壁の向こう側の出身者なのか?」


「あたしの故郷は……この前、あんたが巣を封印したあの村よ」


 げっ……まずったかな、これは。


「なんで黙ってたんだ?」


 ローザは軽く下唇を噛む。


「言う必要なんてないもの。同情なんて不要よ。むしろ……連中の巣を封印してくれて、その……少しは感謝してるの。巣が完全に根付いて、土地が汚染されたら取り返しもつかないし」


 ローザの故郷は人類側が戦略上奪回する意義を見いだせない……言わば見捨てられた村だ。異形種的にも、積極的に巣を根付かせる意味はない。手が余っていればという程度の位置にあった。


 十年ほど前――おそらく、どこか別の巣から湧いて出た異形種の偵察部隊が、進軍の途中に“たまたま通りかかった”結果、ローザの村は滅ぼされたのだろう。


 その後、人類側の戦力によって異形種の偵察部隊は撃破され、残ったのはローザの村の廃墟だけとなった。


 ワーカーアントが巣を作ったのは、ローザの村の襲撃から何年も後のことに違い無い。


 でなければ、あの村に雑魚ワーカーアントしかいなかった理由の説明がつかないからな。


 今の人類には根付いた巣を除去する術がない。東の大地を取り戻せない一番の理由だ。


 しかし……襲撃を受けてローザは独り、どうやって生き残ったのだろう。


 軽く潤んだ瞳でローザは俺を見つめた。それでもやはり怒っているような雰囲気だ。


 どうして生き残れたのかを訊くのはやめておこう。彼女が語ってくれるまで、そっとしておいた方がよさそうだ。


「それより、あんたもあたしと同じだったのね。そっちこそ黙っている方が水くさいじゃない」


 少女はもじもじと膝をすりあわせるような素振りを見せた。

 東方出身の奨学生といえば、確かに似たような境遇だな。


「俺が住んでいた町はもっと東側で、連中の巣が根付いて完全に汚染された隔離地域だ。親もその時死んじまったからな」


 そう言うと、ローザから急に敵意がフッと消えた。むしろ気まずそうに呟く。


「そう……なんだ。ごめんなさい」


「謝ることないぞ。不幸自慢をしたくないのは俺もお前も同じだろ?」


 ローザはコクリと頷いた。


「え、ええ。そうね……ごめんなさい」


 まるでしおれた花のように、ローザは頭を垂れたままだ。


「だから謝るなって。しかしまあ、お前が異形種を憎むのもリリィと張り合うのも、シディアンを怨んでいる理由もよくわかったよ」


 ライバルの名前を出した途端、くわっ! と、ローザは顔を上げた。


「リリィみたいなお嬢様には負けたくないもの。それに……別にシディアンを怨んでるってわけじゃないわ。ただ、あの男を倒してあたしが最強の魔導士になって、異形種をこの世界から殲滅すると誓ったから。シディアンを越えなくて、それが成し遂げられるとは思えないもの。だから……倒すのも込みで目標みたいなものよ!」


 彼女はもう一度、決意を新たにするようにぎゅっと拳を握り込む。本気でシディアンを越える最強の魔導士を目指しているわけか。


 力になってやりたいと素直に思った。可能な限り的確にアドバイスをしてやりたい。


「で、話は戻るんだが……最強を目指すお前が、ペトラを相手に何を怨まれるようなことをしでかしたんだ?」


「一年生の最初の試験演習……黒魔導士の個人部門で……あたしの対戦相手はペトラだったの。彼女の家もリリィと同じで名家みたいね。たしか名字はパーネルだったかしら」


 パーネル家といえば黒魔導士の名門だ。黒魔導士版ヒルトン家と言っても差し支えないだろう。無名の奨学生が大金星を挙げたとしても、ローザの実力からすればおかしな話ではない。


「試験演習の試合で、お前が勝って逆恨みでもされたのか?」


 ローザはゆっくり頷いた。


「ええ。全力で戦って……叩きつぶしたわ。ただ……ちょっとやり過ぎたっていうか……奨学生相手だって油断した向こうも悪いのよ」


 公式の試合をする場合、魔導士は仮想魔法を使い、勝敗を確実かつ安全に判定するために、専用の腕輪型魔導器を装着する。

 その腕輪が仮想魔法のダメージを肩代わりし、これを破壊されると死亡扱いとなる

のだ。

 未熟な生徒のために作られた試験用のシステムだった。


「もしかして、試合用じゃなくてガチの攻撃魔法を使ったりしてないだろうな?」


「そんなことをしたら反則負けでしょ。ちゃんと仮想攻撃魔法を使って勝った……けど、試合用に調整してあっても、あたしの魔法の威力が高すぎて……直撃を受けたペトラは気絶しちゃったのよ。みんなの見てる前で……」


 仮想魔法といっても威力がまったく無いわけではない。その威力の余波で気絶というのは、充分にあり得ることだ。


「なるほど。なら別に殺してないじゃないか」


「奨学生のあたしに気絶させられて、ペトラは大恥を掻かされたってわけ。エリートにとっては死んだも同然ってことみたいね……」


 ふと疑問が浮かんだ。試験演習でペトラのような有力者を倒したなら、どうして誰もローザを門下に加えなかったのだろう。


「教士は誰も手を上げなかったのか? 一年も学べばどこの門下でも筆頭になれるだろ。お前みたいな逸材なら、俺は欲しいと思うぞ」


 突然、ローザの顔が耳まで真っ赤になった。


「な、な、な、何いきなり言ってんのよ!?」


「なにって、名家の出身者を倒せる実力者を放置なんてもったいない。欲しがらない

なんてどうかしてる……って思ってな」


「ほ、欲しいとか言わないでよ! 人をモノみたいに……」


「別にモノ扱いってわけじゃ……で、どうしてどこの門下にも入らなかったんだ?」


 ローザは言いにくそうに視線を外した。


「えっとね……調べたわけじゃないけど、裏でペトラが手を回したみたい。けど、勘違いしないで。もともと門下なんて興味無かったんだから……あんたに……会うまでは」


 これは光栄なことだ。初日に実力をきっちり見せた甲斐があったな。


 しかし……まあ、どの教士もパーネル家には睨まれたくないってわけか。


「これからどんな嫌がらせをしてくるか……あたしはこういうの慣れてるけど、あんたに迷惑はかけたくないし」


 眉尻を下げてうつむくローザに俺は笑顔で返した。


「なーに、心配すんなって。パーネル家だろうが俺には関係ないからな。だからローザ……自分が俺の門下から去れば全部丸く収まるとか考えるなよ?」


 いつものツンとした空気が、すっかりしおらしくなってしまった。一層瞳を潤ませ彼女は俺に訊く。

 その桜色の小さな唇が、優しく言葉を紡いだ。


「カイ……本当にいいの?」


 透き通った声で彼女は俺の名を呼ぶ。


 あんただのこいつではなく、やっと普通に言ってくれたな。ようやく先生として認めてくれたのかもしれない。些細なことだが嬉しかった。


「ああ。俺を倒してステップアップするんだろ? で、行く行くは最強の魔導士になって復讐を果たすんだもんな」


 ローザの顔が耳まで赤くなった。


「も、もちろんよ。じゃあ……これからも……あんたの門下でいてあげるわ。あんたを倒せる……その日まで……もちろんその次はシディアンよ!」


 物騒な宣言だが、笑顔のローザに俺も不思議とほっとしていた。

 年齢相応で可愛いところがあるじゃないか。


「それじゃあ昨日も言った通り、午後のリリィとの訓練が終わったら追加で特訓するから、くれぐれも全力を出し切るんじゃないぞ」


「わかってるわよ! お昼ご飯もいっぱい食べたし、余力をたっぷり残してリリィの相手をしてやるんだから」


 この調子なら大丈夫そうだ。持ち直してくれてよかったぜ。

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