ローザ・ワイルドの孤独

なんですその薄汚い鈍器は


 学園に戻ってからのリリィは、以前よりも晴れやかで明るい表情をするようになった。


 実戦に近い形のトレーニングにおいても、精神面の安定による効果は顕著にみられた。


 午後からの特訓でローザを相手に完封したのだ。しかも一度や二度ではない。一進一退の攻防を繰り広げていたはずが、頭一つリリィが抜け出た格好だ。


 リリィの10勝0敗から、俺は数えるのを止めていた。


「なんで防ぎきれるの!? あんた、実家から戻って来てからおかしいわよ。いったいカイに何を吹き込まれたわけ?」


 攻撃魔法を撃ちきって肩で息をするローザに、リリィは微笑み返した。


「カイ先生にはとっても優しくしていただきました。愛が人を強くするのですわ。ただ、それはそれとしても、この結果はわたくしが優れているからではありませんもの。白魔法の防御性能が優れている……ただ、それだけのこと」


 リリィも対応に全力であることは間違い無い。その証拠に、口元からツーっと赤い鮮血が垂れた。


 あまり無理をされて試験演習前に疲弊しきられても困るんだが……。

 俺はステージ上で胸を張るリリィに告げる。


「その口から血を吐くのをどうにかしないとな」


 本来なら地味な走り込みなどをやらせたいところだが、今は試験演習に向けて対人戦の場数を踏ませたい。二人まとめて基礎訓練は後回しだ。


「あら、いつの間にかお漏らししていましたわね」


 ハンカチでぬぐってリリィは何事もなかったようにニッコリ微笑む。


「というかだな、身体の方は大丈夫なのか?」


「問題はありませんわ。わたくしにとっては日常茶飯事ですもの。それにローザもわたくしの身体を気づかって手を抜かなくてもいいのに……先ほどの攻撃にしたって、まさか全力ではありませんわよね?」


 ローザがリリィを憎らしげに睨みつけた。


「え、ええ当然よ。すぐに血を吐くから、ついつい仏心が湧いちゃうのよね。手加減してあげたんだから感謝してくれてもいいわよ? さてと、ここからが本番ね……もう一本いくわよ!」


「ではこちらも最初から全力でお相手いたしますわ。その前にリセットしますわね」


 リリィは自身にかかった防御系の白魔法を一旦解除した。ローザも呼吸を整え直す。


 俺が指示しなくても、勝手に張り合い、勝手に稽古を続けてくれるのは楽でいい。が、切りが無いので次で終わりにさせよう。


「じゃあ、これでラストだぞ」


 俺の言葉に二人は頷き合うと、仕切り直しと言わんばかりに魔法戦を再開した。

 結果は――またしてもリリィの圧勝に終わった。





 演習場のステージの上で、ローザが独りぽつんと膝を抱えて座っている。


「なあ、そろそろ寮に戻れよ。リリィはとっくに帰っちまったぞ」


 ローザは今頃、寮でシャワーでも浴びて汗をさっぱり流しているだろう。


「うう……だって全敗よ! 白魔導士相手に全敗……これじゃまるで黒魔導士が劣ってるみたいじゃない?」


 俺はローザの前に立つと膝を折ってかがみ、視線の高さを合わせた。顔を上げた彼女の瞳には、今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溢れている。

 照明も落ちて月明かりだけがその顔を照らしていた。


「まあ、白魔導士と一対一で戦う経験ってのはあんまり無いんだし、仕方ないんじゃないか?」


「それを言うならリリィだって、黒魔導士との単独戦闘経験はそんなに無いでしょ?」


 基本的に授業は白黒別々で、そこで行われる訓練も試験演習でさえも、同じ属性の魔導士同士で競い合うものになっている。唯一例外があるとすれば試験演習のペア部門だが、それにしたって黒は黒、白は白でペアを組んでの参加が一般的だった。


 そういった風潮は、俺が生徒だった頃と少しも変わっていないらしい。


「ええと……そう……だな。うん……まあその……がんばれ」


「なによそのフワッとした慰め方! 教士ならリリィに勝つためのアドバイスくらいしてくれてもいいじゃない? それがエコヒイキっていうなら……アレだけど」


「アドバイスか。二人が勝手に訓練に励んでくれるんで、すっかり忘れてた」


 ローザは「もうっ!」と、不満げに俺を睨みつけた。俺への怒りで、今にも落ちそうだった悔し涙は引っ込んだようだ。


「一応あんたはあたしの師匠なんだし、給料分は働くって約束でしょ? 教士なんだからしっかり仕事をしてよね?」


 俺は立ち上がると彼女に手を差し伸べた。


「わかった。とはいえ、今日はもう遅いから寮に帰るんだ。明日も基本的にはリリィとの組み手を続けてもらうから、追加訓練はその後だな」


「い、今からでもいいわよ! 追加訓練……望むところよ!」


 これ以上リリィに離されたくないと、ローザの瞳が訴えかけてきた。


「ダメだ。こっちにも準備があるんだよ。というわけで、明日のリリィとの訓練では全力を出さずに、きちんと余力を残して終えるように。でないと追加訓練は無しだからな」


 ローザは悔しげにうつむきながらも、俺の手を取って「しょうがないわね。わかったわ」と頷きながら立ち上がった。


 リリィに完敗してよっぽど悔しいのか、藁を掴む思いで俺の手を握ったのかもしれないが、多少なりとも素直になってくれて大変嬉しく思うぞ。




 翌日――


 俺は朝一番で学園長室のドアをノックした。中から「どうぞ」と落ち着いた声が返ってきたのを確認して、入室する。


 相変わらずルーファス学園長は、こちらに一瞥もくれることなく、コレクションのマジックロッドを広い机に並べて、涼しい顔で磨き上げていた。


「おや、お久しぶりですねカイ先生。どうです? 学園の空気には馴染みましたか?」


「おかげさまでな」


「なにやら早くも色々とやっておられるようですね。古参の教士とぶつかり合ったり、ヒルトン家に乗り込んだりと……それにどうやったかは知りませんが、巣の封印までしたというではありませんか? あの映像、編集こそされていますが合成ではないようですし。Fランクというのが信じられません。やはり私の見る目は正しかったようです」


 マジックロッドを磨く手を止めて、ルーファスはニッコリ微笑んだ。

 俺が思いの外有能だったことへの満足感というよりも、自身の見る目があったことに満足している……そんな笑みだ。


 俺は溜息混じりに告げた。


「今日はお願いがあって来たんだが」


「なんでしょう? 私にできることであればなんでも言ってください。相談に乗りますよ」


「じゃあ、今磨いているそのコレクションから、白黒一本ずつもらえないか?」


「お断りします」


 表情筋をピクリともさせず、終始笑顔のままルーファスは却下した。


「なんだよケチ臭いな」


「強盗まがいの要求を拒否しただけです」


「なら、俺の仕事ぶりを評価したってことで、一つボーナスをくれてもいいんじゃないか?」


「仕事ぶりと言われても……巣を単独で封印したことを評価しろと?」


 ルーファスは首を傾げる。お! これはもう一押しすれば……。


「そうそう。ちゃんと評価できるところを見ていてくれてるじゃないか?」


「残念ですが、貴方が封印した巣は戦略上なんの意味も無い場所のものです。早晩、異形種に奪還されるでしょうし、それを守る価値もありません。壁のこちら側にできた巣ならいざ知らず、手遅れな場所ですから。よって、特別ボーナスにはなりませんのであしからず」


 ぬう……手厳しい。黙り込む俺にルーファスは溜息混じりで続けた。


「それに次元解析法によって、壁のこちらに異形種が侵攻しようとすれば、すぐに前線基地の駐留軍から、掃討部隊が出撃する手はずになっていますし。そもそも、巣の封印で評価を上げるというのはいただけませんね」


 そいつはごもっともだ。何かあれば、きちんと動いて対処する部隊が、学園とは別にある。


 もっとも異形種の侵攻が多いと目されているのは、この学園と戦士養成機関のちょうど中間の位置にある大渓谷だった。


 そこを瓶の蓋のように閉じている前線基地。集められているのは、戦士と魔導士の精鋭たちだ。

 彼らが突破されるようなことがあれば、人類はさらなる後退を余儀なくされるだろう。


 それだけに任務は重要で、基地の部隊員は渓谷やその周辺地域を定期的に巡回し、根付く前の巣が発見されれば早期に封印を施していた。


 進行してくる異形種への対応や巣への対処は彼らの仕事で、教士がやるべきことではない。


 しかし、だからといってこのまま引き下がるわけにはいかなかった。


「じゃあいくらか予算をくれないか?」


「何に使うんですか?」


「さすがにこのマジックロッドだけだと心許ないんでな」


 腰のベルトに下がった二本を見ると、ルーファスは眉尻を下げた。


「なんですその薄汚い鈍器は」


「支給品のロッドを破損しちまったんだ。手に入る中で一番頑丈なのがこいつでな。見ての通りの性能だから二人の指導をするには、もう少しマシなロッドが必要なんだ」


 ルーファスは自身のあごを軽く指でつまむようにすると、小さく頷いた。


「仕方ありませんね。総務部に手配させましょう。すぐに用意できると思いますよ」


「おっ! 話がわかるな。ありが……」


 俺らしくもなく素直に礼を口にしかけて……優男は口元をニンマリと緩ませた。


「ただし基本給から半年分、天引きさせていただきますのであしからず」


「天引きって……お前」


 ルーファスはスチャっと眼鏡のフレームを指で押し上げた。


「そこは試験演習で門下生を入賞させた特別報賞で、まとめて返済してくださってもけっこうですから。ではさっそく総務部と話をつけますので」


 自慢の新型携帯端末を手にしてルーファスは息を吐く。

 他に無ければ退室してください。と、言わんばかりだった。




 品物がこちらの要求に満たなければ突っ返してやろうかと思ったのだが、ルーファスが手はずを整えてくれたマジックロッドは、中級クラスの良質な品だった。外装こそ素っ気ないが、虚飾を排した俺好みの得物だ。


 ほとんど使われた形跡もなく新品と言って差し支えないものだった。


 こんなに早く俺の元に届けられたところをみると……おそらく、学園内のどこかの保管庫にしまわれていたものだろう。


 とはいえこれなら、一度くらいは俺の全力に耐えられるかもしれない。


 死蔵品にするにはもったいない性能からして、半年分の給料から差し引かれる請求額は妥当なところだ。


 ロッドを受け取るついでに図書館に足を伸ばし、何冊か借りて午前中は読書に当てることにした。

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