リリィ・ヒルトンの憂鬱
私の名前を言ってみたまえ
教士の中でも幅を利かせているAランクの連中の一部に、生徒や他の教士に自身を“教授”と呼ばせている輩がいるらしい。
学園側で教士の呼称に関して明確な規定はなく、表向きは平等ということになっている……が、まあ、ここも王立研ほどではないにせよ、そういった縦社会なのだ。
巣の封印をした映像資料を情報分析室で編集し、当たり障りのない内容に加工してから総務部に提出した帰り……教士棟に続くまっすぐな廊下で、右目にきざったらしくモノクルをした老紳士と出くわした。
昔と変わらずオールバックにした髪は、昔よりも白い面積が増えているように思える。
「おやおや、式典に顔も出さなければ挨拶もしない新任教師がいると聞いて、呆れていれば君でしたか」
ステッキを手にした初老の紳士風だが……こいつ、まだ学園にいたのか。
「どちらさまですか?」
知らない振りで通そうとすると、紳士風は口元を緩ませた。
「まさか恩師の顔を忘れたとは言いませんよね……ああ本当に嘆かわしい。君のそういう出来の悪さは相変わらずのようですねぇ」
目を細めると男はステッキで俺の顔を指し示す。
「カイ・アッシュフォード。私の名前を言ってみたまえ」
「マルクス・アルテベリ」
呼び捨てがお気に召さなかったらしく、紳士風の男――マルクスの語気がかすかに荒くなる。
「マルクス教授と呼び給え。しかし教え子が教士になるとは、巣立った燕のヒナが親鳥となって戻ってきたような気持ちですよ」
こいつの門下にいたのは二時間だけだ。ゼミの初日にあった魔法実験で不備を指摘し、実験方法の最適化を提案したのだが、それが気に入らなかったらしく、その場で破門を言い渡された。他の門下生の前で恥を掻かせたつもりはないが、向こうはそう受け取ったらしい。
当時、学園でもっとも優秀と謳われていた教士だが、高いのはプライドだけで技術も知識も中味も無い男だ。第八界層の魔法が使えるというのも疑わしい。
「聞けば噂では王立研に在籍したというじゃありませんか。やはり見込んだ通り、知識に関してはそれなりに優秀でしたね。私の元を離れてしまったことが実に惜しい」
追い出した張本人が哀れむような眼差しで俺を見据えた。
「忙しいんで。これで失礼します」
通り過ぎようとするとマルクスは、ステッキを俺の首筋にピタリと添えた。
「門下にリリィ・ヒルトンがいると聞きましたが、どうでしょう? 貴方の口添えで彼女をこちらに回していただけませんかねぇ? いくら誘ってもレイ=ナイトの名前を出されて断られ続けたんですよ。どんな方法を使ったかは知りませんが、どうせ貴方では彼女の才能を育てられません。ここは経験豊富な私こそ適任と思いませんか?」
「俺程度を手に余した人間に、リリィは教えられないだろ」
スッとステッキをおろしてマルクスは髭を撫でる。
「誤解ですよ。貴方を放逐……いえ、放流したのは自分で泳ぎ切れる人間と判断したからです。私は自信を持って貴方を送り出しましたよ。結果、同期の出世頭ではありませんか? 王立研に入ったというなら手紙の一つもよこしてくれればいいのに」
手紙なんて書こうものなら、王立研に所属する魔導士を育てたと、自分の手柄として吹聴して回るつもりに違い無い。この男にとって教育とはそういうものなのだ。
生徒は自身の出世の道具でしかない。
無言の返答にマルクスはもう一度、髭を撫でた。
「まったく。ではリリィ・ヒルトンを譲る気は無いというわけですか……。私のものにならないだけならまだしも……まあいいでしょう。彼女のことは私も諦めましょう」
なんだかスッキリしない、奇妙な言い回しだな。
「じゃあ学園でも独りで泳いでいくので、これで失礼します」
「困った事があればいつでも訪ねてきてくださいねぇ。恩師として、教士の先輩としてなんでも相談にのってあげますから。ハッハッハッハ」
勝ち誇ったように愉快げに笑いながら、マルクスは総務部のある棟へと歩いていった。
ハァ……あんなのと会うなんて最悪な気分だ。ずっと自室に籠もっていれば良かった。
不愉快な遭遇から数日が経過した。
鎖に繋がれたような日々でも、普通に生活を営むだけなら文句はない。
非常勤故に、ローザとリリィが通常授業を受けている午前中は自由時間なので、好きに本を読んで過ごすことができる。
午後からは二人の門下生の稽古をつけたり、座学でわからないところを個別指導した。先生のまねごとに、俺はおおむね満足することができた。
この数日でローザとリリィの魔導士としての傾向も、さらに見えてきたところだ。
ローザは戦闘に関すること以外に興味を持てない性格らしい。知識の偏りも激しく常識の無さは俺以上だった。
一方、リリィはといえば、学園に入学するまで、ずっと屋敷に家庭教師を招いて勉強を続けていたらしい。
学力は学年トップクラスである。座学ではローザはリリィに完敗だな。
とはいえ、実際に演習場などで身体を動かすと立場が逆転した。もともと魔法力は高いものの、運動が苦手で身体が丈夫ではないリリィは動作が緩慢になりがちだ。
彼女は同格以上を相手にする場合、何よりもまず自己強化の魔法をきっちりかけてからでないと、落ち着かないらしい。
とはいえ普通なら練習をするごとに、動きが良くなってくると思ったのだが……日を追うごとにリリィの動きはむしろ悪くなっていった。調子が上向く兆候が見えない。実戦形式の訓練中も集中を欠いてばかりだ。
一方ローザは好調を維持し続けた。持久力不足という致命的な欠陥こそあるものの、リリィの隙を見つけて攻撃を集めることで勝利するケースが多く見られた。
一分程度なら今の俺とやり合える。それがローザの実力だ。
今もこうして演習場のステージの上で、ローザは俺に各種攻撃魔法を連続で打ち続けている。
さすがに直撃は痛いので、きちっと防がせてもらった。二人の相手をするにはロッドの性能の低さがちょうど良いハンデになる。
防御を固めた俺にローザが悲鳴をあげた。
「いったい何枚輝盾を張ってるのよ!」
「十二枚だが……もう少し張ろうか?」
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねえええええ!」
「防御防御はい防御、こっちも防御、これは回避してっと……お前、一応こっちは担当教士なんだから死ねはないだろ」
風刃と炎矢に加え、黒の第一階層の雷系魔法――雷槍をコンビネーションで打ち込んでくるローザのセンスはなかなかのものだ。
第七界層クラスの大技は俺に吸収されると学習して、手数で勝負というのは良いアイディアだが、俺が構築する輝盾よりも速く紡がなければ届かない。
ぴたりと攻撃魔法の雨が止んだ。どうやらローザは魔法力切れを起こしたようだ。
「ハァ……バカ……カイ……バカカイ……バカイ! あんたなんてバカイよ!」
「荒っぽく省略するなよ! ともかく、俺の防御速度を超えられるような工夫をするか、持久力を上げるかだな。試験演習は仮想魔法で競うにしても、負荷は実戦用と変わらないわけだし」
今日の特訓も仮想ではなく通常魔法を採用した。
そもそも対人戦で通常魔法を使えるなら、それを仮想に変化させるのはさして難しくない。だが、その逆になれすぎてしまうと肝心なときに身を守れない……というのは俺の経験からだった。
「ううぅ……休憩したら……次こそ絶対倒すから!」
ローザはばたっと倒れてステージの真ん中で大の字になった。こらこら。そんなところで休んだら、続けてリリィと組み手ができないだろうに。
「休むならステージの外でしろ」
「ふん。しょうがないわねぇ……」
立って歩くのもおっくうなようで、彼女はステージの上をごろごろ転がって隅っこまでいくと、やっとステージを降りた。尻餅をつくように地面に座り込む。
口では文句を言いつつも、ローザは俺の出す課題に真剣だ。
どれも俺からの挑戦状と捉えている節があるらしく、彼女の実力的に少し届かないくらいの合格ラインを設定すると、思わぬがんばりを見せてそれを乗り越えてくることが希にある。口ではなく態度で示す頑張り屋は、正直嫌いじゃない。
「次はリリィの番だな。上がって来い!」
ステージ脇でローザとの、組み手の見学をさせていたリリィが……ステージに上がってこなかった。
「どうしたリリィ? お前の番だぞ?」
「それが……その……」
困ったように眉尻を下げたかと思うと、リリィは突然……ぽろぽろと涙を頬から滑り落とした。
「う、うう、うわああああああああああああん!」
突然、リリィは声を上げて泣き出した。
これには俺もローザもどうしていいのかわからず、ギョッとなる。
それでもローザは立ち上がると、リリィに歩み寄った。
「え、えっと……急にどうしたの? 大丈夫?」
「うわあああああああああああああああああああああああああああん!」
ローザの控えめな胸にリリィは飛び込むように顔を埋める。
まるでこの数日、ため込んでいたものが一気に吹き出てしまったようにリリィは泣き続けた。
調子が上がらないという兆候はあったのだが、ここまで深刻にため込んでいたとは……こうなる前に、もう少し話を訊いてやるべきだったかもしれない。
結局、爆発したリリィが落ち着くまで五分ほどかかった。
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