今回は特別に許して差し上げましてよ

 あれから数日――


 学園の新学期がスタートした。入学式や新入生へのガイダンスに歓迎会といった、各種イベントへの立ち会いをすべてサボって、通常授業が始まるまで俺は“もろもろ”の準備を進めた。


 俺にあてがわれたのは手入れもされていない旧式の研究機材が押し込まれた、倉庫のような部屋だ。


 ローザとリリィが午前の通常授業に出ている間は、与えられたその研究室で本を読んで過ごした。しかしこの部屋……空調も壊れているらしく、かび臭い。


 当然、こんな場所で魔法の研究などするつもりはないし、やる気も起こらない。


 門下生の活躍如何で、待遇の改善も考慮するとの学園長のお優しい気遣いが身に染みる。底辺の扱いから抜け出したければ結果を出せというのだろう。


(――王立研でも学園でも成果主義からは逃れられない……か)


 まあ、成果を出すのはここでは俺じゃなく生徒なんだけどな。教士はその手助けをするのが本分だ。


 そんな生徒たちの一部――エリート連中は午後になると、師と仰ぐ教士の研究室で学ぶという方式が採られていた。


 が、門下に加わることを許されない大半の生徒は、午後も通常授業の延長にあるような内容を学んでいる。


 そこらへんも昔と変わらない。知識や技術の専門性において、門下であるかそうでないかで、差は開く一方だ。門下に加われないやつは自力で這い上がるしかない。


 かつては俺も門下に加わらない大半の生徒の一人だった。

 そんな俺が門下を募ることになるとは……奇妙なものだ。


 午後からの授業開始を告げるチャイムが鳴った。さてと……そろそろ時間だな。

 あの二人は来てくれるだろうか。でないとこちらの準備が水の泡になってしまう。


「「なんでいるのよ!?」」


 薄いドアの向こうからローザとリリィの声が響いた。俺は本にしおりを挟むと、新たに支給されたマジックロッドを腰のベルトに納める。


 威力は低くても構わないので「なるべく安くて頑丈なものを」と、総務部に頼んだ結果、魔法力の変換効率が非常に悪いクソロッドが支給された。


 この研究室も最低ランクだが、ロッドもどうにかしないとな。

 重い足取りで部屋から出るなり、廊下でにらみ合うローザとリリィに告げた。


「よし。じゃあ今日は初日だし、親交を深めるために遠足といこうか」


 二人がキョトンとした顔になる。


「え、遠足って……ちょっといきなりすぎない?」


「ローザは門下に入っても、ずーっと俺にため口なんだな」


「あたしは誰の弟子でもないもの。前にも言った通り、あんたは倒すべき標的のうちの一人にすぎないんだから」


 ビシッと俺の顔を指差してローザは得意げな表情を浮かべた。

 まあそれくらいの方が俺としてもやりやすい。急に先生だの師匠だのと呼ばれても、しっくりこないからな。


 すると、俺の腕に巻き付くようにリリィがくっついてくる。


「わたくしは誠心誠意、カイ先生に指導していただきますわよ?」


 無意識なのかリリィの胸の膨らみの柔らかい感触が、俺の腕にぷにぷにと伝わってきた。


「こらこらくっつくな」


「これくらいは教士と生徒のスキンシップですし、恥ずかしがらずともよろしいのに」


「よろしくないぞ。生徒との交流が行きすぎて、交友関係になり問題化……それで処分されるのは俺なんだから」


 正直、先生ってものをどうやっていけば正解なのか、わからない。

 だからせめて俺が生徒だった時に、やられて嫌だったことはしないように……とは思うんだが……。


「はいはい離れて離れて! あんたも口では離れろって言っても、鼻の下が伸びてるわよ」


 ナイスなタイミングで、ローザが俺からリリィを引きはがすように割って入った。


「別にそんな顔してないっての」


「あぁん。せっかく先生との親交を深めていましたのに。嫉妬なんて見苦しいですわね」


 リリィが胸を張り、その水蜜桃がゆっさり上下した。それを見て顔を赤くさせながらローザがぼやきつつ、張り合うように胸を張る。

 

 微動だにしなかった。波の穏やかな凪のようだ。

 

 ああ、なんで負ける戦を仕掛けるのか。お前にはお前の良さがあるだろうに。


「嫉妬なんてしてないわ。っていうか遠足って……ちょっとお気楽すぎるんじゃないの?」


「そうか? レクリエーションは大事だろ。初日から座学ってものもつまらないしな」


 ローザが途端に伏し目がちになる。


「それはそうだけど……遠足に行くなら、あらかじめ言ってもらえればお弁当とか用意したのに……午後からがんばらなきゃいけないと思って、お昼ご飯いっぱい食べちゃったじゃない」


 いやいやお弁当って、遠出を楽しむ気まんまんじゃないかローザ。とっつきにくい奴かと思ったが、案外、中味は年齢相応なのかもしれない。


 するとリリィがなにやら思いついたらしく、胸元で両手を拝むようにぴたりと合わせた。


「この時間なら、カフェテリアで頼めばサンドイッチくらいは包んでもらえますわね」


 学食がずいぶんしゃれた名前になったものだ。リリィの提案にローザが笑顔になった。


「あっ! いいかも。あんたにしては名案ね」


「あんたではありませんわ」


「そ、そっちだってあたしの名前、覚えてないじゃない」


「ローザ・ワイルドでしょう?」


 意外にもリリィはローザの名字まですらっと口に出した。そして勝ち誇ったように微笑む。


「あ、あたしだってあんたの名前くらい……えっと……流血のブラッディーリリィでしょ?」


流血のブラッディー……は愛称ですわ」


 それは愛称というよりも二つ名というか、悪言い方をすれば蔑称だろうに。しかし、二つ名としてはカッコイイ雰囲気が無きにしもあらずだが。

 リリィは続けた。


「まぁ、良いですわ。わたくしの場合、いつだって名前よりも家名で覚えられるのが先でしたから……今回は特別に許して差し上げましてよ」


「なんで上から目線なのよ。それに家名って……あんたの実家って、そんなに有名なわけ?」


 ローザの言葉にリリィはきょとんとした顔をした。そんな事を言われたのは初めて……とでも、言わんばかりだ。


 ヒルトン家といえば俺でも知ってるくらいの名家だが、ローザは俺以上に世間知らずみたいだな。


「ふふ……あははは! ローザって変わってますのね」


 ローザは小さく溜息を吐く。


「あんたほどじゃないわよ……ところで遠足ってどこにいくの?」


「ちょっと壁の向こうまで……って感じだな」


 俺の一言に二人の目が点になった。

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