第七話【淫乱ウサギの急展開】
路上に打ち付けられた誠二は、日が沈み暗くなっていく空の下で地面をゴロゴロと転がり、のたうちまわっていた。しかしそれは全身を強打した痛みによるものではない。
「熱い熱い熱い!」
誠二の両腕から少しずつせり上がってくる黒い炎。どんなに腕を振り回そうと擦ろうと消える気配はない。やはりこの炎は普通ではないのだろう。
『さすがだねぇ、キミは』
ジュウゥ……。頭の中に声が響くとほぼ同時にさっきまでウンともスンとも言わなかった黒炎がゆるやかに消えていった。
声のした方を見ると、ウサギのぬいぐるみが二本足で立っていた。毛の色は薄いピンクで、お口は黒いバッテンマーク。縫いつけられた真っ赤なボタンの、なんの感情も読み取れない目が地面に寝転がったままの誠二を見下ろしている。
「お前は……! 夢に出てきた――」
謎の気味悪ウサギ! こいつの正体はおろか名前すらも知らないことに気づいたが、口から言葉が飛び出すのを止められず、誠二はとっさに叫んだ。
『気味悪とは失敬な……せめて【淫乱ウサギ】と呼んでくれ』
淫乱ウサギって、それよけいひどくなってねぇか?
しかし誠二は心の中でつっこむだけで口には出さず、もっと大事なことに話を移す。
「お前、
そう。こいつが誠二の夢の中に出てきてからだ。『すくらぶ』のヒロインたちの様子や物語がおかしくなったのは。普通の学園ラブコメのヒロインである彼女たちは本来、雷や炎を纏ったり、別次元から化物を召喚したり、刀や銃で殺し合ったりしない。
『キミが願ったんじゃないか。選びたくない、終わらせたくないって』
「なん…だと…?」
ニィッと動くはずのない黒バッテンマークの口元が歪んだように誠二には思えた。
『だから用意してあげたよ。
何を言っているのか分からない。誠二は本気で困惑した。『淫乱ウサギ』と名乗る謎のぬいぐるみは無表情のまま口も動かさず、しかし楽しそうな声を脳内に直接送ってくる。
『
「ふざけるな! 何が『キミが願ったこと』だ! こんなのは俺が望んだ
『わがままだなぁ。だいたい今こうしてキミが生きているのだってね、その〝属性〟によるところが――』
☆
伊藤家の台所で夕飯の支度をしているアオイは、突如背後から何者かによって抱きすくめられた。
「誰っ!?」
「ひどいなぁアオイちゃん。僕だよ」
緑髪の少女は驚愕で目を見開く。その声の主は、ここには絶対にいるはずのない少年。最近やたらと学校で絡んでくるクラスメイトの男子。
「
『
「おっと、させないよ。まぁといっても今のアオイちゃんに〝
少年は腕により力を込めてぎゅっと彼女のことを抱きしめながら、嘲笑うようにささやいた。
「なにせ、君にとっての僕は愛しの兄でも恋敵でもないただの同級生だろうからね」
☆
家に向かって夕暮れ時の道を歩いていたユキは十字路を曲った瞬間に腕をつかまれ、物陰に引っ張り込まれた。
「部活の後くらい、一緒に帰ろうよ」
そう言って彼女の腕を掴む力をより強めたのは、ユキの所属する文芸部の同輩の男。
「……離して」
「イヤだ。このまま君たちの保管施設まで案内してもらおうか」
「! ……なぜ、それを」
しかしユキの問いかけを無視して、男はいやらしい笑みを浮かべる。
「無駄な抵抗はしないことだね。今の林原さんは非力なただの文学少女にすぎないんだから」
☆
職員室でのイケメン教師との雑談をお開きにして、自分の鞄を取りに教室に戻ったアヤをひとりの男子が出迎えた。奥の壁際に寄りかかった彼はわざとらしくさわやかな笑みを浮かべる。
「待ちくたびれたよ、桜さん」
「何の用? わたしもう帰るんだけど」
「そう言わずにちょっとぐらいつき合ってくれてもいいじゃないか。センパイやセンセイにばかり媚び売ってないでさ」
その発言にカチンときたアヤは、はぁとため息をついて男子に近づいていく。
「しかたないなぁ」
はじめは一歩一歩ゆっくりと、そして最後は一気に距離をつめる。
「――とりあえず、死ねば?」
懐に潜り込むと右手にナイフを呼び出し――
「無駄だよ」
なぜかいつまでたっても武器が手の中に現れない。
ドン!
思わぬ事態でアヤが焦っている間に男は位置を入れ替え、壁ドンで彼女を追い詰める。
「だって俺は、気になるセンパイでもなければ君の恋敵でもないんだからね」
☆
下校時刻を告げる鐘の音が鳴り、生徒会のメンバーも順番に帰っていった。まだ生徒会室に残っているのは会長の桂ソヨギと副会長のふたりだけだ。
「副会長も先に帰って大丈夫よ。あとはわたしがやっておくから」
「いえ、僕も残ります」
彼はメガネの真ん中を中指で軽く押し上げつつ答える。
「そう。じゃあお願いするわ」
ソヨギは残っていた書類の半分を彼に渡した。
「会長――」
分かりましたとか頑張りましょうとか何か言おうとして彼は口を開いたが言葉は続かなかった。ソヨギはまったく気づく気配がない。すでに自分の仕事に没頭している。
沈黙。
「どう? そっちは終わった?」
しばらくして、自分の分の確認を終えたソヨギが書類の束を整えながら副会長に問う。
「もうちょっとです」
「そう。じゃあ、あとは頼めるかしら」
ソヨギは帰り支度をして、終わったら部屋の鍵を職員室に返しに行くようにと補足する。さっさと生徒会室から出て行こうとする彼女を副会長が呼び止めた。
「ソヨギさん!」
「副会長、前に言わなかったかしら。わたしのことは『会長』と呼びなさいと」
彼女は背を向けたまま、冷たい声で突き放す。
「その名を呼んでいいのはこの世でたったひとりだけよ」
「やはり貴女は僕のことなど興味もないのですね。でも――」
次の瞬間、メガネの少年は狼のごとくソヨギに飛びかかり、彼女を押し倒す。
「奪ってしまえば、こちらのものかな」
「消し炭になりたいの」
ソヨギはただ冷淡に告げる。しかし漆黒の炎がこの不届き者を襲うことはなかった。
「どういうこと?」
彼女はここに来てようやく、目の前の男の顔を睨みつける。
「あははは。やっと僕を見てくれたねソヨギ。貴女が驚くのも無理はないかな。だけどね、別に何もおかしくはないんだよ」
今までずっと少女のそばに立ち献身的に奉仕してきた少年は、初めて彼女の意に背いて醜く顔を歪めた。
「だって貴女にとって彼以外の男はみんな興味もないジャガイモなんでしょう?」
☆
『へぇ! こんな展開もありうるのか』
住宅街の一角で【淫乱ウサギ】と名乗るピンク色の不気味なぬいぐるみが驚いた様子で声を上げた。
「おい……どうした?」
突然響いた叫び声でキーンと脳を揺らされて誠二は頭を押さえた。
さっきまで〝属性〟がどうとかいう話をしていたのに、それをぶち切ってひとりでいきなり驚きだしたものだから、誠二としては何がなんだか分からない。
『しかしこれはこれでおもしろい。まぁこのまま放っておいてもいいんだけど』
「どうしたんだよ? まさかまたみんなに何かしたのか!」
『ボクにとっても想定外の事態さ。キミも混ざった方がもっと楽しくなりそうだから、特別に教えてあげよう――
「!」
とっさに駆け出そうとする誠二を【淫乱ウサギ】が引き止めた。
『どうするつもりだい?』
「決まってんだろ。助けにいくんだよ!」
『がむしゃらに探したって見つからないよ。ボクが手伝ってあげる』
「――分かった」
誠二は左腕でぬいぐるみを抱きかかえて、すっかり日の沈んだ道を走り出した。
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