タイム・トリップ
森本 晃次
第1話
第一章 三十代
「三十代後半を過ぎると、後はあっという間だよ」
と同僚は嘯いているが、まさしくその通りだった。
「まるで経験者のようじゃないか」
というと、
「そうだよ。俺はこの間まで五十歳だったんだ」
酒の席での話だったので、軽く聞き流していたが、興味をそそられる話というよりも、さらに真に迫った話だったので、忘れることはできなかった。その同僚から連れていかれたスナックは、同僚もさほど来たことがないと言っていったが、女の子とは本当に馴染んでいて、同僚の人懐っこさが出ているようだった。
「五十歳ってどんな気分なんですか?」
調子に乗って、女の子はその話に乗っていた。
「いやぁ、今と変わりはないよ。確かに身体はいうことをなかなか聞いてくれないところもあったが、それ以外の精神的なものは、三十代後半とほとんど変わらない」
「じゃあ、三十代後半って、どんな感じなんですか?」
今度は別の女の子が口を挟んだ。どうやら、この唐突な話に店の女の子は十分に興味を持ったようだ。
「三十代の半ばからは、人生の折り返しって感じがしてくるんだよ。それまでずっと上ばかり見てきたものが、下も気にするようになって、次第に上よりも下の方が気になってくる。これは年齢的なことだけではなく、生活でも言えることなんだ。二十代の頃に夢見ていたことと現実の間にどれだけのギャップがあるか、上を見るか下を見るかで、結構切実な思いになるものなんだよ」
同僚の話は、抽象的だった。
元々、理論的な話を好む同僚は、ストレートなモノの言い方をしない。漠然とした話をすることで、人に興味を抱かせ、気が付けば、自分のペースに引き込んでいるようなタイプだった。営業ではそのやり方が功を奏して、業績は決して悪い方ではない。
「松永さんは、独身なんですよね?」
松永というのは、同僚のことで、彼女のいうとおり、独身だった。
「ああ、そうだよ。独身の方が気が楽だ」
と嘯いている。
「こいつも独身なんだよ。なあ、江崎」
そう言われて、どう答えていいのか困っていたが、江崎はそこで初めて口を開いた。
「そうだな。でも俺はお前とは違う理由で独身なんだけどな」
一瞬、女の子たちの表情が硬くなり、緊張が走ったような感じだったが、江崎に悪気のないことは、かくいう松永が一番よく分かっていた。
「そうそう、俺の場合は、単純に結婚したいと思える相手がいないのと、まだまだ遊びたいという気持ちの強さからなんだが、江崎の場合は、忘れられない人がいるからなんだったよな」
「へえ、そうなんだ。江崎さんって、ロマンチックなんですね?」
女の子には、誰かを一途に思い込んでいる女性がいるという男性が、眩しく見えるものらしい。特にスナックに勤めている女の子には、ロマンチックな話は、女心をくすぐるものらしい。
テレながら頭を掻いている江崎を見ながら、女の子は熱い視線を浴びせている。何となく男冥利に尽きる気持ちになっている江崎だったが、そんな時、口を挟むことなく黙って笑顔で見つめているところは、松永の一番いいところだった。
松永は、思っていることを結構口にしてしまう方なのだが、あまり敵がいないのは、そんな心配りが、空気を読める男として、一目置かれているからなのだろう。その思いを一番よく理解しているのは、江崎なのだろうと、江崎本人は感じていた。
「君たちは、初恋のことを覚えているかい?」
江崎はビックリして松永を見つめた。まるで自分の心の中を覗かれているようで、少し不気味な気がしたが、まったく悪びれた様子を見せない松永を見て、
――気にしすぎなのかも知れないな――
少し神経質になってしまっている自分を感じながら、松永はまた黙り込んでしまった。最初は何を話していいのか分からずに黙っていたのだが、今度のは、自分が完全な聞き手に徹するという意味で黙っていた。松永がそのことを察しているかどうか分からないが、ここまで一緒だった松永なので、大体のことは分かっているのではないかと思える。とりあえず、様子を見ることにした。
「私は覚えているわ。小学五年生の頃だったかしら? 好きになった男の子がいて、彼も私のことを意識してくれていたんでしょうね。ある日急に好きだって言われたのよ」
「小学生で?」
「ええ、だから半分嬉しかったけど、あまりにもストレートだったので、ビックリしたというよりも、変に冷めてしまった気分もあったみたいなの」
「冷めた気分が分かったの?」
「ええ、テンションが下がってきたというのかしら。ひょっとして、タイミングが少しでもずれていると、よかったのかも知れないけど、あまりにも嵌ってしまったことで、それまでの夢見ていた思いが、すべて現実に感じられたの。それが一番の原因だったのかも知れないわ」
「確かにタイミングがドンピシャで嵌ってしまうと、急に冷めることもあるらしいね。しかも初恋だと、自分がただの夢を見ていたということに気づいてしまったんだと思うよ」
松永は、そう解説した。
「じゃあ、君は?」
もう一人の女の子に聞いてみた。
「私の場合は、どれが初恋だったのか分からないの。小学生の頃に確かに好きな子がいたんだけど、一度も口を利いたことがなかったの。中学生になって告白してきた男の子がいて、流れで付き合ことになったんだけど、すぐにぎこちなくなって、お友達でもいられなくなったのよ。その後は何人もの男の子とお付き合いしたので、初恋という気がしなかったわ」
「えっ、一度に数人と付き合っていたの?」
「そんな時期もあったわ。私、言い寄られると、嫌とは言えない性格だから……」
と言って、モジモジしながら答えていた。その様子を見ていると、江崎は彼女に、
――この娘は、本当の自分を分かっていないのかも知れないな――
と感じ、気の毒な気分になっていた。
この店の女の子は、初恋に関しては両極端なところがあるが、話を聞いている限りでは、考え方は似ているようだ。性格的に似ていないところに引き合うところがあるのかも知れないと感じた江崎だった。
二十代の頃には、結構スナックに通ったこともあった。あの頃はまだまだバブル経済に浮かれていた時期で、給料や賞与も満足の行くものだった。仕事も充実していて、心地よい疲れを癒すという意味でも、その頃の同僚と、よくスナックに通ったものだった。馴染みの店も数軒あったが、途中からは同僚と行くよりも一人で通うことが多くなった。それは同僚も同じことで、なるべく同じ店に同じ日には行かないようにしていた。お互いに、一人で通うことの楽しさが分かったようだ。
一人で通うようになったきっかけは、同僚と二人で行くつもりだったのに、急に同僚が残業で行けなくなったからだった。一人で帰ってもしょうがない。せっかくスナックに行くつもりだったので、そのテンションを保ったまま、一人で行ってみた。もちろん、スナックに一人で通うなど初めてだったが、馴染みの店ということもあって、敷居が高いわけではなかった。
「あら、江崎さん。今日はおひとり?」
「ええ、同僚が残業なものでね」
「そうなんですね。でも、彼はおひとりで来られることもありましたよ」
「え? そうなの?」
少し意外だったが、別に必ず一緒に来ようと約束していたわけではない。考えてみれば、一緒に来なければいけないと思っていた方がおかしかったのだ。
そんなことを考えていると、思わず思い出し笑いをしてしまった。
「どうしたの?」
女の子が興味深く覗き込んでくる。
「いや、何でもないよ」
と、答えたが、またしても、笑いが零れた。何がおかしかったというわけではないのだが、どこかくすぐったいような気がした。
――一人で来るのも、悪くないかな?
と感じたのは、このくすぐったい気持ちは同僚と一緒では味わえるものではないということと、ドキドキしている気持ちがくすぐったさと結びつくと、今まであまり話ができなかった自分が、急に饒舌になれるのだと思ったことだった。
その時の話題が、初恋についてだった。その頃の江崎は、二十代の半ば頃、初恋がいつのことだったのか、自分でも分からないでいた。しかし、人に話すことで自分の初恋がいつだったのか、教えられた気がした。今まで知らなかった自分を発見することもできて、江崎は有頂天だった。
「初恋がいつのことだったのかって、俺はいつも考えているんだ」
「私もそうなんですよ。初恋の話を始めると、いつも聞き手に回ってしまって、話題を振られても、いつだったのか分からないって答えるしかできなかったのよね。でも、人と話をした後に一人になると、いつが初恋だったのか、分かったような気がするの。でも、一日経つと、結局前のように分からなくなるんですけどね」
と、言って笑っていた。
その話を聞いて、黙って頷いていた江崎だったが、心の中では、
「まさに、その通り」
と答えていた。
その頃から江崎は、物忘れを気にするようになっていた。元々、人の顔を覚えるのは苦手な方だったが、物忘れというのを気にしなければいけないほど、覚えられなくなってしまっているとは自分でもビックリだった。
――初恋がいつだったのか分からないのは、物忘れのせい?
と思ったが、子供の頃は、人見知りの激しい子供だった。
――馴染める人には徹底的に慕う方なのだが、馴染めない人には「けんもほろろ」に応対していたような気がする――
と、感じていた。
江崎が一人で来るようになって、初恋の話をした女の子は、江崎に興味を持ったようだった。江崎も、
――どこか気になる相手――
という思いがあり、気になっていた。
そんな二人が同伴出勤するようになるまで、それほど時間は掛からなかった。
「江崎さん、私の初恋の人に似ているの」
という一言が、江崎の心に突き刺さった。自分は初恋がいつだったのか忘れているのに、初恋の相手を覚えている彼女が羨ましいという思い。そして、そんな彼女の初恋の相手に似ていると言われて、素直に嬉しい気持ち。しかしその反面、その相手が自分ではないという現実に、本当の初恋の相手に嫉妬してしまったという思い。それぞれ複雑に入り混じってしまい、その時は、素直に彼女の気持ちに向き合うことにしようと思っていた。
その女の子はスナックの中でもロマンチックなタイプだった。
――夢見る少女――
が、そのまま大きくなったような感じなのだが、そういう女の子は、意外と男性から疎ましく思われるかも知れない。
仲良くなるには早いかも知れないが、もし、別れなければならなくなった時、結構面倒臭いに違いないからだ。しつこく付きまとわれたり、嫉妬に狂ったりする人もいるという話を聞くと、手放しでは喜べないだろう。
しかし、一度相手を信用したり、好きになってしまうと、前が見えなくなってしまうほど思い入れが激しくなるのが、江崎の性格だった。自分を信用できない代わりに、他人を信用していると言えば聞こえはいいが、相手を信用する自分が信用できないのだから、信用するということにどれほどの信憑性があるのか、分かったものではなかった。
やはり、自分を信用できないのは、物忘れが気になってきたからなのかも知れない。
人から、
「この間、自分で言ったことも、覚えていないの?」
と言われて、まったく言い返すことのできない自分が情けない。相手は、決してひどく怒っているわけではないのに、どうしても気になってしまうのは、
「物忘れが激しいと、信用してもらえない」
という思いがあるからだ。
人に信用してもらえないことよりも、まず、自分で自分が信じられない。
「自分のまわりの人たちは、皆自分よりも優秀なんだ」
と、感じていることに、時々ハッとしてしまう。そうなると、それからしばらくは、誰とも口が利けなくなってしまい、まわりに人を近づけないというオーラが、まわりに渦巻いているようだ。
そうなってしまうと、子供の頃を思い出そうとしてしまう。物忘れが激しいくせに、子供の頃のことは、結構覚えていたりする。
――遠い過去のことは覚えているのに、最近のことをすぐに忘れてしまう――
というのが、江崎の物忘れの「正体」だった。
ただ、最近のことを覚えていないのだから、子供の頃の記憶が間違っていないと言い切れない。真実とは違う形で、記憶に残っているのかも知れない。それでも、江崎は子供の頃のことを思い出そうとする。
それは、思い出しているうちに、子供の頃のことが、昨日のことのように思えてくるからだ。
しかも、その記憶は時系列がしっかりしている。思い出している間は、まるで夢を見ているように、記憶の中の世界に、自分が入り込んでいるのを分かっていたからだった。
だが、それも思い出そうという意思が働いているからで、漠然と考えているだけでは、まるで黒いベールに包まれているかのように、時系列どころか、
「これが本当に自分の記憶なのだろうか?」
と、その曖昧さに、疑ってみたくなるほどなのだ。
一番思い出す夢としては、大学卒業の頃が多かった。大学時代、結構遊んでしまったツケが回ってきて、卒業が危うかった。
原因は分かっているつもりだった。
あまり要領のよくない江崎は、高校時代と同じ要領で勉強していた。大学というところは、勉強するだけではなく、情報やコミュニケーションが大いに役に立つ。勉強というよりも、社会に出てからの「世渡り」に似たところがある。江崎は中途半端に真面目なところがあるので、生真面目に勉強していたため、試験に出るところが分かっていたにも関わらず、そこに気づかずに、とんちんかんな勉強をしてしまい、試験は散々だった。
これを要領という言葉で表すのは弊害があるかも知れないが、無駄な努力をしていたことに変わりはなかった。意固地にならず、まわりの話を聞いていれば分かったものを、要領だけでいい成績を上げることには、抵抗があったのだ。
この頃から、自分に共感してくれる相手としか付き合わなくなった。大学であれば、共感してくれる人は少なくなかった。どちらかというと自分では「異端児」のように思っていた江崎は、一種の「お山の大将」気分だったのだ。
そのツケが卒業間際で回ってきた。
就活しなければいけないのに、卒業も危うい状態。どちらもおろそかにできない状況に、自分でも何をどうしていいのか分からなかった。
それでも、今までの自分のやり方を貫くしかない江崎は、何とか大学を卒業でき、中小企業に就職もできた。就職してからは、それなりにこなしてきたので、さほど困ったことは起こらなかったが、大学卒業寸前の思いだけは頭の中に残っていて、見る夢というのは、その日試験だというのに、何も勉強していない。試験だということを分かっていたのに、なぜ勉強していないのか、そして、なぜ慌てなければいけないのかということが、夢の中で堂々巡りを繰り返しているようだった。
最近のことは思い出せないのに、昔のことなら思い出せるのは、この思い出が頭の中に強烈に残っているからだと、江崎は考えていた。
ただ、逆に同じ昔のことでも、大学時代よりもさらに昔のこととなると、遥か昔に思える。今のような物忘れはないのだが、十代前半くらいというのは、まるで自分の前世だったのではないかと思うほど、けし粒のような小さな記憶であった。
ただ、記憶が曖昧になってきた時期というのがいつ頃のことかというのは、分かっていた。特に最近思い出すようになったのだが、それは、スナックで自分のことを、
「初恋の人に似ている」
と言った女の子の言葉を後になってから思い出した時だった。
スナックで彼女と話をしている時は、それほど意識していなかった。女性と面と向かって話をするのは、いくつになっても緊張するもので、会話に花が咲けば咲くほど、自分の世界に入り込んでしまう。
いや、自分の世界に入り込んでしまうと感じていたのは、勘違いだったのかも知れない。自分の世界に入り込むというよりも、相手のペースに嵌っていたという方が正解なのではないだろうか。ただ、そのこと自分で認めたくない。認めるくらいなら、自分の世界を作り上げ、自分の殻に閉じこもっていると考える方が、よほどよかったのだ。
――やはり、僕は人と関わることや、人のペースに嵌りこむことを嫌っているのかも知れない――
と感じた。
それは、大学時代に要領よく立ち回ることのできなかったことに通じ、その時の自分を正当化するには、人との関わりや人のペースに嵌りこむということを、自分で否定しなければ自分ではないと思うからだった。
その日、スナックを後にして、一人になって歩いていると、店で話をした女の子のことを思い出していた。彼女の言葉も嬉しかったし、
――俺に気があるんじゃないか?
と思わせる素振りも、どこか暖かさを感じた。
もちろん、スナックの女の子なので、営業トークや思わせぶりな態度なのだろうが、それを分かっていても、その日くらいは、心地いい気持ちでいたいものだった。
表に出ると、冷房が効いていた店内と違って、表は夜だというのに、生暖かかった。今にも雨が降ってくるのではないかと思うほど湿気が肌にまとわりついてきて、歩いていて足に重たさを感じていた。
風がかすかに吹いていたが、吹いてくる風に、まるで石のような匂いがまとわりついていた。雨が降る前兆なのは分かったが、すぐに降ってくるわけではないのは分かっていた。空を見上げれば月が出ていて、月に掛かった雲が、黄色く光っているのを感じた。そんな時は今すぐというわけではないが、雨が降る前触れであるというのが、今までの経験で培ったものだった。
「慌てて帰る必要もないな」
適度な酔いが心地いいが、それも急いで帰ろうとして早歩きなどをしてしまうと、酔いが一気に回ってくる。ゆっくり空を見ながら歩くくらいの方がちょうどいい。途中に公園でもあれば、少しベンチに座るのもいいかも知れない。
そんなことを考えていると、公園が見えてきた。
「公園のベンチに座るなんて、いつ以来のことだろう?」
ベンチに座って空を見上げていると、大学時代には、よく公園のベンチに座って、ビールを呑みながら、空を見上げたものだということを思い出した。月が出ていれば、その月の大きさを過去に見た月を思い出しながら、比較してみたものだった。その日も月を見ながら、
「今日の月は小さいな」
と、少し遠く感じていたのだ。
その時江崎は、五十歳になった自分を感じていた。まだまだ三十歳を超えたに過ぎないのに、五十歳など、遠い未来でしかないと思っていたので、想像することもなかった。三十代という世間一般には、脂の乗り切った時代と言われる年齢で、夕暮れから夜に向かおうという意識が強い五十代のことを思い浮かべるなど、考えたこともなかった。
「その頃には、自分の人生の方向性は、完全に固まっているんだろうな?」
そう思うことでも、五十代の自分を想像したくはなかった。想像するということは、怖いことでもあった。
「ひょっとして、五十代の自分は、くたびれてしまっているかも知れないからな」
自分の人生の先を見るというのは、上を見るしか考えたことがない三十代だった。時系列とともに、下り坂になるなど、考えるだけで無駄だと思っていた。
だが、五十歳になった自分を想像し、五十代としての自分を意識してみると、過去を振り返り、三十代の途中から、下り坂になってきている自分を意識していた。ただの想像でしかないくせに、やたらリアルに感じるのは、
「想像している五十代というのが、本当の自分の将来ではないからなのかも知れない」
自分とは違う人ではあるが、絶えず自分のことを見てきた人の目から見た、自分の人生というのは、自分の目で見るよりもリアルに思えたのだ。
「物忘れが激しいという意識が、そんな発想にさせたのかも知れないな」
と感じさせた。
そう思うと、今の自分が過去のことを考えている相手は、本当に自分の過去なのかというのも怪しいものだと思うようになった。大学時代やその時々の節目であれば、明らかに自分のことなのだろうが、それ以外のところは、自分に近しい人の目から客観的に見た自分なのかも知れないと思うと、
「何を信じていいのだろうか?」
と、考えるようになった。
江崎は、
「僕はどうも、人見知りしてしまう」
と思うのは、その頃からだった。人見知りというよりも、
「信じられない」
という思いが強く、その理由が、自分が記憶していると思っているリアルな部分が、自分の記憶ではなく、近しい人から見た客観的な記憶だという風に意識するようになったからだった。
「初恋の人に似ている」
と言った、スナックの女の子の顔を思い出そうとしていた。しかし、今日が初めてだったわけでもないのに、そして、さっきまで話をしていた相手であるのにすぐには思い出せなかった。
「ひょっとして、自分の中での彼女に対する目と、客観的に自分を見ている自分の中の誰かの目とでは、記憶の中のイメージにかなりの開きがあるからではあいか?」
と感じた。
そう思うと、自分が物忘れが激しかったり、しっかりと覚えておけないのは、客観的に自分を見ている他人と自分の中で、かなりの感覚の違いがあることで、記憶に隔たりが生じ、ピントが合わないまま記憶しようとする強引な記憶の仕方が原因なのかも知れないと思うようになった。
かなり突飛な発想だが、記憶が曖昧だったり、物忘れをしてしまうのは、それだけ自分の中の記憶しようとする意識がしっかりしていないからである。ピントが合っていない状態でハッキリとした記憶など、できるはずもないだろう。
そんな時に、スナックの女の子から聞いた、
「初恋の人に似ている」
という言葉は、どこか自分の感覚にピッタリと嵌りこんでいる気がした。それが本当の自分の意志なのか、それとも、自分を客観的に見ている人の意識なのか、その時の江崎には分っていなかった。
大学生の頃が一番自分を主観的に見ていたかも知れない。だからこそ、十年以上経っても、大学時代の夢を見る。確かに印象深いことではあったが、今のように物忘れが激しかったわけではないということは、それだけ、記憶をボヤかせるものではなかったという証拠であろう。
最初、スナックの女の子の顔を思い出そうとしていたが、気が付けば思い出そうという意識はなくなっていた。
顔がハッキリと思い浮かぶようになったからではない。おぼろげな雰囲気でもいいと思うようになっていた。それよりも、今は他の女性の顔が頭の中に浮かんできていた。その女性の顔もハッキリとはしていないが、いつの記憶のものなのか、つい最近の記憶のような気がしていた。
「つい最近の記憶なのに、思い出せるというのだろうか?」
いつもだったら、かなり古い記憶でないと思い出せないはずなのに、ハッキリと思い出せそうな気がするのは、
「最近、意識していたはずなのに、思い出そうとしているのは、かなり遠い記憶だからじゃないのかな?」
と思うようになった。
ごく最近、遠い昔を思い出そうとして、その時に思い出せた記憶だけが、よみがえってきたとしても不思議なことではない。要するに、自分の中にある記憶が「二段階構造」になっているという発想なのだろう。
「だけど、浮かんでくる顔は、自分が見たという意識はないんだけどな」
自分の中のもう一つの記憶によるものなのだろうか?
考えてみれば、浮かんできた顔は、特徴と言っても印象深いものはなく、別に江崎の好みの女性というわけでもない。記憶に残っている方が不思議なくらい、江崎から見れば、
「平凡な女性」
にしか見えないのだ。
――それとも、平凡な女性ほど、印象に残るような頭の構造になっているのだろうか?
江崎は記憶や意識を、どうしても理論的に考えようとしてしまう。理屈が合わないと、納得できないという意識は他の人と変わらないつもりだが、他の人がスルーしてしまうようなことに、変にこだわってしまうことが往々にしてあった。
その女の子は、誰かに似ていた。なかなか思い出せないでいたが、
「待てよ。今までにも同じようなことを思った記憶があるな」
と感じた。
同じようなことというのは、
「平凡な女性なのに、印象に残っている人」
という思いと、
「ごく最近の記憶なのに、遠い昔の記憶を引っ張り出したように感じた」
という二つだった。
それを考えていると、今回のようなことを時々感じているような気がしてきた。いわゆる「デジャブ」である。
「デジャブ」というと、特殊なことのように感じるが、誰もが一度は感じることであり、一人の人が何度も感じていても不思議のないものだ。そう思うと、デジャブは決して特殊なことではない。逆に、同じことを何度も感じている時に、どうしてそのことを「デジャブ」とすぐに結び付けないのかの方が不思議だった。
やはり、意識の中でデジャブというのは、特殊なものだという意識が潜在しているからに違いない。
何度も同じことを考えていると、堂々巡りを頭の中で繰り返していると思えてくる。
ある意味、デジャブよりも、堂々巡りを繰り返してしまう方が、大きな問題だ。デジャブは、堂々巡りを繰り返している頭の中をリセットさせるために起こる、一種の「反動」のようなものだと考えるのは、突飛な発想であろうか。
記憶をよみがえらせるために堂々巡りを繰り返していると、自分の中にある記憶が、次第に捻じ曲げられているのではないかと思えてくる。ただでさえハッキリと思い出せない中で、ボヤけてしまっている記憶は、堂々巡りによって作り出されたものではないかと思うと、
「記憶を意識として考えていいのだろうか?」
と思えてくるのだった。
「記憶とは、時間という板を何枚も重ねた上に、意識という絵を張り巡らせて、動画のようにコマ送りに進めたものを目に焼き付けるのと同じで、頭の中に焼き付けることなのではないだろうか?」
江崎は、そう考えるようになった。
スナックの女の子のことを思い出していて、同じような感覚に陥ったことが今日だけではなく、今までにも何度もあったということを考え合わせていくと、前に結婚したいと思ったことがあったのを思い出した。
あれは、二十代の前半のことだったが、無性に結婚願望が激しかったことがあった。
最初は、相手は誰でもいいと思っていた。ただ結婚願望があるだけで、誰が好きだというわけでもない。
元々江崎は、
「俺は本当に女性を好きになったことってあったんだろうか?」
二十代前半に、ふと感じたことだった。大学時代には、何人かの女の子と付き合った経験がある。すぐに別れたりしたわけでもなく、別れの時もお互いに嫌いになったというわけではなく、最終的には自然消滅だった。それを、
「お互いに嫌いになったわけではないので、恋愛としては成立していたんだ」
と思っていた。
しかし、考えてみれば、
「嫌いになったわけではないということは、逆に言えば、好きになったというわけでもなかったのかも知れない」
と思った。
「好きになったわけではないので、嫌いになるわけもない」
という発想なので、本当にそれが恋愛だったのかということに疑問が生じなかったのは、
――若さゆえ――
だと言えるのではないか。
特に大学時代というのは、気軽な人間付き合いのできる時期で、男女関係も、お互いにすれ違いがあってもしかるべくなのに、すれ違いを感じなかったということは、それだけ相手のことを思っていなかったという証拠であろう。
そういう意味では、自然消滅というのは、大学時代では一番ありがちだったのかも知れない。
「喧嘩別れしたわけではないので、恋愛としてはうまい付き合いだったのかも知れない」
と感じた。
まさか、真剣に考えていないからだなどということは思ってもみない。
「恋愛とは育むもので、今すぐに真剣に考える必要もない」
という考えもあった。
そんな思いが、恋愛に対しての「逃げ」の思いだったということに気づくはずもない。
特に大学時代に、結婚の二文字を考えることもなかった。大学時代にずっと付き合っていて、卒業してからも付き合っていけるような相手なら、結婚も視野に入れることになると思っていた。
大学を卒業する頃というと、江崎は自分の人生の中でも、最初に訪れた「危機」だった。乗り越えることができたのは、他のことには、一切目もくれずに勉強と就活に専念したからで、そんな状況に追い込んだのも自分なので、誰が悪いというわけではない。覚悟を決めて事に臨むことで、何とか切り抜けられた。
それからというもの、ちょっとした危機であっても、一心不乱に立ち向かうという姿勢が江崎の中で確立していた。
大学を卒業して、最初の一年は、研修期間を含めて、仕事を覚えることにまい進していた。学生時代との違いを身に沁みながらだった最初の半年。ギャップを感じている時も、一心不乱にならないと、乗り越えられないと思うようになっていた。実際に仕事以外のことには目もくれず、仕事を覚えることに必死だったことで、最初の一年は、
「長いようで短い一年だった」
と思うようになっていた。
実際に過ごしている間は、一日が非常に長く感じられたが、一年が思い出となってみると、あっという間に過ぎたという思いが強かった。大学時代は、毎日があっという間だったような気がしていたのに、思い出として大学に入学した時を思い出そうとすると、かなり昔だったように思えるのだ。
しかし、大学入学の時のことを頭に思い浮かべてみると、その記憶はまるで昨日のことのようなのだ。
「思い出そうとすると、鮮明に思い出せることは、どんなにその時のことが過去の記憶のように思えていても思い出した時は、昨日のことのように思えるものだ」
と、感じていた。
だから、三十代になった今でも、研修期間中のことはかなり昔に感じられても、入社直後のことは、まるで昨日のことのように思い出すことができる。一心不乱に真面目に生きていると言える時期は、自分にとって、遠い昔の記憶でしかないのだった。
半年の研修期間後、配属部署が決まり、配属部署でも半年の研修があった。正社員ではあったが、配属部署ではまだまだ研修生扱いである。覚えなければいけないことはたくさんあるのだ。
その研修期間のことを思い出すことは今となってはほとんどない。そして、研修期間を終えて、やっと部署の一員と言えるだけの存在になったと思うようになると、それまでなかった気持ちの余裕が表れてきた。部署では一番の下っ端、ある意味、気は楽であった。
そうなってくると、それまでの一心不乱な自分を、自分で解き放つ時がやってきた。油断という言葉は言い過ぎかも知れないが、それまでの仕事に対しての姿勢も、会社の中での考え方も、それまでとはまったく違っていた。江崎はそんな自分の性格を、
「他の人とは違っている」
と感じ、決して悪い性格ではないと考えるようになった。
二年目にもやってきた新入社員の時期、前の年は新鮮な気持ちで迎えたものだったが、二年目にも、同じような気持ちがよみがえってくるのだった。
自分はすでに新入社員ではないのに入社式の日だけは、何年経っても、自分が新入社員だった頃のことを思い出す。
「新入社員なんて呼ばれているうちは、一人前ではない」
と先輩から言われたが、二年目まではまだその意味が分からなかった。三年目になってやっと分かってきたが、
「新入社員という言葉に対して、必要以上な新鮮さを感じていたんだ」
と思うようになったからだった。
新鮮さを感じることは悪いことではないが、
「新入社員だから許される」
ということを、心のどこかで感じていたように思う。そこには明らかな「甘え」が存在し、甘えを隠すため、自分をごまかすために使った、
「都合のいい言い訳」
だったのだ。
入社式の日だけ感じていればいいものを、それ以降も考えてしまうから、甘えや自分へのごまかしを、新鮮さという言葉で片づけてしまおうとするのだ。
新入社員でもなく、研修中でもなく、それでいて、部署の中では一番の下っ端。この時期は気は楽だが、一番自分の中では中途半端な時期だった。そして、この時期を乗り越えると、それまで感じようとしていた新鮮さを感じようとは思わなくなる。それだけ自分が会社や仕事に馴染んできた証拠でもあった。
慣れてくると、自分の中途半端な立場の中で一番最初に馴染めるようになるのは、
「一番の下っ端」
ということだった。
確かに一番の下っ端ではあるが、別にこき使われているわけではない。何かにつけて頼まれごとは増えたが、それも、一人前になるために通る道だと思えば、別に嫌な気はしなかった。
そんな中、まわりを見る余裕が生まれたことで、次に越えなければいけない難関は、人間関係だと思うようになっていった。江崎の配属された部署は、会社内でもアットホームな部署としても有名で、実際に中にいても、暖かさを感じられるのは幸いだった。
「だけど、それに甘えてはいけないんだ」
と自らを引き締めるつもりはあった。
だが、引き締めていたつもりでも、まわりの人懐っこさに、甘えとはいかないまでも、自分を曝け出す気持ちになっていたのも事実だった。
江崎が配属になった部署は、中堅クラスの人間が多かった。二十代は江崎一人で、四十代の頭から、三十代半ばくらいまでの人がほとんどで、同い年はおろか二十代に一人も男性がいないというのは、少し気がかりではあった。
女性社員も、三十代の女性が三人いて、昨年の新卒で入ってきた女の子が一人いるだけだ。彼女が入社した時、一緒に新卒で入学してきた女の子がいたらしいが、一年も持たずに辞めてしまったという。二人新入社員がいて、性格的にまったくの正反対だったという。早く辞めてしまった女の子は神経質な性格で、今残っている女の子は、おおらかな性格で、細かいことはあまり気にしない性格だった。
「残るとすれば、やっぱりね」
と、噂されるほど、二人の性格は違っていたという。江崎は次第に一人残っているその女の子に興味を持つようになっていた。お互いに二十代は自分たちだけだという意識があったからだろう。二人で食事に出かけるほどの仲になるまでに、さほどの時間は掛からなかった。
彼女の名前は、佐々木慶子と言った。高校を卒業しての新卒だったので、江崎より先輩ではあるが、年齢的には江崎の方が年上だ。慶子は江崎に対して敬語を使い、江崎はため口になっている。敬語を使ってくれる慶子に対し、自分の方からも敬語を使ってしまうと、会話がスムーズに進むことはないと思っていた。
江崎の方が敬語を使わないのは、お互いの暗黙の了解であり、まわりから見ていても、一番しっくりくる関係だった。
だが、仕事では先輩ということで、仕事という意味では、慶子の方が優れている。
「仕事は仕事」
と割り切ることができるのも慶子のいいところなのか、男性の先輩社員からも、頼りにされているようだ。
だが、仕事を離れると、慶子は甘えん坊なところがあった。
「会社の人に見られないようにデートしよう」
と、付き合い始めてから提案した江崎に対し、
「私は別に気にしないわよ」
と、大っぴらに甘えてくる素振りを見せた。
「江崎さんは、私を裏切ったり、捨てたりすることはないわ」
という慶子の中の自信がそうさせるのか、江崎には驚きの行動を取ったり、ハラハラさせられることもあったが、それも甘えからだと思えば嫌な気はしない。実際に江崎は慶子を裏切ったり、悲しませたりはしないと自分に誓っていたのだ。
江崎にとって、
「これは初恋だ」
と思えた。
それまで女性と付き合っていたことが、まるで遊びだったかのように思えたからである。その理由の一つは、
「日が経つにつれて、どんどん相手のことを好きになっている」
と思えるところだった。
「もし、会えなくても、相手のことを思っているだけで、二人の距離は確実に狭まっている」
そんな意識が、江崎の中に芽生えていた。
そして、慶子が言うには、
「私が言おうとしていることを、あなたが先に言ってくれている」
それが嬉しいというのだ。
この思いは、実は江崎の方にもあった。だからこそ、自分が言おうと思っていることを相手が先に言ってくれると感じる証拠であって、江崎としては、相手がそう感じることで心地よくなってくれているのだから、自分の方から余計なことを言って、気分を害するようなことはしたくないと思うのだった。
江崎が初恋だと思うのは、今までに感じたことのない思いを、二人で共有できていることが、本当の恋だと思っているからだ。それまでの恋が、まるでままごとのようだったように感じるのは、自分よがりの感情を、相手に押し付けていたからなのかも知れない。
それに、今までの恋愛が学生だったということも大きかった。
社会人になったからと言って、別に急に大人になったというわけではない。学生時代から、大人になるために自分の中で培われてきたものが、確実に存在していた。しかし、こと恋愛に関しては、
「学生だから」
という甘えのようなものが存在したのも事実だった。
慶子も同じことを考えていたようだ。
「私は高校生の時、大学生の人とお付き合いしたことがあったんだけど、高校生の私から見ると、最初は煌びやかに見えて、好感が持てるところがあったの。それを私の方で勝手に、清廉潔白な男性だと勝手に思い込んでしまっていたことで、彼を見ていて、『どこかが違う』って思うようになったんだけど、大学生というのは、そんな裏の部分を下だと思える人には決して見せないものなのね。そのくせ、社会人から見ればバレバレのようで、さすがに太刀打ちできる感じではなかったわ」
「それで、その人に愛想を尽かせたということかい?」
「愛想を尽かせたというのとは、少し違う気がするんだけど、今まで見えていなかったものが見えたということ。そして、彼が自分よりも下の人には絶対的な自信を持っているのに、少しでも上の人には、完全になめられてしまっているというそんな雰囲気を知ってしまうと、さすがにお付き合いしていくわけにはいかなくなってしまったの」
慶子の気持ちも分かる気がした。江崎は、大学生同士で付き合っていたのは、お互いに上下の意識がなかったことで、少しでもぎこちなくなると、お互いに少しずつ無意識に逃げの態勢に入ってしまう。
それが、お互いに「自然消滅」として、お互いに傷つかない、そして楽な方法を選ぶことになったのだろう。それだけ理由がどうあれ、いかに傷つかずに済ませるかということを、無意識に考えていたのだろう。
ただ、慶子の話を聞いていると、
「本当に、自然消滅というのは悪いことではないのだろうか?」
確かに仕方のないことだと思う。自分が自然消滅を演出した時は、少なくとも悪いことだとは思っていなかった。これが他人事になってしまうと、自然消滅は決して褒められたことではない。
そう思うと、相手に対してキチンと説明して別れるというのが当然の流れであり、尾を引かないことになるだろう。だが、それも相手によることであって、自分の大学時代に付き合っていた女性とは、自然消滅が一番よかったのだと思っている。
「今から思えば、そこまで真剣ではなかった」
別れを迎えると、さすがにショックが大きく、長い間落ち込んでしまって、なかなか立ち直れなかった。その理由は、
「これから、どうしていいか分からない」
という思いからであった。
その理由は、
「自分が女性と付き合ったのは、相手を好きになったからではなく、恋愛というものに対する憧れの方が強かったからではないか」
と感じたからだ。
しかも、付き合っていた女性も同じで、むしろ女性の方が、恋愛に対して夢見ていたと考えるのが自然ではないだろうか。別れを迎えて、お互いに自然消滅を選んだが、江崎の方は内面では、完全に浮足立っていた。だから、
「どうしていいのか分からない」
と感じたのであった。
付き合い始めから、毎日が有頂天で、それまでの人生とは正反対の明るい毎日が待っていたのだ。有頂天になるのも当たり前で、
「ずっとこんな気持ちが続けばいい」
と思いながらも、心の中で、
「いつ終わりが来るか分からない」
という怯えがあったのも事実である。
だが、不安が大きければ大きいほど、有頂天になった気持ちは揺るぎのないものになっていた。その裏返しが、いつ終わるか分からないという不安であり、不安だけでは暗くなる一方なので、暗くならないように、余計に有頂天な気持ちを増長させる必要があった。
そのため、いくら自然消滅を選んだとは言え、別れてからの自分が想像できなかった。
「前の自分に戻るだけだ」
というだけのことなのに、一度天国を見てしまうと、奈落の底に叩き落されるのは、今までにない恐怖であり、まるで自殺行為に思えてならなかった。
「どんなことをしても、それだけは阻止しないと」
と考える反面、
「もし、陥ってしまった時の心の準備もしておかないといけない」
という二段構えの気持ちを持つことは、用心深いと言えるが、
「自分の中の弱さが招いた不安なんだ」
という結論を認めたくないという思いの裏返しでもあった。
両極端な二段構えは、双方の考えをお互いに打ち消す効果もあり、あまり有効ではない。しかも、明らかに後ろ向きに考えなので、どうしてもネガティブになってしまう。大学時代には、いつも明るく振舞っていたつもりだったのに、後から思い出すと、あまり明るく振舞ったという意識は残っていない。つまりは、それだけ自分の中で無理をしていたということであり、自然消滅がもたらした弊害であったことに違いはなかった。
慶子は江崎が考えているよりも、ずっと「大人の女性」を思わせた。少なくとも自分が高校時代というのは、恋愛経験がなかったにも関わらず、慶子は大学生と付き合っていたというのだ。その事実を聞いただけで、慶子に対して一目置いてしまった江崎だった。
それと同時に、自分が慶子を好きになっているということに気が付いた。大学の頃に付き合った女性とは、すぐに相手のことを好きになったわけではなく、付き合っているうちに、
「僕はこの人が好きなんだ」
と思ったのであって、一目惚れという感覚からは、遠ざかっていた。そういう意味で、慶子は初めての一目惚れであり、それだけでも、
「慶子に対しての気持ちを、初恋と言ってもいいだろう」
と感じるようになった。
江崎の初体験は大学に入ってからのことだった。相手は先輩から連れて行かれたソープランドの女の子で、いわゆる「筆おろし」という儀式だったのだ。
江崎はそれでもいいと思っていた。誰かと付き合ってベッドをともにすることがあっても、その時に自分が童貞でない方が、スムーズにいくと思っていたからだ。大学時代に付き合っていた女性とベッドをともにした時、スムーズにことを運ぶことができたが、なぜか感動はなかった。初めての時の方が、よほど感動したというものだ。
この頃から、
「セックスは好きな相手と」
という考えが、果たして自分に当てはまるのだろうかと思うようになっていた。それと同時に、
「感動しなかったのは、相手が本当に好きだったわけではないからなのかも知れない」
とも思った。
身体を重ねるまではうまく付き合ってきたつもりだったのに、身体を重ねてから、二人の間は急にぎこちなくなった。よそよそしい部分も出てきて、お互いに気を遣っているからだと思っていたが、どうも違うようだ。気を遣っていると思っていたのが、急にぎこちないと思うようになると、お互いの気持ちにすれ違いを感じてくる。そうなると、行き着く先は、
「自然消滅」
しかなかったのだ。
大学時代、女の子と付き合っても自然消滅してしまっていた場合のパターンは、いつも決まっていた。ぎこちなさやよそよそしさが、そのまま自然消滅に繋がってくる。
「こんなはずではなかったのに」
高校時代まで夢見ていた女性との付き合いは、いつも同じパターンでダメになってしまうという最悪の展開を見せていた。
別れが近づいてくると、
「ああ、またか」
と感じ、その思いを抱いてしまうと、もう修復不可能だった。別れのパターンは熟知しているくせに、その原因となるとまったく分からない。見当もつかないというのが本音であろう。
大学時代は、バラ色というよりm、限りなくグレーに近い暗黒だった。グレー部分が顔をだすと、その向こうに見えている暗黒が、自分の運命だと悟ってしまう。だから、暗黒だけではない。グレーに近いものだった。
「暗黒だけの方がマシだったのかも知れない」
なまじグレーな部分が見えていたので、余計な期待をしてしまっていた。
「どうせダメだろう」
という思いをギリギリのところで思いとどまらせたのだから、グレーも悪くないはずなのに、それを敢えて悪いことだと判断したのは、
「最後まで暗黒から逃れられなかったのは、グレー部分を意識してしまい、ひょっとすると、暗黒から抜け出すことのできたチャンスをみすみす見逃してしまったのではないだろうか?」
と感じたからだった。
「悪いことが、そんなに長く続くはずはない。いつかはトンネルも抜けるものさ」
と言っていた友達がいたが、まさにその通りだと思っていた。しかし、暗黒から結局は抜け出せなかったことに、江崎はその理由がずっと分からないでいた。
悪いことであっても、長く続いていれば、その原因に関しては、ほぼほぼ分かってくるものだったが、この時は分からなかった。
原因が分かる時というのは、最初に何か分かるきっかけのようなものをいつも感じていたのに、この時はまったく見当もつかなかった。だから抜けられなかったのだが、逆に抜けることができたのが不思議なくらいで、いつどのようにして抜けることができたのか、本人も分かっていなかった。
「原因が分からないと、また同じ状況に入り込んだ時、どうしていいか分からないじゃないか」
意識することもなく、いつの間にか抜けていたのはありがたいことではあったが、原因が分からないことの弊害を考えると、手放しに喜べるものではなかった。
卒業してから入った会社で、最初は一心不乱に仕事を覚えようとしてきたが、それも一段落してくると、大学時代のことを思い出すようになっていた。それは暗黒部分ではない表に出ているほんの一部だけを見ていたのだが、まるで昨日のことのように思い出せるのは不思議だった。
「大学時代の記憶を昨日のことのように思い出せるのに、本当の昨日のことの方が、さらに前の出来事のように思えてしまう。会社に入ってからというもの、一心不乱な時期のことはそれほど印象深くない。つまりは、いい意味でマンネリ化していたということだ。
マンネリ化にいいも悪いもないのかも知れないが、マンネリ化というのは、負の要素がふんだんに散りばめられている。
一日一日があっという間に通り過ぎてしまうわりには、後から思い出そうとすると、かなり昔のことのように感じてしまう。それだけ、何も考えていないということだ。
それに比べて大学時代は、暗黒の時代だったとはいえ、ずっと暗黒だったわけではない。甘い思い出のようなもの、そして、ちょっとほろ苦いものもあったはずだ。そんな点在する記憶を思い出そうとすると、感覚がまるで昨日のことのように感じるのは、少なくとも、マンネリ化はしていなかったということである。
江崎は最初、
「慶子とは、大学時代に知り合ってみたかったな」
と感じた。
もし、その時知り合っていれば、記憶の中にある暗黒時代とは少し違った大学生活を歩めたかも知れないと思った。しかし、それでも大学時代そのものが自分の中で変わっていたとは思えない。そういう意味では、最初に感じた、
「大学時代に知り合ってみたかった」
という思いが次第に色褪せてくるのを感じた。
「やっぱり、今知り合う方がいいんだ」
と感じ、
「人の出会いや運命には、それなりにすべて意味があるんだ」
という思いに変わっていった。
江崎は、慶子と今知り合ったことにも意味があると思うようになっていた。そして、自分がその時、結婚願望を抱いているということに気が付いたのだ。
慶子と付き合うようになって、彼女が結構なついてくるタイプであることが分かってきた。甘えられたり、ベッタリくっつかれたりするのが嫌な男性も少なくないのだろうが、江崎の場合は、甘えられたりなつかれたりするのは、ありがたかった。それだけ好かれている証拠だと思うからだ。
慶子とは、結構話も盛り上がった。お互いに言われると嬉しいと思っていることを、口にしているからではないだろうか。
「江崎さんとお話していると、ドキドキしてくるんです」
「どうしてだい?」
「江崎さんは、私が言ってほしいと思っていることを、結構口にしてくれているんですよ。だから、次はどんなことを言われるのかなって、いつも楽しみにしながらお話をしているんです」
「それは僕も同じさ。慶子の口から出てくる言葉で、僕は結構癒されていると思っているからね」
大学時代には、想像したこともないような会話だった。
だが、実際にしてみると、自然と言葉は口から出てくる。同じ自然という言葉でも、自然消滅とは、天と地の違いがあるというものだった。
二十代の頃の思い出は、大学時代の思い出と比べて鮮明なはずなのに、大学時代の思い出よりも、もっと前のことのように思えていた。確かに慶子との思い出は鮮明なものだが、暗黒で何も見えていなかったと思っていた大学時代にも、自分で意識していない外の部分で、記憶しているところがあったに違いない。
「大学時代に、慶子に似た女性と付き合ったような気がするな」
どうして、そんな肝心なことを覚えていなかったのか分からなかったが、思い出したくない記憶だったからだということは想像がついた。慶子を見た時、
「きっとしっかりした性格で、言いたいことはどんどん口にするようなそんな女性ではないだろうか?」
と感じた。
それは、自分が大学時代に出会った女性の思いと重なったからで、ひょっとすると、完全に枠の中に嵌っていたために彼女は慶子の陰に隠れてしまったのではないだろうか。そう思うと、大学時代の思い出が暗黒に包まれていたと感じたのも、今後似たような印象を与える何かが現れて、初めてその時に、大学時代の思い出が何だったのかということが、白日の下に晒されるのではないかと思えてきた。
大学時代に慶子に似ていたと思った女性は、知り合った時から、どこか気が強そうな女性であることは分かっていた気がする。あの頃は、気が強かろうが、自分の好みのタイプであれば、何でもありだと思っていたふしがある。自分の好みというのは、まず顔や表情から相手がどんな女性であるかを判断し好きになる。人は容姿で選んだと思うだろうが、心の奥底では、
「表情がすべてを語っている」
と思っているので、表情で性格を見ることは、全然問題のないことだった。
その女性は名前を頼子と言った。江崎は最初まったく意識していなかったが、頼子の方が江崎を意識していた。視線を感じるようになった時、江崎はまさか頼子が自分のことを意識ししているなど、思ってもみなかった。
大学に入学して、好きになった女性はいたが、自分のことを意識してくれる女性はそれまでいなかった。相手がどんな女性であれ、意識されていることに嫌な気がするはずなどなかった。
「好かれたから好きになるんじゃなくて、好きだから好かれたいと思うんだよね」
と言っている友達がいて、その意見をもっともだと思っていた。
しかし、それは自分が人から好かれることなどないだろうという思いがあったからで、人から意識されてみると、相手の本心を確かめる前に、
「僕は好かれているんだ」
と思い込んでしまった。
それだけ経験のないことに免疫があるわけではないので、思い入れが激しくなってしまう。えてしてその思いが妄想に結びついてくることもあった。
江崎は自分が人に好かれたことがないということを無意識にまわりに知らせていることに気づかなかった。それだけ浮足立っていたに違いない。
最初に話しかけてきたのは、頼子の方からだった。
頼子は、最初無口で、自分から話しかけたくせに、何を話していいのか困っているようだった。その様子は江崎にも見ていて分かった。
「この人は本音で話をする人なんだ」
と気づくまで、少し時間がかかった。何しろ面と向かうと何を話していいのか分からなくなってしまうようで、人見知りしているわけではないのに、どうして言葉が出てこないのか、ずっと考えていた。
自分のことを意識していることにはすぐに気づいたくせに、自分を意識している人が何を考えているのかというところまではすぐに頭が回らなかった。
頼子という女性は、江崎以外の相手には、言いたいことを言っていた。それだけ敵も多かったようだが、敵は男性というよりも女性に多かった。同性の間で敵が多いということは、相手に対して嫉妬心を抱いている場合と、自分に対して気にしていることを臆面もなくズケズケと口にするパターンであろう。もちろん頼子は後者にあたるのだろうが、後者と前者は背中合わせではないかと、江崎は思っていた。
相手に嫉妬するほど、その人には自分にない優れたところがある。しかし、優れているがゆえに、天狗になっている人もいるだろう。そういう意味で背中合わせという意味である。
――だけど、本当に自分に自信を持っている人は、あまりまわりにそのことをひけらかせたりしないのではないか?
と思っていた。
だが、それは人それぞれと言ってしまえばそれまでだが、時代背景が、背中合わせを肯定する時代が存在していたのではないかと思うのだった。絶対にこの二つが一人の人間に同居するなどありえないという時代が存在したような気がする。ただ、今の江崎にはそんな時代を経験したという意識がない。もっと昔のことなのだろうが、数年後、あるいは数十年後かにも、同じような時代が繰り返されると思っていたのだ。
――それって、最初が親の時代で、後が子供の時代なのかも知れないなー―
と感じた。
子供は親を見て育つという。もし、嫌だと思うことであっても、意識していないわけではない。
江崎にとって、頼子は自分のまわりにはあまりいないタイプの女性だった。
頼子と付き合うようになってから、江崎は、
――彼女も、僕のことを、自分のまわりにはいなかったタイプだと思っているんだろうなー―
と感じていた。
お互いに、それまで意識したことのないタイプの異性だった。頼子が江崎のことを気にしていなければ、江崎は頼子と付き合うこともなかったはずだ。
だが、本当は頼子の方も、江崎が自分のことを意識しているという思いがあったようだ。その思いがあったから、江崎を意識するようになったわけで、どちらが先に意識したのか、そして、そのことが勘違いだったということに先に気づいたのかというのは、お互いに別れを意識した時に初めて知ったというのも、実に皮肉なことだった。
江崎は、頼子が自分のことを気にしてくれる女性だというだけで、手放しに有頂天になった。
頼子は、他人にも厳しいが、自分にも厳しかった。それだけに、孤独には慣れていた。「寂しいなどという言葉は、私には似合わない」
と言っていたが、それは本当に似合わないと言っているわけではないと思っていた。
――本当に寂しさが似合わないと思っている人は、自分から口にしない――
と思ったからである。
寂しさというのは、まわりから見ているのと、本人の感じ方とでは、かなり違うものだという意識があった。
江崎は、他人が見て感じることと、自分が感じている自分とでは違うところが結構あると思っている。その例として、
――自分の発する声――
だと思っていた。
自分で発する声を、例えば録音して聞いてみると、
「これ、本当に自分の声なのか?」
と思うほど違っている。
自分で感じている声よりも、録音して聞いた声の方が、二オクターブくらいの違いがある。
「これが本当に僕の声なのか?」
と感じるほどで、かなり高く、そして籠っている声に感じる。
「なかなか渋くていい声してるじゃないか。羨ましい」
と言われたことがあったが、それが本心なのかどうなのか分からないが、江崎には皮肉にしか聞こえてこない。
「おだてても、何も出ないぞ」
と苦笑いしているが、本人としてはおだてられているとも思っていない。あくまでも皮肉を言われているという意識だけのことだった。
そういえば、
「江崎さんの声、結構いい声だと思うわよ」
と、頼子に言われた。やはり苦笑いをしたが、その時の心境が本心になって顔に出た気分だった。
――頼子は皮肉を言うような女性でもない。またお世辞を言っているわけでもない。ということは、本当にいい声だと思っているのか?
相手をおだてるようなことをしない頼子なので、江崎には複雑な気持ちだった。今までは自分の声が嫌いだと思い込んでいたので、決していい声などではない。したがって、まわりの人の言葉は、皮肉でしかないと思っていたのだ。
頼子と付き合った時期は短かった。二か月くらいのものだっただろうか。
――本当に付き合っていたって言えるのだろうか?
そう感じたのは、期間的なものではない。中身の問題だったのだ。
頼子とは同じ大学だったので、会おうと思えばいつでも会えた。だが、相手に気を遣うことに関しては、江崎に負けず劣らずの頼子なので、お互いの時間を大切にすることを心掛けていた。それだけに、デートの終わりにお互い、次の約束を決めておくことはしなかった。
「プライベートな予定をいちいち相手に言っておく必要もない、会いたい時に、お互いに声をかければいいんだ」
と江崎は言ったが、実際に、本当に会いたいと思った時がどれほどあったというのだろう。一度意識をしなくなると、
――別にいつも一緒にいる必要なんかないんだ――
と思うようになった。
「いつも一緒じゃないと嫌なの」
という女性もいるが、実際大学に入るまでの江崎は、そんな女性の方がかわいらしいと思っていた。
しかし、頼子が自分のことを意識していることに気が付いた江崎は、
――僕のことを気にしてくれている人を、一番いとおしいと思う――
と感じるようになった。
頼子と付き合うようになって、
「お前変わったな」
と、男性の友人から言われたことがあった。
「えっ、どういうことだい?」
「人間が丸くなったというか。人を受け入れる姿勢が見えるようになった」
「まるで今まで俺が堅物で、自我が強い人間だって言われているみたいだな」
と言ったが、本心はそうではなかった。
堅物というのも、自我が強いというのも、基本的に悪いことだとは、江崎は思っていない。堅物なのも、自我が強いというのも、自分に自信がありきで感じるものだと思っていたからだ。
「自分で自分を信用できない人が、他人に信用してほしいというのは、虫が良すぎるというか、思い上がりのような気がする」
と、江崎は友人に嘯いていた。
もっとも、その思いが強くなったのは、頼子と知り合ったからだというのは皮肉なことだろうか。自分を意識してくれている女性がいると知った時、
――この人のことを、もっともっと知りたくなった――
と感じたのだ。
江崎は頼子と付き合うようになってから、
「僕のどこが気になったんだい?」
と話した時、
「私が最初に意識したわけではなく、あなたの視線が私の気持ちをくすぐったと言った方が正解なのかも知れないわね」
と言われた。
江崎の中ではそんな感覚はなかった。それをそのまま口にしてもよかったが、
「それは運命のようなものを感じたからなのかも知れないね」
と、漠然とした表現でありながら、女心をくすぐるようなセリフであると思い、
――女性に対しては一石二鳥だ――
と感じていた。
しかし、その言葉を口にした時、何となくだが、頭を傾げたように見えた頼子は、その時、一体何を考えていたというのだろう。
大学時代に付き合った女性の中で、頼子は自分にとって特殊なタイプの女性だった。
大学時代に付き合った女性は、五人くらいだっただろうか。四年間で五人というのが多いのかというのは、江崎には分からない。中には友達も知らない相手もいて、江崎がそんなに大学時代に付き合った女性がいるなど、思ってもいないだろう。
実際に、三人くらいが付き合った人数だと思っている友人が一番多いようだ。
「三人くらいがちょうどいい人数なんじゃないか?」
と、就職して、同期入社の連中と、大学時代に付き合った女性の話をした時、江崎の答えだった。江崎としては、実際には五人いたと思っているが、大学を卒業してから思い返してみると、本当に付き合ったと言える相手は三人に絞られてしまう。
その中に頼子はいなかった。大学を卒業してから、
――頼子とのことは忘れてしまいたい――
という思いがあったが、忘れたいと思っていることほど、なかなか忘れられるものではない。
――就職してから大学時代のことを思い出すと、皮肉に思えることがこんなにたくさんあるなんて――
と思うほどになっていた。
――頼子とは付き合ったと言えるのだろうか?
本当は、付き合った人の中に入れたくはなかった。しかし、入れなければいけないと思ったのは、
――頼子が自分のことを意識してくれた唯一の女性――
だったからだ。
逆に言えば、頼子が江崎のことを意識していなければ、付き合うなど、絶対にありえないことだった。
頼子は江崎にとって、決して好きなタイプの女性ではなかった。自我の強さは仕方がないとしても、嫉妬深く、そのくせ、男性への目移りが激しかった。
考えてみれば、男性への目移りが激しいから、頼子は江崎のように、
――自分が女性から好かれることのない男性だ――
と思っている相手を意識させるほどの視線を向けたのだ。
さらに、自我の強さも、男性を見つめることで、自分の男性に対しての品定めに狂いはないという意識があったようだ。そのことに気が付いたのは、付き合い始めた後のことで、そのことに気づいたからこそ、頼子に対して、
――彼女は、決して自分のタイプの女性ではない――
と感じるようになったのだ。
頼子との別れの時のことも思い出していた。
すでに冷めてしまっていた江崎には、頼子の未練がましい態度は、鼻につくものがあった。
――この女、プライドをどこにやったんだ?
嫌いになって正解だと思ったほどで、最初から自分のことを気にしてくれたというだけで好きになったような気がしていた自分が悪かったのだ。男性と女性の性格の違いが、別れの時にリアルに影響してくると思っていたが、頼子との間には、生々しさを感じながらも、どこか他人事のように感じたことで、別れという意味では、尾を引くこともなく、円満だったように思えた。
慶子を見ていると、そんな頼子に似たところがあった。慶子と付き合っていた時期は、慶子も自分も、結婚を意識しなかったわけではなかったが、江崎の中で、どうしても頼子のイメージが残っていたために、慶子とは結婚しなかった。
ただ、慶子に対しては、初恋というイメージが頭には残った。確かに初恋は成就しないと言われるが、それとはまた違った感覚だ。初恋が結構適齢期よりも前だという前提があることで、成就しないと言えるのだろうが、お互いに分かりすぎてしまうと、そこから先が見えなくなってしまうことにもなるのだろう。
慶子と結婚しなかった理由はもう一つあった。慶子には江崎以外にも気になっている男性がいたのだ。江崎が慶子の中に頼子を見ている時、慶子はもう一人の気になる男性を見ていた。そのことを知ったのは、同僚から教えられたからだった。
その同僚は、江崎が慶子を意識しているとは思っていなかったのだろうか?
いや、逆に同僚が慶子のことを意識していたので、江崎に対して嫉妬心から、老婆心な話をしたのかも知れない。ただすでに慶子とは、これ以上付き合っていたくないという思いを抱き始めた時だったので、江崎にとっては、どちらでも関係のないことだった。
そんな時に限って、知りたくもないことが目に映ったりするものだ。会社からの帰り道、いつものように一人で駅に向かって歩いていると、道の反対側に慶子が佇んでいるのが見えた。
普段なら、いちいち道の反対側まで気にすることはないのに、その日に限って目に入ったのだ。
――余計なことを――
と感じたが、本当は普段から道の反対側を見ることがなかったので気が付かなかっただけで、実際には、慶子がいたのかも知れない。
それでもその時初めて気が付いたというのは、何か予感めいたものがあったのか、最初から胸騒ぎのようなものがあったのではないかと思うのだった。
その時の慶子は誰かを待っていた。自然と歩くスピードがゆっくりになり、ずっと目で慶子を追っている自分を意識していたが、だからといって、声を掛ける気にはならなかった。
意識しているがゆえに、余計に自分から声を掛けないのだ。意識していようがいまいが、どちらにしても話しかけないことに変わりはないが、意識している方が、余計に声を掛けにくいものである。そこには気まずさというよりも、自分の中の葛藤がジレンマとなっていると言った方がいいだろう。
――もう終わりにしようと思っているんじゃないか――
という思いが強かった。
江崎は自分の中で気持ちを固めていたが、すでにその時には慶子の方でも気持ちは固まっていると思っていた。別れについての話をまだしていなかったが、慶子よりも江崎の方が決心が強いと思っている以上、
――自分の方から話しかけるものではない――
と江崎は思っていたのだった。
慶子はその時、落ち着きがなかった。ソワソワしていて、
「あんな慶子、見たことないぞ」
と、自分の知らない慶子がそこにいるのを見て、江崎は複雑な気持ちになっていた。
別れを決意してからというもの、慶子のことはなるべく考えないようにしていた。何しろただでさえ同じ部署なのだから、仕事の上では意識しないわけにはいかないからだ。しかし、仕事だけの関係であれば、そこまで意識する必要もなさそうだった。
――別れを意識した瞬間、慶子が自分とは違う世界の人間に思えたのかも知れないなー―
ホッとした気分になっていたことも否めない。
――これが、この間まで付き合っていた相手に対して感じる思いなのか?
と、冷めた目で見ることのできる自分が信じられないほどで、怖さすら感じさせる。
慶子に対しては、
――大人の色香を感じさせる女性――
というイメージが強かった。その分、可愛らしさは半減していた。大人の色香を感じさせる女性に可愛らしさが同居するなど、ありえないとまで思っていた。
しかし、今の慶子は、可愛らしさを感じさせた。
――ドキドキしながら、誰かを待っている――
その相手は男性で、きっと江崎とは似ても似つかない相手であろう。そうでなければ、今まで見せたこともない雰囲気を、ここまで表に出すはずもない。それに、今までは大人の色香は内に秘めるようにしていて、それが表に漏れるところに江崎は魅力を感じていたのに、その時の慶子は、自分から可愛らしさを表に醸し出していたのだ。それはまるで初恋をしている女子高生のようだった。
――慶子にこんな一面があったなんて――
慶子と別れる決心が鈍ったわけではないが、もったいないように思えていたのは、そこにいる慶子は自分の知っている慶子とはまったくの別人のように思えたからだった。
――今の慶子は、僕の手の届かないところに行ってしまったんだ――
本当に同じ人間なのかという思いが、江崎に複雑な感情を抱かせ、すぐにはその場から立ち去ることを自分で許さなかった。
許せないわけではなく、許さないのだ。
許せないという言葉よりも、より主観的な言葉に感じる。今、慶子を見て感じている自分が、紛れもなく本当の自分だという意識を持っている。
慶子のいで立ちを見ると、江崎と会う時と、あまり変わらない姿だった。服装やイメージは同じなのに、雰囲気や態度はまったく違っている。
――まったくの別人だったらよかったのに――
何を意識しているのか、自分でもよく分からなかった。
さっきまでは、まだ西日がビルの窓ガラスに当たって、眩しさを感じていたのに、気が付けば、日は沈んでいて、夜のとばりが張り出していた。あっという間だったと思っていたが、実際には、結構時間が経っていたのだ。
慶子が誰かを待っているのは明らかだったが、慶子の方が待ち合わせよりもかなり早く来たのか、それとも、待ち合わせの相手が遅れているのか、慶子の様子を見る限りでは分からない。
――慶子があんなに待たされても表情や態度を変えないなんて、想像もできない――
もし、相手が江崎だったら、まず電話を入れて確認するか、それとも、来ないなら来ないで、ここまで待つこともせずに、さっさと立ち去っているだろう。
――本当に一体誰を待っているというのだろう?
これだけ待たされているのに、ソワソワはしているが、決して苛立っているわけではない。
――必ず相手が現れる――
という確固たる自信があるからだろうか。江崎も相手が必ず現れると分かっていれば、かなりの時間待つことも忍びないが、相手に連絡を取ることもなくソワソワしているだけだということは、約束の時間よりもかなり早く来て待っているということなのかも知れない。
どちらにしても、今までの慶子からでは考えられない。江崎と待ち合わせをした時も、そんなに極端に早く来ることはなかった。もちろん、遅刻することはなかったが、早くても十分くらいのものだっただろう。どうかすれば江崎の方が早くついていて、
「早かったわね」
というだけだった。
別に遅れているわけではないので、謝る必要もないのだが、今の慶子だったら、どんなに自分が早く来たとしても、相手の方が早かったら、間違いなく、
「ごめんなさい」
という一言が口から洩れているに違いない。
江崎は、慶子が待っている男性がどんな人なのか、想像してみた。
最初は、江崎とはまったく違うタイプの男性を思い浮かべていた。待っている態度がまったく違っているので、当然のことではあるが、今は少し違った考えになっていた。
――慶子はそんなに好みのタイプの男性は、幅が広いわけではないと思っていたんだけどな――
という意識を以前から持っていたことを思い出した。
もし、自分と別れることになったとしても、次に選ぶ相手は、やっぱり江崎のような男性なのではないかという思いである。
ということは、待っている態度こそ違っているが、待っている相手は根本的に江崎とまったく違っているというわけではないだろう。
しかし、江崎が想像する自分と同じ雰囲気の男性を待っている態度には、到底思うことができない。考えれば考えるほど、江崎の頭は堂々巡りを繰り返していた。
――そういえば、俺もソワソワしながら誰かを待った記憶があるんだけどな――
と、江崎は記憶の奥をひっくり返していた。
今までに付き合っている女性を待ったことはあったが、ここまでソワソワしたという記憶はなかった。それなのに、ソワソワしながら待っている慶子を見た時、思わず、自分と重ねて見てしまった自分を感じていた、
――夢で、誰かを待っていたのだろうか?
とも思ったが、夢にしては、リアルな感覚が残っている。
――まさか、頼子を待っていた時じゃないだろうな?
と頭をかすめたが、すぐに打ち消した。頼子は待ち合わせに遅れることはなかった。いつも江崎よりも先に来ていた。そこは彼女のいいところだと思っていたのだ。
だが、江崎は頼子か慶子のどちらかを待っていた時に同じ思いを感じた気がした。そして、さらに思い返してみると、自分が誰かを待っていたその時、自分の知っている人が誰かを待っている姿を見て、自分もその人を待つ時に、
「あんな風にワクワクした気持ちで待てればいいのにな」
と感じたのを思い出していた。
――やっぱり堂々巡りを繰り返しているような気がする――
と感じた。
しかも、あの時に自分が、かなり落ち着いた精神状態だったことを思い出した。
今までの自分にはないような余裕が感じられた時であり、それだけに、人を待つことも、人に待たされることも、別に苦痛には思わなかった。
「待ち人は必ず来るんだ」
という意識と自信が、自分を強気にさせて、苦痛を感じさせないのだった。
それまでの江崎は、女性を待ち合わせると、
「どうせ、来ないんだろうな」
と、思い込んでいた。
特に大学時代に合コンで知り合った女性と待ち合わせをしたら、まず来てくれることはなかった。
「あんなに合コンの時、会話が盛り上がったのにな」
と思い、なぜ来てくれないのか、理由が分からなかった。そのうちに、
「どうせ待ち合わせたって、来てくれない」
と思うようになったのだが、その理由が、あまりにも自分が強引すぎたからだ。
合コンで会話が盛り上がっても、実際はその時だけのことである。待ち合わせをしても、その時は相手も気持ちが盛り上がっているので、軽い気持ちで待ち合わせに応じるのだが、実際に合コンが終わってしまうと、あまりにも性急だったことに、相手は興ざめしてしまっていたのだ。
「勝手に自分だけが気持ちを盛り上げていただけなんだ」
そうは思っても、性格的なものはいかんともしがたく、合コンで会話が盛り上がって次に会う約束を取り付けるまでは、同じパターンを繰り返すしかなかったのだ。
そのくせに、付き合った人とは自然消滅を繰り返すというのは、いささか不可思議だが、知り合うことと、付き合うことでは、江崎の中で次元が違っているものなのかも知れない。だからこそ、知り合う時はうまく行っても、付き合うまでは行かないのかも知れない。そう思うと、
――僕は二重人格なのかも知れないな――
と、感じるようになっていた。
そんなことを考えていると、またしても不思議な感覚に見舞われた。
――ずっと未来に起こることを、予見していたような気がする――
という思いだった。
慶子が誰かを待っているのを見て、自分も誰かを待っていながらソワソワしたのを思い出していたが、それがどうも、未来のことのように思えてきたのだ。
なぜなら、もう一度同じことを感じた時があったのを意識したからだ。それが今から十年もしないある日のことのように思えるのだが、その日、何があったのか、ハッキリとは分からない。
意識しているのは、慶子を見ていると、まだ自分が二十歳代の半ば頃のはずなのに、三十歳を超えた頃に思えてきたからだ。
――その頃の僕は、一体何をしているのだろう?
ある日を自分で意識しながら、それが一体いつなのか、未来のことなので分からない。ただ、その日になると、
――きっと、二十代の今のことも、そして、それから先の未来のことも、意識せざるおえなくなるに違いない――
と感じることが分かっている気がしたのだ。
――そういえば、昔から未来のことを夢の中で見たこととして強引に片づけていたような気がする――
と感じていた。
それは、今回の慶子のことだけに限らなかった。本当の未来のことのように思えるのだが、夢として片づけることで、自分がおかしくなったのではないということを、証明したかったのだ。
ただ、この考えが自分だけのものなのか、他の人も同じような思いを抱くことがあるのか、確かめてみたい気はしたが、どうしても、馬鹿にされるのが嫌で、確認できないでいたのだ。
江崎は結局、慶子とは結婚しなかった。結婚を考えなかったわけではないが、頼子のことを慶子と付き合っている間に思い出してしまう。
それが直接の結婚できなかった理由ではないだろう。もし、それを理由にするとするなら、ネガティブで逃げの姿勢を示していることになる。そんな自分を江崎は認めたくなかったのだ。
「どうして結婚しないんですか?」
年齢を重ねていくうちに、そんなことを言われる回数も増えてくる。気が付けば、五十歳を超えていて、あっという間に時が過ぎたことを実感する年齢に差し掛かっていた。
ある日、目を覚ました江崎は、鏡を見て、五十代の自分に一瞬ビックリしていた。
「夢だったのか」
鏡の中の自分に、そう問いかけてみたが、鏡の中の自分は何も答えない。問いかけているはずの自分の姿すら、ハッキリと写っていないのだ。
その日に見た夢は、二十代の夢だった。
慶子が誰かを待っている。その様子を柱の陰から見つめているという、かなりベタなシチュエーションだった。
「誰を待っているのだろう?」
と、相手が誰なのか、分かるはずもないというイメージをまわりに与えていたが、本人にはそれがどんな人なのか分かっている気がした。
――会ったことはないはずだが、相手がどんな男性なのか分かる気がする――
別に、誰かが江崎を意識しているわけではないのに、まわりに気を遣ってしまっている。それは、江崎の中で、
「見られている」
という意識が過剰にあったからだ。
だが、その意識に間違いはない。江崎は誰かに意識されているという思いを、十分すぎるくらいに感じている。しかも、それが誰なのか分かる気がした。なぜなら、江崎にしか分からないその人の気配は、江崎の中で、
「他人のようには思えない」
という思いがあったからだ。
しかも、その人というのは、慶子の待ち人である。その男性が慶子の前に現れた瞬間、その男から意識されているという思いが消えるのは分かっていた。
「早く現れてくれて、楽になりたい」
という思いと、
「慶子の前に、僕の想像しているような男性に現れてほしくない」
という思いが交錯していた。
特に、自分が想像する相手というのは、
「他の誰であっても、慶子がその人に会うとしても、嫉妬はするだろう。しかし、嫉妬以外の何かを感じるのは、その男以外にありえないことだ」
と思える相手だった。
慶子の前に現れる前に、自分が見られているという意識を感じた江崎は。まわりを見渡したいのはやまやまだったが、それをしないのは、
「僕は慶子から目を放したくない」
という思いからだった。
もし目を放してしまうと、あっという間にその男が慶子の前に現れて、自分が顔を戻す前に、慶子は姿をくらましてしまうことは分かったからだ。
慶子がその時に、自分が気づかない間に、目の前から消えてしまえば、そのまま慶子とは二度と会えないような気がしたからだった。
すべてが江崎の勝手な想像で、これが夢の中ではないかという思いを抱いているとはいえ。ここまでリアルな感情はただの夢とは思えない。とにかく江崎は、自分の思ったままに行動するしかなかったのだ。
江崎は自分の意識をしっかりさせておかないといけないという思いから、かなりの緊張感を持ったまま、自分の周囲に、ただならぬ雰囲気を張り巡らせていた。それなのに、誰も江崎の存在に気づく人もいない。さらには、人通りの多い場所で人待ちをしている慶子すら、まわりに気配を一切感じさせていなかった。
そんなことは、江崎には分からなかった。
――なるべく気配を消さないといけない――
という思いの元、その場に立ちすくんでいたが、まわりの人にはその姿を確認することはおろか、気配すら感じさせていないというのは、一体どういうことなのだろう?
江崎は、自分の中で金縛りを感じた。
「いよいよ来たか?」
自分へ浴びせられた視線に、その男の雰囲気を感じながらも、視線は慶子に注がれている。
――このままだと、こっちが参ってしまう――
本当は慶子の前に、その男が早く現れてくれるのがいいのだろうが、それは最後の手段で、我慢できる間は少しでも我慢しなければいけないと思った。
それがどれくらいの長い時間、続いたのだろう?
「なかなか君も我慢強いね。さすがだ」
という声が聞こえてきた。
その声に江崎は、ブルブル震えていたが、
「そんなことは分かっています」
とばかりに、その男は不敵な笑みを浮かべたようにため息をつくと、
「だけど、本当は我慢強いんじゃなくて、もし、ここで振り返ったら、ずっと後悔することになるという思いから、こちらを向かないんだよね」
と、嘯いた。
それは、江崎の本音にも近かった。
「どうして分かるんだ?」
などという疑問は江崎にはない。むしろ、
「やはり、思った通りだ」
と感じたほどだった。
江崎に語り掛けてきたその男性の声は、かなりの年配のようだった。そのことも、江崎には最初から分かっていた。
「やはり」
という言葉は、自分が分かっていることに対して、期待を裏切らない展開に、納得しているという証拠だった。
「どうして、今頃って思っているんだろうね?」
本当は、「今頃」という言葉はここでは当て嵌まらない。いや、物理的に不可能といってもいいだろう。
ただ、それが具体的にどういう種類の「不可能」なのか、その時の江崎には、分かりかねるところであった。
「待ったかい?」
さっきの声の意識から、自分の意識を目の前の慶子に移した時、すでに危惧していた男が、慶子の前に現れた。
「いいえ、大丈夫ですわ」
一瞬ビックリしたような表情だったが、何に驚いたというのだろう?
最初は、
――自分が想像していたのと違う人だと思ったのだろうか?
と、感じたが、次の瞬間に、
――いや、自分が想像していたのと違う男性であったというのは間違いではない――
と思ったとしても、
――それよりも、自分が知っている誰かの声だと思い、ビックリしたのではないか?
と感じたことだ。
もし、自分が慶子の立場なら、後者の方ではないかと思った。なぜかというと、さっき自分に語り掛けてきた男性の正体を、江崎は知っているからだった。
しかし、心の中では、
――そんなバカな――
と感じていた。
もちろん、同じことを慶子も感じたに違いない。それは、慶子が江崎が感じたのと同じことを感じているという前提でのことである。
だが、江崎は今の慶子の驚き方を見ると、自分の想像があながち突飛なものではないと思えたからだ。
――今の僕には、慶子の気持ちが手に取るように分かるようだ――
そう感じたのは、以前にも、慶子が今待っている状況を、自分が感じたことがあったからだ。その時は、自分が慶子を待っていたのだが、あまりにも早く到着しすぎて、慶子は普通の時間にやってきたのに、心の中で、
――ひょっとしたら、慶子は来ないのではないか?
という思いがよぎったことがあった。
しかし、その時誰かに声を掛けられ、反射的に後ろを振り向いた。その声は初老の男性で、さっき感じたのと似たような声だった。
その時は、その男性の正体が誰であるか、まったく分からなかった。
いや、正確には想像しようとさえ思わなかった。想像しなければ、相手が誰であるのか分かるはずもない。
ただ、もしもう一度同じようなシチュエーションに陥れば、その時こそ、
――その男性の正体が分かるのではないか?
と思ったのだ。
そして、同じようなシチュエーションに陥るという可能性は、最初はまったく感じなかったが、次第に感じるようになり、自分が慶子と近いうちに別れるのではないかと感じた時には、かなり濃厚になっていた。
慶子と別れることになる予感を感じたのは、
――慶子に誰か他に好きな人がいるのではないか?
という疑いを持つよりも先だった。
したがって、漠然とした気持ちで、自分は慶子と別れることになるだろうと思っていた江崎だったが、その時には、待ち合わせの時に声を掛けてきたが、後ろを振り返るといなかったという不思議な男性の正体がおぼろげに感じられるように思えた。
しかし、まさか慶子がその男性と出会う場面に遭遇し、その時に、自分が想像していた同じシチュエーションがこんな時に訪れようなどと、思いもしなかったのだ。
――いずれは訪れるであろうと思っていたことが、思いもよらぬ場面で起こるとは――
と、そもそも、慶子が好きになった相手を自分のこの目で確かめることになろうとは思いもしなかった。そしてその場面に、以前感じた「同じシチュエーション」がかかわってくるというのも、不思議なことだ。
だが、逆に、
――最初のあの時、すなわち自分が慶子を待っていて声を掛けられたあの時のことが、すべての引き金になっていたのではないか?
という危惧も考えられた。
だから、あの時、自分が振り返って誰もいなかったということが、自分にどういう運命をもたらすかなど、想像もできなかったが、予感めいたものが、ここまで自分の人生に大きな影響をもたらすかということにまで発展したということの方が、江崎には重要なことだった。
想像もつかないことは仕方のないこととして、実際に自分の中に起こった、
――予感めいたこと――
それこそ、予知能力という超自然的な能力であり、それを誰も信じなかったとしても、他ならぬ自分が信じずして、誰が信じるというのだろう?
そんな予感を最初から持っていたのは間違いないが、どこまでそれを自分で信じようとしたかが問題だった。
最初はあまり信憑性を感じなかったが、次第に不安が募ってくるのを感じた。た、それが慶子との間のことであるとは、思いもしなかった。
いや、思いもしなかったというよりも、
――そうであってほしくない――
という思いが、無意識に自分の意識を動かしたのか、その二つを結びつけることはなかった。
後から考えれば。その時一番幸せだったことが、不安と直結しているということに気づかないはずはない。それを考えなかったのは、恐怖の二文字からなのか、考えることでせっかくうまく行っていることが崩れてしまうことを危惧したからなのか、どちらにしても、「怖い」
という二文字が、キーワードになっていたに違いない。
「慶子と、ずっと一緒にいたい」
という思いの裏には
「慶子と別れることにでもなったらどうしよう」
という、背中合わせの感情がいつもなら渦巻いていたはずだ。
「好事魔多し」
ということわざにもあるが、いいことが自分の身に降りかかってくると、その裏で不安なことが渦巻いているのは仕方がないと思ってきた。だからこそ有頂天になったとしても、精神的な暴走に繋がらず、気持ちを整理できていた。つまりは、
「機械が熱くなりすぎないようにするための冷却装置のようなものだ」
とも言える。
江崎の中で、その時の声の主が本当に、
「冷却装置」
というだけの存在だったのかどうか分からない。しかし、慶子と別れるきっかけになったのは疑いようのない事実であろう。そのことを本当に思い知るのは、気も遠くなるほどの未来のことだが、その時のことも、そして未来になってからのことも、それぞれで同じ思いを感じるようになっていたに違いない。
年配のその人の声には、最初江崎も誰の声なのか分からなかった。実際には今その声を聴いて驚いた表情をしている慶子とは、驚き方が違っていて、江崎がその声の正体を知るまでに少し時間がかかったことに比べ、慶子はその声の正体にすぐに気が付いたようだ。
しかし、そのことが却って慶子に恐怖心を与え、
「そんなバカな」
と、すぐに思わせた。
それでも、驚きがどんなに大きかったとしても、江崎のそれに比べれば小さかったのは間違いない。まさか、江崎がその声を最初に聞いたなど、想像もつかないだろう。
しかし、江崎と慶子は、それぞれ大きな勘違いをしていた。そのことに最初に気が付いたのが慶子だった。その考えがあったからこそ、慶子は、
「私は、江崎さんと別れることにして正解だったんだわ」
と感じたのだ。
何か江崎には途中から、おかしなものを感じていた。
それは江崎の性格というよりも、江崎自身のことだった。
「まるで別人のような気がする」
という思いが時々、慶子を襲っていた。
そのたびに、
「そんなことあるはずないじゃない。私の勘違いだわ」
と自分の考えを打ち消してきた。
しかし、あまり頻繁に打ち消していると、今度は自分を打ち消しているようで、不思議な感覚に陥ってしまう。何が正しくて何が間違いなのか分からなくなってしまうのだ。
その時に思い立ったのが、
「本当に私はこの人を愛しているのだろうか?」
という思いだった。
本当に愛しているわけでもない人を愛していると思い込み、自分がおかしくなっていくのを黙ってみているというのは、あまりにもお人よし過ぎる。自分の人生を好きでもない相手に壊されてしまうことを分かっていて、黙って見ているなど、愚の骨頂というものである。
「そんなこと許されるはずはないわ」
と、慶子は感じた。
それが、慶子が江崎と別れようと思った理由の一つである。他にも理由はあったのだが、ハッキリとした理由の一番大きなものは、この感覚だった。
「どうして別れなければいけないんだ_? ハッキリとした理由を聞かせてほしい」
という江崎の言い分ももっともだったが、慶子としては、こんな漠然とした相手に信じてもらえないようなことを口にできるはずもなかった。
なまじ口にしたとしても、
「なんでそんなことを言うんだよ。そんなの理由にならないよ」
と、罵られ、余計に相手の感情を逆撫ですることになるに違いない。
そんなことになってしまうと、別れというだけでも辛いことなのに、相手から謂れのない疑念を抱かれたまま別れることは忍びなかった。
人によっては、
――早急に別れるためには、どんな手を使ってでも構わない――
と思い、おかしいと思っていることでも、相手に感情をぶつけ、その迫力で、相手に自分に対しての思いを、完全に消沈させようと思う人もいるだろう。
――いや、そんな人の方が多いのかも知れない――
と慶子は感じていた。それができないというのは、
――自分が嫌われたくない――
という、「逃げ」の感情が働いているからではないかと思う。
慶子は自分があまり強い人間ではないと思っている。思っているからこそ、このことを江崎には話さなかった。そして、そのせいで、江崎の中に、
――まだまだ説得の余地はある――
という思いを抱かせ、慶子は自分も含めて、まわりに中途半端な空気を残してしまうことになったのだ。
これは、別れる原因になったことがどっちにあったのかということが、
――どちらが悪い――
という疑問に対しての答えではなくなってしまった。中途半端にしてしまった時点で、悪いのは慶子だということが確定してしまったのだ。
もちろん、慶子はそのことは分かっていない。あくまでも、悪いのは江崎だと思っている。
「彼の行っている行為は、ストーカー行為だわ」
まだ、その頃はストーカーという概念はなく、もちろん、犯罪というわけではない。逆に言えば、社会問題になっているわけではないので、そこまで覚える時代でもなかったのだ。
しかし、慶子はいずれはこのことが犯罪になるのを分かっていた。なぜ分かっているのかは、自分でも分からない。
「まるで未来を見てきたようだわ」
と感じたが、そんなことは口には出せない。そんなことを言えば、まわりから、
「何バカなことを言ってるの」
と一蹴されるだけで終わってしまうからだ。
下手をすれば友人を失ってしまう。それも嫌だった。江崎と別れようと思ったのも、自分の今の思いを、江崎になら看過されてしまいそうな予感があったからだ。
だが、慶子はさっき声を掛けてきた男性に対し、
「そんなバカな」
と思い、すぐに振り返ることができなかった。
実はそのことを後悔していた。それは、その時に感じた疑問を、すぐに振り向かなかったことで、永遠に解決するすべを失ってしまったからだった。
「まさか、今の声」
その声に心当たりがあったからこそ、
「そんなバカな」
と感じたのだ。
その声の正体を知ることは、本当にそんなバカなことなのか、それとも自分の思い過ごしなのか、少しの躊躇が自分の今後を左右する決断をするための重要な手がかりだったはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのだ。
「私が下す結論は、信憑性がない」
と感じた。
しかし、逆にそのことが慶子に開き直りを与えた。
「それなら、いったん下した自分の意志は、初志貫徹。つまりは、どんなことがあっても、貫かなければいけないわ」
と思い見つけた結論が、
――江崎とはどんなことがあっても、復縁はしない――
という結論だった。
その思いは貫かれ、今まで逃げの性格だった慶子を逃げることをしない性格に変える契機になった。江崎にとっては、何とも皮肉なことだったに違いない。
後ろを振り向いた慶子は、最初、何とも不思議な表情をした。苦虫を噛み潰したような何とも言えない顔だった。
しかし、すぐに安心した表情になり、現れた相手の顔を見上げていた。そこには相手を慕う女性の表情があり、江崎にとっては初めて慶子に感じた表情だった。
自分の父親と同じくらいのその男性に慶子は、
「おじさん」
と言っていた。
本当に血の繋がった叔父なのか、それとも父親くらいの年上に対して一般的に呼ぶ「おじさん」なのか、俄かには計り知れるものではなかった。
だが、慶子が慕う相手であることには間違いがないようで、すでに相手がどんな立場であるかどうかよりも、江崎にとって自分とはすでに修復できない距離にいることは見て取れた。
江崎は、「おじさん」と呼ばれたその男性の表情を見ていると、暖かさに溢れているのを感じた。しかし、どこか他人ではないような思いがあったが、その男性の顔に、見覚えがあったと言っても過言ではない。
明らかに自分にはできない笑顔であり、自分が知っている同世代の男性には無理であることも分かった。
――やはり年齢を重ねなければ培うことのできない表情というものは、存在するんだ――
と、感じてはいたが、実際に目の前で見たことはなかっただけに、新鮮な気持ちすらあった。
それでも、まだ心のどこかに慶子に対して未練がましいものがあったのだろう。大学時代のように自然消滅が一番気が楽だというわけにはいかない。別れるのであれば、その理由をしっかりとさせなければいけない年齢になっていた。それがお互いに大人になってkらの恋愛であり、けじめというのが連内には不可欠であるということを、いまさらながらに思い知らされたのだ。
相手が現れて、その姿を見るところまでは想像できていた江崎だったが、相手の顔を見ると、今度はすぐにその場から立ち去ることができなくなった。
慶子に未練が残っていることを再認識したからではない。その場を立ち去れないのは、慶子に対しての未練からではなかった。その思いが強くなったのは、慶子に対してというよりも、むしろ、後から現れた男性を見てからのことだった。
「どこかで見たことがあるんだよな」
最初は、
「自分が年を取れば、こんな感じの男性になるんじゃないか」
と感じたのだが、それにしては、その男性の雰囲気に対して、もっとリアルな感覚があった。
それは、その人と正面から向き合ったことがあって、話をしたことがある人間に対してでないと感じることのできないリアルな感覚である。
こちらからアクションを起こせば、それに対して返してくるアクションを想像することができる。逆に相手のアクションに対して、自分ならどのようなアクションを返すかということまで、分かるような気がするのだった。
この男性には自分の親しい人の中に、同じようなシチュエーションを感じることができた。しかも、ごく最近も感じた相手だが、すぐにそれが誰かを感じることができないのは、表に出ている雰囲気が、あまりにも似ていないからだろう。
それは外観の容姿という意味でも言えることだが、表向きと内面とでは違うということだ。つまりは、本音と建て前を見比べた時、建て前は似ても似つかないところにあるが、本音を探れば、間違いなくその人物だと思える人だった。
その人が誰であるかということは、慶子がその人の名前を呼んだ時に確信した。
しかし、その名前を聞いた瞬間、
「やはり」
と感じたが、
やはりと感じたその瞬間、さっきまで感じていたリアルな感覚が急にリアルではなくなってしまった。その人物が、目の前の人物とあまりにも年齢的に開きがあるからで、やはり目の前の年配の男性の中には、
――年を重ねなければ感じることのできないモノ――
があったのだ。
もちろん、江崎が想像していて、慶子の口から出てきたその名前の人物からは、
――重ねた年齢が醸し出すモノ――
が、出ているわけではない。
また、その人物と慶子が知り合いだというわけはないと思っているので、慶子には、江崎が感じていることを慶子も感じているはずはないと思っている。
しかし、慶子の彼に対しての言葉の中に、
「あなたと一緒にいると、今後知り合う誰かに、同じ感覚を感じるような気がしてならないのよ」
と言って、はにかんで見せた。
それを見た男性は、
「その感覚は嘘ではないかも知れないね。ただ、その男性がどんな人なのか分からないので、僕は嫉妬するかも知れないよ」
というと、慶子の方は、
「何言ってるのよ。あなたが嫉妬なんてするはずないわよ「」
「どうしてだい? 僕だって一人の男性だよ」
「だって、あなたは私のことを愛しているとは思っていないでしょう? 私には分かるもの」
「どうして分かるんだい?」
「私があなたに恋愛感情を抱いていないからだということかしら? あなたもそのことは最初から分かっていたはずですよね?」
「ああ、そうだったね。恋愛感情とは無縁の二人だったわね。でも、私はあなたと知り合ってから、恋愛感情というものがどういうものなのか、分からなくなったのよ」
「新しく何かを作ったり、感じようとするには、一度築いたものをぶち壊す必要があることもあるんだよ。きっと君の中で恋愛感情が分からなくなったというのは、新しい感覚を
形成するために通らなければいけない道のようなものなのかも知れないね」
「私は、すべてをぶち壊している感覚はないんだけど、ひょっとしたら、そうなのかも知れないわ」
「それは今は分からない。新しい感覚があなたの中で生まれて、その時に感じたものが真実なんだよ。それは他の人には分からないものであり、あなたの中で新しい命を育むような感覚になるのかも知れないね。そう、乳歯が抜けて、その後から永久歯が生えてくるような感覚に似ているのかも知れないね」
その男性は面白い比喩をしていた。しかし、その比喩は的確にその場の雰囲気を捉えている。その感覚は江崎が感じている自分が知っている人が言いそうな話ではあった。話し方には違いがあっても、基本的な考え方や言い方には、完全にダブって見えるものがあった。そこに江崎は、
――今の慶子は、運命のようなものを感じているに違いない――
と感じるのだった。
見ている限り二人の間に恋愛感情は感じない。それにこれだけ年齢差があるのに、単純に年齢を重ねているだけの先輩という雰囲気よりも、まさに人生の先輩ともいうべき感覚に、見ているだけでは二人の本当の関係は分かりかねる。
「対等に話しているように見えるけど、お互いに尊重しあうところはしっかりと捉えている」
と感じさせた。
「あんな人が知り合いにいたんじゃ、同い年や少しくらいの年上では、とても太刀打ちできるはずもないか」
半ば諦め気味に見ていたが、どうしても男の顔を見ていると、知っている人間のイメージが払しょくできない。
「あっ、分かった」
その男性が完全に横を向いて、慶子の目から顔を反らした時のその表情に、見覚えがあった。自分の知っている人間の中では、どこまで自分に接点があるのか、まだ未知数の人だったが、どうしても気になっていたのは、この男性を意識させるためだったのかと思うと、不思議な感覚になってきた。
「そうだ、松永さんだ」
江崎は松永が年を重ねた顔をイメージできていた。それは見てきたような感覚であり、すぐに目の前の男性を見て、
「松永さんだ」
と感じなかったことの方が、自分がどうかしていたとしか思えないほどであることに気づかなかった。
――この人は、自分の将来に大きな影響をもたらした人だ――
と感じさせる相手だったが、さっきまで覚えていたはずなのに、急に意識が薄れてくるのも、松永という男性の見えてこない魔力のようなものではないかと思っていた。
松永とは、最近出会ったはずなのに、ずっと以前から知り合いだったような気がしていた。それも、忘れていたわけではなく、最近出会ったと思う時期と、本当に出会ったと感じる時期の間には大きな空白がある。二人がその間に会っていなかったというわけではなく、むしろ、密接な関係だったように思えている。お互いにそれぞれの思いを持って過ごしたであろう空白の期間、江崎は別の世界にいたような気がしてくる。
そして、その空白の期間、誰からも相手にされていなかったと感じていた時期があった。知らない世界を覗いてきたことで、空白の期間は夢を見ていた期間に思えた。だが、実際にはそんな機関が存在したとは思えない。順序立てて思い返してみると、空白の期間など存在しないのだ。
「そういえば、この間スナックで松永が話していた『俺はこの間まで五十歳だったんだ』という言葉、信憑性のないこととは思えないな」
と感じた時、反射的に五十代になった自分を想像している自分がいる。
「僕も、五十代へ行っていって、松永が言う通り、戻ってきたということなのだろうか?」
そう感じると、布団の中で目を覚ました自分を感じた。
どこからどこまでが夢だったのか分からないが、意識がハッキリしてきて最初にしたことは、鏡で自分の顔を見ることだった。
「よかった」
そこに写っているのは、三十代の普段から知っているはずの自分の顔だったのだ。
第二章 五十代
二十代の思い出を感じながら目を覚ました江崎は、自分が三十代であることに、
「よかった」
と、ホッと胸を撫で下ろした。
それと同時に、
「ホッとしたということは、違う世代の自分が鏡に写っていることを想像していたからだろうが、一体、いつの自分を想像したというのだろう?」
見ていた夢は二十代の夢だった。
しかし、途中で夢が覚めてしまったが、もし、そのまま見続けていれば、五十代の自分を想像することになる。三十代の自分が五十代を想像するのは、当然架空の自分であり、逆に、
「何でもありだ」
と考えさせることになるだろう。
五十代が何でもありだと思いながら想像を巡らせていくと、意外とリアルな五十代を想像することができる。三十歳も後半になると、二十代を思い起こすよりも、五十代を想像する方が、近く感じられる。
「実際にあった過去は、間違いのないことだろうが、将来に思いを馳せる場合、それをどれほどリアルに感じることができるかということが、今の三十代後半には重要なことのように思えてくるんだ」
こんな話をした記憶があるが、相手が誰だったのか、最近のことのはずなのに、覚えていない。話した内容は覚えていても、相手を覚えていないということは、それだけ酔って話をした証拠だろう。酔っぱらって話をする時は、ハッキリと覚えていることと、まったく忘れてしまっていることとが極端に別れる。今回の記憶はまさにそのパターンを踏襲していて、酔って話をしたことには間違いのないようだ。
ただ、その時の相手も結構饒舌だったのを覚えている。
「かなり昔のことは覚えているけど、最近のことは覚えていないということが結構あるだろう?」
「ええ、そうですよね。同じことを感じている人も少なくないと思うんですよ」
「でも、それが未来の出来事にかかわっているなどということを感じている人はほとんどいないだろうね」
と、その男が急におかしな話をし始めた。
よく表情を見ると、説得力に溢れた表情をしていて、合わせた目を離すことができなくなっていた。
「それはどういう意味なんですか?」
「皆、記憶というのは過去のことだけだって思っているかも知れないけおd、俺は未来の記憶が宿っていて不思議はないと思うんだ」
「パラドックスに反する話ですよね」
「いやいや、これも一種のタイムパラドックスさ。パラドックスというのは、過去や未来の話で、辻褄の合わないようなことを、理論で説得させようというものだと思っているかも知れない。だから、絶対にありえないと思うことには蓋をしていると思うんだ。だけど、絶対にありえないと思うことこそ、ごく普通に考えると、他のパラドックスも説明がつくような解釈ができるかも知れない。僕はそう思っているんだ」
タイムパラドックスというと、例えば過去に自分が行って、そこで何か過去を変えてしまうことをしてしまうと、未来が変わってしまって、戻る世界がなくなってしまっているのではないかと言われるような話である。
そういう意味では、未来への興味よりも、まずは過去のパラドックスを解明しない限り、この問題は先に進まないのだと江崎は思っていた。
こういう話をする相手がほとんどいなかったので、自分の意見を話す機会はなかったが、話をし始めると、結構止まらなくなり、
「夜を徹して話すこともあるのではないか?」
と思うようになっていた。
要するに、話をする相手がいるかどうかの問題だった。
少しくらいなら乗ってくる人もまわりにはいるかも知れないが。どんどん話が盛り上がっていき、開けてはいけない「パンドラの匣」に触れてしまうような話も出てくるのではないかと思うと、怖い反面、興味津々なところもあったのだ。
以前から、タイムパラドックスの話には興味があった。そのせいもあってか、
「過去には興味があるけれど、未来には、それほど興味はない」
と思っていた。
逆に未来のことを知るのは、それこそ、「パンドラの匣」を開けるようなものだ。つまりは浦島太郎でいうところの「玉手箱」になるからだった。
ただ、浦島太郎に出てくる「玉手箱」は、一種の辻褄合わせだと思っている。
浦島太郎が年を取らなければ、過去の人間が未来に一人生き残ることになる。それを許してはいけないという考えなのであろう。
そう思っていると、未来というものが希望というよりも、恐ろしいもののように感じられてきた。それに比べて、過去は確実に存在したものであり、
「過去を見ずして、現在はない」
という考えからも、タイムパラドックスの目は、おのずと過去に向いてしまうのだ。
ただ、未来の自分から今の自分を見れば、自分は過去なのだ。時代が違えば、そこに存在している自分がいるのが間違いなければ、いつ出会うか分からない。少なくとも、タイムマシンだけが存在し、過去に行けるのだとすれば、自分を陰から見ていたいと思ったとしても、出会うかも知れないと感じると、恐ろしくて行くことができない。過去の自分がどの瞬間に、どこにいるかということを、確実に掴んでいなければ、出会い頭に会ってしまうということもありうる、
しかし、科学者の中には、
「いくらタイムマシンで過去の時代に行けるようになったとしても、過去の自分と遭遇しないように、見えない力が働いている」
と考える人もいる。
「あまりにも都合のいい考えではないか?」
確かに、過去の自分と出会ってしまうと何が起こるか分からない。
いや、ひょっとすると、本当は何も起こらないのかも知れない。
「何かが起こるかも知れない」
と思わせておいて、過去に対して、あるいは未来に対しての興味を削ごうとする考えが存在しているのかも知れない。
それは、タイムマシンを知らない人によって左右されることではなく、未来の
――タイムマシンを知っている人たち――
によって、左右されるのではないだろうか?
もっと発展した考え方をするとすれば、
「タイムマシンは秘密裏に開発されていて、現代の人間が他の人にそのことを知られたくないという思いから、そういう発想を抱かせるように仕向けている」
という考えもできないわけではないだろう。
いろいろなことを考えていると、ふと江崎の脳裏に、
「僕が今考えていることは、本当に三十代の自分の考えなのだろうか?」
と思うようになった。
二十代でないことは確かだ。三十代の自分のことを分かるはずもないからだ。しかし、五十代の自分だということになると、今自分が目覚めたこの世界は、一体どこだというのだろう?
目が覚める前に見ていた夢は、確か二十代の頃、付き合っていた慶子という女性が、自分の知っていると思っている男性に声を掛けられるシーンだったような気がする。いくら夢の中でのことだとはいえ、まるでついさっき見た光景のように感じられるのは。それだけリアルな感覚が残っているからだろうか?
いや、リアルさはそれほど感じなかった。それよりも、自分の感情が、リアルを追い求めているような感じがして、その理由に、
「辻褄合わせ」
があると感じるのだった。
江崎は、今自分が目覚めた時代が、五十代であるという確信めいたものがあった。そして自分の身体は三十代の自分が知っている身体である。
「ということは、この時代には、もう一人の自分、つまり五十代の自分がいるということになるのか?」
という考えが頭に浮かんだ。
それにしても五十代など、想像もつかない時代だった。
世の中がどうなっているのかも分からないし、当然時代に順応した自分が、この時代にいることになる。
「この時代のことを思い浮かべるのと、五十代になった自分を想像するのとでは、どっちが困難なことだろう?」
普通であれば、自分のことの方が想像するにはた易いことのように思えるが、江崎は決してそうは思えなかった。三十代の今から、五十代までの間に、何もないと言い切れないと感じていたからだ。
そして何よりも、
「どうして、五十代なんだ?」
という発想である。
目が覚めて感じる時代が、現実の時代と違っているのだとすれば、いつでもいいはずだ。特に未来よりも過去のことの方を強く思っている江崎なので、過去を感じるのが本当だと思っていた。
それなのに、なぜ未来なのか、敢えて未来に思いを馳せるとするのでああれば、そこには何らかの理由が存在しなければ、自分で納得することはできない。
江崎にとって、まだ見ぬこの時代。夢で見たような気がしていたが、果たして夢で見た世界とどのように違うのか、興味深かった。
なぜなら江崎は、
「夢に見たこの時代、今実際に見る時代と、寸分狂わないような気がして仕方がない」
と感じていた。
どうして、どこにこのような根拠があるのか、自分でも分からないが。信憑性はかなり高いような気がしてならなかった。それは、自分じゃない誰かが見てきたものを、まるで自分が見てきたように思い、想像を巡らせているように思うからだった。
完全に目が覚めると、三十代を感じていた自分がまるで別人であったかのように、子重大としての自分が、何事もなかったように布団から身体を起こした。
これが本当なのである。ここに三十代の自分がいるというのは錯覚であり、三十代の自分は、夢の中でだけ存在しているものだった。
「俺がいるこの世界は、昨日までの自分が知っている世界であり、夢がいかに「リアルであったとしても、それはしょせん夢であり幻に過ぎないんだ」
と感じていた。
それにしてもリアルだった。
確かに、かなり過去のことの方が、直近の過去よりも身近に感じられることが往々にしてあるというものだ。それはひょっとすると、昨日にも同じことを感じ、その時にかなり遠い過去を思い出していて、その時は、さほど遠い過去のことを覚えているわけはないと思っていたのだろう。
覚えていないということが当然であるという意識は、自分の気持ちを気楽にさせた。
「覚えていなくて当たり前だ」
と思うと、今度は覚えていないのが、なぜなのかを考えるのだろう。そしてその時に何らかの答えが頭の中に浮かび、無意識に記憶を呼び起こす「フラグ」を押してしまい、
「気が付けば思い出していた」
という感覚を覚えさせることがある。翌日になって思い出すのは、過去のことを思い出すためには二段階必要で、そのための二段階目として翌日が用意されている。当日と翌日、どちらかメインなのかを考えると、当日と翌日という考えではなく、前日と当日というのが正しい表現なのかも知れない。
過去のことを夢に見たり、思い出したりする時は、その時がメインなのであり、前の日が前日として考えるだろう。
遠い過去が二十年近くも前のことであり、三十代の自分を思い起こすと、
「三十代の頃には、五十代がかなり遠くに感じられたが、五十代になって見なおすと、そこには近くに感じることのできる記憶を持っているののかも知れない」
そして、三十代から見た時の五十代というのは、まだ自分が経験したことのないものであるので、
「まるで他人事」
のように感じられてしまう。それは自分のことだけではなく、世界に対しても同じだ。勝手な想像をしては楽しんでみたりしているのは、他人事だと思う気持ちがあるからだ。それとも現実の世界のことだけで精一杯で、未来のことを考えること自体、まるで罪悪でもあるかのように感じていた。いわゆる「禁じ手」のようなものである。
そのことをいまさらのように感じるのは、
「自分の中に三十代の自分がいるのではないか?」
と感じるからだった。
夢の中では確かに自分は三十代を演じていた。自分でなければ知らないことを知っているからだったが、逆に夢の中にいたもう一人の自分、つまり三十代の自分は、五十代になっている自分ですら知らないことを、知っているような気がして仕方がなかった
「過去のことを知っているのは当たり前なのに、過去の人間が未来に来ると、未来の人間が過去を知っていて当然だと感じる以上に、過去の自分が未来から来た自分に出会うと、
『僕は未来のことを知っているんだ』と感じる」
と思うのだが、しかも、その記憶は未来の人間が過去を思い起こすよりも、かなり近い場所に未来の記憶がいるような気がして仕方がなかった。
五十代に戻ってくると、三十代が自分にとってどんな時代だったのか、ハッキリと思い出すことができないように思えていた。
「まるで激流に飲まれたような時代」
そんな風に感じるのだった。
完全に駆け抜けた時代であり、近くに感じられるのは、意識が近かったからだというよりも、猛スピードで駆け抜けていたことで、距離的に近く感じられるだけなのかも知れない。
「俺は一体いくつの頃から、こんなに人生を駆け抜けるようになったのだろう?」
年を重ねるごとに、自分の中にある記憶装置に少しずつ蓄積されていく。記憶装置と言っても無限のものではないので、何かを覚えながら、忘れていくものも多いはずである。
子供の頃は、記憶するということを、無意識に行っていた。子供の頃の記憶力には、他の人とは大差がない。それは記憶する力が、子供の頃には本能のようなものであり、誰もが同じ力を持っている。しかし、成長するにしたがって、自分の中で記憶する力が生まれてくるようになると、無意識にその取捨選択は自分が行わなければいけなくなってしまう。そこには性格的なものが影響してきて、
「何を取り入れて、何を捨てるかによって、その人の性格が変わってくる」
と言えるのではないだろうか。
整理整頓ができる人は、うまく過去のことを整理できて、何を捨てていいのかちゃんと分かっている。しかし、頭の中を整理できない人は、捨てることが怖くなる。したがって、何が重要で何が不要なのかということよりも、時系列によって積み重ねられたものを、押し出される形で古い方から忘れてしまっている。
整理整頓ができない人ほど、その意識が強いので、時系列で古いものほど、意識してしまうことがあったりする。遠い過去の記憶ほど近くに感じられるという感覚は。この思いが深く影響しているのかも知れない。
だが、三十代の江崎は、なぜか未来のことを「記憶」しているように思っていた。
それを、
「予知能力」
と呼んでいいものなのか分からないが、未来を知っている五十代の江崎から見ると、三十代の江崎が感じている未来のことは、それほど的外れというものではなかった。
「未来を知らないはずの人間が、ここまでのことを想像できれば十分だ」
というほど感じるもので、五十代の江崎は、絶句してしまったものだ。
しかし、その時の五十代の江崎には分かっていなかったが、未来のことに思いを馳せているのは江崎だけではなかった、その時代に生きている人を注意深く見ていると、そのほとんどが、未来への思いを馳せていたのだ。しかも、未来に対しての想像たるや、三十代の江崎の比ではないと思える人は、結構たくさんいたのだった。
「未来に思いを馳せるなんて感情。自分の中からなくなってどれくらいの月日が経つのだろう?」
人生先が見えてくると、未来への思いなどなくなってしまう。想像することが恐ろしくなり、絶望感しかないことだろう。
江崎は三十歳の頃の自分が、新鮮に思えて仕方がなかった。本当の三十代の自分は、その頃から未来への希望を抱かなくなっていた。
なぜなら、
「人生半分も過ぎると、後は下り坂でしかない」
と思うようになり、未来に対して淡い希望を抱くのではなく、もっと現実的なことを思い描くようになる。
それは過去から現在に至る自分を思い起こし、そこからの延長線上として自分を見ているだけで、そこに発展性も進展もありえない。あくまでも、付加価値をつけてはいないのだ。
ということは、未来のことをまるで見てきたことのように意識しているというのは、それだけ何の変化もなく生きてきた証拠であり、
「毎日が無事に過ぎてくれればそれでいい」
というだけの生活に入ってしまった。
この二十年を、あっという間に駆け抜けてしまったと感じるのも、無理もないことなのかも知れない。
しかし、三十代の頃に自分自分で感じていた未来が、本当にそこにあるというのだろうか?
確かにその時代を生きているのは、自分と同じ世代の人間ばかりではない。未来に思いを馳せる若者もいれば、先が見えているのに、未来に目をつぶってしまっている年配の人間もいるのだ。つまりは、
「自分だけを見つめているとまったく違う世界のように感じるが、実際には、全体的なバランスは変わらない世界がそこに広がっているだけだ」
と言えるのではないだろうか。
だが、逆に
「自分というものを中心に考えると、どんなに世代の分布が同じでも、自分に対しての影響力はまったく違っている」
と言えるのではないだろうか。さらには、
「今この瞬間の一瞬前と後ろでも、まったく違った世界として切り取ることができる」
と考えることもできる。
そこから
「パラレルワールド」
という考えが生まれてくるのだが、
可能性の数だけパラレルワールドが存在するのだと考えると、一人の人間にも無数の可能性が存在する。さらにまわりの人間との関わりを考えると、天文学的な数字が存在していることになる。
そうなってくると、すべてを信じるという発想よりも、都合のいいところだけを切り取って考え合わせるという発想が必要になってくる。
どちらの発想も両極端だが、どちらにも一理あると言えなくもない。
そう考えてみると、タイムマシンのような機械を「パンドラの匣」と考えることは、たった一人の目から見た様々な世界への想像だけでも答えを見つけることができないのに、さらに広げようというのは、自殺行為とも言えるのではないだろうか。
「ひょっとすると、三十代の江崎が五十代の自分を知っているのだとすると、他の人たちも未来の自分を知っているのかも知れない」
タイムマシンで来た未来の人間と、過去の人間との間の関わりと、同じ時代に無限に広がるそこに同じ自分もいるであろうと考える「パラレルワールド」とでは、どちらの方が、自分の中で受け入れやすいと言えるだろうか。
人それぞれに違っているかも知れない。
同じ自分でもそこにいるのが、未来や過去の自分と、同じ時代でも可能性の違う自分の存在。認めたくないとすれば、同じ時代の可能性の違っている自分ではないだろうか。
「下手をすれば取って変わられる」
という怯えを感じる。
しかし、今の江崎には、パラレルワールドの自分に取って変わりたいという意識はないのだ。
「もし、取って変わった世界が、今の世界よりも悪い世界だったら、どうすればいいんだ」
という考えが先にあった。
しかし同じ取って変わりたくないという思いの中に、
「逆にまったく同じ時代であっても、そこにいる自分だけが違っている世界であれば、それこそ、自分の立ち場をどのように持って行っていいか分からない」
と感じるからだ。
自分が三十代の頃は、そんなことを考えたこともなかった。
――いや、別の世界の自分なら、容易に考えていたかも知れない――
と感じたのは、五十代になってやっとパラレルワールドや、過去や現在や未来について考えられるようになったからで、
「どうして、若い頃に考えようとしなかったのだろう?」
と思ったからだ。
感じてみれば、これほど考えが進むこともない。
「なんだ、そんなに難しく考えるようなことじゃないな」
と感じたのは、一つのことを思い浮かべると、どんどんその先が頭に浮かんでくるからだった。
「連鎖反応」
とでもいうべきだろうか、
「元々、俺は昔からそんなタイプだったはずなのに、どこで道を踏み外したのだろう?」
と感じた。
踏み外した道を何十年かかかって、元に戻すことができた。
「人生とは、一度狂った道を元に戻すために費やす時間」
と言えるような気がしてきた。
五十代になった自分がどこまで狂った道を元に戻したのか分からない。ひょっとすると、死ぬまで分からないことなのかも知れない。しかし、おぼろげながらに見えていることもある。見えていることをどこまで信じることができるかというのも、その人それぞれの性格だとは言えないだろうか。
五十代の江崎は、目が覚めた時、明らかに自分の中に三十代の自分がいるのを感じた。しかし、目が覚めてしまうとそこにはもう三十代の自分はいなくなっていた。
――錯覚だったのだろうか?
錯覚というのとは違うかも知れない。
もし違っているとすれば、
――三十代の自分が、五十代に存在した――
ということである。
江崎は、そんなことはありえないと思っていた。それは、
――一人の身体の中に、多重で感情が入り込むことはできない――
と思っているからで、特に相手が、違う世代の自分であればなおさらのこと、なぜなら、自分の肉体には、三十代の自分が存在していて、肉体と精神で共存できるのは、その時代の自分だけだという思いがあったからだった。
江崎がこんなことを考えるようになったのは、江崎自身、自分でタイムマシンをイメージして、小説に残しているからだった。
五十代の江崎は、プロにまではなっていなかったが、小説を書いて、同人雑誌に載せるメンバーに入っていた。その同人雑誌には江崎のような年配者はいないと思っていたが、結構いた。そして、一番少ないのは三十歳代。ぽっかりと空いていた。やはりある程度年齢を重ねて、自分の考えを整理できるようになった人間の所属が多いようだった。
さすがに二十歳代までの若者と年配では発想するものが違う。根本は同じなのかも知れないが、どうしてもシチュエーションには違いがある。
「若者に年配の発想が分かってたまるものか」
と言っている人がいるが、それを聞いていると。
「我々が若者の書いているものが理解できない」
と、遠回しに言っているようなものだ。
しかも、若者と年配という括りにしてしまっているということは、年配である江崎までも含んでいるということになる。そのことをその人は分かっていないのだ。
頑固だという言葉だけで片づけられるものではないが、どうしてその人がそんなに若者に対して固執し、敵対心を抱いているのか分からなかった。
彼は、若者との確執さえなければ、発想は素晴らしいものがあった。江崎も彼の書いた小説に少なからずの影響を受けているのは間違いない。下手に本屋で小説家という人たちの書いた本を読むよりも、よほど江崎にとっては勉強になった。
「あなたの小説はなかなか興味深い」
月に一度、交流会が催され、自由参加で盛り上がるのだが、同人誌の仲間になってからの江崎は、その時ちょうど半年が過ぎていた。
それまでは交流会に参加したことがなかったが、
「一度くらいは参加してみるのもいいものだ」
と、参加してみることにした。
参加メンバーは数人だけだったが、いつも人数的には変わらないという。
「でも、いつも同じメンバーとは限らないんですよ」
彼はそう言っていた。
「あなたは、毎回参加しているんですか?」
と聞くと、少し恥ずかしそうに、
「ええ、毎回参加しています。それだけ暇なんですけどね」
と言いながら、さらに照れ笑いをした。その表情を見ている限り、毎回参加するのは暇だからだというのは嘘に聞こえる。それだけ寂しさをいつも募らせているということなのかも知れない。
もちろん、思っていることを口にするようなことはなかったが、面白そうなその人と、会話するようになった。
その人のペンネームは、「桜井信二」と言った。彼の小説もSFチックなものが多く、それまでジャンルをあまり決めずに書いていた江崎に。SFの面白さを教えてくれた。
「あなたの小説はなかなか興味深い」
という気持ちになったのも、まんざらでもなかった。
「そういってもらえると嬉しいですよ」
彼はまたしても照れ笑いをしたが、先ほどの照れ笑いとは種類が違っていた。その表情には自信が満ち溢れているように見えた。その思いをなるべく表に出さないようにしようという気持ちが現れているようだった。
しかし、本当に彼が表に出さないようにしているようには思えない。書いている小説を読んでいる限り、内容には信憑性が感じられた。SFという架空の空想物語であるはずものなのに、まるで自分の目で見てきたかのような描き方が、江崎の心を捉えて離さなかったのだ。
「一体、あの発想は、どこから来るんですか?」
と尋ねてみると、さっきまでの照れくさい笑いとはまったく違った表情になり、
「想像? いえいえ想像などではありませんよ。私は見た通りのことを書いているつもりなんですよ」
想像していたようなセリフだったが、どうにも上から目線に感じられる話し方に、こちらも対抗意識を燃やしてしまったのか、
「ほう、ではあなたは、あの小説はフィクションではなく、ノンフィクションだとおっしゃりたいんですか?」
「いえ、そんなことは言っていませんよ。ただ、見てきたものをと言ったっだけです」
不思議な言い回しだが、
「じゃあ、見た夢に出てきたと解釈していいのかな?」
「ええ、そうですね。ただ、それが想像なのかどうなのか、自分でも分かりません。本当なら想像で片づければいいんでしょうが、私はそれで片づけてしまっては、気持ち悪い気がしたんです。だから、文章にして残したいと思うようになり、小説を書くようになったんですよ」
彼のいうことには一理あった。確かに彼は嘘をついているわけではない。彼の言葉から、想像というよりも確かに、見てきたことだという方が真実に近い。だが、そのことを理解できる人は、そうはいないだろうと思えた。
夢というものが、現実とはまったく違ったものでないということは分かるような気がする。
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
と言っていた人がいたが、その意見に江崎も賛成だった。そういう意味では話をしている彼が、
「想像ではなく、見たものを言っているだけだ」
と最初は言っていたのに、江崎の質問に、念を押す形で答えた時、
「見てきたもの」
と言ったのは、口が滑っただけであろうか。
江崎は違和感を感じながら、それ以上のことは聞かなかった。もし聞いたとしても、うまく煙に巻かれるような気がしたからだった。
しかし、彼は確かに、
「見てきたこと」
と言った。
それなのに、江崎が夢の話をした時、それに逆らった言い方はしなかった。なるべくこの言葉に触れてほしくなかったのかも知れない。
「やっぱり、夢を見るというのは、その時の何かが気になっていて、記憶の奥に封印してしまったことが、夢となって現れるのかも知れませんね」
そういうと、
「そういう考えもあると思いますが、私は少し違うんですよ。夢というのは、過去のことを見た時と、未来のことを見た時で、違っているものです。しかも、過去のことだと思って見ている夢が、本当に自分の記憶の中にない時がある。その時が、私には未来のことのように思えるんですよ」
「あなたには、未来のことがたくさんあるんですか?」
少し聞き方がおかしな言い回しになったが、彼は江崎が何を言いたいのか分かっているようだった。
「ええ、私は記憶の一部が欠落しているようなんです。最初は、起きていてもまったく意識していないことなのに、夢の中ではしっかりと出てくる。ただ、目が覚めると覚えていない。あなたにも、その日の朝見た夢を覚えていないということが、何度かあったと思いますよ」
「ええ、私には結構たくさんあります。ひょっとすると夢で見たことすべてがそうなのかも知れないと思うこともあるくらいです」
「でも覚えている夢もあるんでしょう?」
「ええ、でもそれは封印することができなかったもので、本当は忘れてしまいたいことは記憶の奥に封印しているものとして、夢で見ることは許されても、目が覚めてから、そのことを記憶することは許されないと解釈しています」
そうでも思わないと、目が覚めてから夢の内容を覚えていないということの説明がつかない。
覚えていることもあるのだが、実際に夢を見た中で覚えていることの確率となると、ほぼ低いものであるように思えてならないのだ。
「覚えていないことの中には、私は『未来に起こること』という思いがあるんです。夢の中は現実世界と違って、発想が柔軟だと思う。だから、未来のことを想像したとしても受け入れることができるが、現実世界の自分は、未来のことを受け入れることはできない。だから、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだと思うんだ」
と話していた。
突飛な発想ではあるが、そう言われてみれば、十分に納得がいく。
――話をしているのが、彼だからなのかな?
もし、他の人に言われたことであれば、納得できなかったかも知れない。いや、ちょうど江崎の中で同じ発想を抱いていたのかも知れない。ただ、それにしても、
「ただ、タイミングが合ったからだ」
というだけでは説明がつかない気がする。
夢というものに対しての発想は、さまざまである。その時の精神状態にもよるし、どんな夢を見たのかにもよる。
「思い出したいのに思い出せない」
そんな夢は、目が覚めてから考えるとすると、一番遠いところに存在しているのかも知れない。
「一度一番遠くまで行って、夢を思いださせないようにするために、わざとさせているのかも知れない」
それは潜在意識のなせる業で、イタズラというには、かなり手が込んでいるように思えた。
彼とは同人誌仲間の飲み会で仲良くなり、結構いろいろな話をするようになった。最初にした夢の話が印象的で、彼も江崎が気になっていることなどに興味を示していた。
お互いに興味津々な二人だが、ある日、
「俺は、あなたと昔から知り合いだったような気がするんだ」
と言われた。
お互いに結構呑んでいたので、
「酔いに任せて」
だと思っていたが、少し違っていることに気が付いた。
「昔から知り合いだったというと、相手は気持ち悪がるか、それとも、仲がいいことを強調したくて、比喩のつもりで話をする人もいるが、俺はそうじゃない。確かに、第一印象から、昔から知り合いだったという発想をする人は少ないだろう。相手のことをいろいろ分かっていって、以前の知り合いに、同じような考えだったり、同じような話をするのが好きな人がいたりして、それで、以前から知り合いだったと思うのだろうが、俺は違うんだ」
「どう違うというんだ?」
「俺は最初からあなたを見た時、すぐに以前から知り合いだったような気がするって感じたんだ。だから、話をしていて感じたわけではない。いわゆる直感なんだ」
「直感でそう思う人もいるんじゃないかな? 今まで自分の知り合いにはそんなタイプの人はいなかったんだけどね」
「でも、確かに最初は直感だったと思ったんだけど、具体的にいつ頃のあなたを知っているのかと言われると、どうも三十歳代じゃないかって感じたんだ。実は俺が書いている小説の内容のほとんどは、その頃から温めていたものが多くて、その時の発想を与えてくれたのが、ちょうど知り合いだったあなただったような気がするんだよ」
「じゃあ、同人誌に発表している作品の元は、三十歳代の頃に知り合いだった人との会話が引き金になっていると?」
「ええ、そうなんですよ。江崎さんには、俺の小説を読んでみて、何か心に引っかかるものってなかったのかい?」
彼の作品を何作品か読んだことがあったが、確かに言われてみれば、共鳴できるところがたくさんあった。
今から思えば、彼に興味を持ったから作品を読んだわけではなく、彼の作品に興味がわいたので、彼に対しても興味を持ったのかも知れないと思った。
確かに、彼と初めて話をした時には。すでに彼の作品を二作品ほど読んだ後だった。最初に読んだ時は衝撃を感じたが、どこか、自分の考えている発想とは違っている気がして、認めたくないという気持ちがあったのも事実だった。しかし、なぜか彼の作品を無視することができない自分がいて、ちょうどその頃、
「僕は二重人格なんじゃないか?」
と、感じていた頃だったので、彼の作品を読んだ時の自分がどっちの自分だったのか、後から考えると分からなかった。
自分が二重人格だという思いを、江崎は以前から持っていた。
最初に感じたのは、確か三十歳代ではなかったが、そう、ちょうど彼が江崎と知り合いだったことがあると思っていた時代である。もちろん、若干の誤差はあるだろうが、江崎には、ほぼ同じ頃だったように思えてならなかった。
ただ、江崎が自分の二重人格を気にしていたのは、その時だけだった。
「別に二重人格でもいいじゃないか」
と思うようになったからだ。
「人間、誰にでも裏表はあるものだ」
と考えるようになってから、二重人格なのかも知れないと思っていた自分の背負っていた荷物が急に軽くなったような気がした。
もし、彼が江崎と昔から知り合いだったというのであれば、江崎にとって、ちょうどその時「裏」だった部分の江崎を知っているのかも知れない。
その時の江崎と今の江崎を、彼が結びつけて考えられるのであれば、
「当時の自分の『裏』の部分というのは、今の自分の『表』になっている部分なのかも知れない」
と感じるようになると、
「二重人格の人間というのは、定期的に裏と表が入れ替わっているのではないだろうか?」
と考えるようになっていた。
彼の小説は、パラレルワールドを基礎にした話だった。
最初に読んだ作品は、
「少し無理なところがあるな」
と思いながら読んでいたので、そこまで深く入り込むことはなかったが、どうしても気になってか、もう一度読み直してみると、今度は、まったく違ったイメージが頭をよぎった。
これも二重人格性を意識したからなのか、彼と話をしているうちに、自分も、
「前から知り合いだったのではないか?」
と感じるようになっていった。
それを感じているのは、表の自分ではなく、裏の自分である。そのことは彼の小説を読み直しているうちに感じることだった。
彼の小説で意識したのは、SFの中でも、いろいろな時代を行き来している者がいるということだった。
それは人間ではない。人間ではないが、人間よりも優れた力や科学力を持っていた。
彼らは、元々は人間によって作られた者たちで、人間が利用するつもりで作った連中が、いつの間にか人間に取って代わったという、SF小説にはよくある設定だった。
しかし、彼はそこに「裏表」の人種を作った。普通の小説であれば、同じ人間で裏表を持っている人が同じ時代に、他に存在しているとすれば、それはパラレルワールドでしかない。
だが、彼の話はそのパラレルワールドを基礎にしていながら、決してパラレルワールドで起こっている出来事ではないことを、前面に出して描いていた。
彼の小説では、
「同じ時代」
というのが、実はトラップで、ずっと読者に、
――同じ時代に存在している、別の自分――
を意識させていた。
読む人は、強調されると、意識して目を逸らそうとするか、それとも、作者の術中に嵌ってしまうかのどちらかであろう。
小説を読んでいると、ところどころに作者の思い入れが明らかになっている部分がある。読者によっては、
「こんな話、作者の勝手な思い込みが生み出した『驕り』のようなものだ」
として、読むのを途中でやめてしまう人もいるだろう。
どうやら、彼はそれでもいいと思っているようだ。
「自分の作品を自分の思いに沿って読んでくれない人に読まれるのは迷惑だ」
と言わんばかりの内容に、彼の意図が隠されているように思えてならない。
「俺は、書きたいことを書いているだけなんだ。読みたくない人に、無理に読んでもらいたいとは思わない。最後まで読んで不愉快な思いをするくらいなら、最初から読まないでもらいたい」
と言っていた。
だが、彼の言う通り、思ったことを書いているだけだと思って読んでみると、別に不愉快には思えない。却って、
「どんな気持ちで書いたんだろう?」
と、興味が沸いてきて、そこに作者の意図が隠されているなど、思いもしない。それがまた彼のうまいところで、読む人間を絞りこむことが、自分の作品に磨きをかけるのだと分かっているようだ。
彼の話は、完全にフィクションである。同じ時代の裏側に回っている自分が、表の世界に現れるという設定から始まるのだが、彼は必要以上に、「裏表」という思いを前面に押し出している。
「こっちが表で、向こうが裏だ」
この発想は、鏡に写ったもう一人の自分に似ている。鏡を見ている自分は鏡に写った自分を見て、虚像であるとして疑わない。鏡の中に写った自分は、自分でしかありえないという発想だ。
主人公は、五十歳代だった。
「俺がこの小説を書いたのは、三十代だったんだが、今から読んでも、よくこれだけの発想ができたなと思うほど、五十代をよく書けている。本当に怖いくらいだな」
と言っていたが、主人公の陰に隠れるように出てくる三十代の男性がいるが、それが作者である彼と重なって感じられる。間違いなく、主人公に隠れて陰のような存在になっている男は、小説を書いていた時の、彼に違いない。
彼はパラレルワールドを基礎に小説を書いているが、最後にはパラレルワールドを否定している。
「それは、パラレルワールドが「無限」の元に成立しているからだ」
という考え方からだった。
人間一人に、たった一瞬でも無限の可能性が存在している。それがさらに無限に続いていく時間にどのような影響を与えるかということを考えると、
「無限と言っているものにも、実は限界があり、限界が存在しなければ、同一時間に無限の可能性が存在しているとすれば、すべてはそこで終わってしまうはずなのに、時間は無限に続いていく。そうなると、無限という言葉が、有名無実になってしまうのではないかと思ってしまうんだ」
それが、パラレルワールドを誰よりも信じたいはずなのに、考えれば考えるほど、パラレルワールドを否定しなければならなくなってしまう自分に気を病んでいたのだ。
「俺を二重人格だって思ってるだろう?」
と言われて、
「ええ、まあ」
と、適当な返事をした時、
「やっぱりそうだよね」
と、寂しそうな顔をしたのが印象的だった。
彼の小説を読んでいると、すぐに分からなくなってしまう。五ページも読まないうちに、前に読んだ内容を忘れてしまっているのだ。
――僕は、こんなにも物忘れが激しいのだろうか?
確かに物忘れが激しいのは意識していたが、嵌って読んでいるはずの小説で、たった五ページ前を覚えていないなど、今までの感覚からすればありえない。
きちんと順序だてて物語は進行していた。確かにSF小説なので、時系列での話ではないのは仕方のないことだが、それでも、なるべく時系列に沿った物語展開になっている。そういう意味で、彼の小説は、
「読み手に優しい」
はずだった。
ただ、彼の中でどうしてもパラレルワールドを描くことができないという思いが、読み手に伝わってくるのか、読んでいて、ついつい違う世界に入り込んでしまっているような感覚に陥る。だからこそ、ちょっと前のことでも、忘れてしまうという現象に陥ってしまっている。
「無理もない」
とは思うが、それだけだろうか?
「そういえば、彼も言っていたっけ」
「覚えていないことの中に『未来に起こること』が含まれている」
と言っていた。
自分も彼の小説を読んでいると、読んでいた内容を忘れてしまっている。ということは、彼の書いている小説は、本当に未来に起こることを書いているのだろうか?
ただ、彼がその小説を書いたのは、かなり前のことである。その時点で、「未来」だったことが、今になれば過去であるかも知れないし、さらにまだ起こっていない未来であるかも知れない。
江崎は、若い頃の自分も、学生時代に小説の真似事のようなものを書いたことがあった。
もちろん、どんな内容だったかなど、すっかり忘れてしまっている。部屋を探せば、どこかからか出てくるかも知れないが、その当時、
「これは残しておこう」
などという発想になったという記憶はない。
だが、小説を書いている頃は、結構物忘れが激しかったのを覚えている。小説を書いているから、物忘れが激しいという発想に結びつきはなかったが、今から思えば、あの時の記憶を思い出すことができれば、新鮮な気持ちで彼の小説を読むことができるような気がしてきた。
だが、その頃の小説も、今書いている小説も、彼の小説の前ではかすんでしまう。別に彼の小説と自分の小説を比較してみようという意識はなかった。同人誌に書くようになるまでは、
「他の人の小説、特にプロの小説を読んで、勉強にしよう」
と思っていたが、同人誌に書くようになると、今度は、
「人の書いたものなんか、どうでもいい。下手に他の人の小説を読んで、変な影響を受けたくない」
と思うようになっていた。
「僕は、自分が書きたいものを書ければそれでいいんだ」
と思っていた。
文章が下手くそであってもそれでもいい。他の人の小説を読んでしまうと、どうしても作風が似てきてしまう。気づかぬうちに、マネをして書いてしまっているということも、あるかも知れない。
それだけは自分で許せなかった。
最初から他の人の小説をパクるというのはありえないと思っていた。そこまでするくらいなら、最初から小説など書こうなどと思わない。
「フィクション」は書こうと思うが、「ノンフィクション」は嫌だと思っている。どこかで見たような話を自分で書くなど、ありえないからだった。
「本を読むなら『ノンフィクション』、自分で書くなら『フィクション』だ」
と思っていた。
本屋で最初に行くコーナーはエッセイコーナーや歴史小説だった。歴史小説も、史実に乗っ取ったものであり、史実を捻じ曲げてしまうような作品は、面白いかも知れないが、読もうとは思わなかった。変なところにこだわりを持っている江崎だった。
そんな江崎の性格を、彼は見抜いていた。
「あなたは、小説を読むのと書くのでは、違う次元のものだって考えていませんか?」
最初は何を言っているのか分からなかった。江崎は、
「本を読むなら『ノンフィクション』、自分で書くなら『フィクション』だ」
という思いを、意識して持っていたわけではない。無意識に感じていたことなので、人から指摘されても、まさかそのことだとは、すぐには発想できないでいた。
「俺も実はあなたと同じなんですよ」
いきなり主語もなく言われて、一瞬、
「何のことだ?」
と感じたが、実はこの話術は彼独特のもので、文字で表すと、その思いは伝わらないが、抑揚のある声では、一瞬あっけにとられた後、おぼろげながら、彼が何を言いたいのかが分かってくるのだった。
「文章を書く人間というのは、他の人には分からない独特の感性のようなものがあって、それがこだわりになるのだが、それを個性として見てくれればいいのだが、変わっていると見られるのが一般的だよね。でも、分かる人には分かると思うと、それがどこにいる人なのかということを探してみたくなりますよね」
「でも、小説を書いている他の人にも分からないようなんですよ」
「それはそうでしょう。同じように小説を書いている人だからこそ、分からないことだってあるかも知れない。逆に考えてみればどうですか? あなたの考えていることが、簡単に他の人に分かってしまって、それで嬉しいですか?」
「確かに、自分の考えていることを他の人に読まれたくないと思うこともありますね。同じように小説を書いている人なら、なおさらに『同じことを考えていてほしくない』という思いが強く感じられますね」
「そうでしょう。それが個性であり、自分だけにしかないものとして、他の人から見られたいという意識もあるというものです」
「あなたは、そんな目で見られたいですか?」
と逆に聞いてみると、彼は少し苦笑いを浮かべ、
「いいえ、そんな目で見られたくはないですね。個性というものは、無意識に醸し出されてくるものだと思っているので、それを感じる人も、意識して感じてほしくないというのが、俺の持論ですね」
時々彼は、自分の考えていることを、相手に喋らせることがある。これも彼独特の考え方から来るものなのだろうが、江崎はそんな彼を嫌いではない。
もっとも、彼が江崎以外と話をしているところを見たことがない。江崎が知らないだけなのかも知れないと最初は思っていたが、彼と話をしているうちに、他の誰かと話をしている姿をどうしても思い浮かべることができなくなっていた。
「だけど、どこかで彼が他の誰かと話をしているのを想像したことがあったな」
なかなか思い出せなかったが、話をしている相手を思い出してみると、どうにも他人のように思えなかった。
「あれは、昔の僕ではないか?」
いつの頃の自分なのかは分からない。たぶん、夢に見たのだと思っていたが、夢にしてはかなりリアルだった。
自分が夢の中で見たというのであれば、潜在意識のなせる業が夢だと思っているので、その相手の男に対して、かなりのイメージを深く持っていたことになる。最近になってこれだけ物忘れが激しいのに、それでもイメージが消えないということは、それだけ自分と関りが深い証拠であろう。
「あれは、昔の僕ではないか?」
と思ったのも無理もない。いや、そう感じなければ、ずっと相手が誰なのか気になってしまって、通常生活ができなくなるかも知れないとさえ思えた。
誰なのか思い出せないだけで通常生活が脅かされるなど、あってはならないことだと思えたのだった。
昔の自分と言っても、一体いくつくらいの自分だったのだろう?
五十歳を超えている彼から見れば、かなり若い人には変わりない。ただ、それが二十代なのか、三十代なのか見当がつかなかった。もし、江崎が自分に似ていない人を想像していれば、年齢の幅もぐっと狭まるのだろうが、昔の自分だと思うと、いつ頃の自分なのか、なかなか分かるものではない。
「自分の姿は、鏡に写したりして、何かの媒体を使わないと、なかなか見ることはできない」
確かにその通りだ。
だからこそ、昔の自分をそれほど鏡で見たことのなかった江崎には、それがいくつの頃の自分なのか分からない。それなのに、
――よくそれが、昔の自分だと分かったものだ――
という思いがあるのも間違いではない。
二十歳代と、三十歳代の自分とでは、かなり違っているのを自覚していた。
「本当に同じ人間なのだろうか?」
と感じるほどで、普通年齢を重ねれば、その時系列で重ねた年齢分、以前の自分を振り返ることができる反面、未来から過去を遡るというのは、結構遠い道のりに感じられた。それだけ、自分が生きてきた人生に重みがあるとも言えるのかも知れないが、それ以上に、江崎の場合は、忘却の二文字が頭にあって、離れないのだった。
昔の自分を顧みていると、想像として浮かんできたのは、三十歳代の頃、スナックで、言われた、
「初恋の人に似ている」
と言われたことだった。
その言葉自体には、それほど思い入れがなかったのだが、それ以前に、同僚の松永が言った、
「この間まで五十歳だったんだ」
と言っていたのを思い出した。
その時女の子から、
「五十代と今とでは、どう違うの?」
と聞かれて、
「今と精神的には変わりない」
と答えていたのが気になっていた。
江崎はその言葉を今ま追いかけていたのかも知れない。
確かに、三十代、四十代と、その意識は強く、
「五十歳になったら、その答えが見つかるのだろうか?」
と思っていた。
その疑問は三十歳代からどんどん深まっていって、年齢が近づくにつれて、思いは反比例しているかのようだった。
四十歳後半からは、ほとんど疑問しかなかった。
「そんな答えが簡単に見つかるはずはない」
という思いだった。
それは、自分が五十歳に近づくにつれ、年齢を重ねているという意識があるにも関わらず、考えていることは、さほど変わっていなかったからだ。
その思いは、三十代に松永から聞いた話と同じだった。
「精神的には、さほど変わりない」
もし、今自分が三十歳代のあの時に戻って、店の女の子に同じことを聞かれると、そう答えるに違いない。
「でも、どこか松永とは違うんだよな」
そんな風に四十歳代後半は考えていた。
当の松永は、一緒にスナックに行ってから一年もしないうちに、会社を辞めてしまった。それから一、二度くらいは一緒に呑みに行ったこともあったが、次第に連絡をしなくなり、音信不通になってしまった。会社にとどまった者、会社を去った者、それぞれに思いが交錯していたのか、次第に気まずくなっていったのだろう。
五十歳になると、それまであれだけ五十歳への思いを馳せていたにも関わらず、そのことを考えないようになった。
完全に忘れたわけではないのに。思い出そうとすることをやめたのだ。
年齢を指定してその時になれば分かるという待ちわびていたことが、その年齢に達すると、急に冷めた気分になるというのもありなのかも知れない。
江崎はタバコは吸わないが、学生時代に、隠れて吸っているまわりの同級生を見ていると、
「僕は、意地でも二十歳になるまで、タバコはやらない」
と思っていた。
その頃は、吸い始めるかどうかは別にして、
「二十歳になったら、絶対に一度は吸ってみるぞ」
と思っていた。
しかし、実際に二十歳になると、そんな思いは完全に失せていた。
もちろん、忘れてしまったわけではない。待望していたのは間違いないことだ。それなのに、実際にタバコを吸ってもいい年齢になると、
「どうして、こんなものを吸ってみようと思ったのだろう?」
と、自問自答を繰り返した。
――吸い始めるかどうかは別にして――
という意識があり、その意識に素直に対応すれば、それでいいだけのことなのに、実際にその年齢に達すると、
――遠い過去の遺物――
のようにさえ思えてきたのだ。
「冷めてしまった」
と、口にすればそれまでなのだが、理由もなく冷めてしまったことに自分の中で違和感があった。
「僕は、ずっと思っていたり、憧れていることがあれば、自分で考えている年齢に達すると、急に冷めてしまう性格なのかも知れない」
と感じた。
その思いを持っているのは、江崎だけではないように思う。口にする人がいないだけで、誰もが感じていること、そして、その中で、本当に冷めてしまっている人がどれだけいるというのだろう? 江崎はその思いを抱いたまま、三十代から生きてきた答えを見つけようと思っていたのだ。
ただ、その答えを見つけようと思っているのは、
「どうして、その年齢に達すれば、急に冷めてしまうのか?」
ということよりも、
「原因は、飽和にある」
と思うようになったのだが、そのタイミングが、ちょうど自分の目指している年齢にピッタリなのは、
「本当にタイミングの問題というだけで片づけられるものなのだろうか?」
と思うようになった。
自分の気持ちの中のことなので、偶然というのはありえない気がする。自分の中で忘れている何かがあり、それを思い出せないと、この問題は解決しないような気がする。そうなると江崎は、
「この問題を解決することはできないのではないか?」
と思うようになった。その理由は、
「敢えて、解決させたくない」
という思いがあるからで、
「タイミングまでもが、自分の潜在意識ですべて操作できるからではないか」
と考えるようになったからだ。
その思いに達したのは、やはり五十歳という年齢が、今まで重ねてきた年齢の集大成のように思えたからだった。
実際には何も成果があったわけではないここまでの人生だが、これから自分の身に起こることは、果たしてそれまでのツケが回ってくることになるのか、それとも今まで頑張ってきたことに対するご褒美なのか、怖いようで楽しみでもあった。
楽しみだということは、やはりご褒美を期待しているからであろう。
「五十代が果たしてご褒美なのかツケなのか」
そう思うことで、それまで思いを馳せてきたことを冷めさせたのかも知れないとも考えられ、それならば、
「ご褒美というよりも、ツケが回ってきたということになるんだろうな」
と感じる江崎だった。
「五十歳になって、人生を逆に戻るような気がする」
そう思ったのは、五十歳になって、それまで馳せていた思いが急に冷めてしまったからだ。
今の会社の同僚の中には、
「五十歳になって今までの人生を思い起こしてみることはあるんだけど、考えれば考えるほど、白紙に思えてくるんだ。だから、時系列もめちゃくちゃ。この間のことが遠い昔に思えることもあれば、二十代を昨日のことのように思い出すこともある。でも、そんな時に限って、自分の人生が何もなかったかのように思えるんだ」
「それは、この間のことというのが、ずっと年齢を重ねてきた結果であるはずなのに、そのことを思い出せないからなんじゃないか?」
「いや、俺もそうだと思ったんだけど、思いを馳せるのは昔のことばかり。まるで若い頃に今の自分がどうなっているかというのを想像した時、年齢を重ねるごとに新しい自分を発見し、成長していると信じて疑わなかったかのように、昔のことに思いを馳せてしまう」
「それは何もなかったのとは違うんじゃないか?」
「だって、経過とはいえ、最近の自分を思い出せないということは、本当に何もなかったのか、それとも、思い出すに当たらないことだから思い出さないのか、どちらにしても過去から見た未来を思い出せないのであれば、最初から何もなかったと考えるのも自然なんじゃないかな?」
同僚は淡々と話していたが、その言葉には重みが感じられた。
しかし、そこで江崎は少し違う考えを持っていた。
「だったら、人生を逆に生きてみるという考え方もあるんじゃないか?」
「そんなことできるはずないじゃないか」
「確かにそうなんだけど、逆に生きている自分がいるから、目標にしていた地点に到達しても、周りが見えてこないことで、冷めてしまうんじゃないか?」
「というと?」
「目的地には、もう一人の自分がいて、その自分が馳せてきた思いを達成してくれているんだよ。その自分を見つけることができなかったので、冷めた気持ちになってしまったんじゃないかな?」
「まるで夢のような話だ」
「そうなんだよ。夢なんだよ。いるはずの自分がそこにいない。その思いはきっと誰もが感じているんだ。もう一人の自分の存在なんて普通は信じられない。だから、皆ある程度の年齢に達すると、人生に冷めてしまうんだ。そこから先をどう生きるかで、その人の人生は決まってくるのかも知れないな」
五十歳になって、今の同僚と話していると、三十代の頃に松永と話していた頃のことを思い出してくる。話の内容も似たようなもので、江崎にとっては、目からウロコが落ちるようなものだった。
江崎にとって今の同僚と、小説同人誌の彼とでは、どちらもいい話相手だ。
「どちらがいなくても、きっとつまらない五十代なんだろうな」
と思っていた。
思いを馳せていたことに対して、急に冷めてしまった自分を感じただけで、
「本当につまらない人生だ」
と、半ば投げやりな気分にもなっていたのだ。
そういえば、
「二十代からやり直したい」
と思ったことがあった。
それは、五十歳になった今でも結婚していないことが一番の原因である。
二十代の頃には結婚してもいいという女性がいた。慶子のことである。表面上は自然消滅のような形で別れたが、その時の心境は思い出せそうで、なかなか思い出せない。思い出そうとしている自分に対して、潜在意識が思い出ささないようにしている。そこに、もう一人の自分が存在しているようだった。
そういう意味では今も、もう一人の自分を感じる。それが、
「二十代からやり直したい」
と思っている自分だ。
確かに、過去に戻って、もう一度やり直したいと思っている人は少なくない。表面上は分かりにくいが、気持ちが強そうだ。江崎の場合は、まったく過去に戻りたくないというすべてに冷めてしまっている自分と、本当にやり直したいと思っているもう一人の両極端な自分がいるように感じていたが、
「きっとまわりから見ると、自分がまわりに感じているのと変わらなく見えるんだろうな」
と感じたが、それは逆に、
「誰もが、同じ思いを持っていて、もう一人の自分の存在を意識しながら、認めたくないというジレンマに陥っているのかも知れない」
と、感じているように思えてならなかった。
その思いを感じさせたのは、小説を書いている彼だった。
「この人、ひょっとして、自分の知っている人の『もう一人の自分』なのかも知れない」
と感じた。
――自分の知っている人――
思い浮かぶのは一人しかいなかった。
そう、それは三十歳の頃同僚だった、松永である。
松永は言った。
「そうだよ。俺はこの間まで五十歳だったんだ」
という言葉を……。
その言葉の意味が、やっと今になって分かった。
そして、その言葉の意味を理解したのは、この年齢で冷めてしまった自分ではなく、過去からやり直したいと思っているもう一人の自分だった。
「どっちが、本当の自分なのだろう?」
松永を意識しなければ考えることもなかったことだ。お互いに裏が表に出てこないと、出会うことがなかった二人だったのではないかと感じていた。
江崎は今、二十代の頃を思い出していた。頼子のことをである。
今までに頼子のことを思い出すことは何度かあったが、今頼子を思い出している自分が五十代の自分だとは思えない感じがした。三十歳代の時に結婚してもいいと感じていた慶子を思っている自分がいる。
今から思っても、慶子とは自然消滅だった。しかし、本当に自然消滅だったのだろうか?
江崎が考える自然消滅は、別れる時の理由が謎だという意識の元に存在している。
しかし、今思い出している慶子との別れの理由が何であったかというのは、忘れてしまっていたが、そこに理由が存在したことに間違いはない。謎ではなかったのだ。
その思いが江崎にジレンマを引き起こしてしまった。そのジレンマは、慶子を思い出す時には必ず頼子のことも意識している。逆に頼子を思い出す時にも、必ず慶子のことを意識している。
二人は江崎にとって背中合わせになっている存在であり、決して二人はお互いを知ることはない。他の誰も二人の関係性を知る者もない。知っているのは江崎だけ、誰にでも同じような思いを抱く人がいるのかも知れないが、江崎にとって、特別な思いがそれぞれ二人にはあったのだ。
ただ、松永は慶子のことは知っている。つまり、五十代になって出会った桜井信二と名乗る小説家も、慶子のことを知っているに違いない。
そう思って江崎は、桜井信二の作品を読んでみた。一度は読んだことのある作品であっても、今度はまったく違った見方で見るのだから、かなり違って感じられるに違いない。桜井信二の本性が、小説を読んでいるうちに浮き彫りにされるのではないかと思うと、落ち着いてもいられなかった。
桜井信二の小説は、奇妙な話が多い。最初、
「どう取っかかっていいのか、小説の主題から見ていくと、次第に深みに嵌り込んでいく自分を感じたものだ」
と思っていたが、どうやら、彼の小説は、最初から、
「理解しよう」
と考えると、掴みどころのない内容に翻弄されてしまい、主題を見ようとしていた自分すら見失ってしまっていて、読み終わった後に、何も残っていないことに気づかされる。
他の作者の小説であれば、
「よく分からない小説だったな」
と思い、読んだことを後悔したり、時間の無駄だったと感じたりするのかも知れないが、桜井信二の小説は、
「もう一度読んでみよう」
と思わせる数少ない小説ではないだろうか。
「このまま分からないままだと、ストレスが溜まってしまう」
と感じさせられる。それこそ、作者の思うつぼではないだろうか。
そのことを本人に話すと、
「買いかぶりすぎだよ。俺はそんなつもりで書いているわけじゃない。ただ、思ったことや見てきたことを文章にして、それをつなげているだけさ」
「そのわりには、あなたの小説は、時系列に沿っているわけではないんじゃないですか?」
「別に時系列に沿ったものを書いているわけではない。ただ、いわゆる『時系列』が本当に起こったことをそのまま流れるように表現しているわけではないと思うんだ。時には時系列を、無視することで、忘れてしまいそうなことを忘れずに、しっかり理解したままでいることだってできるんだ。そういう意味では、時系列を重視して書いている小説は、読んでいるうちに最初の頃のことを忘れてしまう」
「どうしてそう思うんですか?」
「時間軸というのは、年輪や音波のように、等高線に張り巡らされているような気がするんだ。だから、それを一線超えるだけで、思ったよりも過去に戻ったような気がする。時系列は、遠くなればなるほど時間が経っていることになり、時間が経っていればいるほど、遠くなっているように思うんじゃないかな?」
「それって当たり前のことなんじゃないですか?」
「誰がそんなことを決めたんですか? 確かに、一般的にはそうかも知れないけど、一般論だけが正義だというような考えは危険であり、愚かな気がするんですよ」
彼に言われると、
――まさしくその通りだ――
と感じてしまう。
彼とそんな話をしたのは、彼が書いた小説を何作品か読んだ後だった。
読みながら、彼に興味を持ったのも事実で、何よりも年齢が近いのが意識してしまう理由だった。
――同じ時代を別々に歩んではきているが、誰よりも考え方が近いのではないだろうか?
年齢が近いということは、環境が違っても感じ方に変わりはないと思う。どちらかが若干早く時代を進んでいるという考えもあるが、自分の知らない発想を相手が知っていると思うと、実際に面と向かって話をしてみたくなる。
――彼の小説は、そのことを無言で自分に語り掛けているのではないか?
と感じた江崎だった。
彼の小説を最初に読んだ時、
――こんなの、とても僕には書けない――
という思いと、
――でも、こんな経験、僕もしたことがあるような気がするな――
書いている本人はフィクションだと言っている。それは恋愛小説だったが、あまり一般的にあるような恋愛とは少しかけ離れていた。だから、
「フィクションだ」
と言われても、その通りだと思うのだが、江崎にはどうしてもフィクションに思えなかった。その理由は、
――自分が同じような経験をしたから――
であった。
いつ経験したことなのか覚えていないし、相手がどんな女性だったのか覚えていない。もちろん、付き合っている頃は意識を集中させていたので、
「決して忘れることはない」
と言えたはずなのに、気が付けば忘れてしまっていたのだ。
「気が付けば忘れていた」
という表現もおかしなものだが、その言い方がピッタリだった。まず、
「何かを忘れてしまったかのような気がする」
という意識があって、その後に、読んだ本の中に、
「どこかで感じたことはある」
あるいは、
「以前に経験したことがあったような……」
と感じるものがあるのだとしたら、
「気が付けば忘れていた」
という表現も、まんざら的を得ていないわけでもないだろう。
それが、たまたま読んだ小説の中にあることだった。
それを書いた作者を知っていて、彼に聞けば、
「フィクションだ」
というのだから、彼に対して興味を持つのも当たり前だった。
今までに相当忘れてしまったこともある。その中には、
――忘れたくない――
と思うことも含まれているような気がする。
忘れてしまったことの多くは、潜在意識が成せる業で、思い出したくもないことを、忘却の彼方へと追いやるのだ。しかし、気配のようなものまで消し去ることはできない。何かのきっかけがあれば、
「頭の中に悶々としたものが残っている」
という意識を植え付けてしまうこともあるのだ。
彼の小説は奇妙な話が多い。ただ、そのきっかけになる話はいつも恋愛からだった。
そういう意味では、彼の小説はワンパターンであり、しかも奇妙な話が絡んできているので、あまり一般受けがしない。
「俺も一応、出版社関係の公募にいつも投稿したりしているんだけど、いつも一次審査ではねられるのさ」
と言っていた。
「それでも、俺は書き続けてるんだ」
「どうしてですか?」
「俺の書いている小説はフィクションなんだけど、必ず将来、誰かが経験することに思えるんだ。だから、同じようなことを経験したことがある人から、『ノンフィクションではないか?』と言われるのは、心外なんだ」
それは、遠回しに江崎のことを言っていた。
江崎は以前に、
「ノンフィクションのようだ」
と指摘したことがあり、彼を不機嫌にさせたことがあったが、その時はハッキリとした理由を言っていなかった。
実はその時に言いたかったのかも知れないが、敢えて言わなかったのは、本当にノンフィクションだと言われることが心外で、その理由についても、彼には察しがついていたからなのかも知れない。そう思うと、いろいろ彼のことが分かってくるような気がして、彼が思っていたよりも、自分に考えが近いところがあると感じた江崎だった。
それにしても、自分の書いた小説が、どうして未来に起こることだと、ここまでハッキリと感じるのだろう? 彼の話は奇妙な話が多く、SFを書いている自分に近いところがあった。
だが、どこか根本的に違っていた。
「僕には、彼のような小説は描けない」
と、彼の才能に脱帽してしまうようなところがあった。
しかし、すべてにおいて脱帽しているわけではなく、どこかに自分には分からない何かのカギがあり、それを捻ると、彼の発想に到達できるのかも知れないと感じた。
「扉一つを挟んだだけなのに、遠くに感じられる。まるで次元が違っている世界が広がっているようだ」
そんな思いが彼の小説に神秘的な要素をもたらすのだが、決して信憑性がないわけではない。やはり、江崎がかつて感じた思いがそこに含まれているからで、江崎の過去を彼が知っているのではないかと感じさせるところだった。
彼の小説は、江崎の三十代に経験したことに似ていた。
「そういえば、あの頃、自然消滅だと思っていたが、何か見えない力に操られていたような気がする」
その思いは、ずっと持っていたが、
「忘れよう」
という思いが強くあった。
自分の中で、自然消滅として片づけたい何かがあったとは思っていたが、それが「見えない力」だったとは、彼の小説を読むことで、初めて思い知らされた。
三十代に経験した恋愛とは、他ならぬ慶子とのことだった。
途中までは、本当にお互いに結婚してもいいと思い、思いはお互いの中で徐々に暖めていたのだ。
決して焦っていたわけでもない。焦りが募る年齢でもあったが、
「急いては事を仕損じる」
ということわざもある。年齢を重ねていく上で、落ち着いてくる反面、焦りが募ってくるのも仕方のないことだ。それがジレンマになるから、なかなか先に踏み出せなくて、慎重になってしまうのだろうが、えてして慎重になりすぎると、せっかくの好機を逃してしまうことに繋がってしまう。
そんな時に感じたのが、「見えない力」だったのだ。
今までずっと自然消滅ばかりしていたことに疑問は感じていたが、その理由について、敢えて考えてみようとは思わなかった。考えることが怖いという意識もあったし、考えて結論を見つけたからといって、自然消滅以外の別れが自分に存在するとは思えなかった。つまりは、
「自然消滅こそ、一番綺麗な別れ方なんだ」
と思っていた証拠である。
しかし、「見えない力」の存在を感じると、本当に自然消滅が一番綺麗な別れ方なのか、疑問に感じるようになっていた。
「別れ方に、綺麗を求める方がどうかしているんだ」
と考えるようになった。
「一番傷つかない別れ方」
というのを考えるのなら分かるが、綺麗、汚いというようなものは、外に向けた体裁を繕っているだけではないかと思えるようなことは、本当の自分が望むはずはないと思う江崎だった。
江崎は、三十代に同僚だった松永のことを思い出していた。同僚だった時期はあまり長くはなかったが、とにかく印象的なことを口走る男性だった。彼が年を重ねて小説を書くようになったとしても、別に驚かない。桜井信二の小説を読んでいると、松永のイメージがよみがえってくるようだ。
「近き過去よりも、遠い過去のことの方が覚えているというのは、年を取ったことにかなり影響があるのかも知れない」
と感じた。
年を重ねるごとに、毎日が早く感じられる。そして、その毎日もマンネリ化したものだ。毎日が早く感じられると思っているが、実際に日々そのことを感じているわけではない。むしろ、一日一日は長く感じられるくらいだ。
一週間だったり、一か月だったりと、長いスパンで考えると、その時を思い出している時、長いと感じるのだった。
若い頃は逆だった。
毎日があっという間だった気がするのに、長いスパンで考えると、結構前のことだったように感じる。同じ期間でも、思い出すために費やす時間が長いと、そこに若い頃と違った感覚が培われていたのだ。この錯覚が、
「昨日のことはなかなか思い出せないのに、かなり昔のことがまるで昨日のことのように思い出される」
という感覚に陥らせるのだろう。
そして年を重ねるごとに、毎日が長く感じられるくせに、長いスパンではあっという間に感じられる原因として、
「毎日がマンネリ化している」
という感覚があるからかも知れない。
さすがに、数時間前のことを忘れてしまうことはないが、下手をすると、さっきのことが昨日のことだったのかも知れないと思うほど、毎日に変化がなく、決められたレールの上を、ただ進んでいるだけのような気がして仕方がないのだ。
松永も、三十代だった自分に同じような話をした。
「俺はこの間まで、五十代だったからな」
と嘯いていた。
「まるで夢物語のようですね」
半分、相手にしないようにしようと思いながら、なぜか気になってしまっていた。しかも、松永からその話を聞いた時、
――最初から、その話題に触れられるような気がしていた――
と感じた。
スナックに一緒に行って、自分がこの間まで五十代だったという話をした時、それまで松永と親密に話をしたこともなかった。その日も、松永から、
「今日、一緒に呑みに行こう」
と言われるまで、まったく松永を意識することもなかった。
それなのに、
――やっと来たか――
と感じたのも事実だ。
「やっと」というのは、それまで松永から誘われることを予期していたような気がしたからで、どこかホッとした気がした。しかし、江崎は松永と本当に一緒に呑みたいと思っていたわけではない。誘われるような気がしていたことで、誘われるまで精神的にたまってくるストレスが増幅してこなくなったことで、素直に安心していただけだった。
松永との話は、将来に感じるであろうことを今感じさせていたのだ。
ただ、松永の話し方を見ていると、どこか自慢げに聞こえる。
「俺は、五十代を知っているんだぞ」
と言わんばかりだった。
しかし、桜井信二の作品を読むと、五十代の人間が三十代にやってきて、
「自分は未来からやってきた」
ということはタブーだと書かれていた。
それには江崎も賛成だった。
違う時代、あるいは次元にいる自分以外の人間に、自分の正体を明かすのはタブーのはずだった。
――では、自分にならどうなんだろうか?
他の人の小説などでは、自分に対してこそ、秘密にしておかなければいけない。むしろ、違う時代の自分に出会うということはあってはならないことで、もし会うということになると、タイムパラドックスを引き起こし、世界全体がどうなるか分からないというのが、一般的な考え方ではないだろうか。
しかし、桜井の小説では、このタイムパラドックスを肯定しているところがあった。
「未来や過去に行くことができないのを、タイムパラドックスのせいにしている」
という考え方で、
「もし、未来や過去に行くことができるようになれば、タイムパラドックスという縛りから解放され、自由に時代の違う自分の前に現れることができる」
という、いわゆる逆の発想だったのだ。
江崎は、そんな桜井信二の小説を、
「なんて寛大な小説なんだ」
と、目からウロコが落ちたような発想でいたが、それだけではなかった。
「過去や未来の自分に自由に会うことができるのはいいが、会ってしまうと、そこでミッションが発生し、ミッションを解決できなければ、そのまま、その時代から抜けることができなくなる」
と書かれていた。
「つまりは、同じ人間として生きることはできないので、他の人間として生き直すことになる」
というのだ。
そこまで読んでくると、一つの疑問が浮かんでくる。
「五十代の桜井信二は確かに松永なのだが、本当の松永ではなく、本当の松永は他にいて、桜井信二は自分に出会って、ミッションを解決できなかったことで、そのままその時代を生き直すことになったのではないか?」
というものであった。
「ということは、五十代のこの世界に、別に松永は存在しているのかも知れない」
と感じた。
そして、江崎は先に桜井信二に出会ってしまったことで、松永とは、もう二度と出会うことはできないと思っている。もちろんすべては勝手な妄想なのだが、その根拠は他ならぬ桜井信二の小説である。
――まるで、僕にこの結論を導き出すように、そこに彼の作為が加わっていたような気がする――
と、桜井信二の意図が見えない中で、そんな風に考えるのだった。
「俺は、密かにタイムマシンを開発していたんだ」
と、自分の小説を読んでくれたことを確認した松永は、江崎にそう言った。
「そんなことが可能なんですか?」
「信じる信じないは君の勝手だよ。でも、あなたは俺の小説を読んで、限りなく信憑性があることを感じてくれていると思う。だから、少し考えれば、タイムマシンという発想も、あながち無視できることではないはずだよね」
下から舐めるように見上げられると、それ以上何も言えなくなった。
――僕は、同じことを前から考えていたような気がする――
またしても、過去に考えたことを思い出すという感覚に陥った。そう思った時はほぼ間違いなく、自分の直感を信じていいと思える瞬間であったのだ。
「あなたは何でもお見通しなんですね?」
と、半分呆れたように答えたが、桜井は満面の笑みで、
「そうだね」
と答えた。
その表情を直視できないはずなのに、見つめられると、目を逸らすことができない。まるで、
「ヘビに睨まれたカエル」
だったのだ。
「どうして、僕にタイムマシンの話をしたんだい?」
「君は、俺と同じ匂いを感じるんだ。だからタイムマシンの話も信じてくれるだろうし、少し時間が経てば、そのタイムマシンを使ってみたいと思うと感じているんだ」
と、どや顔になっていた。
――何を勝手なことを言っているんだ――
と反発したい気持ちもあったが、反発するだけの力が江崎にはその時残っていなかった。話をしている間、かなり無意識ではあるが身体に力が入ってしまっていて、その疲れからか、表情すら変えることができなくなっていた。
金縛りにも遭っていたようで、
「人と話をするのに、こんなにも身体が硬直してしまうなんて、五十年も生きてきて初めてのことだ」
と感じていた。
「江崎さんは、今おいくつですか?」
急に話が変わったかのように、江崎は急に身体から力が抜けてくるのを感じた。
「今年、五十二歳になります」
「江崎さんは、自分が五十二年生きてきたと思っているんでしょう?」
「え? 違うんですか?」
確かに言われてみれば、五十年を思い返すと、本当にそんなに長く生きてきたという感覚がなかった。年齢を重ねるごとにどんどんあっという間に過ぎていく時間を、恨めしく思っていたほどだった。
「江崎さんは、たぶん三十代をつい最近のように思えているはず。でも、二十代となると、かなり遠くに感じているでしょう?」
「え、ええ」
何が言いたいのか、頭の中を整理してみたが、ハッキリとはしなかった。
「それは、あなたの中に、二十代と三十代の間に、結界のようなものを築いているからなんですよ。もちろん、そんな意識が表に出ているわけはない。そんな思いを絶えず持っていると、普通に生活などできるはずないでしょうからね」
「あなたは、二十代から三十代を、二回繰り返しているんですよ。しかも最初はかなりの時間が掛かったと思っている。でも、次はあっという間のこと。そう、タイムマシンでもなければここまであっという間の感覚になるはずはありませんからね」
「どうしても、僕にタイムマシンを使わせたいんですか?」
「ええ、あなたが使ってくれるように、私が開発したんです」
「よく分からないんだけど、僕が使うためだけに、タイムマシンを開発したということですか?」
「そう思ってもらっていいと思います」
「どうして?」
「それは、今は言えません。ただ、一つ言えることは、あなたにとっては些細に感じられることでも、俺にとっては切実な問題なんだ」
人のために、自分が何かをしなければいけないというシチュエーションは、江崎にとっては不本意なことだった。
しかし、ハッキリとそのことを面と向かって言われると、却って潔く感じられる。何かをしなければならない相手から、遠回しに言われることほどイラっとくることはない。そんな時は、意地でも、
――絶対にしてやるものか――
と思うのだった。
だが、五十歳を超えると、少し人間も丸くなってきた。それでも人からは、
「お前は頑固だからな」
と言われることもあったが、
「これでも人間は丸くなってるんだぞ」
と言って苦笑いをしたが、相手も同じように返してくる苦笑いに対して、
――どこまで、僕の言葉を信じてくれるんだろう?
と思ったりした。
やはり五十歳を過ぎた自分でも、容易に信じられないことが多く残っているようだった。
確かに年を重ねるごとに落ち着いてきたことは自覚していたが、逆に許せないことも増えてきたような気がする。それが自分の信念によるものではないことで、タチの悪さも感じていた。
桜井と、松永を重ね合わせて考えていたが、次第に、
――本当にこの二人、関係あるのだろうか?
と感じていた。
三十歳の頃の短い時期しか知らない松永だったが、今の桜井のように、自分にとっての切実な問題を、ハッキリと理由も話さずに押し付けるようなことはなかった。
しかし、その代わり、今の桜井には、面と向かっていうだけの「自信」のようなものが存在する。
――相手を納得させるというよりも、屈服させるとでも言うんだろうか?
という思いであった。
松永には感じられなかった「威圧感」を、桜井信二には感じるのだ。それは、
――年齢を重ねたから――
という単純なものではないような気がしていたが、江崎にとって、桜井信二に見つめられると、説得力を感じないわけにはいかなかったのだ。
第三章 二十代
江崎は、桜井の依頼通り、二十代の自分のところに行った。桜井の開発したタイムマシンを使って行ったのだが、さすがに一人で行くには自信がなく、桜井がついてきてくれた。
江崎は自分にとって、二十代の世界というのがどういう時代だったかということを、結構覚えていた。普段は漠然としてしか記憶がなかったのだが、いざ二十代に行くということになると、引き出しにしまい込んでいたはずの記憶が次第に鮮明に思い出されてきたのである。
時代的には、昭和から平成へと変わった時代。国家経営の機関が、民間の企業となり、サービスと競争が激化した時代だった。
自由ではあるが、競争の激化は免れず、いい意味では、
「活気に溢れた時代だ」
と言えるだろう。
ちょうど、やる気に溢れていた二十代が、そんな時代だったことで、
「二十代が一番楽しかった」
と言えるのではないだろうか。確かに大学時代も楽しかったが、結果を残せた時代という意味では、二十代には遠く及ばない。
ただ、そんな時代が長くは続かなかった。バブルが弾けてからというもの、会社では人員整理が進み、それまでは、
「やればやるほど、成果が出せた」
という時代だったが、バブルが弾けると、
「やればやるほど、経費の面で、会社を圧迫する」
という会社事業も縮小傾向を余儀なくされていた。やる気のある人間がもてはやされたのは、
「今は昔」
になり果てていた。
つまりは、
「第一線で活躍する兵隊よりも、絞めるところは絞めることのできる管理職」
が求められるようになっていた。
そのため、リストラが激しく行われ、ずっと会社のために勤めてきた中高年が無惨にも切り捨てられるという、それまででは信じられない時代を迎えることになった。
「年功序列で出世するなどという時代は終わり、これからは実力主義になってくる」
と言われ、ある意味、アメリカ式の合理主義と言われるようになっていった。
江崎が、どのようにしてその時代を乗り越えてきたのか、今は自分でも記憶がない。何とか生き残ろうと必死になったという意識はなく、むしろ、
「何とかなるだろう」
という程度の楽天的な、いや、能天気とも言える考えだったに違いない。
ただ、そんな時代は、江崎が三十歳に近づいてから起こってきた問題だった。
もし、バブルが弾けなくても、それまで第一線でしてきた仕事が、今度はステップアップして、中間管理職に向かっての勉強を余儀なくされる年代に変わっていく。
ある意味では、二つの大きな課題を背負い込むことになったのだ。
中間管理職に向かっての勉強には、江崎も違和感を感じていた。
「それまでの第一線の仕事こそが、自分の本懐だ」
とまで思ってきて、第一線での仕事ができなくなることに、大きな疑問を抱えることになった。
元々、分業制のように、一部だけを自分でやるということは親だった。手がけた仕事は、最初から最後まで自分でしてこそ、達成感が感じられたからである。
しかし、さすがに会社に入ってからは、そんな仕事はなかなか存在しない。そのことへの柔軟性は最初の頃に持つことができたので、第一線での仕事をしっかりこなすことができたのだった。
そんな江崎だったが、三十代になってから、役職がついてくると、自分でこなすというよりも、
「いかに人を使うか?」
ということが求められるようになってくる。
「僕にできるだろうか?」
自分の中で、
「人に任せるなんていうのは、自分が楽をすることになる」
という本音があり、
「仕事をしていく上で、自分が楽をすることは罪悪だ」
というこだわりがあった。
本音がもたらしたこだわりなのだろうが、そんなことが通用しないことくらいは考えれば分かることだった。
しかし、頭で分かっていても、どうにもならないことはあるもので、自分で納得できるようになるまで、かなりの時間を要することになるのは分かっていた。
「下手をすれば、ずっと分からないかも知れないな。そんな時、僕は一体どうすればいいんだろう?」
という疑念をずっと抱いていた。
しかし、疑念というのはずっと抱いていると、いつの間にか、疑念を抱いていたことすら忘れてしまうほどスムーズにその世界に入り込むことができていたりする。
「考えすぎていると、いつの間にか感覚がマヒしてきて、考えの中に同化するのかも知れないな」
考えていることを取り込むのではなく、同化してしまうという考えも自分ならではの斬新な考えだと、江崎は思っていた。
江崎は桜井から、自分の作ったタイムマシンに乗って二十代に行くように言われた。その理由は桜井側の事情が大きなものであり、江崎自身が二十代に戻る理由が見つからなかった。
「何で僕が君のために二十代に戻らなければいけないんだ?」
さすがにムカッときたので、捨て台詞のつもりで桜井にはそう言い、彼の思いをくじくことで、自分が過去に戻るなどという、何の意味もないことを諦めさせようと思っていたのだ。
しかし、それを聞いても桜井は悪びれたり、臆した態度に出るところか、顔には不敵な笑みを浮かべ、余裕しか感じられなかった。そんな表情を見せつけられて、江崎はさらにむかついたのだ。
しかし、ここまで余裕があるということは、揺るぐことのない自信が、自分の中にあるということだろう。
――ここで何を言っても、桜井は動じることはないだろう――
と感じたが、まさしくその通りだった。
「見つめられると、何も言えなくなるじゃないか」
本音をいうと、さらに桜井の表情に不敵な笑みが浮かんだ。いわゆる「どや顔」に近いものである。
桜井は依頼してから一言も喋られない。
――僕が納得するまで喋らないつもりなのか? これだったら、完全に根競べをしているようなものではないか――
と感じていた。
ここで桜井と根競べをするつもりもなかった。そんなことをするくらいなら、
――最初から彼の言う通りにすればいい――
と感じた。
そんな思いまでもが、桜井の中には分かってしまっているような余裕だと思うと、江崎は癪に障ったが、それでも、ここまでの潔さは認めざるおえないような気がして、納得してタイムマシンに乗っている自分の姿を想像できるほどだった。
桜井は、
「すまない」
という言葉を一言も言わなかった。言ってしまうと、完全に桜井のためだけの行為になってしまうからだろう。敢えて言わなかったのは、
「これは君のためでもあるんだよ」
ということを、口に出さないだけで、暗にほのめかしているということだろう。
そこまで自分が見込まれていると思うと、江崎も悪い気はしなかった。何もかもお見通しの相手に、余計な会話は必要ないということを、江崎も分かったのであろう。
ただ、一言言っていたのは、
「自分たちが戻る時代は、きっと自分たちにとって一番良かったと思える時代であることに違いはないと思っているんだ。その時代をやり直すかどうかは、本人でしか分からない。もし、『人生をやり直したい』と思っている人がいるとすれば、俺は『一番自分にとってよかったと思える時代』じゃないかなって思うんだ。だからそれ以上のことは、俺の口からいうことはできないんだよ」
という話だった。
その話を聞いた時は、すぐにはピンと来なかったが、時代を遡るうちに分かってくるようになった。
時代を遡って、その時代についた時には分かっていたような気がするので、分かったとすれば、タイムマシンでの移動中ということになる。
しかし、悲しいことに肝心のタイムマシンでの時間移動の間の記憶は残っていない。まるで夢を見ていて、目が覚めると忘れてしまう時の感覚に似ている。そういう意味では、タイムマシンでの移動は江崎にとって、
「潜在意識では、最初から自分の中で感じていたことだということになるのではないだろうか?」
と感じさせるものだったのだ。
江崎が二十代に到着した時、自分のどの時代に到達したのかという意識は正直あった。
――そうだ。今までに誰かに覗かれているという意識を持ったことは何度かあったが、そのほとんどは、「気のせいだ」として無視できてきたことだったが、どこかの時代で、無視できない感覚に陥ったことがあった。あの時に感じたのは、覗いている人がどうしても信じられない相手だと思ったからだった。もちろん、未来の自分だとは分からなかっただろうが、何か物理的にどうしても不可能な相手だということが分かっていたんじゃなかっただろうか?
そんな思いを感じていたのを、思い出していた。
――そして、タイムマシンを抜けると、すぐにそのことを感じている二十代の自分を見ることになる――
昔、疑問に感じながら、どうしても解消することができなかった思いを、忘れていたわけではないが、いまさら思い知らされることになるなど、想像もしていなかった。しかも、それを思い出させてくれた人がいるのだ。その人から頼まれたのであれば、簡単に断ることはできない。彼のいう通り、二十代に戻るということは、江崎にとって重要であるとともに、運命のようなものを感じさせられることになるのだった。
江崎は、桜井と一緒にタイムマシンで、二十代にやってきた。いや、やってきたはずだった。二十代についた時、一緒にいると思っていた桜井はいなかった。
「一緒に行ってくれたはずなのに、どうしたのだろう?」
そう思いながら、コートのポケットをまさぐると、そこに手紙が入っていた。
「ここから先は、俺が介入できない世界になるんだ。下手に介入することは、いわゆるタイムパラドックスに反するからだ。申し訳ないが、君は二十代の自分と何とか向き合ってくれ、俺は三十代で待っている」
と書かれていた。
まるでだまし討ちのような仕業に、少しムカッともしたが、ムカッとだけはしていられない。こうなったのは、なまじ桜井だけのせいではない。江崎が自分で臨んだことでもあるのだ。
「しょうがないか」
と思い、江崎は懐かしい時代を見守っていた。
そして感じたのが、タイムマシンを作ることの難しさを実感していた。
――過去に戻るということだけが問題じゃないんだ。『いかにどの時代に戻るのか』というのが一番の問題じゃないだろうか――
江崎が考えているのは、「パラレルワールド」の問題である。
同じ時代でも、無数の可能性が含まれているのに、次元という違う軸に当てはめると、無限がさらに無限を呼ぶことになる。その中から正確に今の元になっている時代に本当に戻れるのかというのが一番の問題。テストを重ねるわけにはいかない。もし、戻った過去が違っていたからと言って、元の時代に戻ろうとして、本当に戻れるという保証はないのだ。怖いから、その時代を生きていくとしても、未来に何が待っているか分からない。そういう意味でも一発勝負で、さらに最高級のリスクの危険が伴っていること理解しなければいけないだろう。
江崎は、桜井と一緒にいて話をしている時はそこまで分からなかったが、桜井と離れてから自分の頭の中に、桜井が考えていたことが注入されているのではないかと思うようになっていた。
――本当にいいんだろうか?
桜井の考えに共鳴しているという程度のものではない。考え方が少しでも違えば、自分という人間が成立できないのではないかと思えるほどだった。そうでもなければ、彼が開発したタイムマシンに乗ることなどありえない。
――タイムマシンでの移動の記憶がないのも、わざとかも知れない――
桜井によってわざと消されたのかも知れないと思った。
それは、
――先入観を捨てなければ、過去の時代で生きていくことはできない――
という思いが潜在しているからではないかと思った。
――本当に、桜井という男は恐ろしい――
と感じる江崎だったのだ。
この時代に来てしまった以上、もう後戻りができないことを自覚した時、目の前が真っ暗になった。そして、桜井の口車にまんまと引っかかってしまったことに対し、後悔を通り越し、どう自分の気持ちを表現していいのか分からなかった。
しかし、この時代からやり直さなければいけないと思うと江崎は、
――僕以外にも、同じように未来から来た人がいるかも知れない――
と思うようになっていた。
人生をやり直すと言っても、同じ時代には、二十代の自分がいる。タイムパラドックスでは、同じ時代に、同じ人間の存在は許されないとされている。確かに鏡で見てみると、自分の姿は自分の記憶している二十代とは違っていた。鏡を見た記憶というよりも、二十代の頃に撮った写真を見ての判断だった。
――でも、写真写りというのは、自分で見るのとまわりの人が見る本当の自分とでは開きがあるような気がするからな――
と感じていた。
江崎のその思いは間違いではない。同じ自分であっても、まわりが見る生身の自分と、媒体を通してでしか見ることのできない自分とでは、考えているよりも、かなりの違いがあるだろう。
それは、声を聞いた時に感じたことだった。
自分が喋っている声を感じている時に比べて、録音した自分の声を聞いてみると、
――こんなにも、違うのか?
と感じるほど違いがあった。実際の声は自分で感じていたよりも籠っていて、しかも、少し高い声であった。ハスキーな声だと思っていた自分にとって、最初に聞かされた録音した自分の声は、少なからずショックだったことを今でも覚えている。
江崎は二十代の自分を探してみた。本当であれば、顔を合わせることはタブーなのだろうが、この時代の自分の存在を確認しなければ、この時代でやり直すことができないと感じたのだ。
――見つからなければいいんだ――
確かにそうなのだが、出会い頭に出会った場合も、事故が起こるというのだろうか?
ただ、同じ自分がいる時代に来ることができたという時点で、同じ時代に同じ人間の存在が否定されなかったということは、もし出会ったとしても、見えない力が何か影響を及ぼすということはないと考えた。
もちろん、何も知らない二十代の自分は仰天することだろうが、そこで何かが変わるというのだろうか?
一般的には、出会ってしまったことで、二十代の本人に予期せぬ出来事が起こったことで発生するハプニングが、その後の自分を大きく変えてしまい、違った人生がそこから広がることになる。したがって、
――二十代に戻った自分の存在も、否定されるかも知れない――
と考えられる。
しかし、考えてみれば、自分が二十代に戻らなければハプニングは起こらない。そこからの人生は、少なくとも今の自分に近いものになるだろう。そうなると、タイムマシンで過去に戻る可能性は限りなく高くなる。
そうやって、堂々巡りを繰り返す考え方は、あくまでも可能性の中だけで存在しているものだ。その可能性が矛盾を伴ってしまうことを、「タイムパラドックス」と呼ぶのである。
タイムパラドックスを肯定するなら、いろいろな可能性を否定できなくなる。今までであれば、
――そんなバカな――
と思うようなことも、考えてもいいのだと江崎は思うようになっていた。
考えが自由になればなるほど、考えられる範囲は限りなく増えてくる。どこまで自分の中で消化しながら考えていけるかが大きなポイントになるだろう。
――でも、どうして二十代なんだろう?
江崎にとって、二十代は
――古き良き時代――
だった、
思い出すことは悪いことではなく、絶えず前を向いていて、前途洋々の気持ちが大きかった。
順風満帆と言ってもいいのだろうが、そんな時に限って、拭い去ることのできない不安が付きまとうものである。
「好事魔多し」
という言葉があるが、
――神風満帆な時ほど、余計な心配をするものだ――
として、不安はあっても、あまり余計なことを考えることはなかった。
余計な心配をするのは、ある意味本能によるものなのかも知れない。
人間というものは、いいことが続いている時ほど、悪くなった時のことを心配するのではないかと江崎は思っていた。有頂天になって浮かれている時、いきなり悪いことが起こったら、普通に歩いていて、急に足元の道がなくなり、奈落の底に叩き落されるようなものである。
江崎には、そこから先のことを想像することができない。叩き落された奈落の底がどんなところなのか、そもそも、身体が宙に浮いて井戸の底のようなところに叩きつけられるというイメージなので、生きていられる保証はまったくない。しいて言えば、
「気づかないうちに、命を落としている」
という意識があることで、苦しまずに死ねるという意味でだけ、
――奈落の底に叩きつけられるのも悪くない――
と感じるのだった。
しかし、無事に死ねればそれでいいのだが、死ぬことができなかった場合はどうなるのだろう?
傷を負ってしまって、死ぬのを待っている状況や、無傷であっても、もはや落ち込んでしまった奈落の底からは、
――死ぬまで出ることができないのではないか?
と考えると、
――果たしてどれがいいのか?
という「負の世界の究極の選択」になるのではないかと思えてならなかった。
江崎は、今までに何度か奈落の底の発想をしたことがあった。そして一番最初にこの思いを実感として感じたのが、二十代の有頂天になっている時ではなかったかということを、過去に戻った自分が感じることになるというのは、実に皮肉なことだったのだ。
二十代に戻ってきた江崎は、姿恰好こそ、若返っているが二十代の自分とは似ても似つかぬ外見だった。もしバッタリ出会ったとしても、二十代の自分に気づかれることはないように思えた。
だが、一度三十年を地道に生きてきて、一気に三十歳若返ることになった自分の、昔の考え方が手に取るように分かっていた。
――いや、あの時に疑問に思ったまま分からなかったことも、今になって思えば、その時の答えは、自分で見つけていたような気がする――
と感じていた。
要するに最初から分かっていたのだ。分かっていたのに、分からなかったと思っていたのは、そこで防衛本能のようなものが働いていたからではないだろうか?
順風満帆な時ほど、不安が募ってくる。それはいいことと悪いことが比例して、最後にはちょうどの線で妥協しようとする。いわゆる「反動」というものなのかも知れない。
「タイムマシンというのも、ある意味反動が作り出すものなんだよ」
桜井はそう言っていた。
桜井からタイムマシンという突飛な話を聞かされて、本当であれば、そんな怪しいものに乗って過去に戻るなど、今までの自分からは考えられないはずだった。もちろん、その思いは江崎だけではなく、誰にでもあるものに違いない。
それなのに、いくら説き伏せられたと言っても、自分で納得もできないことをそう簡単に受け入れられるはずもない。確かに、
「過去に戻ってやり直すことができればいいな」
という思いが強かったのも事実だが、それも、
「絶対にありえないことだ」
と思うからこそ、願望として抱くものである。実現できることであれば、どうしても防衛本能が働いて、そんな危険なものに最初から耳を傾けるはずもないと思っていた。
しかし、そんな江崎の心を打ったのは、タイムマシンがある意味反動が作り出したものだと言った桜井の言葉からだった。
江崎は自分の中で絶えず何か意識しているものがあることを感じていたが、それが何なのかハッキリとはしなかった。
ただ、限りなく近いところにいるのではないかという思いがあったのも事実で、何かのきっかけがあれば、突飛なことでもやってしまうだろうと思ってもいた。
そのキーワードが、
「反動」
だったのだ。
そして、反動はゆがんでしまったものがあれば、正常に戻そうとする力であると思っている。したがって、反動を意識していれば、結果として現れたことが、真実なのだということになる。江崎は、真実を求めているのだろうか?
江崎は、真実と事実について考えることが多かった。
「事実は、いろいろな過程を経て到達する、唯一無二の真実である」
と思っていた。
しかし、その思いがいつの間にか変わってきていることに気が付いたのは、四十代になった頃からだろうか?
四十代というのは、江崎にとっては、グレーな時代だった。何かがあったというわけでもなく、気が付けば過ぎていた時代だった。一番変化のない、やり過ごした時代であることから、
「今までで一番早く過ぎた時代」
でもあった。
五十代になっても、それは変わりなかった。
「五十歳というのは、本当にただの通過点でしかなかった」
それは、四十歳になった時にも感じたことだが、それは、五十歳になって通過点だと感じた時、初めて四十歳のことを思い出し、やっと感じたことだったのだ。
だが、五十歳になってしばらくして、
「小説を書いてみよう」
と思うようになると、桜井と出会うことになった。
「桜井との出会いは、本当に偶然だったのだろうか?」
と思うようになると、さらに、
「なぜ、僕だったのだろう?」
そこまで考えてくると、やはり偶然では片づけられないものがあるような気がした。
そういう意味で、
「桜井とは初対面ではないような気がする」
江崎が二十代に行って、そこにいる自分を見た時、今の自分が二十代の自分とは似ても似つかない存在になっていることで、この疑問への答えが見つかったような気がした。
「どこかの時代で、僕は『もう一人の桜井』と出会っていて、気づかなかっただけなのかも知れないな」
と感じたが、それも少し違っているような気がした。
「桜井も分かっていて僕の前に現れたのであって、知らぬは自分ばかりなりだったのかも知れない」
と思うようになっていたのだ。
タイムマシンで二十代に戻ってきた時、桜井の存在は覚えていたが、自分が過去に戻るために桜井とどんな話をしたのかということは、二十代に戻ってきた時には忘れてしまっていた。桜井がわざとしたのかも知れないが、二十代に戻っていろいろ考えているうちに、桜井と話した時のことを、徐々に思い出していった。
その中で、
「俺は、三十代に行く」
と言っていたのを思い出した。
二十代に戻った江崎は、それ以降、つまりは年を重ねていった以前の記憶が実に曖昧だった。
「二十代に戻ったことで、違う自分になったのだから、今まで持っていた記憶が曖昧になるのも当然のことなのかも知れないな」
と考えるようになった。
二十代に戻ってからここまで、どれほどの時間が掛かったのか分からない。一気に記憶が復活してきたような気がしたし、徐々にだったような気もする。一気に二十代に戻ったのだから、時間の感覚がマヒしてしまったのも仕方のないことだろう。
記憶が戻ったとしても、時間の感覚が戻ってくるまでには、まだ少し時間が掛かりそうだ。一緒にこの時代に来たはずの桜井も、もうこの時代にはいない。彼のいう通りであるとすれば、彼はタイムマシンで十年後に行っているはずだ。
「もうこの時代にタイムマシンはないんだ」
桜井が来てくれない限り、自分が元に戻ることはできない。だが、彼がこの時代の江崎のところに現れる可能性は限りなくゼロに近いだろう。そのことはパラレルワールドを信じている限り、疑いようのないことだ。
江崎は、自分の信念を捨ててまで、違う考えを持とうとは思わない。桜井がそして、タイムマシンはもう自分の前に現れることはない。
「もし現れることがあるとすれば、それは十年後のことだ」
と思っている
ただ、その十年後がどのようになっているかが大きな問題だ。すなわち、十年経ってから、桜井に出会う可能性はまずないと思っていた。
「あの時が今生の別れになるなんて」
と思うと寂しさがこみあげてきたが、それも人生の儚さから比べれば、実に小さなことで、ただの通過点にしか過ぎないような気がしていたのだ。
二十代に戻った江崎は、まず鏡を見た。そこに写っているのは、何となく二十代の自分に似ているが、パッと見では、まさか自分だとは分からないだろう。
鏡を見ている自分が、
「本人だ」
という確信があるから自分に似ていると思うからで、そんな意識のない人が見れば、まさかと思うに違いない。
ホッとした江崎は、鏡に写っている自分が二十代になっているのを見て、違和感があった。
「僕の二十代って、どんな表情をいつもしていたんだろう?」
二十代というと、自分を顧みることはあるが、自分を見つめてみようとは思わなかった。意識としては、内面に向けられるよりも、外に向けられる方が圧倒的で、今から思えば、いろいろな表情を持っていたように思う。
年齢を重ねていくごとに、表情が固まってきた。喜怒哀楽をあまり表に出さないようになっていったのだが、どこかのタイミングで、自分は表に自分の気持ちを出さないようになったに違いなかった。
すぐには思い出せなかった。
――以前なら、すぐに思い出せたはずなのに――
その思いは、自分が五十代だという意識があるからで、いつの間にか、過去のことを覚えるよりも忘れていくことの方が多くなっていったのを自覚していた、
しかし、今思い出せないのは、そうではないようだ。時間を逆行し、過去に戻ったことで、顔も変わってしまい、まるで違う人間になったような気がしていたのだ。
江崎は鏡に写った自分の顔から、しばし目が離せなくなっていた。
――どこかで見たような気がするんだけどな――
そういえば、桜井が江崎に対して注意していたことがあった。
「二十代に行ってから、最初にビックリすることがあるんだが、それは自分で考えている常識を覆すものであり、すぐには受け入れられるものではない。でも冷静に考えれば分かってくることなので、その時は落ち着いて考えてみればいい。孤独を感じるかも知れないが、そこは通らなければいけないところなので、慌てることはない。まずは気持ちを落ち着かせることが先決だね」
そのセリフを聞いた時、半信半疑で桜井の顔を見たが、
「俺は何もかもお見通しなんだ」
と言わんばかりの表情に、江崎はまるで
「ヘビに睨まれたカエル」
だった。
微動だにできなかったが、動かないことが正解で、怯えがあったが、冷静になればヘビも怖くはなかった。
そうでなければ、二十代になどやってくるはずもない。確かに、
「人生をやり直せるならやり直したい」
と感じていた江崎だったが、二十代の自分はそこにいて、違う人生を歩むことになる過去に戻った自分が、どのようにして三十代になり桜井に出会うかということが最初の目標だった。
しかし、実際にタイムマシンに乗ってしまうと、その思いはかなりの軌道修正を余儀なくされた。
まずやってきた二十代の世界は、自分が経験したと思っている時代とは、若干違っていた。
――どこが違うというのだろう?
と考えてみたが、考えれば考えるほど、五里霧中になるのだった。
なぜなら考えが深まるほどに、自分の記憶している二十代はおぼろげになっていき、目の前に繰り広げられる時代が、意識の中で幅を利かせてくる。過去の記憶よりも、目の前で展開されていることこそが真実であり、
「事実と違っていることも真実になるんだ」
ということを思い知らされたような気がした。
時代背景も若干違っている。あの時代はまだまだ活気のある世界だったはずなのに、街を歩いている人たちに活気は感じられない。
「活気を感じるには、自分がもっと二十代の頃の気持ちに戻る必要があるのではないだろうか?」
と思ったが、どのようにすれば戻れるのか、見当もつかなかった。
だが、本当に二十代の頃の精神状態に戻る必要があるのだろうか?
確かに二十代にタイムマシンに乗ってやってきた。そこにいるのは、確かに自分が知っている二十代の世界だった。だが、しょせんはよそ者意識を拭い去ることはできない。少なくとも、そこから三十年という月日を重ねて、年齢も重ねてきた。あっという間に過ぎてしまったという意識はあるが、一言で言い表せるほど単純なものではないはずだ。
そんな江崎は、やはり最初にこの時代に生きている自分を探した。
――どうせ、自分が未来の自分だなどと分かるはずはないんだ――
タイムマシンの開発が遅れたのは、過去に行った場合、歴史を変えてしまう恐れがあるという「タイムパラドックス」が解決しない限り、実用化はありえないと思われていたからだ。その考えには江崎も賛成で、下手な研究のせいで、歴史が狂ってしまい、自分の存在がなかったことになってしまうのが恐ろしかった。
だが、過去に戻った自分が、その時代の自分と似ても似つかぬ人になっていれば、タイムパラドックスが引き起こされることもない。そう思ったのは、実際に二十代に戻った自分が鏡を見て感じたことだった。後からの告知であっても、納得できる内容であれば、受け入れることは可能ではないだろうか。
この時代の自分を探してみたが、すぐには見つからなかった。どうしても歴史の誤差が生じているのか、それとも記憶の曖昧さが露見したのか、どちらにしても自分が思っていた自分ではなかったのだ。
――何となく、一抹の寂しさを感じるな――
一人でいる時は、孤独のオーラを発散させることもあるのだろうが、一人でいる自分を見ていると、寂しそうにはしているが、「孤独のオーラ」を感じることはなかった。
――孤独は、表に発散させてこその孤独なんだ――
と、ずっと感じてきた江崎だが、二十代の自分を見ていると、孤独の二文字は当てはまらない気がした。無表情で何か思い詰めているように見えるので、孤独を感じさせられそうなのだが、実際には違っている。それは、自分だけに限らず、まわりの人間みんながそうなのだ。
――この世界には、孤独という概念は存在しないのか?
と感じたほどだった。
しかも、他の人はタイムマシンでやってきた江崎を見ても、誰も顔を見ようとはしない。まるで存在を分かっていないようだ。
――気配を感じてくれていないのかな?
とも感じたが、
――この時代にはいるはずのない自分が存在しているのは、特定の人間にしか分からないのかも知れない――
と思った。
特定の人間がどこまでを指しているのか分からないが、少なくともかなり限定された範囲でしかないように思えた。だからこそ、自分がこの時代に存在できるのだし、きっと、自分がこの時代に何か影響を与えることがないように、見えない力が働いているに違いない。
やっとこの時代の自分を見つけて、わざと目の前を通り過ぎてみた。こちらがかなり意識しているようなオーラを発しているにも関わらず、この時代の自分は、タイムマシンでやってきた自分を意識していないようだ。
――これでいいのか?
と感じたが、それは自分がこの時代に影響を与えることはないというホッとした思いと、何のためにこの時代にやってきたのかを考えると、複雑な気持ちだった。
――何のためにこの時代にやってきた?
その思いが次第に薄れてくるのを感じた。
――自分にとって一番よかった時代に戻って、もう一度人生をやり直す――
という思いがあった。
しかし、この時代にやってきた自分は、確かに二十代の顔になっているが、精神的には五十代の記憶を持ったままの自分である。ある意味、
「余計な記憶」
を持っているのである。
最初は、
――五十代の記憶を持っていれば、同じ過ちは犯さない――
と思っていたが、しかし、五十代の自分が過去を振り返って、
――過ちって何だったのだろう?
根本的なところを分かっていないまま、過去に戻ってきたのだ。やり直す以前の問題であり、そのことに気が付いたのは、二十代に来てからだというのも、何とも皮肉なことだった。
過去に戻った江崎は、桜井の言葉を思い出していた。
「そういえば、元の五十代に戻ってくるまでに、いくつかのミッションを達成しなければいけないと言っていたような気がしたが、ミッションというのは、一体何なのだろう?」
しかし、来てからいきなり分かるはずもない。簡単に分かってしまうものであれば、ミッションでもないように思えたからだ。頭の隅に置いておくことにして、なるべく忘れないようにしようと思った。
江崎は、もう一人の自分が今の自分に気づかないことが不思議だった。他の人が気づかないのは仕方がないとしても、自分が気づかないのはおかしなことである。
しかし、逆も考えられた。
もう一人の自分が気づかないだけで、他の人には存在感があり、ただ、意識していないだけだというのであれば分かる気がした。
そういう意味で、他の人には気づかれていると思うと、この時代が、自分の知っている二十代の世界とは、かけ離れていると感じたことを裏付ける形になっていた。
江崎は、この時代で、もう一人の自分とは別人として生きていかなければいけないことに気づいた。
幸い、タイムマシンでこの時代に来た時、軍資金は桜井から貰っていた。
「どうしたんだい? このお金」
彼は不敵な笑いを浮かべていたが、後から考えれば、何んら不思議はない。
通説ではタブーとされていることだが、タイムマシンを使えば、「金儲け」など簡単なことだ。
ある時期のギャンブルを確認し、その前の時代に戻って、結果に伴った券を買えば、儲かるのは当たり前だった。軍資金はそうやって手に入れたのではないだろうか?
最初は、タブーで手に入れたお金を使ってもいいのかと思ったが、大体タイムマシンで過去に戻ること自体がタブーだったはず。一度破ったタブーを二度破るのも同じことだと思えば、気にもならなかった。
「悪い意味での感覚がマヒしてしまっているのかも知れない」
と思えた。
しかし、それでも、背に腹は代えられない。過去に戻ると決めた時点で、
「何でもあり」
の自分に目覚めなければいけなかった。
二十代の頃の自分と今の自分の一番の違いは、
「何でもあり」
という気持ちになれるかなれないかだと思えた。
二十代の頃も、何でもありの気持ちになりかかったことがあったが、結局なることはできなかった。どうしても、常識が頭の中で邪魔をするのだ。
「だから、今の自分がもう一人の自分だということが分からないのかも知れない」
明らかに二十代の自分は、こちらが見えているようには思えない。
「石ころのような存在なのか?」
道端に落ちている石ころは、目の前にあっても、その存在を意識することなどありえない。
「そこにあって、何ら不思議のないもの」
という意識があるからだが、二十代の江崎にも、同じような意識があるのではないだろうか。そう思うと、彼がこちらに気づいていないという考えが怪しくなってくる。本当は気づいているのに、意識していないだけのことなのかも知れない。
もし、彼が自分を意識するようになれば、自分をもう一人の自分だと気づくかも知れない。
気が付いても、信じられるかどうかは次の段階のことで、信じられたとして、
「僕は気が変になったんじゃないか?」
と思うかも知れない。
少なくとも、段階を経てでしか、もう一人の自分を意識することはできないだろう。その間にどれほどのことを考えることになるのか、想像もつかないが、たくさん考えれば考えるほど、複雑になっていく考えや可能性をいかに整理できるかということが、問題なのではないだろうか。
――今の二十代の自分に孤独は感じられない――
この時代の人全員に言えることだが、そう思った時、やはりこの世界は自分の知っている世界ではないということを再認識した気がした。
――間違えてこの次元にやってきた?
とも思ったが、桜井が間違えたとは思えない。彼には彼なりの意図があったのだろうが、自分の知らない世界の自分を見ることで、江崎は、
――もう一度人生をやり直す――
ということがどういうことなのか、再認識してみようと思うのだった。
今、二十代に戻ってきた江崎は、孤独を感じることもなく、この時代を生きようと思っていた。
「孤独を感じるのは、一人になったからではなく、自分が信じられなくなった時なんだろうな」
そう感じるようになったのは、五十歳まで生きてきた自分ではなく、五十歳の気持ちのまま二十代の世界に戻ってきて初めて感じるものだった。
最初に鏡を見た時、そこにいるのは、二十代の自分に似てはいたが、他の人が見れば自分だと分からないような「同年代」の男性だった。しかし、しばらくして鏡を見ると、そこに写っているのは、五十歳になった自分だった。しかし、同じ五十歳でも、この時代にやってくる前の自分の顔ではない。似ているという意識もなかった。
「この時代を三十年生きると、こんな顔になるのかも知れないな」
そう感じると、この時代が元々自分が辿ってきた二十代とは違う世界であるということを確信した。
だが、鏡の顔を見ていると、
「どこかで見たことがあるような顔だな」
と感じた。
「まさか、桜井信二?」
江崎の中にある記憶を紐解くと、その顔は桜井信二の顔だった。最初は信じられない気持ちだったが、気持ちが落ち着いてくると、
「俺が成長すると、桜井信二になるのかな?」
と思い、さらに感じたのは、
「えっ? 今、『俺』って言った?」
普段は自分のことを「僕」か「私」としか言ったことのない江崎は、自分のことを、「俺」と表現する人に対して、意識が強かった。だから、桜井が自分のことを「俺」と表現するのを意識して聞いていた。鏡を見て、そこに写っているのが桜井信二だということを感じたとたん、彼のような口ぶりになったということは、
「最初から自分の顔が桜井信二に似てくるという予感めいたものがあったのかも知れないな」
と思えてきたのだ。
それと同時に感じたのは、
「僕は人生を決して繰り返しているわけではない。別の人間になって、この時代にやってきた」
という思いであった。
しかし、それでも、二十代を生きている元々の自分に影響が及ぶようなことがあってはいけない。
江崎はこの時代にいる二十代の自分を探していたが、それよりも先に、意外な人間を見つけた。
最初にこの時代の自分を見つけるには、会社への通勤途中を探すのが一番だと考えた。会社に入ってしまうと、呼び出しをかけないと自分が出てくることはない。陰からこっそり覗こうとしている自分に、呼び出すことはタブーだった。そうなれば、通勤途中しかない。三十年前に乗っていた電車に乗るところを探すのが一番だった。
さすがに通勤ラッシュ、意外と三十年前よりも混んでいるように思えた。それは外から眺めているからそう思うのか、人間が押し潰されている光景を見ながら、思わず顔をしかめてしまう江崎だった。
探してみると、なかなか見つかるものではない。尋常ではない朝の通勤ラッシュに目を覆いながら、それでも、自分の姿を追いかけていた。
なかなか見つからないのは、どうしても自分だけを探そうとするので、無意識にピンポイントにしか視線が向いていないからだろう。
江崎も気が付けば人に揉まれて、ラッシュに入り込んでしまっていた。この間鏡で見た時は五十歳代に見えたが、体力は二十代のようだった。
――ひょっとして今鏡を見れば、二十代なのかも知れないな――
と感じたが、何とかラッシュに揉まれながらではあったが、電車に乗ることができた。
元々身長が高く、ラッシュに乗り込んでも、人より頭一つ抜けているので、それほどつらいものではない。二十代もそうだったことを思い出していた。考えてみれば、三十歳以降は、それほどラッシュに遭ったという意識はない。電車が増発されたり、車両の連結数が増えたりして、ゆとりができていた。しかも、三十代後半からはシフト制の勤務で、ラッシュの時間から外れることが多くなった。それ以降、あまりラッシュに乗り込んでという意識はない。乗り込んでみると懐かしさすら思い出させるほどだった。
「表から見ているよりも、入り込んだ方が、それほどきつくない」
と感じたが、今から思えば自分が二十代の頃も同じことを感じたような気がしていたのだ。
電車に乗り込んで二駅くらい来てからだろうか?
「そういえば、この駅から、頼子は乗ってくるんだったな」
頼子とは、二十代の今では、すでに別れた後だった。あれから、風の噂に、
「頼子には、新しい彼ができたらしい」
という話を聞いたが、その時、嫉妬心は沸き起こってこなかった。
「もし、頼子じゃなければ、きっと嫉妬したんだろうな」
と、感じたが、なぜその時頼子に対して嫉妬心が生まれなかったのか、今から思い出すことはできなかった。
新しく別々の人生を歩み出したからだというような思いではなかったはずだ。もっと生々しい思いが頭に浮かんでいたはずだったと思っている。
それなのに、当時の江崎は頼子がどんな男性と付き合いだしたのか、見たような気がした。見た瞬間に、急に思いが冷めてしまい、二度と頼子に対してそれまで抱いていたはずの感情を思い出すことはなかった。
「いや、思い出すことができなかったのだ」
なぜなら、その時の思いがあまりにも自分を冷めさせたため、それまでの思い出すべき感情が、どこかに消えてしまったように思えてならなかったからだ。
「それにしても不思議な感情だ」
頼子と出会うのは、本当はもっと後のはずなのに、出会う前の過去に戻って、さらに、遠い昔を思い出すようにその人のことを思い浮かべようとするというのだからである。
江崎は、今だからこんな感情になるのだと思った。ただ、以前にも同じような不思議な感情を持ったことがあった。ほとんど忘れかけているので、いつのことだったのかも分からない。かなり昔のことのように思うと、まるで昨日のことだったかのように思えてくるのは、江崎の悪い癖でもあった。
ぼんやりと開いた扉を眺めていると、そこに頼子が乗ってきた。思わず隠れようとしたが、頼子に今の自分が分かるはずもない。冷めた表情で電車に乗り込んだ頼子の顔を、懐かしいと思いながら眺めていた。別れが自然消滅だったこともあって、感情を表に出さない頼子を見ていると、まるであの頃の自分を見ているかのようで、複雑な気持ちになっていた。
人に押されてどんどん中央部分にやってきた頼子は、こちらを見ていた。表情は相変わらず無表情なのだが、その視線は江崎を捉えている。
――まさか、僕だということを分かっているのかな?
と感じたが、視線を逸らそうとしても、頼子の視線が気になって、どうしても横目で見てしまっていた。
胸の鼓動が激しくなるのを感じていた。それは忘れていた感情で、どこかくすぐったいような感覚を持ちながら、さらに頼子の視線を感じていた。
どんどんこちらに近づいてくる頼子、彼女の唇が動いたのを感じた。
――僕に話しかけている?
と思ったが、表情は人に話しかけるような雰囲気ではない。
だが、その口は明らかに江崎に向かって語り掛けている。ざわついた車内では、その言葉を聞き取るにはなかなか難しかった。
「信二さん?」
彼女は、そう言っている。
――信二? 桜井信二のことか?
次の駅に到着すると、江崎がもたれかかっている扉の側が開き、反射的にホームに押し出される結果になった。押し出された江崎は、さすがにもうその電車に乗り込む気力はなくなっていて、ぼんやりと、他人事のように扉の内と外とで繰り広げられる「押しくらまんじゅう」を眺めていた。
すると、
「ごめんなさい。ごめんなさい」
と言いながら、電車から人を掻き分けるように降りてきた頼子が見えた。言葉では誤ってはいるが、言葉とは裏腹に、半ば強引に電車から降りてきた。
――こんなに積極的な頼子、見たことがないな――
さっきまでまったくの無表情だったにも関わらず、出口に近づいてくるうちに笑顔に変わってくる頼子を見ると、
――やっぱり僕の知っている頼子ではないようだ――
まるで別人のような頼子を見ながら、江崎は近づいてくる頼子を待ち構えていた。
――逃げようなんて気持ちになれるはずもない――
それがその時の心境だった。
飛び出してきた頼子の、その身を預けるように投げ出した身体を、江崎は何の疑問も感じることなく受け止めた。それは条件反射のようにも感じたが、
「受け止めるべくして受け止めた相手」
という思いが働いて、頼子の顔を見下ろすように笑顔を向けた。
頼子もこちらを見上げて微笑んでいる。その表情は、
「相手に自分を委ねる」
という気持ちが前面に出ている表情で、瞳は濡れていた。
江崎は付き合っている時には見たこともなかった頼子の表情に、正直戸惑いを感じながら、それでも自然な態度に身を任せるのが一番だと感じていた。もちろん、自分の若かった頃には持てるはずのない感情だった。
――やっぱり、僕は五十代のままなのだろうか?
しかも、自分ではなく、桜井になっている。
――このままこの時代を生きていけば、自分がいた時代には、もう死んでいるかも知れない――
と感じると、せっかくやってきたこの時代、生き直すわけでもないこの時代に自分が果たす役割が分からなくなり、生きているということを真剣に疑問に感じてしまうであろう自分がいたのだ。
だが、それでも生きなければならないことに対して、自分をこんなところに連れてきた桜井に恨みの一つも言いたかったが、自分がその桜井の顔に鏡を見た時見えたことで、鏡に写ったことの信憑性はド返しすれば、やはりこの世界での自分の役割がどこかにあるような気がした。
もし、鏡を見た時に感じた桜井の顔に信憑性がなかったとすれば、それは自分がそれだけ桜井を意識していて、鏡に写った顔が自分の中にある「願望」のようなものだとすると、桜井がこの時代に自分に何をさせようとしているのかということが見えてくるような気がした。
自分に寄りかかってくる頼子を、江崎は反射的に受け止めた。
――これが頼子の願望なのか?
見ず知らずの相手にこうも簡単に身を委ねるなど、江崎の知っている頼子ではありえないことだった。
――やはり、この時代は何かが違っているのだろうか?
とも感じたが、江崎の顔に桜井を見たのであれば、頼子の気持ちがどこにあるのか、探ってみたくなった。
江崎は頼子を抱きしめると、
――暖かい――
と感じた。
昔抱きしめた時、暖かさよりも冷たさを感じていたはずなのに、相手によってこれほど違うものなのか、胸の鼓動にしても同じである。頼子は江崎に抱きついたまま、離れようとしなかった。
一瞬、潤んだ目で見上げた頼子だったが、すぐに視線を下に向けた。
――恥じらいから来るものなのか?
付き合っていた頃に、頼子に対して感じたことのない感情だった。
いろいろ考えているうちに、やはりこの世界がパラレルワールドの微妙に違う過去であり、少しでも違っていると、一人一人の感情や意識は、まったく違ったものであるように思えてきたのだ。
――本当なら逆ではないか?
と感じた。
一人一人の感情が微妙に違ってこそ、まったく違う世界が広がっていることになる。いわゆる、
「塵も積もれば山となる」
である。
そう考えてみると、この世界が自分の知っている世界と微妙にしか違っていないという感覚自体が間違っているのかも知れない。自分が知っている世界を思い出そうとすると、目の前に濃い霧が発生したかのように、まったく何も見えない状態になっている。五里霧中の中、これから江崎はどこに向かうというのだろう?
しばらく自分に寄りかかっていた頼子の胸の鼓動が次第に収まってきた。さっきまであれだけ暖かく感じていた身体だったのに、急に冷めてくるのを感じた。
頼子が顔を上げる。
「えっ?」
そこに微笑んでいるその顔は頼子ではなかった。
しかも、江崎の知っている女性であり、微笑みはいやらしさを含んでいて、
――一体何を考えているんだ?
と思わせた。
その顔に見覚えがあったのは当たり前で、驚いてはいたが、最初から分かっていたような気もした。目の前に寄りかかっているその顔は、その後知り合うことになる慶子の顔だったのだ。
だが、一度瞬きをすると、また頼子の顔に戻っていた。江崎はその時、
――ここは本当に自分の知っている時代なのだろうか?
と感じた。
自分の中で記憶が錯綜している。もし、この時代が本当に自分が昔過ごしていた二十代だったとすれば、いくら違う人間としてこの時代に現れたとしても、ここまで意識の中にある記憶が錯綜するものだろうか?
確かに戸惑いはあるが、ここまで錯綜するとは、想定外の気がしていたのだ。
この時代で一日を過ごすと、少しずつ自分の置かれている立場が分かってきた。ハッキリいうと、この時代にも自分の居場所があったのだ。そう思うと新たな疑問が出てきた。
――僕がもし誰かの代わりにこの時代に生を受けたのだとすれば、元々この時代にいた誰か一人が、まわりの人の記憶とともに消えてしまったということになる。いや、記憶が書き換えられたというべきだろうか? そうなれば、実に中途半端に思えてきた――
この時代にやってきた自分が、別の時代の人間だったことを知っているのは、自分だけだ。しかし、元々この時代にいた人がどんな人だったのかを知らないもの、自分だけだということになる。それでも、江崎はこの時代で生きていくためには、その人の生まれ変わりのようにならなければいけない。幸い、江崎の行動や言動を疑う人は誰もいない。まるで最初から江崎がこの時代にいたかのようだ。
――これが、時代の辻褄に合っているというのか?
疑問に感じながら、江崎は自分がこの時代にいる理由を探し続ける。まわりは相変わらず江崎を元からいた人間として扱ってくれる。しかも頼子は、元から江崎のことを知っていたようだ。
しかし、江崎はあくまでも頼子が付き合っていた三十年前の自分ではない。そう思うと、この時代にいる自分のことが気になって仕方がなかった。この時代に来て、すぐにこの時代の自分を見つけたことがあったが、それは一瞬のことであり、それから自分に出会うことはなかった。昔住んでいた家に住んでいるわけではなく、学校も違っている。むしろ、三十年若返った自分の方が、三十年前の自分に近いくらいだ。
――僕が戻ってきたために、元々いた自分の人生が狂ってしまったのか?
そうも考えられたが、やはりこの時代は自分が歩んできた時代とは違っているのだろう。同じ時代であればもう少し、以前の自分と出会うのではないかと思えてきた。今の自分がこの時代に馴染んでいくにつれ、本当の自分はこの時代から取り残されていく気がする。ひょっとすると、自分がこの時代に入り込んでしまったために、パラレルワールドでもなんでもなかったこの時代に歪みを生じさせたのかも知れない。そう考えると、何が正しいのか、分からなくなってきた。
――そもそも、時代の進行に正解などあるのだろうか?
江崎は、正解を求めてやってきたわけではない。ただ、
――歴史は、一体何を自分に何をさせようとしているのだろう?
という疑問はいつもあった。もちろん、今も頭の中にくすぶっていて、逆にこの思いがあるから、本当なら分かってもことが分からないままになっているのではないかという考えも頭をよぎるのだった。
頼子は、三十年前の頼子と変わりはない。それなのに、自然消滅はおろか、別れるなどという概念が消滅してしまったのではないかと思うほど、頼子は、江崎を頼ってくれている。
「そうだ。これが僕が望んでいた恋愛なんだ」
そう思うと、この時代での出来事は、江崎にとってすべて望んでいたことが実現する世の中に思えてきた。
「順風満帆」
この言葉が当て嵌まる世界が、本当に存在しているなんて、
――人生をやり直すことにして本当によかった――
と江崎は考えるようになっていた。
ただ、
「好事魔多し」
という言葉が頭の片隅に絶えずあって、その思いが、五十代まで生きてきたそれまでの人生で、一番絶えず考えていたことのように思えた。
もっとも、そんなにたくさんの好事があったわけではないが、それだけ望みは大きかったのかも知れない。
一年そしてまた一年と、月日は指折り過ぎていく。自分の思っている人生とは違っているが、悪い人生ではない。
――過去に戻ってやり直せてよかった――
それが、本当の自分の人生でなくても、それでよかった。
――そもそも自分の人生なんて、誰が決めたことなのだろう?
そんなことを考えていると、次第に元々の自分の人生への記憶が薄れてきた。
――忘れてしまいたくはない――
と思っていると、今度は、今の人生を忘れてしまいそうになる。やはり人生をやり直すということは、どちらかの人生を抹殺しなければいけないのかも知れない。
いくら自分の人生であり、生身の身体を痛めつけるような痛みがあるわけではないとは言え、抹殺というのは、穏やかではない。このままゆっくりと歩んでいく人生が、本当の人生だと思う方が間違いではないだろう。
過去に縛られてはいけないというが、
「未来という名の過去」
ではどうなのだろう?
頭がいささか混乱してしまっているが、それでも、今の人生に不満がないことはありがたいことだった。
ただ、思い出すのは、前の人生での楽しかったことだけだった。
あの時のような新鮮な気持ちに、この時代にやってきてから一度もなったことはない。
――新鮮な気持ちを味わうことはできないのだろうか?
平穏な暮らしと引き換えに、新鮮な気持ちが失われている。この感覚は、自分の記憶が危ういことを暗示しているかのようで、いつも不安であった。
本当は不安のない人生を歩んでいるはずなのに、言い知れぬこの不安は、完全に想定外だった。それでも、いずれ何かの結論にぶち当たるはずだ。その契機が、三十代に待っているように思えてならない。自分と一緒に過去に旅立った桜井が、江崎を待ってくれているはずだからだ。
実際に三十代になり、桜井の出現を待ちわびていると、ふいに立ち寄ったスナックで、
「そうだよ。俺はこの間まで五十歳だったんだ」
というおかしな男が目についた。
その男は、見たことはあるが、誰なのか分からなかった。
その時、店の女の子から、
「江崎さんは、いつもそんなことばかり」
と言っていた。
――江崎?
聞いたことはあるが、誰だったんだろう?
「お客さんは、ここ初めて?」
女の子からそう声を掛けられた男は、
「ええ、松永と言います。以後、お見知りおきを」
というと、
「松永さんね。私、慶子といいます。よろしくね」
その笑顔に吸い込まれそうになっていると、こちらをじっと見ながら頷いている男がいたようだ。
「桜井さん、小説の方は進んでますか?」
そう言われたその男は、
「ええ、進んでいますよ。もうすぐ完成です」
と言いながら、自己紹介をしている松永を見ながらほくそえんでいた。
「ふふふ、すべては私の小説の通りだ」
松永と呼ばれた白髪の紳士は、五十代前半という年齢であろうか……。
( 完 )
タイム・トリップ 森本 晃次 @kakku
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