後夜祭、二人きりの屋上で。

星名柚花@書籍発売中

第1話

 体育館から明るい音楽が流れてくる。自然と曲に合わせて身体が動き出してしまうような、洋楽の軽快なダンスナンバー。


 今頃私の親友も、ネタに走った着ぐるみや気合の入ったコスプレやドレスや、はたまた真っ当な制服を身にまとった生徒たちで埋め尽くされた体育館で、彼氏と一緒に仲良く踊っているのだろう。


 とはいえ、いまはリア充な親友たちのことよりも自分のことだ。


 何しろ私の新しい恋は始まってすらいなくて――まさにいま、これからが勝負なのだから。


 照明が落とされた暗い特別校舎の一階、階段前。

 私は深呼吸してから、階段を上り始めた。


 消火栓の赤いランプが薄暗い廊下の中でぼんやり灯っている。

 静まり返った夜の特別校舎は見通しが悪く、相当に不気味だが、いま私の心臓が騒いでいるのは恐怖のせいではない。


 この階段を上り切った、屋上。

 そこにいるはずの人のせいだ。

 彼の笑顔を思い浮かべてるだけで胸がきゅんとする。

 心に羽根が生えたみたいにふわふわして、ドキドキして、落ち着かなくなる。


 私にはつい二週間ほど前まで彼氏がいたのだけど、半年の間に五回も浮気した彼氏にはもう何の未練もない。

 いまとなっては「なんであんなのと付き合っていたんだろう?」と真剣に悩んでしまうほどだ。


 その点、彼は格が違う。

 彼は誰もが認める時海高校の王子様。

 整った美貌に、内側から溢れ出る気品。

 陽が当たると金色に輝くさらさらの髪。

 常にかけられたオーバル型の茶色いフレームの眼鏡は聡明な彼をより知的に見せる。


 外見だけではなく、彼は人格もまた素晴らしい。

 周囲に対する細やかな気配り。その奇跡の如き優しさよ!

 彼の微笑みは見る者を大いに魅了し、癒す。その効果は折り紙つきで、時海高校に通う生徒はもちろん、近隣の学校の生徒も彼の虜だ。


 登校時、下校時、彼目当てに他校の生徒が校門前で待ち伏せしているのはもはや驚くことでもなんでもなく、ありふれた日常の一部。


 彼に思いを寄せる女子は両手両足の指、全てを使っても足りない。

 彼の恋人候補はごまんといる。彼にとってはよりどりみどりだ。

 我ながらなんて難しい恋をしてしまったんだろう、とは思うけど、恋は理屈じゃない。

 だって、好きになったものは仕方ないじゃんか。ねえ?


 あれこれ考えているうちに、屋上へ続く扉の前へと着いた。

 何の変哲もないドアノブが、闇に浮かび上がって見える。

 この扉を開ければ先輩がいる。はず。


 私の親友――深森真白が片思い中の先輩と粋なセッティングをしてくれたと聞いたときは狂喜乱舞し彼女に抱きついてしまったが、いざそのときを迎えるとなると緊張する。心臓が口から飛び出そう。


 でも、うじうじ悩んでたってしょうがないよね。

 ダンスパーティーは一時間。この間に勝負をつけなきゃ!

 親友がくれたチャンス、無駄にしてなるものか!


 女は度胸、行くぞ!

 気合を入れてドアノブを回し、ドアを開ける。


 途端に、涼やかな夜風が吹き込んで、頬を撫でた。


 長く伸ばした私の黒髪が、背後でふわりとそよぐ。

 いつもはポニーテイルにしている髪。

 いまは念入りに梳かし、全て下ろしている。


 いつもと違うね、と気づいてくれたら嬉しい。

 少しでも彼が女性として意識してくれたら。

 物音に気付いたのか、屋上の奥、手すりの傍にいた人物が振り返った。 


 その人物――名前は成瀬葵。二年の私にとっては一つ上の先輩で、真白の彼氏のお兄さん。


「こんばんは」

 優しい微笑みをサービスしての挨拶は、私の心臓に全力ヒットした。


 あああああやばいかっこいいいいいいいい!!!


 鼻血を噴いて床を転げ回る自分を脳内イメージしつつ、私は「こんばんは」とにっこり笑い返す。所作もできるだけ淑やかに、女の子らしく。

 彼に危害を加えようとした不良を彼の眼前で投げ飛ばしたことがあるため、いまさら取り繕っても無駄なような気はするけど、でも、好きな人に好印象を与えたいというのは誰だって同じだ。


「こっちにおいでよ」

 手招きされて、私は彼の傍へと移動した。

 人二人分くらいのスペースを置く。

 適正距離がよくわからないけど、これくらいで勘弁してほしい。これ以上近づくと心臓が持ちそうにない。ていうか、心臓の音が聞こえてないかな?


「髪、下ろしてるのも可愛いね」

 かちんこちんに固まっていると、葵先輩が私を見て言った。

 よっしゃあああ!!

 私は内心でガッツポーズしつつ、髪に手をやり、そっと照れ笑い。

「ありがとうございます」 

「髪を下ろすと雰囲気が違うね。ポニーテイルだと活発なイメージだったけど、下ろしてると清楚な感じがする」

「どっちが好みですか?」

 黒髪をつまみ、冗談めかして聞く。

「うーん? 下ろしてるほうが好きかな。あくまで僕の個人的な意見だけどね」

 了解です、明日からポニテやめます。


「ところで、真白ちゃんから話したいことがあるって聞いたんだけど、何? 僕に相談でも?」

「え、ええっと……」

 真白はただこの場を設けてくれただけだ。

 改まっての相談なんてあるわけがない。

 私は最適な回答を探し、結局、無難なことを口にした。


「最近は平和ですか?」

「うん。特に問題ないよ。心配してくれてありがとう」

「いえいえ、そんな。当然のことですよ」

「中村さんには色々迷惑かけちゃったよね」

「いえいえ! そんなこと、全然!」

 私はさっきよりも語尾を強め、両手を振った。

 先輩に謝られることなんて何もない。私は自分がしたいようにしただけだ。

 きっぱり否定すると、先輩はまた微笑んだ。


 ああ、幸せだなぁー。

 っと、いかん。ふやけた笑みを浮かべるところだった。自重!


 しばらく沈黙が流れる。

 校舎内から屋上に出たことで、体育館から流れる音楽がよく聞こえるようになっていた。

 いま流れているのは洋楽。テレビで何度か聞いたことがあるけれど、題名は知らない、そんな曲。


 先輩は夜風に髪をなびかせながら、体育館のほうを見ている。

 やっぱり先輩と私との共通項は彼らしかないか。


「今頃真白たち、踊ってますかね」

「踊ってるんじゃないかな。講堂に向かおうとしてた漣里の首根っこを捕まえて、無理矢理更衣室に連れ込んでタキシードを着せて、真白ちゃんをダンスに誘ってこいって送り出したけど、うまくできたのかな。漣里は照れ屋だからなあ。ちゃんと誘えたのかな。後で詳しく聞いてみよう」

 葵先輩は楽しそうに笑った。


「……先輩は、弟くんのことが大好きなんですね」

「え?」

「あっ、いえ。兄弟想いで優しいお兄さんなんだなって思っただけです」

 慌ててフォローを入れると、葵先輩は「ああ」と微苦笑した。


「両親が離婚してから、僕が漣里の母親役みたいなことしてたからね。普通は長兄がすることなんだろうけど……うちの兄っていったら、あれだし」

 葵先輩は空を仰ぎ、欠けた月よりも遥か遠くを見た。

「あー……」

 私は同情の相槌を打つしかない。

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