第3話

 俯いて悩んでいる私の頭の上に、何か温かいものが乗った。

 先輩の手の感触だった。

 顔を上げると、先輩は困ったような顔で微笑んでいた。


「そんな顔しないでよ。中村さんは素敵な人なんだから、きっとすぐに良い人が――」

「なんで告白を断る人はそれが常套句なんですか!? 私は先輩じゃなきゃ嫌だって言ってるじゃないですか!!」

 考えに考え過ぎて加熱された頭がどうかしてしまったらしく、あろうことか私は手を払い、ブチ切れてしまった。

 先輩がまたびっくりした顔をする。

 でも口が止まらない、止められない。


「先輩はその気がないのに優しくしすぎです! だから女子が勘違いするんでしょう!? 成瀬くんが先輩を天然タラシだって言ってましたけど本当にその通りですね!! これからふろうとしてる女になーに優しくしちゃってるんですか馬鹿ですか馬鹿でしょう!? それは優しさじゃなくてただの残酷だってことに気づけッ!!」


 ああ、もう駄目。

 淑やかな女の子を演じようと思ってたのに、これで全部ご破算だ。

 完全に本性がばれてしまった。

 兄と弟に挟まれて育ったおかげなのか、腕っぷしが強く、ガサツで大雑把で男勝り。それが素顔の私だ。

 それでも、先輩に好かれるような女の子になりかったんだよちくしょう!!

 無理だったけどな!! いままさに玉砕したけどな!!


 こうなったら開き直って言いたいことを言ってやる!!

 私はすう、と息を吸い込み、早口言葉の如くまくしたてた。

 

「恋してる受験生なんていくらでもいるじゃん!! 明洸大学獣医学部の志望者全員が受験生になった途端に彼氏彼女と別れるわけないじゃん!! 公園や遊園地でいちゃつくのがデートじゃない、図書館デートとか、喫茶店やどっちかの家で勉強デートとか、受験生は受験生なりの、うまい付き合い方だってあるでしょう!? 勉強の邪魔だっていうなら連絡だって絶つ、なんなら合格するまで一切接触禁止だっていう条件だって呑む! 四六時中傍にいろなんて言ってないじゃん、なんではなっからダメだって決めつけるのよ! 先輩が受験生だってのは障害になるかもしれないけど、どうとでもなる障害でしょ!?」

 一気にまくしたてて酸素不足に陥り、苦しかったが、それでも私は一息で言い切った。


「私が聞きたいのは先輩が私のことをどう思っているか、それだけですッ!!」


 ぜえはあと息を荒らげる。

「…………」

 葵先輩は絶句している。私の変貌ぶりにドン引きしているのか。


 私は史上初めて王子様の前でブチ切れ、年下なのにタメ口を利き、あまつさえ馬鹿呼ばわりして怒鳴りつけた女子だろう。


 私のことをどう思ってるかなんて、聞くまでもない。もう確定。

 引いてるよね。これは。うん、絶対引いた。

 私の馬鹿……。


 私はがっくりと項垂れ、恋の終了を告げる決定的な言葉を待った。


「……受験が終わるまで待つなら、たとえ現役で合格したとしても、半年近くかかるよ?」

「え?」

 降って来た声に、顔を上げる。


「それだけ待つなら、いま無理に付き合うメリットってなくない?」

 意外なことに、葵先輩は私の無礼極まりない暴言の数々に怒ることなく、真顔で尋ねてきた。

 私の感情任せの言葉を真剣に受け止めたということだ。

 さすが先輩。器が大きい。

 私は内心で敵わないなぁと苦笑しながら、即答した。


「ありますよ。あなたの恋人の座を確保できる。半年後を指折り数えて待つ楽しみだってある」

「……」

「私を見くびらないでください。先輩が好きなんです、好きな人の進路を応援こそすれ邪魔するわけないでしょう?」


 葵先輩は黙り込んだ。何を考えているのか判然としない表情だ。

「……先輩?」

 首を傾げると、葵先輩は落としていた視線を上げた。


「僕と付き合うとなったら大変だと思うよ? 僕は前にある女の子と付き合って、その子を不幸にした前科がある」

 葵先輩の微笑に、苦しげなものが混ざった。


 葵先輩は高校二年のときに、生徒会で副会長をしていた女子と付き合っていた過去を持つ。

 その子は葵先輩が良い人過ぎて疲れる、と別れを切り出したらしいが、本当は違う理由だと思う。


 葵先輩は入学当時から美形兄弟として注目の的だった。

 彼に憧れる女子は多くいた。

 晴れて恋人となったその子は、同じ女子からの有形無形の嫌がらせに耐えられなくなって別れを切り出したのだ。


 聡明な葵先輩は多分、そのことに気づいていた。それでもどうしようもなかった。葵先輩本人が嫌がらせを止めるよう女子に注意したところで火に油を注ぐだけなのだから。


 きっと先輩は、その子のことをいまでも気にしている。

 優しい先輩は、自分のせいで誰かが被害に遭うことに耐えられない。


 ――でも。

 私に限っては、その心配は無用だ。


 私は一歩前に出て、葵先輩の眼前に立った。


「見くびらないでくださいって言ったじゃないですか。私の本性を見たでしょう? 私は多少の嫌がらせ程度に負けるような、そんなか弱い女じゃないんですよ」


 背筋を伸ばし、銃口のように人差し指を葵先輩の左胸――心臓に突きつける。


「私は先輩の愛さえ手に入るなら、この学校に通う全員を敵に回しても構いません」


 誰を敵に回しても、絶対に味方でいてくれると信じられる親友がいるから。

 だから私は、自信をもって笑える。


「この学校に通っている生徒――ざっと九百人ですか? その全員と縁切りしてもいい」


 人差し指を突き付けたまま、葵先輩の茶色い瞳を真正面からまっすぐに見つめる。


「私は九百人よりただ一人、あなたの愛が欲しいんです!」


 体育館から流れる音楽に負けないほどの声量で、きっぱり言う。


「…………」

 葵先輩は。

 ぽかんと口を半開きにし、呆気に取られた顔をして。

 それから、顔をくしゃくしゃにして、大声で笑い始めた。


 えっ!?

 この反応には酷く驚いた。

 葵先輩がお腹を抱えて、大声で笑うところなんて初めて見た。


 いつだって葵先輩は皆が理想とする王子様然としていて、笑うときは優雅に口の端を上げるだけだった。


 その先輩が、お腹抱えて大笑いしてる!!


「……あー……面白かった。まさか中村さんがこんな面白い子だったなんて、気づかなかったな。盲点だった」


 葵先輩はひとしきり笑った後、目の端に浮かんだ涙を拭った。

 泣くほど笑うってどれだけ?


「君には負けたよ。希望に沿えるかどうかはわからないけど、まずは友達から始めよう」

「えええええええマジですか!!?」

 私はすっとんきょうな声をあげてしまった。

 はっ! また素でマジですかとか言っちゃったよ私!


 だらだらと冷や汗が背中を伝う。

 でも、先輩はどうもそれがおかしいらしく、笑いながら「うん、マジで」と返してきた。


「あっ、じゃあ、一つお願いしたいことがあるんですけど! 友達の第一歩として名前で呼んでください!」

 弾んだ声で言いながら片手をあげると、葵先輩は苦笑した。


「それは友達っていうより恋人だと思うんだけど」

「真白は名前呼びじゃないですか」

 片頬を軽く膨らませてみせると「わかった。僕の負けだ」と、葵先輩は降参した。


「やった、ありがとうございます! 私の名前はですね――」

「美衣子ちゃんでしょ?」

「へっ!?」

 不意打ちのように名前を呼ばれて、心臓が踊った。


「真白ちゃんがよく君のことを話題にするからね」

「そ、そうですか」

 私はどきまぎしつつ、頷くしかない。


「僕も君にお願いしたいことがあるんだけど」

「はい、なんでしょう?」

「こっちに立って」

 私は先輩の指示通り、彼の向かい――手すりを背にして立った。


 私の後ろには手すり。前には葵先輩。

 完全に前後を挟まれ、追い詰められてるような状態だ。


 一体先輩は何がしたいんだろう? 

 お願い事ってなんだ?


 不安半分、興味半分で立っていると、葵先輩はおもむろに眼鏡を外し、ポケットに入れた。


 えっ? えっ?

 葵先輩が眼鏡を外した!?

 超レアじゃん激レアじゃん!!

 初めて見るよ!?


 私の心拍数は急上昇。


 でも、なんで眼鏡を外したんだ?

 疑問符を浮かべていると、裸眼となった葵先輩は私の顎を掴み、顔を近づけてきた。


 ……はああああああああああああ!!?


 ちょちょちょちょこれどういう状況!?

 何? キスでもされるの!?

 いやいや友達から始めるってついさっき宣言したばっかりじゃないですか先輩!?


 頭の中が沸騰しそうに熱い。


 逃げるべきなのではないかと理性が訴え、いや別に良いじゃん好きなんだし既成事実つくっちまえよと心に棲む悪魔が言い、頭の中は混乱を極め、身体が麻痺したように動かない。


 キスですか? マジですか?


 至近距離まで迫った葵先輩は、見たことのないような――まるで、小悪魔のような笑顔を浮かべて。

 長い指で私の顎を持ち上げ、聞いたことのないような低い声で、言った。


「落とせるものなら落としてみせてよ、美衣子」


「――――!!」

 全身を落雷が貫いたような衝撃。

 な、な、な、な、な……!!


「なんちゃって」

 葵先輩はにっこり笑って、眼鏡をかけ直し、通常モードへと戻った。

「……い、い、いまのは……?」

 変貌ぶりに唖然として問うと、葵先輩はとん、と親指で自分の胸を突き。

「さっきのお返し」

 それはそれは、楽しそうな笑みを浮かべた。


 ――ぼんっ!!

 いつも浮かべている綺麗な笑顔とは違う、茶目っ気たっぷりの、素だとわかるその笑顔を見た瞬間、私の頭は弾けたポップコーンの如く爆発し、へにゃへにゃとその場に座り込んだ。

 骨のない軟体動物になった気分。

 手すりに背中を預けて居なければ多分、私は倒れている。


「あれ、ちょっとやりすぎた?」

 葵先輩はノックアウトされている私を見下ろして小首を傾げ、それから、ポケットから綺麗に折りたたんだ紙を差し出してきた。


「はい。これあげる」

 夢見心地のまま、差し出された紙を受け取る。


「あと、これも個人的な意見だけど。変に淑やかぶってる君よりも、素の君のほうが僕は好き」

「…………っ!!」

 さらりと放たれた発言に、再び私の顔は大噴火。


「じゃ、先に戻るね。またね、美衣子ちゃん」

 微笑み、葵先輩は屋上から姿を消した。

 残された私は、呆然とするしかない。


 美衣子ちゃん。先輩に呼ばれた名前が何度も何度も頭の中で繰り返されて、くらくらする。

 なんじゃありゃなんじゃありゃ……なんぞこれ!!!

 お返しって、先輩の流儀は百倍返しなわけ!?

 腰が砕けたじゃんどうしてくれる!!

 私は真っ赤になっているであろう顔を覆った。


「うー……」

 ずるい。ずるい。さっきのは反則だ。

 手のひらを押し当てた顔はカイロよりも熱い。体感温度までどうかしてしまったのか、夜風が冷たいのか温かいのだか判別不能。


 王子様のようでいて実は小悪魔なのか? 本性はSなのか?

 野田をぶちのめしたときだってそう。

 泣く演技で生徒を煽動したとき、先輩密かに笑ってたもんね?!

 そのあと真白に笑いかけたところだって見てたもんばっちり!!


 でもまあ、別に王子様でも小悪魔でも良いじゃん? と思えてしまうのは、惚れた弱みか。

 先輩、なんかやけに楽しそうだったし。

 あんな笑い方、見たことない。


 どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい。

 やばい、顔がニヤける。


 そういえば最後に渡していった紙はなんだろ?

 締まりのない顔を矯正しつつ、手のひらに残ったままの紙片を開く。

 そこには先輩の名前と電話番号、メールアドレスが綺麗な文字で綴られていた。


 過去に何度か熱狂的なファンからストーカーの被害に遭ったこともあり、彼は個人情報をそう簡単に渡さない。

 それなのに予めこれを用意してたってことは、ちょっとくらいは脈ありってことかな――そう思いかけ、私はかぶりを振った。


 いやいや、そう思うのはまだ早い。

 彼女の地位には程遠いぞ! これくらいで満足してどうする!


 手のひらの中の紙片を握り締める。

 いまこの場でアドレス交換するんじゃなく、自分の情報だけ紙に書いて寄越したってことは、私のアドレスは後で教えてほしいっていうこと――つまり、連絡の機会を私にくれたってことだ。


 大事な紙片を顎に押し付け、幸福に浸って笑い、立ち上がる。


 空を見上げれば、そこには月。


 落とせるもんなら落としてみせてって?

 上等!

 覚悟してよね先輩、私は絶対あなたを落としてやる!!


《END.》

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後夜祭、二人きりの屋上で。 星名柚花@書籍発売中 @yuzuriha

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