13 アンナロゥ

「KYって何の略称なんだ?」


 午前の作業を終えた整備兵が、朝から気になっていた素朴な疑問を同僚に尋ねてみた。


「さぁな。空気読めるKuki-Yomeruとかじゃね?」

「なるほどな」

「……納得しちまったのかよ」

「だって、実際、機能らしいじゃんか」


 彼らが話題にしているのは、今朝方通達されたアーマシング・ファーザーの『新機能』についてである。

 アヤと、彼女をバックアップする操甲技術開発室は、ファーザーが新たに“開示した”データを解析し、その一部を現場の兵士にも公表していた。


 ――『KY電脳機構ファンクション』、実際の含意は危険予測Kiken-Yosokuである。

 主たる機能は、蓄積された膨大な戦闘記録を基に事象予測を行い、機体の生存性を高めること。

 これを機体コントロールに適用することで、ファーザーは単座での運用が可能となったのだ。


「なんなんだろうな、あの、ファーザーって機体は。知ってるか? この前、初めて小破して帰ってきただろ?」

「それな。俺らの班で補修作業したから知ってるよ。明くる日になったら、充填しといたナーガレジンが剥がれちまってるんだもんな。マジで“自己再生”してんだぜ?」

「装甲まで『マーラサイン』で作るとか、どこのバカ富豪の仕業なんだかなあ」


 アーマシングの外装を形成する『龍樹脂ナーガレジン』と共に、欠かせない部材が『魔者資マーラサイン』である。

 周囲の物質を取り込んで代謝再生する性質を持つレアメタルで、エンジンとなる無限回転発動機『プラナドライブ』の心臓部に用いられている。


 ファーザーの装甲は、先だってダイオード兄弟のトゥーマ・タイプとの戦闘で損傷を負った。しかし、黒鉄色の装甲部材は一昼夜のうちに元通りに再生していたのである。

 その現象を目の当たりにした整備兵らは、ファーザーの装甲がすべてマーラサインによって造られているものだと理解していた。

 ――実際には、それ以上の再生効率をもった“未知の”結晶物質が用いられているのだが、この事実は一般兵である彼らには


「しかしまあ、あれだけのモンをまだ前線で“使う”ってんだから、“大佐殿”のオカンガエは分からんよなァ」

「単座で実戦投入するって話だぜ。怖い怖い――お、噂をすれば」


 野営地に簡易建築された食堂の扉が開き、やってきた青年に整備兵の一人は声をかけた。


「よ、バンカ。お疲れさん、次の“相方”は誰だった?」

「……まだ聞いてねェよ」


 バンカ=タエリは、煩わしそうにクセ毛の金髪を掻くと、見つけた空席のパイプ椅子にドカ、と腰を下ろした。


 ――ファーザーの単座運用は、ヴォルテが担当することになっている。

 必然的にバンカはファーザーから降りることとなり、特殊遊撃分隊からも外された。

 軍での上昇志向の強いバンカにとって、戦果を挙げ注目を一身に浴びているファーザーから降ろされることは、せっかく手にしたチャンスを取り上げられるようなものに思えた。


 焦りがあった。そして、嫉妬もあった。

 その嫉妬が向かうのは――――


「ヴォルテのやつ、うまいことやったよな。知ってるか? あいつ、こないだ少尉ちゃんと二人きりで外出したらしいぜ」


 気がつけば、バンカは椅子を蹴って立ち上がり。

 へらへらと口をきいてくる整備兵の胸倉を掴んでいた。


「――黙れ。ぶっ殺されてえか」


 昼食の喧騒に包まれていた食堂が静まり返る。

 周囲の視線は、剣呑な形相で拳を握るバンカに集中した。


「何やってんの、バンカ」


 注目は、次いで響いた声の主に移る。ヴォルテである。

 普段から仲間内に対して柔和な姿勢を崩さないヴォルテは、この時も、怒るでも戸惑うでもなく、中庸ニュートラルな表情でバンカに問いかけていた。


「チッ……なんでもねェよ」


 バンカは級友で戦友の青年が向けてくる黒い瞳に向かい合えず。

 整備兵を解放し、逃げるように食堂を後にした。


「……バンカ兵長、ショックだったんでしょうか」


 既に周囲には喧騒が戻りつつある中、ヴォルテの影に隠れていたアヤが、脇から顔を出した。

 バンカが立ち去った後の扉を心配そうに見つめるアヤを、上背のあるヴォルテは隣から見下ろしている。


「クラブ活動じゃあ無いんですから、少尉は気にしなくて良いですよ。バンカもその辺りは分かってるはずですし」

「本当にそう、なら良いんですけど」


 彼の冷静さが却って不自然に思えてたアヤは、なおも心配そうな上目遣いでヴォルテの顔を覗き込むのだった。


 *


「明日から、貴様は再び俺の指揮下に入る」

「はッ!」


 呼び出された士官用執務室のテーブルを挟んで、バンカはベッツ=テミンキ小隊長に敬礼した。

 何ら驚くことのない異動である。バンカは、元々の所属であるベッツ小隊へと編入されたのだ。


「それで、だ」


 ベッツが、口元から顎までを囲むようにきちんと手入れされた髭に手をやりながら、小さく咳払いをした。

 バンカは、いかつい堅物の上官が初めて見せた態度に、なんとも言えない違和感――気持ちの悪さを感じた。

 言葉を次ごうとするベッツの様子はどことなくためらいがち、あるいは、彼の風体に似合わぬ“モジモジ”とした仕草を含んでいたのだ。


「貴様の配置は引き続き、アーマシングのガンナーとする。ドライバーは――」


「私だ」


 奥から、やけに艶っぽい低音の美声が聴こえてきた。

 続いて姿を見せた声の主に、バンカも、ベッツも、ぎょっとした。


 ――――現れたのは、美形。半裸の美形男性であった。

 バンカと同程度の長身、なにも身につけていない上半身は、痩せ型であるが程よく筋肉がついている。透き通った色白の肌から、一筋の水滴が滑り落ちる。

 今しがたまでシャワーを浴びていたのだろう、背中まで伸ばした銀髪はまだ湿っている。櫛を通せば何の抵抗もなく根本から毛先まで梳き通せそうな、見事なストレート・ヘアだ。

 片目を前髪で隠したおもては、並の女よりもはるかに美しく、それでいて男であることは疑いようもない精悍な目鼻立ち。

 非の打ち所のない美形。美形の男であった。


 美形が姿を現すと同時に、ベッツは直立不動で敬礼の姿勢をとった。男とは対照的なベッツの浅黒い顔は、よく見ると微かに紅潮している。


「私はアンナロゥ。アンナロゥ=スムース=バルチャー。フフ、わざわざ言わなくても知っていたかな? 何しろ私は、司令官だからね」

「あ、アンナロゥ……大佐、ッスか……!?」


 バンカも、ベッツに倣い呆然としながら敬礼した。

 いま、自分たちの軍を統率する『アンナロゥ大佐』を名乗った美形に、バンカは心当たりがある。それは、機甲戦術開発室が発行する機関誌の表紙を毎号飾っているグラビア写真であった。

 これまで、ファーザー絡みで無謀とも言える指令を下してきた雲上人と、いつも何気なく目にしていた写真の美形。

 両者を同一人物として結びつけるまでに、数拍の時間を要した。


「バンカくん。先のラマンダ河攻略戦のことは、始末書ほうこくを受けているよ?」

「げっ……い、いえ、そう、で、ありますか」


 アンナロゥは半裸のままバンカに歩みよる。

 彼が放つ異様な存在感オーラと、件の“やらかした案件”とが相まって、アンナロゥが一歩近付く毎に、バンカの胸の鼓動は次第に大きくなった。

 そして、遂に二人は、僅か30cmの距離にまで接近し、アンナロゥの瞳が妖しくバンカを見つめ。


「――素晴らしいじゃないか。私は、キミのガンナーとしての技量を高く評価しているよ。まさに、求めていた人材だ」


 唖然、再び。

 バンカは、自分の脳が思考を放棄しようとしているのがわかったが、鼻先三寸ほどまで近付いてきたアンナロゥの美形面が逃亡を許さない。


「バンカくん。私とやってみようじゃないか」


 艶のある低音が、耳元で囁かれた。


「次回の出撃では、私とキミで、アーマシングに乗るんだよ」


 暖かい吐息が耳朶を撫でる。

 頭の中が混沌としてきたバンカには、もはや虚ろな声音で「ハイ……」と返事をするのが精一杯であった。


「そ、その、お言葉ですが。少々、顔が近いですぞ、大佐」


 直立不動のベッツが、アンナロゥとバンカとの間に、言葉だけを差し込んでくる。

 アヤや他の小隊長を諫める時とは全く異なる、隠せぬ緊張がにじみ出た、上ずった声である。


「おっと、すまない。フフ……ベッツくん、すまないね? フフフ……」


 アンナロゥは、妖しく艶のある目線をベッツに流すと、上着を取りにシャワールームへ戻っていき。

 放心状態になっているバンカは、そこでようやく解放された。

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