11 帰郷

「……まずかったですかね」

「ええ、相当」

「怒られるでしょうか」

「怒られるだけで済めば良いですけど」


 アヤの眼鏡が照明を反射してギラリと光り、ヴォルテはピタリと直立不動になり。

 童顔の青年が心底から意気消沈して俯くのを見て、アヤは溜息をついた。


「確かに、アーマシングの行動責任はドライバーが負いますが、その上位には指揮者が居ます。ヴォルテ伍長だけが悪い、という訳でもありません。充分な作戦指示を出せなかった私にも責任があります」

「! ……申し訳ありません」


 ヴォルテは俯き、やや長めの睫毛が黒い瞳を隠した。

 今にも土下座を始めそうな雰囲気だ。


 アヤは、ヴォルテにちょっとしたフォローを入れたつもりであったが、彼は先の『ラマンダ河攻略作戦』の一件は自身の独断によるものと自覚していた。

 ゆえに、アヤの言葉はフォローではなく、無用な責を上官に負わせてしまったことにも思い至らせる追い打ちとして働いたのである。


「ともかく、ただ始末書を提出しただけでは、アンナロゥ大佐だって何らかの処分を下さざるを得ないでしょう。ですから――ヴォルテ伍長」


 眼鏡のフレームに手をやりながら、執務室のデスクから身を乗り出すアヤ。

 ヴォルテは思わず固唾を呑んだ。


「大佐に、あなたが初めてファーザーと出会った時の情報ことを報告しましょう。ファーザーは未知の技術ブラックボックスに手足とドリルが生えたような存在です。その出自に関連しそうな情報を提供すれば、きっと悪いようにはされない筈です。あなたも、ファーザーも」

「それは……できません」

「ファーザーが解体分析にでも回されてしまえば、元も子もないんですよ!?」

「っ――!」


 レンズ越しの碧眼がヴォルテをキッと見据える。

 ファーザーと共に在る事は、ヴォルテにとって全てにおいて優先する。

 アヤはそれを分かっていたし、自らのルーツを追い求める彼の一途さに肩入れしたいとすら思っていた。


 俊巡の間を置いて、一呼吸。ヴォルテは口を開いた。


「……あの時、タキドロムス孤児院を襲ったアーマシングのプラナドライブ音は『ケンタウロス』タイプのものでした」


 言葉を失うアヤの返答を、ヴォルテは待つ。試す者と試される者との間に、沈黙があり。


「約束します。いま話してくれたことは、誰にも口外しません。もちろん、アンナロゥ大佐にも」

「――よろしくお願いします」


 神妙な面持ちで頭を下げるヴォルテ。

 アヤは、重たくなった執務室の空気を吹き飛ばそうと、咳払いの後、つとめて明るい声音を準備した。


「それはそれとして、ですね。私、以前から個人的に気になっているんですけど」


 きょとんとした顔をするヴォルテに、一つ年上の上官は微笑む。


「ヴォルテ伍長が“母さん”って呼んでいた方のこと。カナ=タキドロムスさん。お会いしてみたいです。ちょうど今は部隊も動けませんし、明日にでも案内してもらえない?」

「え、明日、ですか!? 自分も、カナさん……院長も構わないと思いますが、その、隊を勝手に離れるのは問題ではありませんか?」

「これはれっきとした軍務ですっ」

「軍務と仰られれば、断わるなんてことはしません、けど」

「名目なんて、ファーザーの性能試験だとか実地調査だとか、言いようは幾らでもあります。安心して。こう見えても私、やると言ったら必ずやりますから」


 何故か妙にムキになってくるアヤに気圧されて、ヴォルテはしどろもどろになりながらも、一応は率直な感想だけを述べてみることにした。


「なんというか、始末書を提出しに行った足で有給休暇を申請する、みたいな状況ですよね、これ」


 *


「本当に休暇をもぎとって来るんだもんなぁ……」

「何か言いました?」

「いえ、少尉の有能さに舌を巻いていた所ですよ」


 軍所有の四輪駆動車の助手席に座る少女に、ヴォルテは肩をすくめてみせる。

(クァズーレの文明レベルは、アーマシングに関連するもの以外は概ね近現代地球と同等である)


 アヤの出で立ちは、清楚な感じのする白いブラウスと空色のフレアスカートに、ブランドを知らないヴォルテでも安物でないことは分かるハンドバッグ。

 これも最初、ヴォルテには分からなかったが、どうやらメイクもいつもより華のある仕上がりである。

 普段は軍服に身を包んでいるから、辛うじて軍人であると思えるが、今のアヤはどこからどう見ても“休日を過ごすお嬢様”といった雰囲気だ。


「のどかな所ですね」


 流れていく景色は緑豊かな畑に、ぽつぽつと点在する民家のみである。

 車の窓を開けると、心地よい風が吹き込んでくる。

 アヤはたおやかな仕草で、なびく自分の黒髪をおさえた。


「このあたりは地理的に戦略上の価値は薄いですから、最近はかみの方から疎開してくる人も居たりしますよ」

「そう、なのよね。だからこそ不思議だわ。この土地は、アーマシングだとか軍隊だとかいうものとは無縁なのに」


 不意に真剣なトーンを取り戻したアヤの言葉を、ヴォルテは静かに手振りで遮った。


「少尉。人影です」


 注目を促した先には、たしかに道端に立つ何者かの姿。

 ヴォルテは車をその人影の側に停め、運転席に座ったまま声をかけた。


「きみ、こんな所でどうしたんだい」


 普段から穏やかな口調のヴォルテだが、この時は意識的に印象を柔らかくしようとしていることにアヤは気づいた。

 人影とは、小さな男の子であった。


「ゥン。お兄ちゃんたちの車、見てたの。軍人さんだよネ、お兄ちゃんたち」

「そうだよ。軍の車は珍しかった?」

「ゥン……父ちゃんが軍人だったの。ボク、父ちゃん探してるの」


 ヴォルテとアヤは、改めて男の子を見る。

 身につけている子供服は所々がよれ、しばらく着替えていないようだ。

 髪に浮いた脂のツヤからも、彼が充分な保護者の庇護下にないことを窺わせた。


「――自己紹介しよう。僕はヴォルテって言うんだ。きみの名前を教えてくれないか?」

「……アノルド。アノルド=ダイオード」

「ダイオードさん所のアノルドくん、だね。この先にね、タキドロムス孤児院という所があるのは知ってるかい? 知らない? 僕たちはこれからそこへ行くつもりなんだけど、きみも一緒に来るといい。とても頼りになる人が居るからさ」


 ヴォルテは「構いませんね?」という視線をアヤに送り、アヤも「もちろん」とばかりに頷いた。

 アノルド少年は、どこかオドオドとした上目遣いで二人を交互に見比べていたが、やがて口を開いた。


「え……エェと……ゥン」


 *


 施設の庭先で遊んでいた子供達は、車から降りてきたのがヴォルテだと気付くと一斉に駆け寄ってきた。


「ヴォルテ帰ってきたー! おかえり!」

「チルくんダメだよー、もっとていねいに言うんだよー! おかえりなさいませ!」

「ハハハ、タバミもチルも元気そうだね。ただいま。カナさんを呼んできてくれないかな」

「わかった! カナせんせー! カナせんせー! ヴォルテがかえってきたーよー!」


 男の子が叫びながら、建物へと全力疾走を始める。

 もう一人の女の子はその場にとどまる。

 ヴォルテの後ろに居る“見知らぬ人たち”に関心があるようだ。


「お姉ちゃん、ヴォルテのおヨメさん?」

「へっ、お嫁さん……!?」


 突然の飛躍した問いに、アヤは自分でも意外なほど動揺し、頰を紅潮させた。


「違うよ、タバミ」

「じゃあカノジョ?」

「彼女!?」

「だから、そうじゃないって。この人は、僕の上官。えらい人なの」

「ええ〜ちがうの〜! コドモがいるのに!? カノジョができるとコドモがうまれて、カノジョはおヨメさんになるのに!?」

「こ、こここ、子供が産まれ!?」

「どこでそんな偏った覚え方をしたのさ。この子はね、さっき困っていたからウチまで連れてきたの。すみません少尉、なんだか失礼なことを――少尉?」


 アヤは、真っ赤になった顔を両手で隠していた。

 頭から湯気でも出そうなほどである。


 上官の様子がおかしくなった理由が判らずヴォルテが戸惑っていると、先ほど建物の中へ向かったタバミを連れて、救いの象徴のような女性がやってきた。


 カナである。

 兵学校に居た頃も手紙のやりとりはしていたが、直接顔を合わせるのは四年ぶりであった。

 カナも気持ちがはやるのか、ヴォルテの名を呼びながら小走りで近づいてくる。

 体が上下する度に、胸元が重々しく大袈裟に揺れた。


「ただいま、カナさん。紹介するよ。こちら、アヤ少尉と、アノルド君」


 ヴォルテとアヤの後ろに隠れていたアノルドが、おずおずと会釈するのを見て、カナは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 一方、顔を隠していたアヤは、“目的”の人物と早くも対面することになったので、慌てて姿勢を正し、馬鹿丁寧に腰を折って頭を下げた。


「はじめまして、アヤ=ルミナですっ! え、ええと、よろしくお願いします、お義母かあさまっ!」


 アヤは既に自分が何を言っているのか分からなくなるほど動揺しきっていた。

 驚いて二度見してくるヴォルテにも気付かず、お辞儀を終えるなり全身を硬直させて直立不動である。


「――あらあら」


 そんな少女の様子がなんとも微笑ましくて、カナは自分の手を頰にあてて穏やかにウフフ、と笑うのであった。


 *


 アヤは再び、大きく動揺していた。

 それと言うのも、ブラジャーを外したカナの胸が想像を遥かに超える迫力だったからである。


「眼鏡、とらないの?」


 カナから声をかけられ、ハッと意識を現実に戻したアヤは、かけていた眼鏡を外して脱衣所のカゴへ入れた。

 再びカナの方を見る。

 裸眼ゆえ、やや鮮明でなくなった視界であっても、彼女の豊かすぎる両房は否応なしに気になった。


「アヤさん、手伝ってくれるかしら?」


 呆としているアヤの隣で、カナは身を屈めて小さな女の子の服を脱がせ始めている。

 タキドロムス孤児院では、子供達は大浴場で一斉に入浴するのが習慣であった。

 周囲を見れば、年上の子供と幼い子供とが二人一組になり、同じように服を脱がせてやっている。まだ小さな子供の世話は年長者が行うのだ。


「じゃあアノルド君、服を脱ぎましょうか」

「ゥ……ン」


 アヤに促されたアノルド少年は、脱衣場へ来てからずっと俯いたままである。

 困惑した様子でもじもじと立ち尽くす彼に、アヤが膝をつき服のボタンへ手をかけようとすると、ようやく少年は自分で服を脱ぎ始めた。


「――ヴォルテもね、小さい頃は私がこうして洗ってあげたのよ」

「えっ」


 慣れた手つきで幼児の体を洗いながら、カナが言う。


「あの子から聞いてるでしょう? この施設で最初にヴォルテと会ったのは私。もう17年も経つのよね。あの頃は、弟ができたみたいで嬉しかったわ。どうもあの子の方は、私をお母さんとして見てたみたいだけど」

「お姉さん……わかります。私も彼に間違って母さん、って呼ばれちゃいましたから」

「まあ。うふふ、嬉しいようなちょっと残念なような気分だったでしょ?」

「ふふ、その通りです。私も弟が欲しかったから、姉さん、だったら素直に嬉しかったかも」


 言葉を交わすと、お互いに似た者同士であることが実感される。

 アヤは笑い合いながら、ここへ来て良かったと心から思った。


「さ、次はあなたね。アノルド君、こっちへいらっしゃい」

「ゥ……ぼ、ボクは、いい……」

「ダメよ。綺麗にしないと。ほら、遠慮しないで」


 カナはアノルド少年の手を引き、隣の風呂椅子バスチェアに座らせる。

 有無を言わさず小さく細い背中にスポンジをあて、優しく上半身を洗っていく。


 だが、洗身が下腹部へ到ったところで、はたと手を止めた。


「あらあら……うふふ。そうね、もう、自分で洗えるのよね?」


 スポンジを手渡されたアノルド少年は、黙りこくったまま自分の身体を洗い始める。


「どうかしたんですか?」


 首を傾げるアヤに、カナは自分の唇に人差し指をあててウィンクする。


だもの、ね?」


 そう言うカナの隣で、アノルド少年は相変わらず顔が俯くのに加え、上半身を前屈みにしている。


 少年の居心地悪そうな様子を見て、アヤもようやく彼の“身体の変化”を察し。

 意識すると同時に頰に紅がさし、手にしたタオルでさりげなく胸元を隠すのだった。


 *


 深夜、物音ひとつ立てずベッドから抜け出したアノルドは、相部屋の子供が目を覚ましていないことを確認。

 寝室の窓から、カーテンを継ぎ合わせた即席のロープを垂らす。

 ごく手慣れた様子で、二階の窓からするすると伝い降り、外へと抜け出した。


「どこへ行くんだい、アノルド」

「ゥ……ヴォルテ、お兄ちゃん……!」


 いつの間にか、ヴォルテが立っていた。

 どうやら物陰に隠れていたらしい。つまり、ことを予測していたのだ。


「ずっと気になっていることがあったんだ。アノルド」


 静かな口調である。

 だが、青年の佇まいには“隙”が排除されていた。

 それは、訓練された軍人特有の“警戒態勢かまえ”であった。


「きみは最初に、僕を軍人と呼んだね。たしかに乗っていた車は軍用車だし、僕は軍服を着ていた。だけど――平服のアヤ少尉まで軍人だと判ったのは、どうしてなんだい」

「それは……軍隊の車に、乗ってたから……」

「そうか。そういうことにしておこう。じゃあ、もう一つ質問だ。どうして君、アーマシングが居る方へ行こうとするのかな?」


 アノルドが息を呑む。

 夜闇ゆえ判然としないが、おそらく彼の顔は一瞬だけ青ざめた。


「僕にはプラナ・ドライブのこえが聴こえるんだ。。きみは一体、何者だ」


「――ケッ、ここまで鋭い“ボウズ”だったとはな」


 野太い声音が、アノルドの喉から吐き出された。

 俯きがちでおどおどした少年の相は既になく、代わりに狡猾で老獪な『男』の険相が滲み出す。


「おい、カソルド! ズラかるぞ!」


 がなり声が夜空に響き、程なく、微かであったプラナ・ドライブの動作音が次第に大きくなる。そして、音は断続的な地響きを伴っていた。


 ――一体のアーマシングが、跳躍を繰り返し近づいてきたのだ。


「ニイちゃん! 向かえにきたど、ニイちゃん!」


 闇にむような紫色の二脚型アーマシングは、タキドロムス孤児院の前へ乱雑に着地した。

 どことなく間の抜けた思慮に欠ける声が、外部スピーカーから発せられている。


 ヴォルテが拳銃を構えるより早く、アノルドは機体から垂らされたタラップを駆け上った。


「馬鹿、ガキどもが起きちまうだろうがっ!」

「ゴ、ゴメンよニイちゃん」


 声の主――弟のカソルドを叱責しながら、素早くコクピットへと乗り込む。

 コンソールを操作し、ドライバー・コントロールを自分の側へと切り替えた。


「他はとるに足らん女子供だが、あの男だけは厄介だ。始末していくぞ」


 紫色のアーマシングが、三つの目を怪しく発光させる。

 ヴォルテは下唇を噛みながら、この状況に既視感をおぼえた。


 夜空を背に立つ巨人。

 ただただ見上げることしかできない、非力な自分。

 傍らに在る、守りたい人たち。


 ――それならば。


! あの時と同じだ!」


 ヴォルテの黒い瞳が渦を巻く。

 悠々と片足を持ち上げる紫色のアーマシングを、怯むことなく、臆することなく睨み。


「来いッ! ファーザァァァァァ!!」


 叫びが夜空に響き、青年は黒鉄の巨人を召喚んだ。


「ドコーン……ドコーン」

「ギュイィィィィィィィ」


 脈動音、回転音、そして――大地が弾ける。

 ヴォルテを踏み潰そうとした紫の巨人を跳ね除けて、黒鉄の背中が雄々しくそびえ立つ。


 背中のコクピット・ハッチが開放され、乗降用タラップが降りてくる。

 乗り込んだコクピットは、無人であった。ヴォルテは訝ることもなくシートに座り、操縦桿を握り、フットペダルに足を掛ける。


 ファーザーの視界が正面モニターに映し出された。


 ――さっきまで見上げていた三ツ目のアーマシングを、今は見下ろしている。

 ――さっきまでなす術もなかった巨人に対して、今は打ち倒す術ドリルがある。


 青年ヴォルテ=マイサンは今、黒鉄のドリルロボット・ファーザーにのだ。


「この覗き魔! 逃がさないぞ!」


 右腕のドリルを、目の前の敵へ向け啖呵を切る。


「ありゃあ不可抗力ってヤツだ、人聞きの悪いこと言うんじゃねえ。ま、たしかに諜報活動のぞきはやろうとしたけどなァ!」」


 アノルドの軽口めいた買い言葉を合図にして、二体の巨人は激突した。

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