09 対岸の鱗

「よしよし、もう一度、頼む」


 頷いた副官が、野暮ったい形をした再生機器のスイッチを押下する。


 セルペ軍西方大隊長ナメラ=エラーフェ少佐は、モニターに映し出された映像に注視。

 本日20回目の再生である。


「少佐、ご着任早々、あまり無理をなされては」


 生真面目そうな副官の男が、先週顔を合わせたばかりの上司を案じ、言葉をかけた。


「うんうん、ありがとうね。だけど私はこの通り、絶好調だよ」


まったくそう見えない――副官は、言葉を飲み込んだ。


 モニターから目を逸らさず答えるナメラの両眼の下には、黒々とクマができている。

 こけた頬と薄紫色の唇は、病人を思わせる。


 やや猫背気味の痩身は、きちんと背筋を伸ばせばかなりの背丈になるであろうが、ともすれば枯れた老木のようにも見える。


 オールバックに整髪し、軍服の詰襟を崩さず着込んだ身なりは清潔で堅実ではあるが、当人から受ける印象は不健康そのものであった。


「偵察部隊が決死の覚悟で持ち帰った映像だからね。余すところなく分析するのが私の務めだよ。手がかりは今のところこれが全てなわけだし」


 どこか気の抜けた声で話す間にも、ぎょろりとした両目が小刻みに動く。

 視線を注ぐモニターには、これまでに二度、戦場に出現した黒鉄の巨人が、右腕のドリルでデュラハン重装型を削り潰す様子が映し出されている。


「ペラギクスを思い出すねえ」


 ナメラが不意に、しみじみと呟いた。


 単に『ペラギクス』と言えば即ち、クァズーレ南方ガルダ大陸にある『ペラギクス国立大学』を意味する。


 世界有数の学府であり、工業技術と軍事の研究においては設立から数百年の間、最先端を行く。


 ナメラは、ペラギクス大学で軍事を学んでいた。

 ペラギクス留学は、この時代において、エリート軍人の必須条件であった。


「専攻の同期にね、デタラメな兵器について話すのが好きなヤツが居たんだよ。話が巧くてね、内容の真偽はともかく、聞いてて面白かった」


「ご学友、ですか」


「そうそう。君も名前くらいは、聞いたことあるんじゃない? アンナロゥ=スムース=バルチャー。サウリア軍むこうで大佐まで出世した、ってね」


 言い終えると同時に、資料映像の再生が終わる。

 映像は、無敵と謳われた巨大防衛設備が爆炎に包まれるところで途切れていた。


 それを待っていたかのように、執務室の扉がノックされる。

 通された若い少尉が、緊張気味に敬礼して報告を始めた。


「敵一個大隊が、ラマンダ河へ向け進軍を開始したとのことです」


「ふむふむ。キャストフの部隊も合流させることを考えると、猶予は三日ってところかな。こちらも準備を急がせよう」


 ナメラは副官にいくつかの指示を与えた後、もう一度、記録映像を再生した。



 ラマンダ河は、平時には水路として使われる巨大な河川である。

 現在はセルペが陣取っており、キャストフ同様にサウリア軍の補給線を阻害している。


 ヴォルテたちの小隊は、このラマンダ河攻略作戦に投入される一個大隊に合流。

 アヤは直轄の小隊員を集め、大隊司令アンナロゥ大佐からの命令を伝えていた。


「元々国境線でもあったこの河川は、開戦当初からセルペ側の手に落ちています。どうしてかは分かりますよね?」


 アヤが眼鏡に手をやりながら、ヴォルテとバンカに問う。

 バンカは頭を掻いて目を逸らすが、ヴォルテは黒い瞳まっすぐに、上官の少女に答えを返す。


「河川を挟んだ砲撃戦を余儀なくされるラマンダ戦線は、より性能の高い『砲』を持っている方に軍配が上がります。ゆえに、我々は今日こんにちまで苦戦を強いられています!」

「その通り。では、この戦況を打開するのに必要なのは、何だと思いますか?」


「ドリルです!!」


「その通り」


 アヤが不敵な笑みを浮かべると共に、眼鏡のレンズが光を反射し、白く輝いた。


「今の私たちにはファーザーがあります。砲撃戦を拮抗させる裏で、ファーザーが敵陣の後方を崩し、然る後、電撃戦を仕掛ける――ファーザーのドリルで、こちらが得意とする白兵戦への突破口を開く――これが、今回の作戦です」


 アヤの言葉に、居合わせた小隊メンバー全員がうなずいた。


 これまで轡を並べた者達の中に、ファーザーの存在、ドリルの力を疑う者は居ない。

 他の何人なんぴとも侵入できない地中から急襲する戦術は、敵にとってみれば防ぎようのないものだ。

 此度の戦闘も、こちらはほぼ一方的に事を進められるだろう。


 誰もが、そう信じていたのだ。


――しかし三日後。


 彼らの楽観あては、外れた。


「こんなに早く対策をとられるなんて……!」


 広がる敵陣を前に、アヤの眼鏡の奥、碧眼の目元が険しくなる。


「少尉、ファーザーの攻撃目標は――“どの部隊”ですか!?」

「い、今――現在、特定中ですッ!」


 単騎での奇襲で狙うべきは、敵軍の指揮官機。

 大規模な作戦なら、必ず前線指揮官が出張ってくる。そこを潰せば、敵の統率に隙が生まれるからだ。


 だが、肝心の指揮官機が

 通常、アーマシングの指揮官機は、通信機能を強化するためのアンテナ・ユニットや、より高く広い視界を確保するための望遠塔などが増設されている。

 外見にも表れる仕様が他の機体と異なるのだ。


 その差異が、敵陣には一切見られなかった。


 問題は、もうひとつ。

 敵の敷いた陣形を見て、アヤはいよいよセルペ軍が“ファーザー対策”を講じていることを確信した。


「部隊が“面”で展開されてる……」


 対岸の敵は、アーマシング『デュラハン』3機と随伴の六脚砲からなる小隊単位で方陣を形成し、河岸に散らばるようにして展開していた。


 従来のアーマシング戦に於いては、機体を横陣に並べるようにして戦線ラインを形成するのがセオリーである。

 わざわざ“線”の密度を落としてまで、後方へも対応可能な“面”の陣形を敷くということは、敵が“そうなる可能性”を意識しているからだ。


「これじゃあ、ファーザーの突破戦術が……通用しない、とまではいかないけど、効力がスポイルされて……ッ!」


 アヤの思考を、空打つ轟音が遮った。


 どちらからともなく上がった砲火は、大河の両岸に瞬く間に広がって。


 熾烈な砲撃戦が始まった。



 アーマシング『デュラハン』が構えた大盾に、敵四脚アーマシング『ケンタウロス』の放ったライフル砲弾が飛来。

 着弾の爆風にも怯まず、デュラハンは両肩に搭載した滑腔砲から続けざまに徹甲弾を発射。


 次弾装填の間を埋めるようにして、隣のデュラハンが砲撃を継ぐ。


 砲弾は大河をまたいで絶え間なく飛び交い、硝煙と弾着で巻き上げられた土砂の粉塵が両岸を覆う。


「敵軍、火力を前面の小隊に集中してきていますが、問題ないようです」

「うんうん、釘付けにできているね。なにしろ砲の性能はこっちが上だ」


 副官と共に乗り込んだデュラハン砲撃型のコクピットで、ナメラは戦場を見渡している。


「“黒いやつ”は仕掛けてくるでしょうか」

「来るよ。だから、時間稼ぎの為にわざわざ不利な砲戦を仕掛けてきている。向こうさんは今頃、早く切り札を出したくてたまらないだろうさ」



「敵の布陣を可能な限り正確に再現してください」


 指揮支援用六脚アーマシング『アクリダ』の内部には、ちょっとした会議室ほどの空間が設けられている。


 室内中央のデスクに拡げた地図は、戦場となっているラマンダ河を周辺のもの。

 アヤ達は、両陣営のアーマシングと随伴部隊の配置を示す色分けされたピンを、次々と地図に留めていった。


 “外”では砲弾の応酬が続いている。

 しかしアヤの戦場とは、アクリダの装甲を隔てた外界ではない。


「一刻も早く、ファーザーの攻撃目標を特定しなきゃ――!」


 眼鏡の奥で、碧眼が冷たく光った。


 俯瞰した戦場を観る。


 勝利への最善手こたえを観る。


 もっとも効果的にドリルするべき場所を観る!


「――――向こうの“六脚”、配置はこれで間違いありませんね!?」


 戦場で運用されるアーマシングは、直接戦闘や攻撃を担うタイプと通信や輸送を担うタイプとが混在している。


 アヤが目をつけたのは、敵機の中でも通信機能を持った補助型六脚タイプ――自分達のアクリダのような――である。


「指揮官機に通信強化を施していないなら、どこかでそれを補っているはず。つまり、攻撃機に随伴する六脚型の分布が濃く偏っているポイントが――――あったわッ!」


 アヤはテーブルから背を向けて、壁面コントロールパネルに据え付けてある無線通信装置の送話器を、引ったくるようにして手に取った。


「『アクリダ』より『ファーザー』へ。二時の方向、前から3番目の方陣を攻撃目標に設定!  機動を開始してください!」



 対岸の敵へ向け砲撃を続けていた小隊の目の前で、間欠泉のように地表が弾けた。


「ドコーン……ドコーン」

「ギュイィィィィィィ」


 土煙の向こうから飛び出してきた回転する“何か”が、前衛のデュラハンが構える大盾を易々と貫いた。


「来たな」


 盾持ちのデュラハンは、地中からの強襲者『ファーザー』のドリルを受けるや、すぐに盾を手放し飛び退く。


「本当に地面の下から来た! デタラメだ!」

「おいおい、落ち着きなさいよ。うまく“釣れた”んだから。全隊へ通達したまえ。“本機は予定通り奇襲を受けた”、とね」


 恐怖を感じ声をあげた副官に、ナメラは変わりなく飄々とした声をかける。


 同時に、前衛を突破した黒鉄の巨人が右腕の凶暴なドリルを引き絞り、放ってきた。


 ナメラが機動操舵手ドライバーをつとめるデュラハンは、両肩の砲塔を排除パージ

 脱落するパーツ群と手にした盾を隠れ蓑にして、身を低くかがめながら巨大なファーザーの右脇をすり抜けた。


「私はアンナロゥあの男ほど、操縦が上手くないんだがな――ッと!」


 ファーザーが上半身を回転させ、後方に回り込んだナメラ機にドリル裏拳を見舞う。


 装甲の厚さで知られるデュラハンの右腕が、ナーガレジンの切削屑を撒き散らして磨り潰されてゆく。

 ナメラ機、使い物にならなくなった腕を肘の先から爆破自切。反動を利用して後退し、大きく距離をとる。


 ナメラ=エラーフェのとった戦術は、とにかく逃げの一手であった。


「常識が通用しなくたって、この世の道理や因果が通用しないわけじゃあない」


 眼前の黒鉄巨人が繰り出してくるドリルの切れは、荒削りだが触れればこちらが削られる。油断ならない、危険な相手だ。


――だが、指揮官機こちらに狙いを集中させてきている――


 対手から片時も視線を逸らせぬ状況にあって、ナメラは推測の的中を確信した。

 そして、自機レーダーが後方より接近するプラナ・ドライブ反応を捉えたことで、肺に溜め込んでいた空気をひゅう、と吐き出す。


「やれやれ、間に合ったね。こちらの方が、先に手札を揃えられたようだ」


 背後より、地響き来たる。


 大地を幾度もせわしなく打つかのような震動は、“それ”の足音である。


 濃緑色の巨大なドームの八方に巨大な砲がいくつも並び、ひとつひとつがちょっとしたビルほどある脚が八つ、これも放射状に生えている。


 その名も、セルペ軍有脚爆撃要塞バトルドーム『ブルダ』。

 一般的なアーマシングのおよそ4倍を誇る、超巨大アーマシングだ。


 ブルダの砲塔が回転しながら、次々と火を噴く。対地ロケット砲である。


照準は、前方の敵アーマシング。すなわち、ファーザー。

 ナメラのデュラハンを追い立てていたファーザーは、この過剰なほどの牽制に攻め手を止めざるを得ない。


「よしよし、あの黒いやつはブルダに任せるよ」


 後退したナメラの小隊を、ドリルは追えない。

 立ちはだかったブルダが、ドーム状の複合兵装ブロック群から8基の回転鋸サーキュラーソーを展開したからだ。


 サーキュラーソーを携えるそれぞれ7自由度の巨腕が、黒鉄の襲撃者に報いを与える。


 上から下、右薙ぎ、左薙ぎ、さらに袈裟懸け。

 あらゆる角度から繰り出される巨斬撃。

 ファーザーはいなしかわすので精一杯のようだ。


 縦振りのサーキュラーソーを、ファーザーが横跳びでかわす。

 振り抜いた鋸が、地表を深く抉る。

 ブルダの標的が安易に地中へ逃れようとすれば、たやすく大地ごと切り裂かれるに違いない。


「さあさあ、いよいよ、ぞ!」


 ナメラは、自分の“切り札”が充分に働いていることを確認し、副官に合図した。

 ただちにデュラハンの背中から信号弾が打ち上げられ、上空で赤色の光を明滅させる。


 そして、河岸で防御に徹していた大盾のデュラハンが、一斉に前進を始めた。


 敵の砲火を盾で防ぎながら緩やかに流れる大河に次々と身を沈め、持っている盾だけを水上に突き出す。

 河に入ったデュラハンがすべて、列をなして同じ動作をとり――ラマンダ河に“大盾の橋”が架けられた。


 橋を渡り、デュラハン重装型が次々と対岸へ押し寄せる。


――ナメラの打ち上げた信号弾は、『全隊突撃』を意味していた。

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