08 秘めたるものは

「キャストフ落としに参加できるとは、思ってもみませんでしたよ」


 ベッツ小隊では最古参の兵士が、周囲の景色を――先日攻め落としたばかりのキャストフ市を――見回してホウ、と息をつく。

 小隊長のベッツが、彼の持ってきた紙コップを黙って受け取る。

 中には黒いコーヒーが湯気を立てていた。


 瓦礫を片付けテントを設営しただけの急ごしらえの陣営にて、サウリア軍の一個大隊は休息をとっている。


「ダメ押しでだいぶ戦力をつぎ込んだからな。勝って当然だ」


 この地を占領することは、サウリア軍にとって大きな意義を持っていた。


 そもそも、数年続く紛争の最終目標は、アーマシングのプラナ・ドライブに使用されるレアメタル『マーラサイン』の鉱山を確保することである。

 鉱山『シュミ』の麓では、長らく両軍が小競り合いを繰り返している。


 雌雄を決する為には、シュミ戦線への補給ラインを如何にして太く強くできるかだ。

 周囲を山岳に囲まれ、両国の国境に近いキャストフを押さえることは、物資兵員の輸送効率を上げるだけでなく、敵軍への牽制効果を持つことをも意味した。


「これで、あとは“パトロン”のご機嫌を窺うだけになった」

「この戦争も、終わりが見えてきましたね」

「どうかな」


 いかつい外見のベッツ=テミンキは、フン、と鼻を鳴らしコーヒーを啜った。

 古参の兵士と雑談する間も、ベッツは仏頂面である。


 話し相手の兵士は、彼の表情も口調も生来のものであり、機嫌に左右されているわけではないことを理解しているので、特に萎縮することはなかった。


「まあ、“ああいったモノ”を付け届けにでもしてやれば、レックス財閥パトロンも乗り気になるかもしれんがな」


 ベッツが顎をしゃくった先には、整備補給用六脚アーマシング『ゴロファ』が展開する、簡易機甲渠ドックがあった。


 収まっているのは、黒鉄の未確認機体アンノウン『ファーザー』である。



「――何か条件があるのかしら」


 ファーザーのコクピットに接続した分析端末の表示を見て、アヤが眼鏡のブリッジに手をやりながら呟いた。


 A4サイズの端末モニターには、ファーザーの動作を制御するシステムのステータスが示されている。

 羅列された項目のうち、制御可能イネーブルが点灯しているのは全体の6割程度であった。


 現在のヴォルテ達には、ファーザーの全機能を使用することはできないのだ。


「条件、ってどういうことですか、少尉」


 後ろからヴォルテが端末を覗き込む。

 不意に彼の気配を顔の近くに感じたことで、アヤは内心どきりとしたが、努めて平静を装った。


「前回の解析時、つまり戦闘前に解析した時と比べて、点灯項目が5つ増えています。ファーザーのシステムには、何らかのが施されているのかもしれません」

「仕掛け、ですか」

「たとえば、機体の稼働状況がロック解除の鍵になっている、とかでしょうか。ほら、イネーブル項目の隣に暗号のような文字列があるじゃないですか。この部分に何か記述するとしたら、実用データではなくてメモやコメントだと思うんですよ」


 ファーザーのシステムが吐き出したデータは、肝心な部分が“文字化け”じみた暗号と化している。

 ヴォルテやバンカから見れば、まったく意味をなしているとは思えない記号の羅列であった。

 しかしアヤは、端末に新たなデータが表示される毎に、何らかの情報を確実に読み取っているようだった。


「これ、すぐに暗号解析チームに送って下さい。処理優先度に“大至急”と但し書きを忘れずに、です」


 端末から取り外した記録媒体を整備員に手渡してから、アヤはファーザーのコンソールに向き直った。


「やっぱり、ファーザーのデータを取ることは重要ですか」

「当然です」


 少し間の抜けたヴォルテの問いに、アヤは振り返ることなく即答した。

 白く細い指先は、絶え間なく端末のキーを叩き続けている。


「私たち操甲戦術開発室は、現行機の戦術研究だけでなく、“未だ存在しない兵器”の運用方法も研究しています」


「存在しない兵器?」

「たとえば、空を自在に飛び回る。衛星軌道上から強力な光線を照射する。複数の機体が状況に応じて合体する、形状と性能を自由に変える――。そんな兵器が戦場に現れたらどう対策するか。どう用いるか。そういったものです」


「そうか。だから、ファーザーのドリルを活かした作戦がすぐに立てられたんですね!」

「て言うか、その研究、ちょっと楽しそうスね」


 挙げられた例を少し想像して、バンカは素直な感想を口にする。

 アヤの眼鏡の奥の碧眼は、まったく笑みを作ることなく端末のモニターを凝視し続けていた。


「考えるだけなら、です。それがこうして現実になれば、笑っていられません」


 涼やかなせせらぎのような声が、かえって冷たい響きを持ってヴォルテとバンカに浴びせられた。

 二人は思わず軽口を引っ込め、揃って喉をゴクリと鳴らした。


「現にファーザーが、地中を自在に掘り進むドリルを持ったアーマシングが、ここに在ります。ならば、戦場はやがて、ドリルありきの在り方に変わっていくでしょう。敵が対策をとるより早く半歩先を行けるかどうかが、明暗を分けるんです」



 野営地にテントを設置した簡易食堂で、ヴォルテとバンカは昼食の配給を受け、空いているテーブルに隣り合って着席した。


「いやあ、スゲェよな。頭のつくりが違うって言うかさ」


 パンをかじりながら、バンカが大げさに感心してみせる。


「知ってたか、ヴォルテ。、俺らと一コしか年齢とし違わねェんだぜ?」

「少尉ちゃん、て。そういえばバンカ、どうして少尉の階級がすぐに分かったのさ」


 ヴォルテはバンカの“少尉ちゃん”呼びをたしなめながらも、その愛称が実際しっくりくると思った。

 アヤの見た目は、むしろ年下と言われても信じられる。


だからこそ、気になっていた。


普段は大雑把なバンカが、どうして“あの時”だけは自分より目ざとかったのか。

ヴォルテなどは、彼女が軍の制服を着ていたから、辛うじて軍人と判ったのだ。


「いや、オトコならよ、フツー真っ先に目がいくだろうよ」

「階級章に?」

ちげェよ。“ここ全体”にだよ!」


 バンカが、自分の胸の辺りで風船を撫で回すようなジェスチャーをとる。

 

「ありゃE……いや、Fはあるな。着やせするタイプと見たぜ」


 ようやく意図を察したヴォルテは、呆れ顔でバンカを眺めた。


「上官をそんな目で……」

「出たよ、優等生。あのオッパイに見向きもしないようなカタブツは、ベッツ隊長だけで充分だっての」


 バンカはわざとらしく溜息をつきながら、皿のハムにフォークを突き刺す。

 ちょうど口へ運んだところで、背後から少女の涼やかな声が聴こえてきた。


「ヴォルテ伍長、お話ししたいことがありますから、食事を終えたらちょっと来てください」


 その声を聞いたバンカが、激しくむせる。

 ヴォルテも少なからず動揺し、背後から話しかけてきた上官の少女――アヤの顔を見る。


 突然むせ始めたバンカを見て怪訝そうに首をかしげているあたり、先ほどまでの会話は耳に入っていなかったようである。


――ここでアヤに「どうしたのですか」などと訊かれてはまずい。彼女が言葉を発する前に、こちらが動き出さなくては――


 戦闘時に匹敵する早さで思考をめぐらすヴォルテであったが、その実、やはり彼は動揺し慌てていた。


「ええっと、、どこへ行けば?」


「えっ?」


 ヴォルテのごく自然な一言に、アヤが硬直した。

 バンカも口を半開きにしたままヴォルテを横目に見て、動きを止めた。


 一瞬、その場の時間が止まった。


「いま、“母さん”って呼びました? もしかして、私のこと?」


 苦笑しながら眼鏡のズレを直すアヤ。

 彼女に訊き返されて、ヴォルテは自らの致命的なミスに気がついた。


「――――ッッッ!?」


 口に空気を含み目を泳がし、宙ぶらりんな表情のヴォルテ。

 いつも柔和かつ冷静な青年の顔面が、にわかに紅潮していく。


「……オメーこそ、上官をどんな目で見てンだよ?」


 バンカのとった意趣返しの呆れ顔に、ヴォルテは何も言い返すことができなかった。



 ゴロファの中にある執務室の扉を開くと、機械や事務用品の揮発剤臭に混じって、ほのかな女性の香りがした。


「ヴォルテ=マイサン伍長、参りました」


「そんなにかしこまらなくって良いですよ」


 アヤは、詰襟の軍服はハンガーにかけ、ブラウスの襟元を開いていた。

 相変わらず情報処理端末に向かい合っていたが、イスの座面を回転させてヴォルテの方を向く。


 備え付けのソファに着席を促すと、手ずから水筒の茶を注いで渡した。


「実家からお気に入りの茶葉を持ってきてるんです」

「へえ、美味しいお茶ですね」


 ヴォルテは当たり障りのない感想を返した。

ドリルの回転音だけでメーカーを言い当てることはできても、茶の味には疎かった。


「さて、ヴォルテ伍長。明日、正式に辞令を出しますけど、先に伝えておきます。貴官を、私アヤ=ルミナ直轄の特殊遊撃分隊の分隊長に任命します」

「分隊長。自分が、ですか。それに特殊遊撃とは?」


「それらしい呼び名が必要だったから大仰になってしまっているけれど、簡単なことです。分隊と言っても、構成はヴォルテ伍長とバンカ兵長だけ。今後は私の命令のもと、あの未確認アーマシング『ファーザー』を専ら運用することが任務になります」


「――はッ! つつしんで拝命いたします!」


 ファーザーと常に行動を共にしたいヴォルテにとっては、願ってもないことだ。

 主たる指揮者がアヤであることも、好ましい。


 先だっての戦闘や、その後の働き振りを見て、ヴォルテは年若い少尉に信頼を寄せていた。


「なお、ファーザーの戦闘データ、稼動記録を開発室へ送ることも任務の一部です。重要性については、昼間にお話ししましたよね」

「ええ。それに、自分個人としても、ファーザーに関わることができて嬉しいです」

「個人的にも、ですか? それは、伍長が“ドリル好き”だからですか」


 着任から間もなく、アヤはヴォルテの“利きドリル”なる特技について聞き及んでいた。

 ヴォルテは、「それもありますけど」と頬を掻いて苦笑しつつ、表情を引き締めて語ることを決心した。


「自分は、子供の頃に2度、ファーザーに出会っています」

「ええっ!?」


 思わず眼鏡に手をやり、身を乗り出すアヤ。

 ブラウスの胸元が大きく揺れたが、ヴォルテは彼女の青い眼だけを見る。


「一度目は、赤ん坊だった自分を孤児院へ預けた。二度目は、生命の危機に瀕した自分を、救ってくれました」

「ヴォルテ伍長は、ファーザーの正体に心当たりがあるんですか?」

「……いいえ、残念ながら。だから、知りたいんです。ファーザーとは何者なのか。それを知ることが、自分自身を知ることに繋がりますから」


 ヴォルテの黒い瞳が、渦を巻いている。

 見つめた者を吸い込んでしまうかのような強い意志を秘めた眼差しに、アヤは知らず固唾を呑んでいた。


「少尉、どうかこの話は他言無用にしておいてもらえませんか? 限られた、信頼できる人にしか、この話はしていないんです」


「――ヴォルテ伍長は、顔を合わせて間もない私を、そこまで信頼してくれているのですか」


 今度は、アヤの青い瞳がヴォルテを見る。

 眼鏡のレンズ越しであっても、眼差しの強さが衰えることは無い。


 問われたヴォルテは、そういえば、とばかりに少し考えてから、ぽつりと呟くように応えた。


「……そうだ。アヤ少尉は、孤児院で世話になった人に似てるんです」

「それって、もしかして“母さん”ですか」

「そう、です。もちろん本当の母親ではありません。僕が兵学校に入るまで、ずっと見守ってくれたんです。その人のこと、ずっと心の中で“母さん”と呼んでいました」


「そう……そうだったんだ」


 ヴォルテの話を聞くうち、自然とアヤの口元は綻び、目元には優しい微笑が浮かんでいた。

 口調まで砕けてゆくのを内心では自覚しながら、アヤはそのままこの青年と会話を続けようと思った。


「ふふ、あの時の言い間違え、“姉さん”だったらちょっと嬉しかったかも」


――たしかに、この人は年上だ――


 ヴォルテは、アヤに相槌を打つ傍らでそんなことを考えている。


「私、末っ子なんです。姉や兄を見上げてばかりだったから、憧れてて」

「そういうのって、やっぱりあるんですよね。いや、あの時は本当、すみませんでした」

「謝らなくていいですよ。ちょっと面白かったし」

「ハハ、ひどいなぁ、少尉」


 空気が和らいでいくのを感じる。

 上官と部下、という節度を保ってはいるが、二人は互いの距離をずいぶん近くして話すようになっていた。


「見上げる、と言えば。あの頃は自分もまだ背が低くて、母さんに抱きしめられると窒息しそうになってました」

「え、窒息?」

「その、胸に顔を押し付けられて……」

「お、押し付けられて!?」


 眼鏡がズレるのもそのままに、アヤが驚愕の面持ちで自分の胸に手を当てる。


「そ、そんなに……」

「アハハ。もう自分も背が伸びましたし、二度とそんなことにはならないと思いますけど」


 和やかに笑うヴォルテとは対照的に、やや深刻な面持ちで胸に手を当てていたアヤは、意を決したとばかりにキッとヴォルテを見て。


「あの……私の方が、小さいですか?」


「――へ?」

「ヴォルテ伍長、言いましたよね。私とその“母さん”が似てる、って。どうですか」


 異様に真剣な面持ちで、アヤが胸を張る。

 ブラウスに包まれた膨らみが、ユサ、と動いた。


 茶を出された時とは状況が違う。


 どう答えても正解にならぬであろう悪魔的問いだ。ヴォルテの背筋に冷や汗がつたう。


「あの、ええと……申し訳ありません! なにぶん子供の頃の話なので、実際どうだったかは記憶していなくて!」


 青年は、ところどころ声を裏返しながら答える。


 アヤはと言えば、無意識のうちにムキになっていた自分に気付き、俯きがちに赤面した。


「ヘンなこと訊いてごめんなさい。そう、そうよね。有耶無耶にしておいた方が良い事だって、あるもんね……」


 少々気まずいものを残したまま、アヤは会話を打ち切り、ヴォルテは執務室を後にした。



 残務整理に目処が立った所で、アヤは数時間振りに執務室のデスクから離れた。

 向かったのは、自室を兼ねた執務室に併設されているシャワールームである。


 仕官への待遇として、こういった設備は専用のものがあてがわれている。

 とは言え、アヤの性格上、普段であれば貴重な水の浪費には細心の注意を払っている。


 現在駐屯しているキャストフは近くに河川があるため、給水量に気兼ねをせずシャワーを使えることがありがたかった。


 日頃、身と心を戒める軍服を脱ぐと、ようやく『アヤ=ルミナ少尉』から『ただのアヤ』だ。


 一糸纏わぬアヤの肢体に、条をなす水滴が弾け、流れてゆく。

 バンカの見立て通り、軍服の戒めから逃れた彼女のボディラインは、豊かな起伏に富んでいた。


 濡れた黒いロングヘアが一房、白い胸元にはりつく。

 それを背の後ろへとやってから、アヤは自らのたわわな実りを両手で持ち上げてみた。


「――これでもまだ、小さいのかな」


 どうして今になって、“こんなこと”が気になるのか。


 聡明な才女は、しばらくシャワーの温水に打たれながら考えてみたが、ついに答えが出ることは、なかった。

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