1-9 元々、法の外で捜査していますから

 森がその日の夕方にも女子更衣室に侵入した。

 予想できた動きだったので、今度は比較的簡単に彼の行動を映像に収めることができた。

 いよいよ今夜、解決に動くのか、と結は静かに緊張していた。


 夜になり、森の自宅のそばに車を停めて、盗聴器に反応がないか、彼が出かけたりしないかと監視する。


 さして広くない車内に大人が三人いるというのに、言葉数は少なく、緊迫した空気が漂っている。


 今か今かと待たされながら何も動きはないという状態は、三人の精神に大きな負荷を加えていた。


「変態教師が、もったいつけて」


 ぼそっ、と章彦の声がして、結は噴き出した。津島も笑いだす。


 結と津島は今までの緊張を吹き飛ばすように大笑いした。普段はあまり笑わない章彦も、自分のつぶやきが二人の先輩の腹筋を刺激してしまったことに「すみません不謹慎で」と照れ笑いを浮かべている。


「ちょっと気負い過ぎてたな。今夜動くと決まってるわけでもなし」


 津島がまだ少し笑いながら言った。


「黒崎君がいいタイミングでほぐしてくれましたね」

「いや、俺はそんなつもりは……。なんかやっぱり、すみません」

「いいと思うよ。……もっととっつきにくいヤツだと思ってた。普段からも、もう少しそうやって素を見せてくれればいいのに」

「俺もそう思う。いろいろあると思うけど、君ももうちょっとみんなの誤解を解くように動いたらいいんじゃないかな」


 津島がにこやかに言うのに、結もうなずいた。

 章彦は二人の言葉に「善処します」とだけ答えた。一見、受け流したかのように思えるが、少しは彼の心に響いているのではないかな、と結は感じた。


 それからは、和んだ雰囲気で待機することができた。


 変化が生じたのは、二十三時前。盗聴器に反応があった。

 森の固定電話に電話がかかってきた。来たか、と結達は耳をそばだたせる。

 津島が録音のスイッチを入れるのと同時に、森が受話器をあげたようだ。


『はい、森です』

『よぉ、あれからいいの入ったかぁ?』

『丁度手に入れたばっかりのがあります』

『そりゃいいな。んじゃ、いつにする?』

『日曜日の昼なら空いてますが』

『よし、いつもんとこに持ってきてくれや。二時ぐらいでいいか?』

『はい、判りました』


 要件だけをやりとりして、電話は切れた。

 録音を解除してから、三人は自然と詰めていた息を吐き出す。


「相手は名乗らなかったけれど、これは、当たりだな」

「黒崎君のぼやきが通じたな」

「からかわないでください」

「悪い悪い。……日曜日ってことは明後日か。今夜はこれで終わりにするか」


 津島にうなずいて、結達はそれぞれ家路につくことにした。




 日曜日の昼、結は津島と合流して、繁華街の中の喫茶店で昼食を摂った。これから捜査なので満腹とまではいかないが、ある程度食欲を満たすことができて人心地がつく。


「彼もこの近くで昼食ですか」

 結の問いかけに津島はうなずいた。


 今日は朝から結達三人は別行動をしていた。

 結は富川探偵事務所でもらった、森と柄の悪い男が会っていたという公園付近に張り込み、津島が森を、章彦が「中川組」の動きをマークしていた。

 そしてつい先ほど、公園近くにいた結と、森を尾行してきた津島が合流した、という流れだ。


「そろそろ出ようか」

 結達は喫茶店を出た。


 そばを走る幹線道路は結構の交通量だ。混雑にいらついたドライバーがクラクションを鳴らしているのも聞こえる。

 だが森が中川組と会うのは、ここからわき道に入った先にあって、周りは住宅に囲まれている。

 できれば、あまり住民には見られたくないな、と結は思った。


 津島が警察と電話で連絡を取っている。


 警察側は、森が中川組にビデオを渡した後、森を職務質問することになっている。彼が名芝学園内で盗撮をしている嫌疑で引っ張るのだ。彼が女子トイレや更衣室に出入りしている写真がたくさんあるので逮捕状がなくても職務質問からの任意同行で十分だ。


 結は章彦と合流して、中川組の組員を追う。彼が事務所に入ったところで警察と共に乗りこむ。こちらは、森から盗撮の品物を渡したという供述を得た、ということにする。


「少々フライングだけどな」

「元々、法の外で捜査していますから今さらですね」

 電話を終え、手順の確認を話す津島の指摘に指摘を返して結は笑った。


 二人は公園のそばまで来た。

 結は公園の外から見張る。津島は森に顔を知られていないので、公園の隅のベンチに座って休憩中のサラリーマン役だ。


 やがて、森がやってきた。

 結は物影に身をひそめて様子をうかがう。


 いい具合に、津島の正面にあたるベンチに座った。津島から距離は離れているが、あの位置取りなら映像はしっかり撮れるだろう。

 ならば少々映像がぼやけていても、音声をきっちりと拾うのが自分の役目だな、と結が思った時。


 後ろに気配を感じて、驚いて振り返る。

 章彦だ。結はほっと息をつく。


「中川組河野会から、幹部の林が来ます」

 章彦の報告に、森と林とは、と結はかすかに笑った。


 少しして、森に近づく男がいる。

 あれか? と章彦に目くばせすると、小さくうなずいた。

 結はそっと移動を始める。章彦もついてきた。

 森達の背後にまわり、小型カメラをそっと差し向ける。


「いつもご苦労さんやな」

「いえ」

「ブツは?」

「これです」


 森が鞄をごそごそとやって、紙袋を林に渡している。


「どっちや」

「着替えで」

「そうか。ま、そっちの方が一般ウケはいいわ。んなら報酬はまた後日な」


 林がベンチから立ち上がった。


 ここで現金の受け渡しがなかった事は少し残念だ。だが捜査に支障はない。


 結と章彦は林の後を追う。その後ろで刑事が森に声をかけているのが聞こえてきた。


「すみません、ちょっといいですか。今、男の人と話されて何か渡しましたよね。そのことについてお話を伺いたいのですが」


 ちらと見ると、二人の刑事に前に立たれて森は真っ青な顔をしている。

 先輩の津島が、彼らにゆっくりと近づいて行くのも見える。


 あちらはもう任せて、自分達は林を追い、予定通り暴力団の資金源の一つを絶つ。

 結は章彦と、林を追うべく車に向かって小走りした。

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