1-10 なめるだなんてとんでもない

 結は章彦の車に同乗し、運転に集中する章彦のナビをする。

 と言っても、章彦は林を尾行してあの公園まで来たので、相手がどこに戻ろうとしているのかは把握しているのでさほど心配はない。林がどこか別の場所に向かうなら話は別だろうが。


 しばらくして、章彦がほっと息をついた。


「このルート、おそらく事務所に戻りますね」

「そうか。あとどれぐらい?」

「十分ほどです」


 結も安堵の笑みを浮かべて、携帯電話で警察と連絡を取る。


「林の車を追跡中です。予定通り、十分ほどで事務所に戻ると思われます」

『了解。第一配備に就きます』


 電話の向こうでは静かなざわめきが起こっていた。いよいよ突入か、と興奮が広がっているのだろう。

 結達もさんざんじらされてきたので、その気持ちは判る。

 自分も血気盛んな彼らの足手まといにならないように動かねばならない。


「事務所は、構造とか、どんな感じなんだ?」

「住宅の中の民家です。割と大きくて古い感じで、敷地は二メートルほどの塀に囲まれてます。正面に車が通れるほどの門があって、裏にも通用口みたいなドアがありました」

「塀、か。好都合だな」

「そうですね。出入り口が限られているので、それを押さえればなかなか逃亡できないでしょう。トンネルなんかの隠し通路とか、塀をよじ登って強行突破とかがない限り」


 できればそのような奇抜な動きはしないでもらいたいな、と結は笑った。


 やがて、林の車が住宅地に入って行く。警察の第一配備――事務所を遠巻きに囲む配備の内側に入ったことを目視して、結は車を停めさせた。


 二人は車を降りて、警察側の指揮を執る警部補と合流した。

「このたびは協力ありがとうございます」

 今回の事件の担当をする警部補は、礼儀正しさが容姿にも表れている三十代半ばほどの長身の男だ。


 諜報組織を警察の下に見て鼻であしらったり、もっとひどい場合は、使いつぶしのきくコマのように無茶な要求をしてくる連中もいるが、今日は仕事がやりやすそうだ、と結は感謝の一礼をした。


 彼らは早速、捜査の手順を話し合った。

 警部補率いる警察隊が正面から突入する。こちらに章彦も同行する。もしも極めし者かそれに準ずる力を使う者が、やぶれかぶれの抵抗をしてきた時に対処するためだ。

 正面からの突入が確認されたら、裏口からも別部隊が入る。結がこちらに同行する。


「ご存じかもしれませんが、中川組は、闘気を扱えるようになる不法な薬品の売買に関わる組織です。彼ら自身がそれを使用してくる可能性も十分に考えられますので、その場合は無理をせず、我々にお任せください」


 結が言うと、警部補は「判りました」とうなずいた。


 配置が決まると、いよいよ作戦決行だ。第一配備よりさらに円陣を狭めた第二配備となり、指揮官たる警部補の号令を待つ。

 結は、事務所の裏口が見える位置で、事の始まりを待った。

 ピンと張りつめた空気の中、無線のノイズがかすかに鳴り、機械を通した警部補の凛とした声が聞こえてきた。


『突入します。第二班は三分後で』

『了解』

 結のそばで刑事が応えている。


 間もなくして、表の方が騒がしくなった。

 強制捜査を伝える警部補の声と、阻止せんとする組員の怒号が混ざり合う。


「我々も参ります」

 裏口を見張る隊を仕切る刑事が皆に声をかけ、早足で裏口に向かう。


 木造だが分厚く強固な扉を叩き開け、警官隊が突入する。


 極めし者が、あのクスリを使った者が、いなければいいのだが、という結の心配は、ほどなく現実のものとなってしまった。


 表で小競り合いを繰り返している方から弱い闘気をいくつか感じた。それに続いて強い闘気が放たれたが、これは章彦のものだろう。

 章彦は結よりも強い極めし者だ。相手が複数としてもあの闘気の差ならまったく問題はない。


 問題は、こちらだ。


 家の勝手口から出てきた一人の男は、警官隊を見てぎょっとなったが、すぐに開き直ったかのようににやりと笑う。

 彼は手に持っていた紙袋――森が林に手渡していた物を勝手口から中に軽く投げ入れて、大きく息を吸い込んだ。

 見る間に、男の全身を闘気が包み込む。白熱色のまばゆいオーラだ。


 警官隊がたじろぐ。無理もないことだ。


「みなさんは下がってください」

 進み出ながら、結も闘気を解放した。海の藍のオーラが彼を守るように広がる。

「『水』か。そういう職に就いてるヤツには珍しいな」

 男が好奇の目を結に向けてくる。


 彼の言う「水」とは闘気の属性のことだ。闘気には八つの属性があり、それぞれ特徴的な性質を持っている。

 水属性は回避に長ける属性だ。確かに、荒事の多い職にあって水属性は珍しいのかもしれない。だが、相手の攻撃を受け流し反撃する結の闘い方にとても合っている。彼が護身のために修練していた合気道とも。

 合気道は自ら相手を攻撃しない護りの武道なので、極めし者となり、相手を拘束するために力を使う段階となっては、もうその武道精神から外れてしまっているのだけれど、と結は少し申し訳なく、残念にも思っているが。


「あなたこそ、社会の闇にいながら、美しく光輝く闘気を誇る天属性とは、何の皮肉ですか?」


 結は、にやりと笑って構えを取った。両腕を軽く横に広げ、懐をあらわにする独特の構えだ。


「こいつ、ナメやがって」

「器用貧乏と揶揄されることの多い天属性でも、なめるだなんてとんでもない」


 結はこれ以上ない挑発の言葉を吐き捨てた。

 天属性は、多種多様な闘い方ができるが、逆に言えば秀でる特徴がない。八つの属性の中で一番、闘いのセンスが直接左右する。

 恋人の照子も天属性で、そういったからかいをされたことがあると結は聞いていた。相手の冷静さを奪う挑発に、照子の愚痴を利用してしまい、「ごめんな」と心の中で詫びて笑った。


「クソが!」


 男は結のもくろみ通り、完全に頭に血を上らせて拳を振りかざしてくる。

 顔や腹を狙って突き出される拳を手刀で外に弾き、隙だらけになった胸に貫き手で一撃を加える。

 息を詰まらせ、たじろいだ相手の腹に拳を叩きつけると、相手は膝をついた。


 獣の咆哮のような声をあげて男が立ち上がりざまに腕を振るう。

 打撃か、と身構えていた結の左腕を男が掴んだ。


 結は冷静に、掴まれた左腕を肩の高さまであげ、相手に向けてスライドさせる。腰が引けた相手について行くように前へ出ながら、膝と腰をすぅっと落とす。

 男は耐えきれず後ろ側へと倒された。一見、さほどダメージがなさそうだが背中から叩きつけられた相手は呼吸もままならないままあえいでいる。


 結の反撃を最後に男が土の上で動かなくなると警官達は「おおぉ」と歓声をあげた。動きの速い極めし者の闘いのすべてを目で追うことはかなわなくても、結の圧倒的勝利であることは明らかだった。


 だが、男は最後のあがきとばかりに、かっと目を見開いたかと思うと白色の光の闘気を右手に集めた。


 次の瞬間、結に向けて伸ばした男の手から光の弾が飛び出した。

 結も闘気を練り上げ、自身の周りに展開させる。

 白と藍の光はぶつかり、四散した。


 往生際の悪い、とあきれ顔で結は男をうつ伏せにさせて腕を後ろにねじあげると、警部補を見てうなずいた。


「八月九日、十五時三分、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」

 警部補が男に手錠をかけた。


 極めし者ならば闘気を駆使すれば手錠を引きちぎるぐらいは造作もない。闘気を扱う呼吸法を封じるために猿ぐつわを噛ませた方がいいと結は警部補に助言した。


 容疑者が確保されると、すかさず、警官が勝手口に走り、男が放り投げた紙袋を押収する。予想通り、ビデオテープが見つかった。


 やがて、表の方から章彦が走ってくる。


「表側、制圧しました。……無事、証拠も確保できたようですね」

「あぁ、これで捜査は我々の手から離れるよ」


 章彦が笑ってうなずいたので、結も肩の荷が下りたと実感できた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る