1-8 犯罪に走れと思っているわけじゃないけれど

 結は足音を殺して森の後をこっそりと追いかける。


 森は早足で二階にあがると、今度は周りをやたらと気にしている様子で、そろそろと歩く。

 いくら相手が素人だからと言っても、ここまで警戒されていると尾行も困難だ。結は適度な距離を保ちつつ、曲がり角を利用して近づき、森の後方三メートルほどの位置につける。


 角の向こうの気配は進む様子がない。確かその辺りは女子トイレがあったはず。


 結はネクタイピンを外して壁からこっそりと出した。うまく映ればいいのだが、と願いながら。


 足音がする。どうやら森がトイレに入ったようだ。

 角から出て、男子トイレに入る。森はいない。


 やはり女子トイレか、と軽く息をついて、気配を探る。

 壁を隔てた向こう側で、何かを動かすような音がかすかに聞こえてきた。


 乗りこむべきか? と一瞬頭によぎったが、後々のことを思うとここは身をひそめておいた方がいい。「IMワークスの社員がタレコミをしたから逮捕された」と騒がれると厄介だ。


 やがて物音が途絶え、足音が聞こえる。

 結は個室トイレに滑り込み、気配が消えるのを待った。


 足音は、男子トイレを横切って去って行く。


 ほっと息をついて廊下まで出ると、もう森の姿はなかった。

 携帯電話を取り出して、車の中でモニターをチェックしている津島にメールを打つ。


『OK?』


 一分経つか経たないかで返信。


『OK』


 先輩の返信に、結はしてやったりと口の端を持ち上げた。


 森が女子トイレに入る様子は、しっかりと映像に収められたようだ。

 後は森が外で動いてくれたら証拠がそろう。


 ビデオに収められてしまった女子の映像が世に出る前に押収しなければ。

 津島の待つ車に向かいながら結は捜査を貫徹する決意を新たにした。




 その日の夜は、特に動きはなかった。


 翌日からは、午前中に章彦、午後は結が森をマークし続ける。

 相手が決定的な行動に出てくれないことには、こちらもどうしようもない。

 ひたすらじらされながら尾行、監視を続けるのは、かなり神経が擦り減らされる。


「待つだけというのも、もどかしいですね」


 尾行を開始してから三日目の夜。章彦が愚痴をこぼすのもうなずける。


「そうだね。犯罪に走れと思っているわけじゃないけれど、ついそう思ってしまうね」

「そろそろ次の行動に出てもおかしくないのになぁ」


 津島も首をひねっている。現場に長く出ている彼も、今回の森の動きのなさは意外のようだ。


「もしかすると、先日のビデオが満足いかない出来だったとか?」


 章彦の、少し投げやりな言葉に、結はそうかもしれないとうなずいた。


「もしそうだとすると、近々またビデオを仕掛けるな」

「自宅の電話に盗聴器を仕掛けたら、いつ暴力団と接触を持つかもつかめるかもしれませんね」


 結達は、確実に相手を捕えるための手順を着々と描いていった。

 明日は午前中に結が森の自宅に忍び込み、電話に盗聴器を仕掛ける。森がトイレだけでなく更衣室にも入っていたことから、部活動のある日に更衣室が狙われるかもしれないということで、章彦は朝早くから待機することになった。




 翌朝、森が出勤したであろう時間を見計らい、結は森のアパートに向かった。

 入り口がオートロックではないことに安堵しつつ、森の部屋を探す。

 二階の角が被疑者の部屋であることも幸運だった。基本的に一方向にだけ注意を向けていればいい。


 廊下にひと気がないことを確認して、結はピッキングツールを取り出して、そっと鍵穴に差し込む。

 指先に神経を集中させ、シリンダー錠の内部を探る。

 ものの十秒ほどで、カチリ、とシリンダーを回すことに成功した。


 ふぅ、と息をつきつつ、手袋をはめた手でドアノブをそっと回すと、音を立てずにドアを開けて中に滑り込む。


 靴を脱いで部屋に入った。すかさず後ろ手で施錠する。

 中は雑然としている。脱いだ服はベッドに投げ出され、書類は机の上に山積み、おまけに台所のシンクには食べた後そのままの食器もあったりして異臭を放っている。


 教師は忙しいらしいからな、と、その辺りには寛容な感想を抱きつつ、結は電話機に近づいた。

 裏のカバーをドライバーで外し、器用な手つきで盗聴器をセットした。


 目的は果たした。

 次に気を使うのは部屋を出る瞬間だ。


 玄関から靴を持ってきて、今度は部屋の奥の窓から外を見る。

 人の目がないことを確認して、窓を開けた。

 鍵を半分閉めた状態で窓を閉めると、闘気を解放してからこともなげに飛び降りた。


 いくら二階と言っても三メートル近くの高さから飛び降りて平然と着地できるのは、極めし者の強みだ。


 さて、学校の方はどうなったかな、と結は車に戻って行った。




 名芝学園に到着したのは昼前だ。


「金谷さん、業務連絡ありです。そろそろお昼ですし外に行きましょう」


 冷静な章彦の声が、いつもより少しだけ興奮の色を含んでいる。


 これは動きがあったな、と結はうなずいて、彼らはコンビニエンスストアに向かった。

 三人分の昼食を購入して車内で食しつつ、首尾を報告する。


「睨んだ通り、森が朝の部活前に女子更衣室に入りましたよ」


 章彦の報告に結はやっと動いたかとうなずいた。


「もしかすると今夜あたり、暴力団と接触するかもしれないな」

「西村さんや警察にはいつ報告しましょうか」


 結の問いかけに津島は、ビデオの受け渡しの日時がつかめてからでもいいだろう、と答えた。


「そういえば、相手については判っているんですか?」


 章彦の質問には結がうなずいた。


「中川組系河野こうの会だよ」

「中川組ですか。大阪で一番大きい、指定暴力団ですね」

「そうだね。……あそこは危険なクスリにも手を出しているから、容疑者確保の時は注意しないといけないな」


 結が以前から懸念している「闘気を扱えるようになるクスリ」も中川組がからんでいるケースが多い。

 今回もひと悶着あるかもしれないな、と、予感のようなものが結の胸をよぎった。

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