魔術師と探偵

1-4 見込み違いね

 濃紺のブレザーに身を包んだ、長髪の女子生徒が、結を睨みつけるように見つめている。

 しかし敵愾心を持って見られている、という雰囲気でもないので、元々そのような目つきなのだろう。キツイ系お嬢様、とでも言ったところか。


「私に何かご用でしょうか」

 結は小首をかしげて問いかけた。派遣されたSEに用事もなにもないかもしれないが、と気楽に考えながら。


 ところが。


「これ、あげるわ。さっさとうっとうしい連中を追い出して」


 少女が差し出して来たのは手帳を切り取ったであろう、白い紙だ。

 うっとうしい連中を追い出すとはどういうことか、といぶかりながらメモを見ると、この高校の教員の名前が、その隣には「窃盗」「盗撮など迷惑防止条例違反」「軽犯罪法違反:覗き見」などと書かれている。


「これ……、は?」

 業務上横領じゃなくて、窃盗? 盗撮? と結はますますいぶかしむ。


「判ってるでしょ、うちの教員よ。あんた、そういうの調査に来たんでしょ」

 それはそうですが、と言いかけて結は口をつぐむ。

「私は学校のパソコンのメンテナンスに来ているのですが」

 結の返事に、少女は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。

「これだから身分を偽るのに慣れているヤツって面倒なのよ。あんた、『IMワークス』の諜報部の青井結でしょ」


 結は驚いて、次の瞬間には咄嗟に周りを見回した。


「誰もいないわよ。それぐらいの分別はあるつもりだけど?」

 目の前の女生徒は腕組みをして、さも当然と言わんばかりだ。

「君は、何者なのですか?」

 所属と名前をずばり言い当てられても、肯定しないでいることが、混乱しかけている結にできる精一杯であった。


「わたしは月宮つきみやしずか。この高校の二年生よ」


 何やら意味ありげな口ぶりで答えた月宮の全身から、うっすらと闘気があふれ出ているのを感じとった。

 いや、闘気に似た特殊な“気”だ。


「極めし者。いや、違う……?」

 思わずつぶやく。


 月宮はニヤリと笑った。

「魔術師って知ってる?」


 まだ先の混乱もおさまらないうちに、謎かけをされてしまった。


「魔術師、ですか。ファンタジーの物語などで魔法を使う……」

 そういったたぐいのことが自分にはできる、と言いたいのだろうかと結は推測した。


 すると、今度は失意を隠そうともしないため息をつかれた。

「なんだ、知らないの。見込み違いねがっかりだわ。あの青井一也の息子なのにそんなことも知らないなんて」


 そこでなぜ父の名前が出るのか、と結は目を見開いた。


 父、一也は「IMワークス」のみならず諜報界のトップクラスの一人だ。この少女は高校生なのに父の知り合いだというのか。

 まさか高校生として潜入しているが本当の年齢は――。


「今すごく失礼なこと考えてるわね?」

 結の思考を月宮の鋭い声が遮った。

「いえ、決してそんなことは」

 そう答えるのが精いっぱいだ。


「まぁいいわ。それよりも、そのメモ、確かに渡したわよ。京都にある『富川とがわ探偵事務所』に頼んで得た情報だから、裏を取りたいなら取ればいいわ」


 月宮は、もう用はないとばかりにきびすを返し、悠然と歩き去った。

 彼女の後姿を見送りながら、今さらのように聞きたいことが次から次からあふれてくる。


 彼女は一体何者なのか、何がどうなっているのか、判らない。

 だが結がすべきことは、月宮の言動が真実なのか、悪意のある情報操作なのかを確かめることだ、と理解はできた。




 章彦から今日の進捗状況を聞いて、結は「IMワークス」に立ちよった。

 二十一時を少し回り、社内は昼間より若干人が少ない。「システム開発部第三課」も、帰宅している課員もいた。


 部屋の奥の机で仕事をしている西村を見つけると、結はいつもより少しだけ早足で近づいた。


「西村さん、報告よろしいですか?」

 いつもの言葉だが、なんとなく声が上ずっているのに結自身も驚いた。

「何かあったのか?」

 西村もそれを感じ取ったようだ。

「はい、ちょっと」


 本当はちょっとどころではない。女子高校生にいきなり「こいつらを追い出せ」と被疑者の名前入りの紙を渡され、正体を見破られた上に父と知り合いであるとにおわされ、とどめとばかりに魔術師などと理解不能なキーワードで謎かけをされたのだから。


「会議室に行こうか。いや、そう言えば、青井専務が、君が戻ったら連絡するようにと言っていたな」

 言いながら、西村は目の前の受話器に手を伸ばしている。


(父さんが? あの月宮っていう子と何か関係があるんだろうか)


 西村が一也に連絡を取るのをそばで見ながら、結は一体何を言われるのか、と怯えに近い不安を抱いた。


 受話器を置いた西村が、結を見上げて言う。


「青井専務から君に話があるそうだ。専務の執務室に行ってくれ」

「はい」


 結は硬い表情でうなずいて、西村に軽く一礼してから早足で廊下に出た。

 エレベータで八階までのぼり、ドアが開くと、事務室が集まるフロアとは全く違う雰囲気の廊下が目の前に現れる。さまざまな音と声が混じり合う殺伐とした空気はなく、ゆったりとした空間がそこにある。

 ライトベージュのじゅうたんの廊下を歩きながら、結は緊張が高まる心を落ちつけるべく、そっと深呼吸した。


 専務室の前で立ち止り、一旦動きをぴたりと止めてから、ドアを軽くノックする。

 すぐに中から「どうぞ」と一也の声がした。

 ドアを開けると、一也が部屋の奥の執務机に向かっていた。彼は結を見ると笑顔を浮かべて立ち上がった。


「呼びつけてすまないね。そっちに座ってくれ」

 一也は部屋の中央にある応接用のソファを指した。結は一也が来るのを待って、そっとソファに腰を下ろす。


「すごく久しぶりに会う気がするね。親子なのに」


 一也の態度や口調は上司としてのものと感じるのに、親子と言われて結は公私どちらの立場で応えればよいのか、一瞬迷った。


「はい、青井さんは確か先月の頭から東京にいらっしゃったのですよね」

「東京で役員会があって出席したのだが、大きな事件があったので引き続きその対応にあたっていてね。本当はもっと早くこちらに戻るはずだったのに」

 一也は口元のしわを深めて、やれやれと苦笑いした。


 つい先日、政治家の支援団体と大手会社の大規模談合がニュースで取りざたされていた。おそらくその捜査に関わっていたのだろう。

 一也は今は現役を引退し、後進の指導にあたる立場だ。だが豊富な経験と、極めし者としての腕を頼りにされて今でも時々捜査の場に引っ張られることもある。

 今回もきっとそうだったのだろうと結はうなずいた。


「だからこちらの動きをチェックしきれなくてね。まさか私に連絡なしに君が名芝学園に派遣されているとは思わなかった」


 一也が言うには、犯罪の前科がある者を記したブラックリストはもちろんのこと、犯罪には至らないが要注意人物とされる者を記した「グレーリスト」がある。

 ブラックリストはホストコンピュータの、諜報員なら誰でも閲覧できるディレクトリに入っていて、結も頻繁に利用する。だがグレーリストは上層部しか閲覧を許されておらず、諜報部の課長である西村ですら存在は知っていても閲覧はできないのだそうだ。


「グレーリストの管理は加藤部長に任せてあって、リストに書かれてある人物が所属する組織に誰かを派遣する場合は私に連絡をするようにと言ってあったのだが、連絡の行き違いで、私が知ったのは帰ってきたついさっきなのだよ」

 さらに一也の表情に苦みが増した。


「そのリストに、月宮静という女子生徒が入っているのですね」

「会ったのか?」

「はい。数時間前に」


 なんて間が悪い、と一也がため息をついた。


「彼女は、何者なのですか? 青井さんを知っているような口ぶりでしたが」

「月宮静の話よりもまず、魔術師、と呼ばれる者の説明をしようか。本来、君が派遣される前に話しておくべきことだったのだが、連絡の不備を許してほしい」


 一也の詫びに、結はかぶりを振る。そのような事情であるなら詫びるべきなのは加藤だ、と思ったのだ。

 しかし今は加藤に対する不満よりも、一也の話に集中しようと結は姿勢をただした。

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